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時の辻

     ***





「あ…っ」
 イルカの唇から甘い喘ぎが漏れる。それをもっと聞きたくてぐっと一際強く腰を突き入れれば短い悲鳴が上がり、中に入ったカカシをしなやかに締め付けてくる。
「う…っ」
 思わずカカシも呻きを上げてしまうほどに気持ちがいい。その快楽をもっと深く味わいたくて抜き差しを始めれば期待通りの快楽が体を満たす。
「ああっ、ひ…っ、ひん…っんん…っ」
 仰向けの状態でで両脚の間を裂かれているにも拘わらず、性器を固く立ち上げているイルカの姿は何度見ても愛しく、卑猥に感じる。いつも慎ましやかに閉じている肛道をこの時ばかりは柔軟に広げて、カカシを迎え入れてくれる様がまた堪らない。
 セックスや性的興奮は同じことを繰り返している場合簡単に飽きると言うけれど、カカシは一向にイルカに対して飽きを感じた事など無く、いつだって簡単に煽られたし、これ以上無いと言うくらい満足している。実際には人が噂するほど豊富ではない性経験だが、それらを省みてもイルカほど体の合う人間に出会ったことがない。
 イルカはカカシの為に、カカシはイルカの為に誂えられた人間なのだ。
「あっ、あっ、あっ!」
 何度も繰り返してきた性交渉で、最初は痛いと喚き腰の引けていたイルカも、今ではカカシの手練手管に陥落して後ろだけでもいけるほどの上達ぶりを見せていた。今も性器には殆ど触れていないのにかちかちに尖らせて、カカシが突き上げるたび先端を自分の分泌物で濡らしている。
「ああっ、かか…っせんせ…ッ い、いく…ぅ」
 普段のイルカを知っている人間はきっと黒髪を振り乱して悶えるイルカを、想像できないだろう。よしんばそんな不埒なことを思考したとして、この色気を端から想像する人間など居ないに違いない。
 尖りきった乳首は赤くカカシの唾液で照り、黒髪が紅潮した頬に張り付く様はイルカが快楽に悶えている証拠で気分がいい。
「早く…っ」
 と強請られればあっという間に頭が沸いてしまう。焦らすという手腕も考えつかずに、カカシはイルカを責め立てて、その欲求を満たしてやることのみが存在意義となる。
「アぁ――――っ!」
 臨界点を突破したイルカが嬌声を発すると共に仰け反り、全身を使ってカカシを締め上げる。最高に気持ちのいい瞬間が訪れて、カカシも無遠慮にイルカの中へと思いの丈をぶちまけた。
「う……っ」
 一週間ぶりのイルカの体と吐精の衝撃、そして一晩眠った程度では抜けきらなかった疲弊がどっと押し寄せて、カカシは思わずイルカの上に突っ伏した。
「…カカシ先生…?」
 いつもとは様子の違うカカシに敏感に気が付いて、自分も気怠いだろうにイルカは眉根を寄せてカカシの性器を吐き出すと、自分の上に乗っかったままのカカシの体を抱き起こす。
「大丈夫ですか…?」
「う〜……」
 正直、眩暈がして体を起こすことが出来ない。イルカの中に吐き出したものに全てエネルギーを持っていかれてしまったような感覚だ。
「ちょっと待ってて下さいね」
 イルカは情事の後の汚れた体を頓着せず衣服をまとった。普段なら服やシーツが汚れてしまうことを気に掛けるのに、今はそんな些末なことに気を取られている場合ではないと判断したらしい。
 イルカは簡単に身支度を整えるとカカシが普段から服用しているチャクラ回復剤を水と共に持ってくる。
「飲みますか?」
「…はい…」
 イルカに手伝ってもらってどうにか上半身を起こし、その錠剤を嚥下した。すぐには効かない。そもそもカカシは薬には強い体になっていて、例え暗部用と謳われているものでも利きが弱いのだ。
「ちょっと回復しておきましょうか」
 イルカはそう言いながらカカシの手に触れた。イルカは医療忍術を囓っているので、時折簡単なチャクラ回復の術をカカシにも使ってくれる。
「…ありがと、イルカ先生」
 セックスの直後にこんな状態になるのは思い切り情けない。もしもこれがイルカではなくて遊びの女だったなら非難囂々だろう。イルカだからこそこんな情けない姿も見せられる。
 イルカがカカシの手に触れたまま簡単な印を切り、チャクラを込め始めるのが分かった。すぐにじわっと体の芯が温もるような感覚を得る。イルカのチャクラがカカシの中に入り込んできている証拠だ。
 不快が癒されるあまりの心地よさと、性交渉直後特有の気怠さが相まって、カカシは思わず目蓋を閉じたまま味わっていた。

 だから、その瞬間をカカシは見ていない。








     ■□□□□●■□□□





 母がか細い神経をついに切り、狂乱の極みに達したのはそれから間もなくのことで、静養地へと移された途端、その短い生涯に幕を下ろした。淋しいとか、これからどうしようという放逐感があったものの、それと同時にカカシの中に芽生えたものは紛れもなく安堵だった。一番迷惑を被ったのはカカシではなく父親だったが、流石にサクモは母の葬式の時、淋しそうに写真を見ていた。
 額の中で微笑む母は、自分によく似ていると思うと同時に、何故か酷く美しいと思った。
 カカシは母を失った代わりに、その年得るものがあった。
 漸く待ち望んだチームメイトだった。オビトとリンという同じ年の二人は、やはりカカシとは比べるべくもなかったが、それでも卓越した実力を持っていて、カカシは母の喪失を忘れるような充実した日々を送っていた。漸く、母という檻から抜け出すことが出来て、舞い上がっていたのかもしれない。

 翌年に父が死んだ。
 その翌年にはオビトが死んだ。

 そして今年、師が死んだ。

「木の葉が始まって以来最悪の出来事だ」と老人達が口を揃えるのは、九尾の災厄だ。その戦禍で四代目火影となっていたミナトは失われた。身を挺し、未曾有の災厄から里を守ったのだ。
 里は多くの命を奪われつつも何とか生き延びて、復興の兆しを見せていたが、カカシはいつまでも過去に留まったままだ。
 呼び出されて火影の執務室まで訪れたは良いが、心が付いてきていない気がする。きっと今の自分は何を言われても響かない自信があった。
「失礼します…」
 声が出たのは奇跡的だとすら思う。
 中で執務を行っていたのは当然火影だ。しかし現代の若々しい火影ではなく、数年前にその立場を退いたはずの老人――――三代目だった。この人が火影の帽子を被っているところを見ると、懐かしいと思うと同時に本当に四代目が斃れたのだという現実を突きつけられて胸がえぐれるようだった。
 何を言われても響かないはずなのに、勝手に傷だけは付いていく。感受性の強すぎる精神にカカシはこっそり嗤った。
「おう、来たか。カカシよ…」
 老齢の火影は執務の手を休めて立ち上がり、机の上から一本の巻物を拾い上げる。カカシに中央に設えられたソファを勧めると、自分も対面側の椅子に腰を落ち着ける。カカシは大人しくソファに座った。
 任務の話だろうかと思ったが、火影の手にした巻物の色がSABCDどれにも当てはまらない。生き残った古参の忍として何か意見でも求められるのだろうか。今のカカシは何も考えられないし、とても役に立てるとは思えなかった。思考しない人など忍どころか人ですらない。
 そんな人間を呼びだして、再登板した火影はどんな用事があるのだろう。
「…体調はどうじゃ…?」
 カカシの、思いの外柔だった精神のことを言っているのだろう。「何とか」とカカシは曖昧に返した。
 その様子を見た火影が小さく溜息を附いたのが分かった。きっと「はたけ家の人間はみな精神が弱い」とでも思っているのだろう。半狂乱に陥った母と自殺した父の間に産まれたカカシが人並みの精神力の持ち主になるはずもない。…もしくは、酷く強い――――麻痺して何も感じなくなるかのどちらかだろう。麻痺していない所を見れば、まだカカシは軽症で済んでいるのかもしれない。
「お主は里の未来を担う年若い上忍の一人だ…。早く立ち直ってもらいたいものだが…」
「………」
 それはカカシにだってどうすることもできない。師と共に体の芯まで奪われてしまったようになった今、手に力は入らないし、上手く指を繰ることさえ困難だ。忍らしい働きなど望むべくもない。戦場に出た途端にいいカモになるのが関の山だ。特にカカシはオビトより贈られた写輪眼を持つし、忍ぶには適さない容姿も敵に目を付けられやすい。
 カカシの不調が他里に知られれば写輪眼を巡る争いが起こり、治安が更に乱れる可能性が高いことを知っていたから、カカシだって早く元に戻りたいと思っている。
 しかし、体は元気で戻りたいと願っていても、体と心の歯車が上手くかみ合わないのだ。今となってはどうやって脳が四肢に指令を出していたのか分からないほど。脳かそれとも四肢か、そのどちらかがストライキを行っているのに違いない。ただカカシが死ねるほど――生活に困るほど――徹底したストライキではないから、その点は上手く折り合いをつけているのだろう。
「…それで、お話というのは…」
 出来るだけこの火影と顔を合わせていたくなくて、カカシは自ら本題を切り出した。
「うむ…」
 厳格ないつもの調子を取り戻せないまま、三代目は手にしていた巻物をするすると開いた。
「…儂はお主の病気…というか現状を把握しているつもりなんだがな…。お主の功績しか知らぬ者達はそんなこと鑑みるような様子もない上、現状を信じようともせん…」
「……何のお話ですか…」
 カカシの硬質な声に、火影はちらりと視線を巻物からカカシへと移し、それから今度は深々と溜息を吐いた。
「…上層部の推薦状じゃ」
 そうしてカカシに差し出されたものを見て、カカシは些か心を動かされた。感動したという意味ではない。ただただ動揺してしまったのだ。
 目の前に広げられた、見知らぬ色の――――黒のように濃い紺の巻物の正体は、暗殺戦術特殊部隊、通称暗部への推薦状だった。
「…暗部…ですか…」
 正直、こんな時にと思わないでもなかった。里は持ち直してきたとはいえ、それでも完全復活の目処は立たず、それでも本国からの任務を受け入れなければいけない状況だから、一般任務に就くことの出来る人員はいくらあっても足りない。暗部に入れば、特殊な任務ばかりを扱うことになり、表舞台には一切立てなくなるため、復興支援も表だって出来ない。復興のための人員を割く準備をして――――里の復興を二の次にして、上層部は何をしたいのだろうか。
 けれどカカシは今休職状態も同じで、表舞台にさえ立てないお荷物だ。暗部に在籍しようがしまいが、里の復興に力を貸せないのはどちらも同じで、思わず嗤ってしまった。
「…里の現状は知っているだろう…。どこもかしこも傷んでいて、患部を手当したくとも人手が足りていない…」
 カカシはその火影の言葉に頷く。現状は十分すぎるほどよく理解している。里の惨状はそのままカカシの惨状によく似ていたからだ。大切なものを幾つも奪われてそれでも機能していかなければいけない。完全に癒されるにはまだ時を必要としているし、焦っても解決しない。
 そして、火影の言葉は続いた。
「それは、暗部も同じじゃ…。先の災厄では一番に九尾と接触し、足止めにかかった部隊が暗部じゃからな」
「…はい」
 それはカカシも知っている。暗部創設以来初めて、里に留まっていた暗部の全員が一つの目的…里を守るために動いたと聞いた。当然要人を警護する人間や里の人々を安全な場所へと誘導する人間などその役割は色々だっただろうが、九尾の足止めをする人員が一番多かっただろうというのは想像に難くない。
「暗部は小さい部隊じゃがその収入源は里の外貨収入のおよそ三十パーセントを担っておる。そして、今この外貨が稼げない状態にまで陥っているのじゃ。早急に優秀な人員を集めて暗部の建て直しを図り、里復興の為の金を稼がねばならぬのじゃ…」
「先ほど」
 黙って話を聞いていたカカシだったが、火影の言葉が終わるか終わらないかのタイミングで口を開いた。
「…これは上層部の決定だと三代目は言いましたね」
「ああ」
 そのカカシの確認に火影はしっかりと頷く。
「…その上層部という枠の中に三代目は入って居るんですか?」
 そのカカシの質問の真意を図るようにじっと老齢に差し掛かった里長はカカシの目を見つめてきた。カカシもそらしはしない。虚勢を張っているのではなくて、響かないのだ。見ているようで見ていない状態なのかもしれない。きっと目の肥えた三代目には、カカシは虚ろに見えただろう。
「…お主にとって見ればわしも上層部も区別したところで意味はあるまい」
 つまり一緒に考えて良い、これは火影の推薦状も同じ…但し快くは思っていない――――とカカシには受け取られた。そうですかと小さく俯く。視界に入ったまだ発育途中の自分の手がやたらに小さく白く見えた。



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