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時の辻

     ***





「…イルカ先生…?」
 さっきまで疲労が回復せずぐったりとしていたカカシのことを心配していろいろ動き回っていてくれたはずだった。カカシの口の中に残る苦みはイルカが準備してくれた薬の味だ。
 そのイルカが今は、カカシの横たわったベッドに上半身を凭れさせてぴくりとも反応を示さない。
 何が起きたのか、カカシにはさっぱり理解できなかった。
 チャクラを回復してくれようとしてカカシの手を取り、実際にイルカのチャクラが流れ込み、「気持ち良いな」と思ったのはついさっきのこと。お陰で今は自力で体を起こせるまでに回復している。
 まるでイルカがカカシの疲労を全部吸い取ったような状況にカカシは混乱した。自分には他人のチャクラを吸い取るような妙な体質でもあっただろうか。
「イルカ先生、イルカ先生…?」
 これまでも何度か酷いチャクラ切れの度に、医療忍術を囓ったことのあるイルカに回復してもらってきた。今日もいつもと変わりなくそれを行っていたはずだった。前回も前々回もイルカがこんな症状を見せたことはない。多少チャクラを喰うので疲弊した様子ではあるけれども、それでも日常生活に支障を来すほどカカシにチャクラを与えるわけでもなかったし、今回だって同じ様なものだ。
 だが――――
 イルカの徐々に血の気の引いていく顔に、カカシもひやりと汗が滲むのを感じた。渾身の力でイルカをベッドへと引き揚げ、今度はカカシがイルカの脈を量り、体温を見る。
 脈も体温も徐々に下がっていくのが分かり、カカシも青くなった。
 ――――これは一体なんなんだ…!
 そう葛藤しつつもカカシの体は勝手に動いていた。素早く口寄せでパックンを呼び寄せる。
「今すぐ綱手姫の所へ行って、イルカ先生の様子がおかしいって伝えて! すぐに火影屋敷の医療室に連れて行くからって…!」
「承知した!」
 パグ犬は躊躇うことなく窓から部屋を飛びだし、まるで猫のような軽やかさで火影屋敷へと跳んでいく。カカシも急いで身繕いをすると部屋に鍵も掛けず、イルカを抱き上げて火影屋敷へと走った。
 毛布でくるんだイルカの体がそれでも徐々に体温を下げているような気がして、気持ちが焦る。さっきまで真っ赤に熟れてカカシに応えていたはずの唇にはチアノーゼが出ていた。
「…なんで、こんなことに…?」
 そう自問自答する声はみっともなく震えていた。
 額宛で写輪眼を庇うことなく現れたカカシに火影屋敷の門番は驚きを隠せないようだったが、尋常ではない雰囲気を素早く察して、煩雑な手続きを略して中へと通してくれた。出来るだけイルカを揺らさないように細心の注意を払ったが、跫音などに頓着せずにばたばたと医療室に急ぐ。
 その扉の前で丁度五代目火影、綱手姫とその補佐官であるシズネとかち合った。
「五代目、イルカ先生が…!」
「パックンから聞いている。とにかく中へ」
 綱手に促されてカカシはイルカを抱いたまま医療室へと這入る。綱手に指示されて診療用のベッドにイルカを寝かせた。その間にもシズネは自分のやるべきことを理解しているようで、てきぱきと機材の準備を始めている。カカシはパックンを「仕舞う」と、他には出来ることが無くて、おろおろと二人のやり取りとぐったりしているイルカを見やることしかできない。上忍だから応急処置や多少の医療忍術も囓っているけれど、専門職でもある綱手とシズネとは天と地ほどのレベル差があり役に立てる気がしない。それに最早身内も同然のイルカの手当に冷静でいられる自信もなかった。
 イルカの服を上までまくり上げた綱手が一瞬こちらを睨み付けたような気がしたが、彼女はすぐに診療に意識を戻した。カカシは慌てていて、イルカとの性交直後に倒れ、そのまま服を着てきたことをすっかり忘れ去っていて、その視線が非難の色を含んでいたことにさえ気が付いていない。
 暫く綱手の指示とそれに応じるシズネの声だけが響いていた。カカシには自分の心音がイヤに五月蠅く聞こえていたのだが、勿論三人には届いていない。
「いいか、『保』の棚のどこかにあったはずだ…。捜してきてくれ」
 綱手はシズネにそう指示を出すとカカシの方へと漸く向き直った。
「ちょっと話がある」
 その固い声にカカシは思わず生唾を嚥下していた。
 通された隣の応接室で、五代目手ずから茶を淹れてくれた。
「…まずイルカの状況を説明する。症状としてはチャクラ切れというのが一番近い」
 チャクラ切れ? あんなにぴんぴんしていた人が? と内心思ったカカシだったが、「近い」という綱手の言葉に、取り敢えず黙って聞く。
「チャクラは回復機能を当然備えている。普段なら失っている間、使っている間も作り続けているものなのだが、まるでそれが機能しなくなったみたいだ。その上チャクラ切れだからな…」
「…これまでにこんな症状になった忍は居るんですか…?」
「…居る」
「…じゃあ、治療法も確立して居るんですよね…?」
「……」
 そのカカシの質問に綱手はすぐには返事をしなかった。ただじっとカカシの目を見ていて、その射抜くような視線にカカシの不安は煽られた。
「五代目…」
 妙に弱々しい声が出た。しかし五代目はそれに言及することなく、カカシの目を見たまま言った。

「はっきり言おう。治療法は確立していない。これは放っておけば確実に死ぬ、死病だ」

 しびょう。
 思わずカカシは口の中でそう五代目の言葉を反芻していた。真っ直ぐに脳味噌に浸透しなかったからだ。
 意味がすぐに理解できず、舌の上で何度か転がして、ようやくその言葉に「死病」という単語が当てはまった瞬間にカカシの目の前は真っ白になった。
「おい、しっかりしろ!」
 気が付けばソファの上でぐったりとして、まるで怒ったような顔で五代目がカカシの顔を覗き込んでいた。
「お前もチャクラが足りてないのは分かってるよ。だが、お前がしっかりしないで誰がイルカの不安を取り除いてやるんだい!」
 五代目は表情の通り怒っていたし、その通りだと思って、一瞬気を失っていた体を立て直す。
「そもそもあんな役に立つ人間を私が簡単に見殺しにするとでも思っているのかい? だとしたらあんたは相当私のことを見くびっているよ」
 不機嫌そうに綱手はカカシに簡単な治療を施すと、ソファにふんぞり返って自分で淹れた茶をまずそうに啜った。
 流石に医療のスペシャリストだけあって、心は重いままだったが、治療を受けた体はあっという間に軽くなる。
「さあ、いくらか覇気が出ただろう」
「はい、ありがとうございます…」
 机を割りそうな勢いで綱手は湯飲みを置くと、ずいっと身をこちらに乗り出した。
「…イルカが倒れるまでに何があったか、順を追って話しな」



 シズネが持ってきた資料は膨大で三人はそれを読むことから始めた。
 病の名前は「過労」とか「眠り病」とか様々な名前で記されていたが、どれも同じ症状だった。罹るのは全て忍、それも何故か中忍以下に多く、初期症状は立ちくらみで、暫く寝ていれば回復するのだという。そして、何某かの術を使うたびに眩暈が酷くなり、ある日簡単な術でもぱたりと倒れてしまうのが通例。そしてそのまま何の処置もしないまま放っておくと衰弱していき、やがて死ぬ。倒れてから死ぬまでの期間はまちまちだが長くて三月、短くておよそ一週間。
 罹る対象が忍ばかりだということに由来して「葉隠症」――――「隠れる」…死ぬ、忍ぶ――――と呼ばれることが多く、カカシ達もそう呼ぶことになった。
 結局この「葉隠症」に罹った理由は何処を調べてみても分からなかった。
 イルカは火影屋敷でそのまま様子を見ることになり、カカシももれなくそれに付き添って屋敷に入り浸ることになった。
「とにかく、チャクラ切れに近い症状だ。どんどんチャクラを点滴みたいに分け与えてやれば長らえる可能性がある筈だ」
 その綱手の判断に従いカカシが何度かチャクラを分け与えると、イルカはその度に目を覚まし、起きあがることが出来るまでに回復したが、それでもそれは一時しのぎにしかならず、またすぐに倒れてしまう。
「とにかくチャクラを与えれば一時的に回復はするんだ。そこに何らかの解決策があるはずだよ」
 綱手は自身でイルカを何度も診療し、色々な可能性を見出し、治療法を探ってくれた。それは言うなれば、綱手の本来の仕事を放棄させていることに他ならない。
 イルカの為に奔走してくれるのはとても嬉しい。嬉しいが複雑だった。
「…ずっとこっちに篭もってますけど、執務の方は大丈夫なんですか…?」
 本当はそんなことを聞きたくないが、それでもカカシの冷静さがそうさせる。カカシにはイルカと平行に並びうる存在など居ないけれど、綱手には里の民全員をそう言う目で見なければいけない義務がある。それにカカシは自分が上層部に食い込む上忍であることを自覚している。カカシほど忍経験の長い若手は居らず、自然に上層部とは近いところに立つことになり、融通の利く立場になっているのだ。カカシのわがままは通りやすいことをカカシ自身よく理解していた。
「暫く居なくても何とか機能するだろう。木の葉は優秀だからね」
 と、答えになっていない答えを返す綱手に納得できない。
「…イルカ先生のことを中心に看てくれるのは嬉しいですが…もっと優先するべきことはないんですか…?」
 そう尋ねると、漸く綱手はぐったりとしたイルカを観察していた顔をカカシに向けた。
「…お前は馬鹿か」
 その綱手の声はとても冷たい。しかし、カカシも間違っていること言っているつもりはない。察しの悪いカカシに綱手はほとほとと溜息を吐いた。
「お前もあれだけ膨大な資料を読んだだろう。それで何か気が付かないのか?」
「……?」
「この葉隠症は今でこそ数は少ないがそれでも毎年誰かが罹っているような病だ。それも十代から三十代くらいまでの若手に多い。そもそも原因がはっきりとしない。これがもし蔓延でもしてみろ、木の葉は壊滅だ。今ここで対策を練らずにいつ誰がやると言うんだ? 私以上の医療忍が台頭してくるのを待つか?」
 尤もな里長の意見に言葉が詰まる。
「すぐに当座の処置を思い付いた天才の私が集中して看るんだ、すぐに治療法を見付けてやる」
 ぽんぽんと綱手はカカシを安心させるように肩を叩く。
「…冷静な目を持とうとしているお前の気持ちも分かる。それならばお前が火影の代行でもしていろ。平等に世の中を見ようとしているその目はきっと代行にも相応しいだろう」
 その肩に置いたままの手で綱手は治療室からカカシを追い出した。
「ちょ…っ、五代目…それはちょっと無理が…!」
「何言ってんだい。ミナトはお前の年の頃にはきちんと四代目を張っていただろう!」
 抵抗は空しく、カカシは問答無用で綱手に執務室へと連行され、そして、そこで恐ろしいものを見た。
 山のように積み上げられた書類に、その中で埋もれるようにして奮闘しているシズネの姿だ。付き人であるイズモとコテツも書類を前に常態では居られなくなっているようで、その表情には死相に似た何かが浮かんでいる。
「シズネ、代行を連れてきた。これからはカカシに火影代行を任せる。お前は私の補佐に附け。イズモとコテツはカカシのサポートをしてやりな」
「「「はい」」」
 三人には全く異論がないのか、綱手の言葉にあっさりと諾意を示し、イズモなどはカカシの背を押して、さあさあと執務席にカカシを追いやる。
「な、何でお前らそんなに抵抗無いの!」
「綱手様より仕事の出来る人は星の数ほど居るっていうことを十二分に承知していますから!」
 カカシの抵抗はここでも役には立たず、あっさりと書類の牢屋に閉じこめられる形になった。
「どうせ、イルカの傍に居るためとか言って任務には出ないだろうし、この屋敷から離れることもせんだろう。おあつらえ向きの仕事だ。イルカのことはきちんと責任を持って看るから当座の間で良いからその仕事を全うしてくれ」
 綱手はカカシの代わりに今度はシズネを引きずって「仕事が一段落したら来ても良いぞ」と言い残して去っていった。
 いきなりの重役にカカシは取り敢えず呆然とするしかなかった。
 この膨大な量の書類をカカシが裁決してもいいものなんだろうか。
「…カカシさん」
 控えめにコテツが話しかけてくる。
「大丈夫ですよ…。里を長く離れていたシズネさんが代役をするくらいです…。綱手様の代役には十分すぎるほど十分ですから。取り敢えず、これに目を通して下さい」
 そう言って差し出されたのは任務の依頼書だった。これを受けるか、そして実行する忍を選出するのが仕事らしい。
 確かにこれなら出来そうな気もする。
 それに仕事が終われば治療室に来ても良いと綱手は確かに言っていた。
 ならばイルカの傍にいるために一時でも早くこの膨大な量の書類を片付けてしまう必要がある。カカシは差し出された書類を受け取ると、脳味噌をさっと切り替えて手早く受理していった。

 最初こそ戸惑った火影代行だが二日、三日…と時間が経てば慣れてくるもので、仕事の合間にカカシはイルカにちょくちょく会いに治療室へと赴き、その度に少しずつチャクラを分け続けた。カカシもあまりチャクラ量の多い方ではないから無理は出来ない。それでも任務に出ているわけでもないから、日常生活に必要な量だけ残れば十分だった。
 カカシがチャクラを分け与えるたびにイルカが目を覚まし、起きあがる様子を見るのはイルカの生をカカシが左右しているようで気持ちよくも感じてしまう。
「…ああ、カカシ先生…」
 イルカは目を開けてカカシの姿を確認すると起きあがろうとする。
「具合はどうですか?」
 カカシはそのイルカの背を支えてベッドの上に座らせた。
「…少し眩暈がしますが、そのくらいです…。オレ、今回はどのくらい寝てましたか?」
 イルカには葉隠症だと――――死病に罹っていることは伏せてある。眠り続ける特殊な症例だから綱手のモルモットになることで任務を免除してもらっているということになっていた。
「だいたい八時間くらいです」
 前回はおよそ十時間前にカカシがイルカにチャクラを分けたのだが、二時間しか持たなかった。
「そうですか。あんまり長くなかったですね…」
 それはつまりカカシの仕事が速く済んだからに過ぎないのだが、イルカはカカシが火影代行をしていることなど知りはしない。そこまで自分に綱手が掛かりきりなのだと知れば流石に自分の病気のことも疑うだろう。
「お腹空きませんか? 食欲があるようなら一楽のラーメン、出前してくれるそうですよ」
「え、本当ですか? テウチさん、出前は味が落ちるからしたくないって言ってたのに」
「イルカ先生が今外に出られないことを教えたら、特別にいいよって。どうします?」
「食べます!」
 即答して微笑んだイルカに普段と全く変わった様子は見受けられなかった。これでカカシの与えたチャクラが無くなればまた眠りに就くとは思えないほど。
 カカシはイルカの望むままに忍犬を口寄せして代金とメモを持たせると一楽へと走らせた。
 あと、イルカは何度このラーメンが食べられるのだろう。
 そんなことを考えてしまって、カカシは慌ててその思考をうち消す。まさか後数回とか、そんなことがあるわけがない、古今東西最高の医療忍者である綱手が治療に当たっているのだ。彼女の手に掛かって治らなかった病など無いのだから。
 イルカもそう思っているのか、奇病だと知りながらも臆したところは一切見せない。ただ傍にいるカカシに申し訳なく感じ、任務に就けない自分に苛立ちを覚えているようだった。
 忍犬は使いにやってから十分ほどで戻ってきた。口には岡持を銜えている。ベッドからテーブルに席を移し、岡持を開けると丼が二つと餃子、炒飯が一皿ずつ入っていた。
「わー、本当に一楽のラーメンだー!」
 感激しているイルカの隣でカカシは首を傾げた。炒飯も餃子も頼んでいない。岡持に一緒に入れられていたお釣りから計算しても、カカシが頼んだ背脂みそ豚骨+味玉と塩チャーシューの代金しか取られていなかった。
 つまり炒飯と餃子は一楽の主であるテウチのサービスなのだろう。常連であったイルカの闘病生活を応援する気持ちがふんだんに込められているのに違いない。
「この餃子と炒飯はテウチさんのサービスみたいですよ」
「え、そうなんですか。有り難いなあ。健康になったらまた通わないとなあ」
「…あんまりそれだけって言うのは止めて下さいよ。偏食してたら治ってもまた病気になるかもしれませんからね」
 そもそも葉隠症も何が原因かよく分からないのだ。無責任に可能性だけを言うならば、テウチのラーメンにも原因が隠されているかもしれない。実はテウチは他里のスパイで、美味いラーメンに葉隠症の原因となる薬を混ぜ込み、多量に摂取した人間から死んでいく――――という原因もあるかもしれない。
 しかし、ことの重大さを知らないイルカは「これが食べられなくなるくらいだったら死んだ方がマシです」と真剣な顔で宣言して、カカシの心を傷つけた。死んだ方がましだなんて言葉は今は冗談でも使われたくなかった。
 その動揺は悟られてはならず、カカシは「そうですか」と丼にかけられたラップを取り去る行動で顔を俯けて何とか誤魔化す。
 それは拙い方法だったけれど、何かを隠されているという事実さえ知らないイルカがカカシの気持ちに気づくことはなく、無邪気に好物を頬張って幸せそうな笑顔を浮かべる。
 動いている。今日もイルカは生きている。
 今はそれだけでいいとカカシは思った。



 イルカが倒れてから一週間後、土の国まで薬草を仕入れに行っていたサクラが帰国した。その手には目的の薬草の他に土の国、そして戻ってくるまでに通った国の葉隠症と思しき病気の様々な記録が携えられていた。どうやら綱手がそうするようにと指示を出してくれていたものらしい。
 それらは木の葉に保管してあった葉隠症の記録と同じぐらいの量があり、同行の二人の中忍と、三人で抱えてきたのは驚いた。
「…よく持てたね…」
 カカシの口からは感心を通り越して呆れたような声が漏れる。しかし、サクラは事も無げに「師匠に言われればどんなことでも修行ですからね。有り難く遂行しますよ」と笑った。
「…それに」
 事情を知っているのか顔を幾分曇らせる。
「確かに重かったですけど…、重いだけですから…」
「…サクラ」
 名前を呼んでみたけれど、それに続く言葉は喉に詰まり出てこない。
「ほら、カカシ先生。そんな顔しないで下さいよ。新しく資料も手に入ったことですし早速解決法を捜しましょう」
その日からまた資料の回し読みの日々が始まった。サクラは木の葉蔵書のものから読み進め、カカシと綱手は新たにサクラが持ち込んだ資料に片端から目を通していく。シズネも寝食を忘れがちになる三人の世話を焼く傍らで資料の内容を頭に叩き込んでいった。
 カカシはイルカにチャクラを分け与える仕事だけは放棄することはなかった。ただ慢性的なチャクラ不足に眩暈を覚え、それを誤魔化すために一日に二粒と決められている回復剤を四粒…多いときには六粒も服用して体裁を保ちながらの作業となり、副作用の嘔吐で体力が落ち結局カカシのペースは遅くなった。
 だからその記録を綱手が見付けたのは当然のことだった。
「何だ…と?」
 さっきまで紙をめくる音しか響かなかった部屋に張りのある声に困惑を滲ませて綱手が呟く。その手に持っているのは滝隠れの里の資料だ。
「…おい、これを見てみろ…っ」
 綱手が広げて見せた資料を覗き込む。
 それはあるくのいちの記録だ。任務で訪れた隣国から帰ってきたときには既に初期症状の眩暈が激しく、すぐに入院となった。滝隠れでは木の葉隠れ以上に葉隠症となる人間が多いらしく、死病として忍の間では衆知となっていて、このくのいちもすぐに自分が葉隠症だと自覚したのだそうだ。
 そして、確たる治療法もなく次々と犠牲者が出る事実を憂い症状認定の十日後に自殺を図っている。
「ここだ、問題は…」
 自殺を図ったが彼女は一命を取り留め、その後葉隠症から快復しているのである。
「快復…っ! 何で…」
 その原因追及の記録を捜したけれど、その資料には一切それについては記されていない。その代わり――――
『投身自殺での頭部強打。その後遺症により過去五年間の記憶が欠落。』
 俄にはどう受け取って良いか分からない記録が残されていた。まるでそれが原因ではないかと推察するようなその記述に興味を牽かれるのは当然のことで。
「…記憶喪失…?」
「…それも過去五年間…ですか…」
「これが葉隠症快癒の原因?」
「…葉隠症が記憶に関係するのか?」
「それじゃあ、脳の一部が誤作動を起こして…」
「強打で回路が修復したと? それが事実であっても治療には使えないよ…」
 色々な考察が飛び交う。そこには医療忍者だとか、師弟の間柄など関係なく、可能性を探るために様々な角度からの視点が検討される。
「とにかくこれが今のところ唯一の生存例の様だな」
「はい」
「…イルカ先生の葉隠症が治る可能性が出てきた…ってことですよね」
 昨日までは治る見込みなどほぼ零にに近かったが、治った症例があるということは、綱手がそれにたどり着けないはずがない。カカシが見てもその資料に記された症状改善の原因と思しき記述は奇怪だが、必ず理論を確立してくれるはずだ。
 カカシの言葉に綱手も力強く頷く。
「治る見込みはこれで零ではなくなった。必ず見付けるよ、イルカが治る方法」
 それから綱手は一頻り資料を見付けてきたサクラを誉めた。
「…良し。他にも症状が改善されたという例がないかを調べるんだ」
「はい」
 行く先に光明が差し、気合いの入った四人の作業スピードが格段に速くなったことは言うまでもない。それこそ自分たちが葉隠症になりそうなほど不養生な生活を送り、資料の隅々に救いを求めるようにして読みふけった。



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