「また撮ってるんですか、それ?」
イルカはカカシが性懲りもなく撮影に勤しんでいる姿を溜息混じりに見つめてそう言った。
別にもう撮られること自体にはすっかり慣れてしまっていて最初のような気恥ずかしさはなくなったとはいえ、何だか悪趣味だとも思う。
そんなに自分ばかり撮って何が楽しいというのだろう。
撮る場面といえば食事の支度をしているところだったり掃除をしているところだったり果ては昼寝をしているところを撮られたこともあった。
こんなつまらない中忍の自分を撮って何が楽しいのか。
所詮カカシの頭の中などその実力に比例して自分の考えの及ぶような所にはないのだから考えるだけ無駄なのかもしれないが。
それでもふと思いつきでカカシを撮影したときのちょっとわくわくするような高揚感は分かるような気がした。
フィルム越しに見るカカシは、いつもと少し違っていて。
欲目だと思うが、まるで映画俳優のようだと、そう。
「イルカ先生、何考えてるんですか〜?」
ぼんやりと恥ずかしい空想に耽っていたらカカシが何やらとても楽しそうな表情で覗き込んできた。
「別に何も」
そんな事言ったって全く説得力など有りはしなかったが取りあえずそうとしか言えないのも事実で。
照れ隠しに不用意に近付いたレンズを手の平で塞ぐ。
初めて撮影されたときのように。
あの時と同じようにやんわりと手首を捕まれて手の平は呆気なくどかされた。
自分の手首を掴んだその手には、何の力も入れられてはいないというのに。
不意に空気の密度が増したようでほんの少しの息苦しさを感じる。
こういうのは、困る。
あからさまではないのに。
不意に、甘い蜂蜜にでも浸けられたような、そんな空気は。
触れられた手首がじんわりと熱を持ってそこからとろとろと溶けだしてしまうような。
そんな、まるで浸透圧の高い、蜂蜜に浸けられた果物にでもなったような、そんな空気は、困る。
ただ甘いだけだなんて、そんなのはいつまでたっても慣れなくて、困る。
ゆるゆると息を吐き出していまだに外されないカカシの手を見る。
その骨張った長い指を、見つめる。
指から手の甲へ視線をずらし、そしてその緩やかな曲線を描く筋肉質な腕を見つめる。
腕にそって視線をあげて、その顔を見る。
カカシはまだ、カメラを構えたままレンズ越しに自分の何もかもを見透かしている。
この、恥ずかしい胸の内を、全て。
離して下さい、とそう言おうとしたその時。
言葉をさらうようにカカシが呟いた。
「イルカ先生、誘ってるんですか?」
幾分笑いを含んだその声には、それでも確かに欲望が滲んでいて。
何も言えずに息を呑んだ。
こんな昼間から何を考えているのかと、怒らなくてはいけないのに。
ここで反論しないなんて、それではまるで本当に、カカシが言うように誘っているみたいじゃないか。
それとも自分は今ここで、カカシと一緒に、熱に溺れてしまいたいのか。
俯いたイルカにカカシがそおっと耳打ちをする。
「ねぇ、イルカ先生。お願いが一つあるんですけど」
鼓膜をくすぐるその甘い声にぞくりと背中が震えた。
自分は一体何を期待しているのか。
「なん、です、か?」
ようやく、それだけ返事をする。
いつの間に、自分はこんな風になってしまったのだろう。
こんな、淫らな。
見透かすようにカカシがくすりと笑った。
なんて、浅ましい、自分。
「一回でいいんですけど、ハメ撮りさせてくれませんか?」
一瞬何を言われたのか分からなくてそうして浮かされたような頭がようやくその意味を理解する。
そして。
カカシの落としたその言葉のあまりの恥ずかしさに、気が付いたら横にある銀の頭を殴っていた。
「イタッ」
「あ、あんた何考えてんですか?!」
「何って、いつでもどこでもイルカ先生のことですよ。それにイルカ先生だって今までヤル気だったくせに」
あんまりなセリフにもう一度その頭を殴った。
カカシは殴られたところをさすりながら、バカになっちゃいますよ〜。などと情けない声を漏らしている。
いっそこれ以上ロクでもないことを思い付かないようにバカになってしまえばいいのだ。
「ね、イイでしょ?」
妙に打たれ強いカカシはめげることなくそう言ってイルカの顔を覗き込む。
何が、イイでしょ、だ。
いいわけがない。
大体何でそんなことをする必要があるのだ。
そんな、オレ一人が、恥ずかしい、そんなことを。
「どうしてそんなことしなくちゃならないんですか」
溜息混じりにそう聞けばカカシはそっと顔を近付けてまるで重大な秘密を打ち明けるみたいに囁いた。
「いえね、この先ひょっとするともしかして、イルカ先生がオレとのセックスがマンネリ化してるとか思ったときに役に立つんじゃないかな〜、とか思いまして」
折角だから。と、そう。
一体何が折角なのだというのだ。
全くもってこの男の言うことなど、自分にはまるで理解できない。
何でこんな男が、よりにもよって、好きなのだろうか。
手首を掴んでいたはずの腕はいつの間にか自分を抱き込んで、構えられていたはずのカメラは脇に退けられている。
骨張った硬い手はいたずらに背骨を撫で上げてぞわりと身体が震えた。
「ね?」
「イヤです!絶対イヤだ!」
「え〜、いいじゃないですか〜」
「イヤだったらイヤだ!どうでもいいけど離して下さい!」
流されそうになる躯を叱咤してカカシをぐいぐいと押す。
ハメ撮りなんてそんな恥ずかしいこと、死んでもイヤだ。
ここで頑なに拒否しておかないと後で絶対に後悔する。
今までの経験は辛うじてイルカの中で活かされているようだった。
イルカのあまりの嫌がりようにカカシはちぇ、っと呟いて渋々躯を離す。
こんなに嫌がっているのだから、今日はムリだ。
少なくとも、今日は絶対ムリだろう。
カカシが胸の裡でそんなことを考えているとはいざ知らず離れていった体温にイルカはホッと息を付く。
一体何を考えているのだろう。
一度この上忍の頭の中をかち割って覗いてみたいモノだと、そう不穏なことを思っていたらカカシが、あ、と声をあげた。
またロクでもないことを思い付いたのかと不信げに見つめれば、イヤ違います、と笑う。何がどう違うというのか。
「イルカ先生、オレホントにいいこと思いついたんですけど」
聞いて貰えます?
聞いて貰えないだなんて全然思ってないくせに。
そんな風に聞くのはちょっと狡い、そう思いながらイルカは渋々と頷いた。
警戒心も露わに身構えるイルカにカカシは苦く笑いながら言葉を紡ぐ。
「ハメ撮りの話じゃないですが、未来の俺達にメッセージ送りませんか?」
ピクリと眉を顰めたイルカにカカシは些か早口で話を進める。
「タイムカプセル、とかあんなのと原理は一緒なんですけど、5年後とか10年後とかの自分にメッセージ残してみませんか?」
イルカはカカシの思いつきの真意を掴み損ねているようだった。
難しい顔をしてカカシを見ている。
「それのどこがいいことなんですか?」
さっきのよりは遙かにましな意見ですけど。
そう付け加えてイルカはカカシに悪態を付いた。
「良い考えだと思いません?未来のオレとイルカ先生と、睦月に、メッセージを送りましょう」
思いがけない名前を聞いてイルカは驚いたような表情を浮かべた。
睦月に?
まだ会ったこともない、オレの息子に?
一体、何故。
「今は引き取ることもできなくて離れ離れに暮らしてますけど、イルカ先生いつか睦月を引き取って一緒に暮らすつもりなんでしょ?」
カカシの顔は穏やかで、その言葉が嘘偽りのないモノだということは分かる。
けれど。
何故、カカシがそんなことを言い出すのかは、分からない。
半ば呆然とカカシを見つめるイルカにそっと笑った。
「言ったじゃないですか、オレとイルカ先生と睦月と3人で家族になりましょうって。でもイルカ先生、睦月のことを半分諦めてるみたいだから」
だから、だから何だというのだろう。
いつかきちんと引き取って一緒に暮らしたいと、そう思っているのは事実だけれど。
現実問題としてあの子を正攻法で引き取るのは難しい。
今でさえ、会うことすらままならないのに。
「だからね、イルカ先生。俺達がいつか睦月のことを諦めてしまわないように。あの子といつかこれを見ようと思う、そういうものを作ってみませんか?」
この男は、一体何を言っているのだろう。
良いことを思いついたなどと、軽い言葉を口にして。
そんな優しいことを、言わないで欲しい。
オレの弱さを見抜かないで欲しい。
そっと覗き込むカカシが困ったように眉を寄せた。
「イルカ先生、泣かないで下さい。そんな風に泣かれたら、イタズラもできないじゃないですか」
そっと抱きしめられて。
ようやく自分が泣いていることに気が付く。
感情があちこちに散らかってどうにも涙腺が弱くなってしまっているようで。
「泣いていません」
カカシの胸に顔を埋めたままそう呟けば頭上でカカシが笑ったのが分かった。
こういうのは、マズイ。
こんな何もかも分かってくれるような、そんな人が居るのは。
こんなにも、自分の全てを預けてしまえるような人が、誰よりも一番側にいるのは。
やわらかい膜の中で、守られているような、そんな安心感は拙い。
この人が居なくては、きっと生きてはいけない。
そういう人が出来てしまうのは、拙い。
そんなこと、分かっているのに。
仕方がないと、どこかで声が聞こえるようだ。
だって、もう、見つかってしまったのだから。
背中に回した腕にそっと力を込めて、しばらくの間そうしていた。
雑誌をぼんやりと眺めているイルカ先生に、カカシが妙に楽しそうな声で話しかけている。
『イルカ先生、何考えてんですか〜?』
イルカはちらりとレンズに視線を合わすと少し照れたような表情で
『別に何も』
と、そう言って視線を落とした。
だんだんとイルカに近づく画面がまたしてもイルカの手によって塞がれて。
そして。
そこで不意にフィルムが途切れた。
2本目も、1本目とそう大差なく相変わらずカカシがイルカを追いかけ回しているようなそんな映像が目立って多い。
きっと最後まで見ても、あまり意味はないのだろうけれど。
それでも、見ないではいられない。
ずっと父のことを知りたかった。
イルカのことを、そして、何より。
一緒に暮らす、カカシのことを。
カカシは何も話してはくれなかったから。
最後まで、何も。
だからこうして思いがけず2人のことを知ることが出来たのはとても幸せなことなのかもしれないと、そう、思う。
イルカが死んでしまっている以上、こんな光景を見ることは、本来なら叶えられなかったことなのだから。
そう、本当に、それは幸せなことだとは思うのだけれど。
自分の生みの親と育ての親、その2人。
自分にとってどちらもかけがえのない大切な人たち。
その2人が心から幸せそうな、その日常を垣間見ることが出来て、それを喜ぶべきなのに。
どうしてだか、胸が痛くて泣き出しそうだった。
2人には、お互いしか、要らなかったのだ。
お互いに、お互いがいればそれで、よかった。
そのことは、自分を否定することに他ならない。
2人の生活に、自分の入る隙間など、存在しては居なかったのだ。
そのことが、受け入れがたい事実として、浮かび上がって。
胸が、軋む。
どうしていいか分からずに俯いていたらまたフィルムが始まった。
『ここら辺でいいですか?』
イルカの声が聞こえて顔を上げるとそこに映っている映像の様子がいつもと少し違っていた。
イルカはレンズに向かって正面を向いて座っている。
『はい、それでイイですよ』
相も変わらずカメラのこちら側にいるのはカカシのようだった。
いつもと違う、その映像。
イルカが迷惑そうに何かしながら撮られているのではなく。
真っ直ぐに正面を向いて、撮られるためにそこに座っている。
そして。
カメラのこちら側にいるカカシがイルカの横に移動した。
フィルムが始まって初めてのことだった。
2人が並んで明確な意図を持ってこのフィルムの中に収まろうとしている。
何故だかそのことに妙な緊張感すら感じて、汗ばんだ手を睦月はゆっくりと握り締めた。
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