Novels


プリズム




   四



 伴侶は優しい。子供は可愛い。何不自由もないし、自分を褒め称える人間は後を絶たない。自分でも、そうあって当然だと思う。
 問題は何一つとして無かったはずなのだ。自分が気に障ること、一つだけを我慢すれば、円満に流れていくはずだった。
 自分の容姿や才能は可愛いが、時間の経過に抗えるものでないと認識している。人の心に残る潔さも美しさの一つだとの考えを持っている。
 だが自分はまだ、子供が二人居る程度の、三十路に脚がかかった程度。この時期に、人間と而て漸く立つ頃に自分を散らせるわけにはいかないのに。そんなの、当初の予定ではない。
 その時期には、人間として円くなった頃、どんな諫言も素順に耳に出来るようになった頃を想定していたのに。
 自分の考えが世間一般的に見て甘いのかどうかは判らない。しかし頂点に立つべき人間の考え方など、凡夫共に判ろう筈もなし、ましてや、多数派でも無かろう。マジョリティーであってはならないと思う。下賤のものの代表を執るならそれでも良し、だが、政を執るならば何者も超越しなければならないのだ。だから、自分の考えなど曲げる気など全く起きない。
 なのに、なのに…。
 自分を引き立てるに相応しいと思っていた伴侶は、優しいだけで何の取り柄もない人間は、あろう事か自分を裏切り始めている。
 過去の人間を想い、自分のことなど省みずにただひたすら作業を続ける。
 許せることか…。
 華も咲かずに自分の人生を終えていこうとしているような気がした。
 このままで良いはずがない。誰にも無視できない存在だったはずなのだ。自分に恋をする人間は多く、それを断ってまでこの地位を手に入れたというのに。むしろ、今の地位でさえ、大したことはないのだ。
 選択を誤ったのだと、今更言われたところでどうしようもないのが現状だ。今の時点でこれからをどうにかするしかあるまい。過去を嘆くのだったら、いつでも出来るし、誰でも出来る。
 私は誰でもない、唯一無二の存在なのだ。誰にも、無視などさせるものか。横っ面をひっぱたいてでもこちらに目を向けさせようではないか。
 利用するだけ、利用してやればよいのだ。
 例え、伴侶でも。




   ***




 イルカが九度目に町に下りたその晩、繁華街に面した宿に涅と共に泊まることにした。宿を取りあえず確保した二人は夜の山瑠璃を散策した。
 涅のことを慮り小屋に帰ろうと提案したのだが、要らぬ心配と一蹴されて現在に至る。八日間であらかたの大通りに面した観光名所のようなものは回ってしまったし、昼間の素面はバカじゃない。面識もない人間に『最近何か気になったことはないか』みたいなことを聞いても、いくら変装していようと忍だとばれる。自国の忍は変装などする必要がないから、モロバレの上に即協力体制をとってくれるが、異国の忍に対しては手厳しい。下忍ではいくら忍といえども民衆の人海戦術で攻められたら一溜まりもないものだ。
 その問題を解決してくれるのが酒だ。
 酒は人間を鷹揚にする、人に対する壁を薄くする、何故か警戒心を緩くさせる。
 そういう理由で二人は、夜通しで町に居座ることにしたのだ。
 二人は別々に行動することにした。二人で居ると、そこで、世界は帰結し円となってしまう。隙が無くなる。ちょっとくらいの隙がある方が他人が入って来やすい。
 宿から西を涅が、東をイルカが回ってみることにした。
「宿に帰る時間は丑の刻。それまでにあなたが帰ってこなければ、探しに行きます。オレが帰ってこなくても探しには来ないで下さい」
 と、勝手なことを言って、涅は西の町に消えていった。まあ、正論なのだろう。イルカが探しに行ったところで何かもめ事が起こっていたとしても、涅が収集できなかった事象の尻拭いなど出来る自信がない。足手まといになるだけだ。
 草の、こんな田舎ではちょっと見られないような粋な着物をどこからか持ち出して、あっという間に着付けて出ていってしまう涅は、何ともたくましい。
 涅が闊歩している様子を眺めていると、明らかに周囲の反応が、昼間とは違う。男も女も例え恋人同伴だろうが、誰もが彼(彼女?)を振り返って見ている。これこそが、イルカが最初に期待していた反応だった。
 出ていく前にちょっと化粧を変えていたがその所為なのだろうか。変えた後を見て、前がいいと言ったのだが、涅はビックリしたような顔をして、何故か嬉しそうに笑った。
「この任務が終わる頃、教えてあげますよ」
 と、出ていくときはご機嫌だった。
 さっぱり、判らない。
 宿の窓から眺めるその姿は、勿論イルカにも美しい女にしか見えない。八日前の同じ様な時刻に、イルカの体を好き勝手弄んでいたと誰が思うだろうか。
 結局あれから、一度も涅はイルカの体を求めてこない。安心したような、淋しいような、それこそ微妙な気分だ。それでも、相変わらず、一緒の布団で寝たがる事から、嫌われてはいないだろう。傷も最早塞がって、血液もイルカの食膳方と薬によって回復しているはずなのに、酔狂なことだ。
 イルカはとにかく、約束通り、涅の十分後に宿を出た。宿から東は城に近い方で、そうすると、若干お高めな店が多いようだ。
 ひとりで入ってもおかしくないような小さな洋酒の店を選び、イルカはカウンターの端に着いた。
 見れば、周囲の客は皆、自分よりも年かさの人間が多いようだ。イルカのように一人きりでいる中年男性もいるし、穏やかな声で会話するカップルもいる。騒がしくない、良い店だ。
 長居をするには、スコッチやラムなどの蒸留酒かロングのカクテルがいいか。
 適当な銘柄の酒をシングルで頼む。どうせ、酔いはしない。そういう薬をわざわざ調合して飲んできておいた。
「マスター、ビール!」
 イルカの飲み物が出てきたとほぼ同時に、この店の雰囲気に合わないような女が入ってくる。女はイルカの隣の席を一つ開けた横に座り、まるで、恐ろしいものでも見たかの様な顔をしていた。
「聞いてよー、マスタァ〜。アタシさー、今まで自分のこと結構美人でいけてると思っていたのよー」
 入ってきた頃よりも、だいぶトーンを落とした声で、女は項垂れた様子である。
 確かに、彼女が言うように、そこそこ美人だし、華やかな顔立ちをしていた。
「確かに、ユリコさんは美人ですよ」
 初老のマスターは笑顔を崩さず、グラスにビールを出した。どうやらユリコさんとマスターは馴染みであるらしい。
「それがよー、見ちゃった、アタシ…」
 案外喋り口調は剛毅なくせに、ユリコさんは優雅にグラスのビールを呷る。
「すっごい、美人…。あれ、リン様以上だよ…! リン様ぐらいだと思っていたのよ、アタシ。アタシを越えられる女はー」
 イルカには『リン様』がよく分からないが、ユリコさんは大した自信をお持ちだったようだ。
 ともかくも、マスターに話を聞くつもりでカウンターにしたのに、こう、おしゃべり好きそうな馴染み客が居てはやりづらい。イルカはさっさと、店を移ろうかと考える。
「もう、山瑠璃なんて草の田舎じゃ見られないような粋な着物着てさ、珍しいことに銀色で桜吹雪の着物。それにこう、黒と青の市松の帯を矢立に…」
 そう、姿をユリコが形容した途端に、イルカは吹き出しそうになった。
 彼女が興奮して語っている人物は明らかに涅のことだ。
「帯揚げは赤ですか?」
 ふと、イルカは口を挟む。一瞬きょとんとしたユリコさんだったが、大した人見知りをしないのか、すぐに身を乗り出してきた。
「そう、そうよ! あなたも見たッ?」
 マスターは、難を逃れた、という風に其処からすっと離れて、他の接客に移っている。
「ええ、見ました」
「どこの職人ものかしら、あの帯、あの着物…。もしかして、あの着物を着れば私だって…、……、……」
「……」
「……無理ですか…」
 イルカがユリコの先の言葉を待っていると、ユリコには否定して欲しい間だったらしく、がっくりと自分勝手に項垂れる。
「そんなことありませんよ。充分あなただって美人です。さっき、マスターが仰ってたじゃないですか。でも、あの方に似合っていたものをあなたがお召しになっても、美しいかどうか判りませんよ。あなたには、もっとあなたに似合う着物がありますよ」
 そのイルカの言葉に、ユリコは照れたような困ったような笑顔を浮かべて俯いてしまった。
「そうよねえ…。どうしても目立ちたくて、誰かが着ていた可愛いものを探そうとしちゃうけど、自分に似合っているかどうかは判らないし、問題は中味だものねえ」
 涅は、中味もだいぶ悪くない。
「あの人だって化粧していたし」
 素顔もまあ、結構キレイだ。男だけど。
「覆い隠すだけが、美人じゃないわ!」
「そうですよ」
 元も美人なのだが、話がややこしくなるのでイルカは何も言わずに同調しておいた。
「ああ、あの着物はおそらく火の国ものだと思いますよ」
「ひのくに?」
「ええ。火の国の王都で流行っている老舗の新柄だと思いますよ。この前行ったときに反物でああ言った派手地味系は沢山見ました。勿論殆どが一点ものですから、全く同じものを見た訳じゃないですけど…」
「へえ! もしかして、旅をしていらっしゃる?」
「まあ」
 そう言うことにしておいた。ユリコはキラキラした目で、イルカのことを見ている。何だか悪い傾向ではなさそうだ。
「所で、『リン様』…というのは…?」
「ああ、旅の方じゃあ、知らないかも知れませんね。リン様は、この山瑠璃の町の城主様、堅香子カズラ様の奥様、堅香子リン様のこと。時々お城から出ていらっしゃるから、後何日か居れば、きっと顔の一つや二つ、見られますよ」
 ……?
 初めて訪れた日の昼食を食べた店でも、奥方の話は出ていたはずだ。その時に、イルカが涅とその奥方を比較して、酷く笑われたものだが、目の前の女性はどうだ。『自分より美しいと認めていた人物』は奥方しか居なかったはずなのに、今日涅を見て、奥方より上だと言う。
 涅を基準に考えると、明らかに二人の奥方の様相が窺える。
 昨日の飲食屋の夫婦か、ユリコの美意識がおかしいのかも知れないが、二人居る可能性が無いとは断言できなかった。
「もしかして、奥方様というのは、お二人いらっしゃる…?」
「? いいえ、お一人ですよ。カズラ様はそらあもう、リン様を大事になさっているから」
 …判らない…。
 二つの顔を持つ、奥方…。しかも、涅よりも美人となると、もう、それは神か悪魔かの世界だ。常軌を逸する。
「だけど、どうしてこんな田舎まで…? なにも無いところでしょう?」
 ユリコは旅人としてのイルカに興味を持ったのか、うっとりとした視線でもって見つめてくる。確かに何もない。涅一人の出現に、この女性が大騒ぎしたくなる気持ちが分かるほどに。
「仕事を休んで観光旅行して居るんです。確かに、何も無い町ですが、植物園は案外良かったです。所で、動物園が出来るという話は聞いたことがありませんか?」
 ユリコは一思案したような神妙な顔をしてから、明朗に言い放った。
「いいえ」
 噂も耳にしない、という追い打ち付きだった。



 結局、ユリコからは大した情報も聞き出せない上、しっかり涅との約束の時間まで、付き合わされた。結構なざるの彼女は自分が飲み分だけイルカにも飲ませようとしてくるから質が悪い。これで、酔い止めの薬を飲んでいなかったら、涅に迎えに来られていたところだろう。
 ユリコを家の近くまで送って、後は逃げるように帰ってきた。何だか口説かれているような調子で、勿体ないとも思うけど、それでもやはり、涅が迎えに来てしまう。大人しく宿に戻った。
 面倒を極力避けて、任務期間を終了したい。どんな理由であれ他国に侵入しているのだから、もしも二人のことがばれたら国際問題にも成り代わってしまう。しかし、確保している宿の前で、何故か何人かの男が言い争いをしている。近くに寄ってみてみると、それは涅を中心にした五人ほどの男の輪だった。
 何事だろうか。
 涅は取り乱したりはしていないけれども、明らかに困っていた。一人の男が涅の手を引いて、何処かに連れていこうとしている。
 ああ。
 その様子を見て納得してしまった。
 きっと、男たちは涅の人工的な美しさに中てられてしまったのだろう。欲しくて堪らないという顔をしている。涅の興味を引こうとして必至だ。対して、興味のない涅は宿に入りたくても入れない。回りを囲まれているし、ここは繁華街。丑三つ時とて人通りは激しい。上忍にすり抜けなど訳はないが、ここで、忍だとばれてしまうのは手痛い。
「あの…」
 思わずイルカはその集団に声を掛けていた。
 イルカの顔を見た途端、涅はそれとわかるほどぱっと表情を明るくし、一人の男を押しのけてイルカに飛びついてきた。
「何してるんですかっ 遅刻ですよ!」
 思わず倒れそうによろけながら、本気で体を預けてきた涅の、軽いとはお世辞にも言えない体を抱き留めた。
「スミマセン、手間取っちゃって」
 引き離そうとするイルカの手を軽くいなし、涅はこれ見よがしに体に触れてくる。そうして、イルカの後ろに姿を隠して、取り囲んでいた男たちを見据える。
「言った通りでしょう。約束した人がいるんだから、帰って下さい!」
「センリさん」
 涅はセンリと名乗ったのか。
 男たちは、一様に悲しげな目をしてイルカの後ろに退いた涅を見ている。しかし、さっき、涅の手を引いていた三十がらみの男がやおら前に出てきて、刃物をとりだした。
「寄越せっ!」
 ふと、視線を寄越した涅の帯、矢立に綺麗に結っていた筈のものが、半分以上崩れ掛けている。
 この男たちのどれかがやったと思った瞬間に、イルカは切れた。
「危ない!」
 悲鳴が上がった瞬間に、身をかわし、いつの間にかイルカが刃物を持った男をうつぶせに引きずり倒していた。肩に膝を当てて、捕らえていた腕を引っ張ると、男は悲痛に呻き声を上げた。
「…この人に、触ったのはあんたか…」
 自分でも恐ろしい声だと思う。男は応えずに、呻くような解放と弁解の声をあげる。何とか『助けて』と聞こえるようなものだ。
「誰に向かって言ってんの? あの人に謝って欲しいんだけど…」
 ちょっと、強く腕を引っ張ると、男は情けない声で、もうしません、赦して下さいと通りに聞こえるように叫んだ。
「もう、良いですよ…」
 そんな、涅の声がなかったら、イルカはその腕を折っていたかもしれない。呪縛から解かれるようにイルカが力を抜いて立ち上がると、男は転がるようにして駆けていった。他の男たちも、それに引っ張られるようにして銘々逃げ出していく。
「ちょっと、やりすぎましたか…」
 涅の手を引いて、宿屋に戻る。見物人が宿にも多く居たようで、宿に対しては申し訳なかった。部屋に戻るまで、ずっと、誰かに見られていた。
「助かりました…」
 あからさまに安堵の溜息を吐いて、涅は縁側に設えてある椅子にしどけなく腰掛ける。イルカは出入り口の所で硬直する。
「あなたが来なかったら、オレはずっと、演技できませんでしたからねえ。俺自身で片づけなきゃいけなくなるところだったし」
「はあ…」
 注目を浴びて怒られる、と思っていたイルカだったが、案外フレキシブルな涅の対応にこちらもほっとして、体から力を抜いた。そうして、ちょっとだけ怒気が沸いた。
「だいたい、あなたが綺麗すぎる格好をするからです。東の町でもちょっとした噂になっていましたよ」
「あら」
 涅はイルカの怒りの矛なんてまるで効いていないように、相変わらず上機嫌にしている。
「帰ってみれば得体の知れない男に絡まれているし…」
「何ですか、やきもち妬いてくれてるんですか」
「…冗談言わないで下さい」
 涅はイルカの否定など意に介さず、イルカの傍まで寄ってくる。
「…そういうことにしておいてあげましょう」
 すっと、涅はイルカの顎を捕らえると、優しく口づけてきた。ちゅっちゅっと、啄むような、可愛いばかりの接吻。
「帯が…」
 口づけの間にイルカは呟く。
「あいつ等に解かれかけていたんでしょう…」
 その言葉に涅は後ろをとられていたことに気づいて、ばつな悪そうな顔をする。表には出さなかったものの、取り乱していた部分があったのだろう。
「可愛いことを…」
 目蓋や鼻先に、涅はキスの雨を降らせる。
「だいたい、あなたの所為なんですよ…」
 宥めるような口調で涅がゆっくり離れていく。
「…何が、ですか…?」
「………、内緒です!」
 涅はそのまま次の部屋へ入り、あっさりと化粧とカツラを取って、真っ青な襦袢だけの姿で戻ってくる。最早、女には見えなかった。
「一緒にお風呂に入りますか?」
 そのにこやかな様子にげんなりして、イルカはその場にやっとへたり込むことが出来た。一緒の風呂は、遠慮しておいた…。



 久しぶりの風呂に、イルカは散々長湯をした。実際に風呂から上がってくるとフラフラで、涅との情報交換も介抱の布団の上での実施となった。
「とくに大したことはありませんが」
 涅はまめに氷水でタオルを絞り、イルカの額に載せてくる。まるで愛玩するように時折頬や首筋を撫でてくる手が冷たくて気持ちがいい。
「その男の話なんですが、ある草の大名が、波の国付近のさざれ諸島に別荘を持っているらしいんですよ。島まるまる一つが別荘地。勿論領土は波か霧か雹かに属しますけど、その大名家というのが、ここの隣町スズナの当主、五行家…、つまり、堅香子の嫡子の婚約者が所持者って事ですね」
「…嫡子って…」
「勿論男の子のようですが」
「そうではなくて、年齢…」
「今年五つになったらしいですよ、若いですねえ」
 若いってもんじゃない。本人同士の意志など無視した形なのだろう。草や滝は未だに閨閥を重んじているというのは本当だったのか。まあ、切っても切れぬのが血の絆。自分達が切ったとしても、周囲が認めていなければ、それは切れたことにもならない。ならばつながりを利用した方が遙かに得だというのは誰にでも考えつくことなのだろう。
「五行家と堅香子家は懇意にしているようですね。目前に控える堅香子家の嫁の実家よりも余程…。堅香子家とミズチの城主みくず家は三代目まで中が悪かったそうですが、四代目同士が領民まで仲が悪いのは悲しいと、お互いの家の娘を交換したのだそうですよ。それが堅香子リン、旧姓みくずリンと、みくずアカザ、旧姓堅香子アカザのようですね。だが、何故かしらここ四年間、家同士に表向きな交わりがあったような形跡がないんです」
 イルカは頭の中で家系図を整理する。昔でもないのに、入り組んだものになりそうだ。
「だが、良く、リンの実の兄、現ミズチ領主の弟のハヤセは遊びに来ているらしい。これが、堅香子カズラと仲がいいそうです」
「……ハヤセと、現領主の歳の差は…?」
「さすが、痒いところに手を持ってきてくれますねえ。それが違う年齢なんですよ。でも、それが並ばせてみると双子のようにそっくりで、身長体重、食事の好みまでが似通って居るんです。おそらくは一卵性双生児でしょう。家老か大臣か、滝の内部はよく分かりませんが、某かの有識者とされる人間が御注進したんでしょうね、双子は不吉だと。現当主が十四の時に一つ年下として、城に戻ってきました」
「…戻ってきた…?」
「ええ、当主の良い右腕になるべく勉強をさせていたのだとか、何とかって国外に出していたようですね…。まあ、そんなわけだから、実際に山瑠璃に来ているのが、ハヤセなのか当主のホトリなのか、わからないってトコですね」
 涅は再びタオルを絞り直してくれる。
「…何か、気になりますね…。秘密裏に何をしているのでしょうか…」
 いくら仲が良いと言っても、他国の人間なのだし、国の重要人物だ。物見遊山気分で他国に侵入して良いわけがない。むしろこれが国主に知られれば大問題になるだろう。もし、領主の血を引いた人間が他国に入るのならば、それなりの前段階を踏んで、秘密裏に行ったとしても、事後報告で行った側も受け入れた側も、領民に公開すべきなのだ。
「もちろん、公開していなかったからこそ、気になって報告したんじゃないですか」
 涅は平然とそう宣う。
「…涅さん…」
「はい」
「…堅香子リンは、二人居ますか…? そう言う可能性はありませんか…?」
「…初耳ですね」
 どう言うことか聞かせて貰いましょう、と涅は身を乗り出してくる。
「…今日、ある女と知り合いました…」
 イルカはそう切り出し、かいつまんでユリコのことを説明した。そして、中華料理屋の夫婦の反応とユリコの反応の違いの要点を、それでも丁寧に話して聞かせた。しかし、涅は何だか酷く複雑そうな顔をして、そうして、ついには興味を失ったようだった。
「あなたは、一つの可能性を見落としているよ」
「…何でしょう」
 仕方ないとばかりに涅は大仰に溜息を吐き出した。
「いきなりの種明かしですが、オレの女装は化粧による幻術です。勿論、ある程度基盤自体が良くなくては成功しませんが、化粧自体にまじないの力が秘められているので、自分のチャクラを使用しなくても維持できるという利点があります。だからある程度の化粧が落ちたら、顔の見え方、果ては体つきまで変わって見える。今日の夜の化粧と、初めてあなたと一緒に来たときの化粧は違う術です」
 だから、美醜に差が出るのだ、と涅は言った。
「では、何故オレには変わらずに見えたのでしょう。どちらの術を使ったあなたも、ちゃんと女性に見えましたし、どちらかというと、前の化粧の方が美しく見えたんですが…」
 そう、女性に見えた時点でイルカも涅の幻術にかかっているのだ。なのに、どうして抱く感想が違うのだろう。おそらく、イルカだけが。
「……」
 この質問には、涅も何故か答えにくそうに眉を寄せる。何か機密に関わるようなことなのだろうか。
「少しだけ、ヒントをあげましょう。それ以上は応えられません」
 イルカの額の温くなったタオルを取り上げて、氷水に浸す。
「今日の夜の幻術は、美しい女に見える化粧を使いました。術を使用した人間の器量をベースにもっと人形のように完成された美を持つ女に見えるような。くノ一でも、習得が難しいとされている禁術です。そして、今まで使っていたのは、催眠に近いものです。おそらくはあなたにだって使える…」
 ここまでです、と、涅はタオルをきつく絞って、額に載せる。
 何だかイルカの中にわだかまりが残ったような気がするが、任務に関係なさそうなので、今は口を噤むことにした。
「他に、何かありましたか?」
 涅は最早習慣なのか、傷が殆ど癒えてしまった今も、イルカの隣りに入り込んできて、緩く抱いて寝る。
 もう、イルカには話すことが無いと高を括っているのだろうか、いそいそとイルカの布団に入り込んできて、手足を巻き付かせてきた。
「一つ、やっぱり気になることがあるんですが…、未だに動物たちが消えた場所が判りません…」
 大量輸出されたはずの動物の影も形も、イルカは見ることが出来ていない。
「…あなた、まだ気にしていたの…」
 少しだけ呆れたような口調で、涅はイルカの顔を覗き込んでくる。
「それこそオレの幻術じゃあるまいし、失踪事件とは関係ないと思うんですが…」
 涅にはなんども、『そう考える根拠は』と、強く迫られたが、イルカはそのどれに対しても満足な答えを返せていない。
「そうなんですけど…」
「…まあ、確かに影も形も見あたらないのは少し気持ちが悪いっていうのは判ります…。動物園で飼育するにはちょっと多い量でしたよね…」
「…はい」
 正確な数字は覚えていないが、二百種以上の名前があったように思う。繁殖させる気があるのか無いのか、どんな品種もオスメス一頭ずつだったはずだ。
「群を成して上下関係の中で生活する猿でさえ、そんな感じなんです…。まるで、生態系なんて無視したような、どうでもいいような買い方が気になって…」
「んー、まるでノアの方舟ですね…」
「ノアの方舟…?」
「知りませんか、大昔のおとぎ話ですよ。種の存続のためか動物実験のためか、世界中の動物を番で放り込んで雨っつぁらしを凌いだって言う……」
「………」
 その涅の返答で、思わず顔を見合わせる。
 イルカは背中が震える想いをした。涅も同様だったらしく、いつもはマイペースだったり余裕のある顔からゆっくりと血の気が引いていくのが見て取れた。
 動物実験。
「なんで、こんな可能性を忘れていたんでしょう…」
 涅の声が震えている。
 それなら、説明できる。
 何故、あらゆる動物をオスメスで買ったのか、失踪者の共通点がまるで見出せないか。
 共通点はただ一つ『動物』だったからだ。
 涅は音も立てずに飛び起きると、必ず持ってきている半紙に式を呼び寄せ、直ぐさま何事か命じて火影に放った。
「一体誰が…、何のために…」
 銀の式が飛んでいく姿を険しい表情で涅は見送る。
「全てを疑ってかかるなら、木の葉と滝の境界付近で姿を見られている木の葉の抜け忍の仕業とも考えられますし、堅香子カズラの線も捨て切れません」
「…堅香子カズラ…?」
 イルカの言葉が意外だったようで、涅はその真意を確かめようと視線を絡めてくる。自分に自信のある人間しか出来ない所作だ。イルカはそれを逸らさないように踏ん張りながら応えた。
「…あなたも聞いたはずです。山瑠璃の城主、堅香子カズラは忍贔屓の人間…、知識人や退役のつわものまで呼び寄せては話を聞いていると。そして、忍術の多くは、幾度となく繰り返されてきた動物実験や人体実験の賜なんです…!」
「……!」
「力を欲した某かが、領主を利用しているのかも知れないし、領主自体が、忍になりたがっているのかも知れないし…」
 其処まで一気にまくし立てると、涅は舌打ちして次の部屋に駆け込んだ。イルカはどうしていいか分からず、まだ、ふわふわとした体を起こす。
「小屋に戻って、この線を軸に調べ直します」
 戻ってきた涅は黒装束を纏い、荷物をまとめていた。
「…あ、はい…」
「なに、ぼーっとしてるんですか。今すぐ出るんですよ!」
 涅は右手に荷物、左手にイルカを軽々と抱え上げると、そのまま窓から飛び出した。
「〜〜〜〜〜っ!」
 何の心の準備もなかったイルカは思わず叫びそうになるのを、手を押さえて堪える。あっという間に宿屋は小さくなって、軽く城郭を越えた。
「涅さん、宿代は…っ」
 至極まともで、この非常時には似つかわしくない質問だった。
「着物をおいてきましたよ」
 律儀に涅は応えてくれる。小屋までのその間、フラフラのイルカを気遣ってか、ずっと、抱えたまま夜道を走り続ける。イルカは舌を噛まないように歯を食いしばりながら、どさくさに紛れて、涅の体に縋り付いた。気付かれたかどうか判らないが、何も言わずに居てくれる涅に、黙って甘えた。



 小屋はこんなに近いものだったのかと、感心するくらい速くに到着した。いつもの帰り道は、イルカに合わせてくれていたのか、それとも女物の着物ではさすがの涅も動きが取り辛いのか、もう少し時間がかかったようにも思える。イルカという荷物をものともしない速度だから、もしかして気が急いていたのかも知れない。
「立てますか」
「…ハイ」
 漸く下ろされたのは、小屋の中、障子を開けたその先だった。素足で、宿の浴衣をそのまま着てきてしまった。涅が軽く上がった息を整えている間に、イルカはだいぶましになってきた体を酷使して、今までの報告書を拡げ出す。蝋燭に灯を点して、囲炉裏にも火を入れた。
「辛かったら横になってても良いですよ」
 涅は口布を下ろすと、イルカが拡げた報告書の前に陣取る。イルカは眠れそうにも、休めそうにもなく、頷いただけで、涅の正面に座って報告書を読んだ。
 人体実験を裏付けるような、何か証拠が欲しい。可能性を示唆するものでも、今までにそう言う前科がある人間を洗い直すだけでも良い。
 そうしないと、あの子たちは。
 溺死した男を思い出す。
 失踪者に他の犠牲は出ていないから、どの末期もああだとは限らないが、さすがに唯一の例だけあって、妙なインパクトがある。
 彼のように、細い子供たちが飼い慣らされて、太らせて、殺されていくのだろうか。
 ああ。
 なぜ、『家畜同然』という涅の言葉にひっかかりを感じたか、その時になって初めて理解した。きっと、動物扱いの上に殺されたからだろう。彼も某かの人体実験の犠牲者なのだ。



 イルカも涅も、不眠で作業を進めた。まるで試験前日のアカデミー生に戻ったような気がする。実際はそんな長閑で良いものでもないのだが、書類整理で夜を明かすと、その雰囲気を思い出す。
 途中で何度か茶を淹れた。それと体勢を変えるか雪隠に用がある以外では、殆ど其処を動かずに、書類を読み進めた。始終、無言で集中しきっている二人に、朝が来ていることなんて気付く隙もない。
 だから、蝋燭が切れてしまった瞬間に、雨戸から射し込む朝日で、その時刻を知ったのだった。しかも、それもだいぶ角度を急にしている。
「…何か見つかりましたか…?」
「……」
 涅が開けた雨戸の向こう、晴れやかな庭の光に目を眇める。イルカは黙って首を横に振った。
「取りあえず、飯を食ったら一旦休みましょう。作業し続けても、効率が悪い」
 涅の言い分は尤もだったので、イルカは土間に下りて、ちょっと遅めの朝食の準備をした。徹夜だったのでだいぶ胃がもたれている。眠らなければいけないから薬草を摘んで、粥の中に入れた。
「取りあえず、火影様にこの動物たちの発注者を調べて貰いましょう、火の国内部の話だから、速ければ今晩の報告に間に合わせてくれるでしょう」
 町で買ってきた沢庵と粥だけの質素な朝食に文句一つも言わないで、涅は綺麗に平らげてくれた。昼と晩と、用意する余裕があれば、ちょっと手の込んでいるものを作ろうと思う。まだ、涅だって全快しているわけではないのだ。
 結局眠るために再び雨戸は閉められてしまった。
 イルカは背中を涅に抱かれながら、目をつむってじっとしてみるが、どうしても眠れそうになかった。忍失格だと思う。だが、あの子供たちが、生きたまま人体実験をされているのだと思うと、苦しくて仕方がない。まるで手足が震えてしまうのだ。
 精神安定させる薬草を煎じた粥も、どうにも効き目が薄い。
「眠れませんか」
 そっと、涅がイルカの髪に鼻先を埋めてくる。イルカが身じろぎを止められないから、涅も眠れないのだろう。
「オレは眠れそうにも無いですから、別の布団に…」
 温かい其処から出ていこうと体を浮かせたが、涅がそれを赦さなかった。イルカの手を引いて正面から体を抱き込む。
「…あの…」
 いつになく強い抱擁にイルカは混乱した。久々の感触に、こんな時なのに、こんな時だから、体の芯から熱が鎌首をもたげようとしている。
「不安なんでしょう…? どうにも出来なくて、待ってるだけしかできなくて、心ばっかり逸るのに、時間だけが無常に過ぎていく…」
 背中を優しく撫でられて、思わずその調子で呼吸を繰り返すと、高ぶっていた緊張が若干収まるようだった。
「絶対助け出すって決めて居るんでしょう?」
「…勿論です」
「だったら…」
 そっと、涅はイルカの耳に唇を押し当ててきた。
「今は、力を蓄えておかないと…」
 そうだ、涅はイルカが更に不安を募らせるから言わないが、背後にはおそらく忍が居る。力に餓えた者が居る。
 もし本気で助け出すつもりなら、英気を養っておくのは必須事項だ。
 ふっと、涅の腕の中でイルカは力を抜いて、深呼吸をしながら徐々に体の強張りを解いた。
「あの…離してもらえませんか…、取りあえず眠るようには努力しますから…」
 仰向けになった男の上にうつぶせになって寝るなんて、イルカにはそんな器用なことは出来ない。せめて元の体勢に戻りたかったが、それを涅は赦さなかった。
 軽薄な態度も心安い態度も一蹴したかのように真剣な眼で、イルカのことを見つめている。まるで射竦められて、動けない。
「ねえ、じっとしていて」
「……」
 イルカを抱いた涅の手が、ゆっくりと不埒な動きを見せる。
 抱かれる、と思った瞬間イルカの熱が一息に上がった。顔から肚からせり上がってくる。思わず動くなと言われたのを忘れて、自分から、下に敷いた涅に口づけていた。
 一瞬、驚いたのか身を竦めた涅だったが、直ぐさま舌を絡めてくる。
「…んっ」
 背中を撫で上げられて、思わず腰を浮かせてしまえば、其処には淫靡な空気が漂いはじめる。頻繁に交わしたじゃれ合いのキスとは全く違う、擬似性交とも言える口づけになって、どんどん熱があげられていくのを感じる。
 其処に、いつも言葉なんて無い。
 求める言葉もない、揶揄する言葉もない。
 涅はイルカの体を抱いたまま、くるりと素早く、上下を入れ替えた。イルカも全く抵抗せずに、下になって、上着を脱がせてくるのに従う。
 涅はイルカの赤い突起を見付けると、まるで赤ん坊のように其処に吸い付き、もう片方の手でイルカの下穿きを剥いだ。イルカも涅の上着を何とか捲り上げて、既に熱を保ったようなすべらかな肌に触れ、目眩を覚える。
 これが、英気を養うことに繋がるのか甚だ謎だったが、イルカにはどうでも良かった。ただ、その麻薬のような肌と、甘い技巧を持った男に、翻弄されて、いくらかの間だけでも忘れてしまいたかった。
 考えることよりも、理性よりも、本能に支配されることを望んだのだった。
 涅がイルカの両脚を割り開いて体を進めてくるのにも、前回よりも早急に挿入されたことも、全てイルカが望んだことと言っても構わない。
「う…っひぅ…、ん…っ」
 涅の太いものが入ってきても事前に丹念に馴らされるため、痛みは余りなかったが、異物感は否めず、どうしても挿入の衝撃でイルカは背中をしならせる。力が抜けない。
「力を抜いて、ゆっくり深呼吸して…」
 優しく、まるで励ますように、顔や肩に口づけを落としながら指示してくれる涅に従おうとするが、上手くいかない。呼吸が引きつれて、それを均すために力を入れてしまう。
 ふと、涅が抱きしめられに来るように、下に仰向けにして敷いたイルカの肩口にそっと額を寄せる。それに気がついて、イルカがふと硬く閉じていた目を開けると、涅も、苦しそうに眉を寄せている。
 キツイのは自分だけじゃない。
 そう、悟った瞬間にイルカは体中から力を放り出すことが出来た。ただ、弛緩しているだけが、凄く難しい。だって、縋りたいのに。
 ふと涅と目が合うと、ちょっと困ったように笑ってキスをした。
「…やっと、見てくれた…」
 そう言って抱きしめて、腰で深く、イルカを抉った。
「ヒィ…ッ!」
 その悲鳴を上げた瞬間に、一層痛みが増す。
「声出して。我慢しないで」
「あ…あ…」
 もう、言われるがままに、イルカは諾と従う。素直に涅の腕の中で喘ぎ悶え泣き続けた。
「いや…ぁん、んア…っ、あっ、あっ」
 激しく打ち付けられる毎に猛ったものを扱かれて、イルカは腰を震わす。先端からはもう既に、結合部からはもうじき溢れそうなほど濡れている。勿論、自ずと濡れたわけではないが、涅が感じないと、中は乾く。
 お互いに、絵に描いたようにドロドロだ。
「イ…いい…っ」
 見せ付けたままの乳首を反らせながら、思わずイルカは呻いた。その唾液でてらてらとひかる突起に誘われるように唇を寄せた涅の頭を抱きしめる。
「あんまり、可愛いこと言わないで…、我慢できなくなっちゃう」
 掠れたその声は、酷くイルカの劣情を誘った。普段は余り汗をかかない額にうっすらと浮き出ているそれも、あえかな呼吸も、みんなイルカの為だ。
 ちゅっちゅっと啄むように、音を立てて至る所に口づけられる。恐る恐るイルカが涅の髪の中に手を入れると、キスを繰り返したまま彼は少しだけ笑う。そして、その、イルカの手にも唇を寄せた。
 そして、胸をすりつけるようにして結合していたのに、不意に上体を起こして、そのイルカの手を、イルカ自身に宛った。
「ひ…っ」
 手に触れたそれは、イルカが思うよりもずっと濡れていて、いつもより硬い気がする。いたたまれなくて手を引こうとするが、涅がそれを赦さずにイルカの手の上から自分の手を置き、柔らかく握らせてくるのだ。
「自分でして。オレに見せて」
 そのまま涅はゆるりと腰を動かす。ぐちゅっと結合部から音が漏れた。手のひらも幽かに動くが涅が腰を振っているから、その分こすれているだけで、イルカには既にその刺激じゃ物足りない。躊躇いがちに自分のものを握り込むと、添えられただけの涅の手が、柔らかく加勢をする。
「ふ…ぅっ、う…ん、んン」
 それに励まされるように、火を付けられたように、イルカは、夢中になって自身を擦った。
 両脚を痛いほど開き、其処に男をくわえ込んで、自分のものを擦る。なんてあられもない格好をしているのに、その分の羞恥だけ、興奮している自分が居る。いつの間にか、涅の手は離れ、それを補うように自分の両手を使って、快楽を求めていた。
「あ…っ、う…んッ…はア…、ヒア…ッ!」
 涅は、がつがつと遠慮なく、まるで、夢中になって貪るように腰を押し進めてくる。もう、お互いに限界が近い。
「あアッ…、ああっ…、ひッ…」
 熱に浸食されて、体の機能が徐々に麻痺していくような感覚に陥る。視界が白くけぶり、音は遠くなって、まるで機械のように自身を扱く手を止められない。自分の喘ぐ声も何処か遠くだ。
「良いところ、触ってあげる」
 と、涅は一度だけ角度を変えて抉ってきた。その瞬間、内部が掻かれて、イルカの目の前は真っ白になった。
「あっッ、あ…ああ――ッ!」
 先端から白い液体を吹き出しながら、体中を硬直させた。
「くぅ…っ!」
 涅もイルカのその収縮に堪えきれずに、中に奔流を叩き付けたのだった。
 体中がだるい。指の一本動かすのでさえ億劫だ。
 何だったのだろう。気がついたら激しくイっていたという風情だ。イルカ自身に何が起こったのか判らない。
 イルカは荒い呼吸を繰り返しながら、呆然とする。イかされるべくしてイかされてしまった。もしかして、奥を探られてイってしまったのだろうか。
 すっきりするでもなく、快楽が余りにも大きすぎて、まだ余韻で強張りと震えが止まらない。
 ずるっと、涅を内部から抜かれると、そこから精が溢れる出すのが判った。萎えてしまったイルカ自身に、強ばっているためか、未だに添えられた手をゆっくりと解き、涅はその手と股間を綺麗に拭き取ってくれる。
「眠って…」
 優しく目蓋の上から当てられた手は温かく、不覚にも涙が零れた。涅は何も言わずに、ただ、あやすようにイルカを抱いて、慰撫して、眠った。
 その、温かい腕の中で。






 余程疲弊していたのか、それからイルカが目を覚ましたのは夕方になってからで、既に涅は起きて報告書に見入っていた。
 涅はイルカが目を覚ましたことに気がつくと、にっこり笑って、傍に寄ってくる。
「お早う御座います…、寝過ぎちゃいましたか…」
 病人を扱うように、上体を起こそうとするイルカを手伝って起こす。実際、イルカは痛みに腰を庇う。普段使わない肉が悲鳴を上げているのだ。
「大丈夫ですか。ちょっと、無理させましたか」
「…大丈夫です…」
 体を起こすと、やっと、自分が裸であることに気がついて、イルカは慌てて服を着込んだ。涅はそんなイルカの様子に少しだけ笑って、報告書の方に戻る。
「何か、見つかりましたか…?」
 イルカも服を着込むと、涅が見ていた報告書を反対側から覗き込む。涅がそれをイルカに対して正位置に反転させてくれた。暫くすると、お茶まで出てくる。
「実はですね、妙な事に気がつきました」
 と言って差しだしたのは、発注された動物の一覧表だった。あいうえお順に並べられているものであって、隣りに発注日と出荷日、値段がそれぞれ記載されている。
 今までに貰った普通の報告書だ。
「業者がパソコン整理をしているらしくて、こういう風に打ち出してしまったんでしょうけど、並べ直したのが、こっちです」
 と、もう一束差し出されたのは涅の達筆で書かれた書類だ。
「発注の日付順に並べました。最初は値段の安い鳥類や爬虫類など小型の動物、それから小型の哺乳類、中型、大型の順に購入されています」
 確かに涅の言うとおり、いくらかの日を置いてその順に購入されている。随分前から、ちょこちょこ購入していたようで、はじめの鳥類・爬虫類・両生類や、小型哺乳類などは色々とまとめ買いし、おおよそ、一週間ほどの間がある。そして、中型になると、ここからはこまめに買いそろえているようだ。
 この動物と動物の間を研究時間だとするなら、二三種類に、二日から長くて二週間ほど時間を費やしている。
 日付を辿ると、ごく最近まで、買い入れが続いていた事実が分かる。
「…それで…?」
 イルカは要領を得ずに、つい、涅の先を促した。
「最後の動物…えーとキリンですか。このあと、一週間後に、失踪者が出始めるんです」
「え…!」
 絶妙なタイミングで差し出された失踪者リストを奪うようにして受け取りめくる。一番古い事件は確かに、最後の動物が購入されて一週間後に居なくなっている。失踪の届け出はそれから二日後だ。一人目の失踪から三日も置かずに、今度は次々と居なくなっている。老若男女問わずに、選り好む様に、色々と次々に。
 忍の子供を二人捕らえたところで、失踪はぴたりと止んでいる。それがもう、二十日も前のことだ。
「…まるで人間を漁っているみたいに見えますよ……」
 苦いものでも潰すような顔をして涅は呟いた。彼の言うとおりだ。
「味をしめたように見えますね…」
「はい。これでもし、実験体となった失踪者が、死んでしまえば、次の犠牲者が出てしまいます」
「可能性は高いでしょうね…」
 だが、何者が、どういう理由で命の翻弄を繰り返しているのか二人にはまだ、見当もつかない。
「…暗部に問い合わせましょう。この、期間の長い動物に関してだけ、研究成果を公表して貰います…」
「……」
 それは、暗に、暗部でも数々の動物実験を行ったことを示唆している。イルカはその承諾を言葉に出来ずに、ただ、頷いた。
「一つだけ…、良いですか…?」
「…?」
 涅は、首を小さく傾げて、イルカを促す。
「これだけの大規模な事をやってくる人間なんです…。後ろに国単位の援助がないとおかしい…。そうなってくると、オレたちだけの手には余ります…」
「取りあえず、進言しておきましょう…」
 そう言うと、涅はおもむろに立ち上がり、出掛ける準備を始める。
「…今からどこへ…」
「町に下りてみます。堅香子カズラの周辺をちょっと窺ってきます」
「そんな…!」
 思いもかけない涅の言葉に、悲鳴のような声が出た。もしかして、大量の忍が周囲を守っているかも知れないのに。
「…オレも…っ」
「要りません」
 ぴしゃりとはねつけられて、思わずイルカは身を竦めた。
「一人で充分です。もし見つかっても、オレは一人なら逃げ切る自信があります。あなたはここに残って、暗部と火影様からの報告を待って下さい」
「…でも…!」
 行かせて良いのだろうか。城の内部で何をしているのか判らないのに。頭では、附いていっても足手まといになることを理解しているのに、行かせたくない、一人では。
 そんな逡巡が目に見えて判ったのか、涅も困ったように笑って、宥めるようにそっと、イルカの肩に流しっぱなしの髪を穏やかに梳いてきた。
「大丈夫ですよ。まだ、彼らが何かしていると決まった訳じゃないですし、接触を持つ気は更々ありません。それに、一度あの城にはお邪魔したこともありますからね」
 涅はそう言って、イルカを納得させようとする。あの城に入ったことがあるというのは初耳だ。
 だが、それでも、イルカの心は晴れない。
 涅が着々と準備を進めている横で、床にぺたりと座り込んだまま、黙って俯く。腰が痛くなかったら、確実に涅の後を黙って追うこともしただろうが、まるで涅がこのことを見越してやったかのように、それは慣れず、まるでのし掛かるように重い。
「お願いです、ここで待っていて下さいね…。良い子で待っていれば、今日よりもっと気持ちいいこと、してあげますから」
「――ッ!」
 人が真剣に心配しているのにソレか。イルカは思わず涅に掴みかかったが、その勢いを軽くいなされて、軽い口づけを落とされる。
 しっとりと、離れていったそれは直ぐさま涅の手によって、口布で隠されてしまった。
「ね…」
 名残惜しそうに唇ばかりを見ていたのに気付かれたのだろう、涅はふと、イルカの意識を他に背けるように頬に触れた。
「…無理をしないで下さい…」
「…例えば、子供を発見したとしても…?」
 その質問にグッと詰まる。しかし。
「まだ生きていたら、すぐに殺されることはありません。だから…」
 涅は、その言葉に小さく笑った。
「あなたは冷静なのか、そうでないのか、さっぱり分からないね。とてもその葛藤がいいよ」
 人間らしい。と涅は言う。
「無理はしません。留守をよろしく御願いします」
 イルカの見た限り、初めて女装もせずに、忍の黒装束に刃物を携えて涅は出ていった。その姿は、艶やかな女形とは違い、直ぐさま森の夕闇に溶けて消えてしまった。
 戸口で見送りながら、イルカは未だに晴れない心を抱いている。
 その空間を統べるのは、木々の葉摺れと遠くで切なく啼く鳥の声だけだった。



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