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「え〜、どうしましょう、イルカ先生喋ります?」

撮影は始まっているのに何故だか呑気な口調で水を向けるカカシを少し睨む。

「カカシ先生から、どうぞ」

これを睦月に見せるのだとしたら、こんな段取りの悪い所など見せたくはないのだけれど。
この男にそんな繊細な感情の動きは分かるまい。
そう思って小さな声でそう返す。

「じゃ、ま、オレから」

こほんと咳払いをしてカカシが話し出す。

「え〜、5年後か10年後か分かりませんが、未来のイルカ先生とオレと、そして。えっと、そこにいるはずの睦月へ。オトーサンとオカーサンです」

いきなりそんなことを言いだした上忍を思わずすごい勢いで振り返って思わずいつものように殴った。

「アンタいきなり何言うんですか!」

カメラの前で撮影中だということも忘れて。
かなり手加減ナシに。

「いった〜、イルカ先生痛いですよ〜」

何も殴らなくてもイイじゃないですか。
そう言って頭をさする上忍が続けた言葉は更に頭の痛くなる代物だった。

「だってホントの事でしょ。それに、そういう役割分担で子育てしましょうね、ってこの間言ったじゃないですか」

「あんなの冗談だったんじゃないんですか?!」

「本気です」

イルカ先生のことに関して言えば、ほとんど本気なんですけど。
真面目な顔でそう力説している。
本気でバカなのかなんなのかよく分からない。
ヌルイ視線を送ったにもかかわらずカカシはめげていないようだった。

「ところでイルカ先生。フィルム回ってるんですけど話し続けていいですか?それともイルカ先生が話す?」

これ以上訳の分からないことを言われても困る。
そう思ってカカシに頷いた。
ほんの少し不満げな表情を浮かべたカカシは、じゃどうぞ、といってレンズを指さした。
仕切直してもう一度、そんな風に思いながら息を吸い込む。
きっとこの向こうに座っているだろう、自分とカカシと、この腕に抱いたこともない、息子にむかって。

「え、と、まず、未来のうみのイルカ。そこにいますか?元気でやってますか?カカシ先生とは相変わらずですか?……まだ、ちゃんと教師やれてますか?」

いったん言葉を区切る。
10年先の自分が何をしているかなんて、ちょっと思い付かなくて。
まだ教師を続けている、それが一番思い付く未来の姿。

「ちょっと教師以外の姿っていうのが想像付かないんだけど、もしまだちゃんと教師をやっているとしたら、今よりもちょっとはいい教師になってますか?」

「イルカ先生は今でもいい教師ですよ」

不意に口を挟んだカカシを見ればにこりと笑ってこちらを見る。

「多分レンズの向こうのオレも同じ事言うと思うんですけど」

こういうときにそう言うことを言うのはどうだろうか。
そんな優しい顔をして、そんなまた甘やかすようなことを言うのは。
こんなカメラを前にしていてはどんな顔をしていいのか分からない。
赤くなる顔を隠すように下を向いてまたカメラに向かう。
小さな声で、ありがとうございます、と呟いて。
きっと向こう側のオレも照れているに違いない。
そしてその横には、カカシが居て。
睦月も、居るのだろうか?

「あー、っと。それで、えと。教師をやっているだろう未来のオレへ。頑張って下さい。もっと理想に近付けるよう。頑張って下さい。そして、幸せでいて欲しい。今のオレがそうであるように、もっと、幸せになっていて欲しいと、そう願います」

こんな事言って、恥ずかしいったらなかった。
隣にはカカシが居て、それでコレは何年か後に2人で、もしかするともっと大きな確率で、3人で見るはずなのに。
今のオレがそうであるようにだなんて。
カカシが居るから幸せだと公言しているようなモノだ。
恥ずかしい。
けれど、何か吹っ切れたような気もする。
明るい未来に向かって進んでいるのだと、そう、素直に思える。
何年か経ったときこれを、カカシと、睦月と3人で見るのだと、そう、思える。
恥ずかしくて、けれども何だかとても幸せな気分だった。

カカシの方は、あえてみない。

「次に、カカシ先生へ」

気配でカカシがこちらを向いたのが分かったけれど、あえて目の前のレンズに視線を合わせたまま。
カカシの方は振り向かない。

「あなたに言いたいことはたった一つしかありません」

息を吸い込んで。
はじめて、その思いを口にする。
いつも思っていても言えない、その言葉。
俺を強くする、たった一つの真実。

「今も、これからもずっと、永遠に、愛しています」

愛していますよ、カカシ先生。
あなたが居ない人生など、想像もできないくらい。
自分でも自覚できないほど、深く、深く。
滅多に口には出せないけれど。
でも、それだけが、本当のこと。

カカシの方は、あえて見なかった。
どんな顔をしたらいいのか分からなかったから。

「そして、睦月へ」

そうして最後に、今は会うことさえ、叶わぬ息子に向かって。

「そこに、居ますか?居るとしたら、お前は今幾つくらいになっているのでしょうか。残念ながら今の俺は、まだお前と会うことすら出来ていません」
深呼吸を一つ。
あの子は一体どんな風に大人になっていくのだろう。

「お前の生い立ちは少々厄介で今はまだ、寂しい思いをさせてしまっています。俺の力が足りないばっかりに寂しい思いをさせてしまって、本当にゴメンな」

両親の居ない寂しさは、俺が一番よく知っているのに。
あの子を一人きりにさせている。

「いつか、遠くない将来、お前をちゃんと引き取って3人で暮らしたいと、今はそう願っています。そうしてこれを見るときは、側にお前が居ると信じています」

願うのは、お前の幸せ。
俺のたった一人の血を分けた息子。
お前が生まれてから今までずっと、お前のことを考えなかった日はないくらい。

「幸せですか、睦月?お前が俺達のところへ引き取られて、どの位の月日がたっているのか分からないけれど幸せに暮らしていますか?」

あの子が笑っているといい。
いつも笑っていられるなら、それで。
ずっともう長い間それだけを願っている。

「睦月、お前は望まれて産まれてきた子供です。少なくとも俺はお前の誕生を願った。お前は愛されて、望まれて産まれてきた子供だから。俺にとっては必要な存在だから。だからずっと幸せを願っています。お前の幸せだけを」

あの子の母親は、けしてあの子を祝福したりはしないだろうけれど。
その事はあの子をとても傷付けるだろうけれど。
少なくとも、俺は、俺と、カカシ先生だけは、お前を愛しているのだと。
その事を忘れないで欲しい。

「お前が今笑っているといいと、そう、願っています。以上、俺からのメッセージは終わりです」

深く深く息を吐き出して。
火照った頬に手を当てる。

こんな物はただの慰めにしかならないのかもしれない。
ただの気休めにしか。
だけれども、はじめて睦月に向かい合ったような、そんな不思議な感覚を味わっているのも確かで。
話をしたことさえないあの子にはじめて語りかける。
その不思議な感触。
息を吐いて、そしてようやくカカシの方を向いて先を促した。

「じゃ、次、カカシ先生どうぞ」

そう言いながら見たカカシはソファーの上で膝を抱えて非道く嬉しそうな顔でこちらを覗き込んでいた。
猫みたい。
何だか妙に可愛らしい構図に思わず吹き出す。

「何で笑うんですか〜?」

イルカ先生非道いなぁ、そんな風にブツブツといいながらそれでもまだ嬉しそうに頬をゆるめる。

「ほら、そんなこっちばかり見てないでカカシ先生も何か言わないと」

ふんわりと、それは満ち足りた。
やわらかい午後だった。
あの子のことはずっと気がかりで。
それがいつか、重荷のように感じてしまう日が来るような気がして。
その事が、そう思ってしまうことが、ずっと、恐かった。
あの子を引き取った後の明るい未来なんて想像すらしていなくて。
いつしかあの子を引き取ることだけが目的みたいになっていたように思える。
それを、救ってくれた、人。
そうして側で、笑っていてくれる人。

「イルカ先生、オレから言うことは特にありません」

カメラの方は向かないまま。
俺から視線を外さないまま。
視線が絡んで少し息苦しくなる。

「え?でも何か言って下さいよ。これじゃ俺だけ恥ずかしいじゃないですか」

そう、俺だけべらべらと言わなくても良いような恥ずかしいことを言って。
そもそも言いだしたのはカカシなのだからその責任はとって貰いたい物である。

「ほら、早く」

そう促す。
視線は絡んだまま。
フィルムの向こうの俺達はこの妙な光景を見てなんて思ってるんだろう。
何を、思い出しているんだろう。
カカシは相変わらずふわふわと柔らかい笑みを浮かべたまま不意に視線を外してカメラの方を見た。

「そうですねぇ。でも俺の言いたい事ってほとんどイルカ先生が言ったのと同じ事なんですよね。だから、あんまり言うこともないんだけど」

そうして相変わらずにこにこと。笑って。
視線だけ、ちらりとこちらに一瞬投げて、また、前を見る。

「俺が一人になってたら、このフィルムは絶対に見ないから、今そこにオレが居るとしたらオレは幸せですね。イルカ先生と一緒だから。そして、睦月もいるから」

銀の髪に光りが反射してきらきらと。

「オレは幸せだから、あえて何も言うことはないです。そしてイルカ先生。オレもあなたのことを愛してます」

それだけです。
膝頭の上にアゴを載っけたままカカシは視線をこちらに戻した。

「ねぇ、イルカ先生。オレ、あなたに会ってからようやく分かったことがあるんです」

「何ですか?」

「オレが、上忍になった理由、とでも言うか」

「どう、いうことですか?」

「ずっと長い間オレに宿った力は奪うためのモノだと思ってたんです。誰かの命を奪うための、モノだと。でもね、違ったんです。オレの力はあなたを守るために授かったモノだと、分かったんです」

それは、何て言ったらいいのか分からないけれど。
とても優しく穏やかな、笑みで。
俺がカカシによって癒されているように、カカシもそうだったのだと、はじめて認識したような、そんな気がした。

「あなたを守って、そして睦月を守るための、力だったんです。そう思えたとき、はじめて上忍でよかったと、思ったんです」

カカシはもう、カメラが回っていることなどまるで気にはしていない様子で。
じっとこちらを見たままだった。
柔らかい笑みを浮かべたまま。
そしてまた、カメラの方を向いて言った。

「ちゃんと守るから、安心して下さい。あなたも、睦月も、ちゃんと、守るから。心も躰も、ちゃんと守るから。だから睦月、安心して大人になるように。お前がその手で誰かを守れるようになるまで、側にいてちゃんと守るから」






『心からちゃんと笑える、大人になって下さい。以上』


カカシがそう言ったあとイルカは顔を歪めてその肩にぽふりと顔を埋めた。
泣いているのかもしれない。
フィルムの向こう側の、どこか不鮮明なその映像からはよく分からなかったが泣いているのかもしれないと、そう、思う。
そして、不意に気が付いた。
不鮮明なのは映像のせいなどではなく。
自分が泣いているからだという、その事実に。

どうしてこんな物が残っているのか。
カカシとイルカがどうしてこんな物を撮っていたのか。
それは、フィルムを見る限りでは全く分からない。
そこには自分の出生の秘密が語られていたわけでもなく。
母親の生死すら分からなかったが、それでも、自分がこんなにも愛されていたというその事実に、涙が止まらなかった。

フィルムの中でイルカも泣いている。
その隣には、カカシが居て。
身代わりになりたいと思っていた自分の滑稽さに呆れるような思いだった。
カカシの隣にいるのは、イルカだったのだ。
それは、きっと未来永劫変わることのない事実で。
そして、自分の席はもっと別なところにちゃんと用意されていた。
彼らの正面に、ちゃんと自分の席はあって。
ずっと長い間フィルムの外側にいると思っていたのが自分の独り善がりだったことにようやく気が付いた。
自分はずっと。
あそこにいたのだ。
フィルムの向こう側の、2人の世界にちゃんと居たのだ。
あの2人が。
お互いがお互いしか必要としていない2人がだだ一人、例外としてくれていたのが、自分だったのだ。
あそこには、小さな自分が、ちゃんと居る。
そうして長い間、カカシに守られて、大きくなったことに、今、ようやく気が付いた。

フィルムはまだ続いていた。
カカシが何かイルカに耳打ちをする。
零れるように笑って、耳打ちを返すイルカ。
そうしてフィルムの向こう側の内緒話はしばらく続いて。
イルカが席を立った。
レンズから姿を消して、そうしてカカシも立ち上がる。
カカシはレンズに近付いて不敵ににやりと笑った。

『ここからは、大人の時間です、それではサヨウナラ。』

そうして。
ふつりと映像は途切れ。
辺りは瞬間、静寂に満ちる。

白い壁を照らす、セピア色の光り。
カタカタと音を立てる映写機の音。
戻ってくる現実と感覚。
それでもどこかまだ、夢の中にいるような。
埃っぽい、空気の匂い。

ここは、カカシと暮らした家。
そしてもう、カカシは居ない。
けれど。
捨てられたのではなかった。
置いて行かれたのでは。
約束は果たされて、カカシはあるべき所へと戻っただけ。
涙がただ、止まらなかった。
悲しいのか、嬉しいのか、寂しいのか、満たされているのか。
その全てが、ない交ぜになって。
サクラもいの泣いていた。
ただ静かに、柔らかい空気に包まれて。
カカシとイルカに護られて、しゃくりをあげながら、ただ、涙が止まらなかった。


ぼんやりと時は過ぎ、かちゃんと音がしてフィルムが途切れる。


まるでそれが合図のようにいのは不意に我に返った。
我に返ったというのは適切ではないかもしれないけれど。
でも、今ここに満ちている空気は、確かにカカシとイルカが作り上げたモノだった。
今はもう、どこにも居ない、カカシとイルカが。
だからこれは、現実とは、きっと少し違う。
どう言ったらいいのか、いのにもわからなかったが、どことなく、今と過去が混ざり合っているような。
まるで過去の中に迷い込んでしまったような、そんな。
仮想現実の中にいるようなそんな気分だった。
夢の中に、居るような。
でもこれは、夢ではなくて。
現実を引き戻さなくてはならなくて。
それでもどうして涙が止まらないのだろう。
向こう側を近付けている機械を目の端に捕らえる。
いまだ、涙でにじむその視界に。
そしていのはそれを片付けるために立ち上がった。
何かを振り切るために。

ここは温かい。
温かいのにどうしてこんなにも悲しいのだろう。
どうしてカカシもイルカも、居ないのだろう。
涙を拭っていのは振り返る。
きっとこの空気を壊す役目は自分だから。
彼らを現実へと引き戻さなくてはいけないから。
カカシとイルカの告白は唐突で、幸せに満ちていて。
癒しきれない悲しみの上に降り注いだその感情をそこにいる誰もが持て余していて。

振り返ったその時。
不意に目の端を掠めたモノがあった。
睦月の頭をそっと撫でる、手の平。

え?

手の平に繋がる腕を、肩を、その顔を見ようと顔を上げる。
光りに透ける銀の髪と。
黒い、髪。
ほんの一瞬。
ほんの一瞬の出来事だった。
そこにカカシとイルカが居た。
居たように、見えた。
笑っていたように。
睦月の後ろに佇んでいた2人。
気が付いた自分に笑いかけたように、見えた。
一瞬の出来事。
気のせいかもしれなかった。
ただの、気のせい。
自分の作り出した、妄想かもしれない。
けれども、驚きに声も出ないその頬を、柔らかな風がそっと撫でた。
ふわりと、その頬を撫でて、通り過ぎていった。
まるであの時名残のように、最後に吹いた風と同じ様な、優しい、風が。
サクラは何も、気が付いては居ない。
睦月でさえ。
まだ泣き濡れた顔のまま呆然としているように見えた。
カカシと、イルカがそこにいたのに。
柔らかな微笑みを浮かべて、睦月の後ろに居たのに。
気のせいかもしれない、と、そう思うのに。
どうしても気のせいとは思えずに。
だけれども、サクラにも、睦月にも何も言えないまま。
口を付いて出たのはただの慰めのような、気の利かない言葉だった。

「約束、守って貰えたのね。よかったね、睦月」

悲しいのか、嬉しいのか、寂しいのか、満たされているのか。
そのどれでもあるのか、そのどれでもないのか。
睦月はくしゃりと表情を歪めて、笑ったように、見えた。

「俺、いらない子供じゃ、なかったんですね」

みっともないですね、こんなに泣いて。
涙を拭ってそう言いながら睦月は今度は本当に笑った。
表情は明るい。
何か、吹っ切れたような、そんな笑顔だった。

イラナイコドモジャ、ナカッタンデスネ。

それが、睦月の貰った物。
その、答え。
淋しがりやの泣き虫な子供は、みっともない顔をしたサクラと笑い合いながらそれでも前を向いている。
まだ心は痛んでいて。
一人の人間の不在がこんなにも悲しいなんて知らなかったけれど。
自分達は未来へと進んで行かなくてはならないから。


ありがとう、先生。





「睦月、居るのー?」

玄関からのんびりとした柔らかい声が聞こえる。
あまり高くない、耳障りの良い声が。

「睦月、婚約者殿のご到着ね。呼んでるわよ」

「むつきー?」

「ほら」

「分かってますよ」

袖で乱暴に頬を拭いながら、睦月は玄関へと向かう。
その、後ろ姿は、どことなく、カカシに似ていた。

春の匂いを運んで、風が吹いた。
あの時の、名残のような、風が。



fin



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