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「あの、いの先輩、サクラさん、ちょっと」

カカシ先生のお葬式が終わったその3日後。
アカデミーの廊下でそっと控えめに呼び止められた。
振り向いた先に佇む青年は、どことなくやつれたような印象を抱かせる。

「睦月!どうしたの?!」

驚いて声をあげたのは隣を歩いていた同僚。
薄い、桜色の柔らかな髪を風がそっと撫でる。
甘い香りを残してサクラは睦月へと駆け寄った。

「いえ、ちょっとお二人に、一緒に見て貰いたい物があって」

ちょっと来ていただけませんでしょうか。
悲壮感さえ感じさせる口調でそう乞われて誰が断れるというのだろう。
傷心しているのは自分達とて同じだろうがこの目の前の青年以上に深く沈み込んでいる者は多分居ない。
自分などはどちらかというとまだ実感が湧かず、悲しいと言うよりもこの青年の行く末を心配しているような有様だった。
我ながら、無理もないと思う。
あんな、非現実的な、ある意味夢でも見ていたのかと思うくらいの出来事が、目の前で起こったのだから。
曖昧に笑ってサクラを見ると思いのほか真剣な表情で睦月に向かって頷いていた。
そう言えば、存外にこの子は乗りやすい性格をしている。
雰囲気に飲まれやすいと言うのか。
考えてみれば、割と、かなり、昔から。
どういうわけだか妙な高揚感さえ感じさせる風の幼なじみを眺めながらそっと気付かれない程度の溜息を付く。

そして、促されるままに向かったのはカカシ先生と睦月の家だった。






「これなんですけど」

そう言って睦月が差し出したのは古いフィルムと映写機だった。
銀色のケースには既に撮影済みと思われるフィルムが納められている。
フィルムは2本あってそれぞれのケースの蓋には大きくマジックで1、2と書き殴ってあった。

「どしたの、これ?」

サクラはケースからそのセピア色のフィルムを取り出しながら睦月を見る。
その意見には同感だった。
全く持って話が見えない。
同じように無言で黒髪の青年を見ると、フィルムに視線を落としたまま口を開きはじめた。

「カカシ先生の荷物を整理している時に書斎の戸棚から出てきたんです」

睦月の話によればその戸棚には鍵がかかっておりカカシの存命中は開けることが出来なかったという。
偶然書斎の机の中を整理していたときに奥の方にしまい込まれていた鍵を見つけ、もしやと思い戸棚を開けてみたところ、
出てきたのがこの映写機と2本のフィルムだったというのだが。

「オレ、コレの動かし方分からないし、それに何だか一人で見るのが恐いような気がして、それで」

いやに自信なさげに睦月はそわそわと視線を泳がせていた。
何か恐い物でも映っていると思っているのだろうか。
そんなはずはなかったが、それでも、睦月の気持ちは分かった。
何が映っているにせよ、コレはカカシがしまい込んでいた大層な秘密には違いなく。
それを今更見つけたところで一人で見るとなればそれなりの覚悟もいるというモノであろう。
サクラも些か難しいような顔をしてフィルムを覗き込んでいる。

「でも、あたしも動かし方分かんないわ」

眉間にしわを寄せたまま呟くサクラの手からフィルムを抜き取ると睦月にカーテンを閉めるように指示する。
この部屋の西側の壁はおあつらえ向きに白く何も飾られていなかった。
これなら上手く見れるだろう。
唖然とする2人を尻目にてきぱき上映準備を進めていく。

「いの、それ動かせるの?」

先に気を取り直したサクラがおもむろに聞いた。
間抜けた顔にふと笑みが漏れる。

「あたしに出来ないことはないのよ。さ、睦月もボーっとしてないで早くして頂戴」




即席で出来上がった簡易映画館の中。
一体どんな映画が上映されるのかも分からずに3人はただ黙って映写機の建てるかたかたという音に耳を澄ましていた。

そうしてその映画は、こんな風にして始まったのだった。






『何ですかそれ?』

『いえね、今日の任務先の骨董屋にあったんです、コレ。何か気に入っちゃって買って来ちゃいました』

そこに映っていたのは。
遥か昔に死んでしまった、睦月の実父、イルカ先生だった。
そのイルカ先生を撮影しているのは、間違いなくカカシのようで。

『なんか良いでしょ?たまにはこういうのも』

クスクスと笑うカカシの声にイルカは僅かに顔を顰めてその画面を手の平で遮る。

『恥ずかしいからよして下さい』

一瞬遮られた画面は真っ暗になりそしてまたゆっくりと手の平が外される。
画面に映ったイルカの手首は誰かの手に捕まれていた。
カカシがカメラを構えたまま画面を隠したイルカの手を剥がしたようだった。

『そんなこと言ったってコレ見るのってオレとイルカ先生だけなんだから、イイじゃないですか』

睦言のような2人の他愛ない会話がそこには映し出されていた。
気に入りの玩具を見つけたようにカカシは執拗にイルカを追いかけ回しつぶさにその生活を映すことを楽しんでいる。
嫌がったり怒ったりしながらもイルカもそれを楽しんでいるようで、見ているこっちが居たたまれなくなるような、そんなフィルムだった。
まるでこれでは、カカシとイルカの生活を、覗き見しているようではないか。
フィルムの中にカカシが登場することはほとんどなく。
もっぱら声だけがその存在を確認する手段だった。

『何してるんですか、イルカ先生?』

そうやってカカシが何かちょっかいをかけるたびに怒ったり叱ったり、笑ったりするイルカ先生。
フィルムに閉じこめられたイルカは驚く程よく笑っていた。
それは幸せという以外形容詞が思い付かないようなひどく満ち足りた笑みで。
きっと映ってはいないけれど、カカシもまた同じように笑っているだろう事は疑いようもなかった。
フィルムは途切れ途切れで、カカシが思い付いたときに撮っていた様子だった。

『カカシ先生』

『ハイ?ってアンタ、なに撮ってんですか?』

『たまにはオレが撮ってあげますよ』

『仕返しですか?』

無防備に素顔を晒したカカシ。
その左目も隠されては居らず。
笑っていた。

このフィルムは、胸が痛い。
ここにはカカシとイルカしか居ない。
閉じられた空間に閉じこもっている2人。
何もかもを排除して、2人きり、閉じこもった空間。
それはなんてささやかに満ち足りて、幸福な。

これが、カカシの求めていた、もの。
ひどくささやかではあるけれど、その絶対の相手が居なければ成り立たない、幸福。
そんなモノが、幸福と言えるのか。
それともそんなモノだから、幸福なのか。
けれどもそれでは、まるで砂の城ではないか。
そしてカカシの城は、波にさらわれて崩れ去ってしまった。

そんな風にして一本目のフィルムは始まったときと同じように、唐突に終わった。
映っていたのはただの日常にすぎない。
切り取られた、日常の風景。
胸が痛くなるくらい幸福な、カカシの過去の断片。
果たしてコレを、カカシは見ていたのだろうか?
イルカが死んだ後、一人、この過去の幸福の情景を見たことがあるのだろうか。
愚問だろう。
こんな記憶を呼び覚ましては、誰も一人では生きては行けない。
会うことの叶わぬ誰よりも恋しい人が触れあえるほど側で、そして誰よりも遠くで自分に笑いかけている姿など、どうして見ることが出来るというのだろうか。

睦月もサクラも呆然としていた。
何が映っているのか、それを予想したかどうかは分からないが。
それでもコレは不意打ちだったのだろう。
そこには何もなかった。
カカシとイルカ以外、何も。



睦月は肺に溜まった空気をゆっくりと吐き出す。
初めて見る、自分の父親の姿に、まず驚いた。
どこもかしこもそっくりだった。
先日の、あの、夢のような出来事の中ではよく分からなかったが自分は恐ろしく父に似ている。
顔の造作も、真っ黒で硬い髪も、その声さえ。
似ていないところを探す方が難しいほどに。
それなのに、それでもその父と自分はどこか違っていた。
どこか、などと思うまでもない。
身に纏う雰囲気が違うのだ。
おそらく、ではあるが。
フィルムでは確認しきれないまでもそこに映ったイルカの方が幾分柔らかい印象を受ける。
長年の教師生活ゆえなのか、それとも生まれ持ったモノなのかは分からないが人として自分よりもずっと穏やかな性質のように思えた。
そして何より、カカシが違った。
あの時実感として飲み込めなかったサクラの言葉がようやく形を成す。

『今のカカシ先生は、カカシ先生じゃないみたい』

そこにいるカカシは、睦月の知らないカカシだった。
子供のように我が儘を言いイルカを困らせ楽しんでいるような、そんな。
サクラの言った通りだと。
あの教師然とした睦月の義父だったカカシはそこには居ない。
居るのは、恋人に甘える幸せなただの男だった。
これが、これが本当のカカシなのかと、そう、思う。
イルカの側で笑う、その姿こそが、本当のカカシなのかと。
では一体自分の存在は何だったのだろう。
カカシをこの世に縛り付ける、ただの重荷だったのだろうか。
どんな経緯があったにせよ、カカシが自分を引き取ったのはイルカに対するただの義理か義務か、そんな所なのかもしれない。
愛した人の血を継いだ子供。
きっとただ、それだけの、理由。
オレを育んでくれるはずだった人は死んでしまった。
カカシの愛したその人は。
だから、替わりに引き取ってくれたのだろうか。
必要とされたわけでもなく。
ましてや愛されていたわけでもなく。
何の理由があったのか、いっそ気まぐれとでも言えるような。
そんな。
そんな気まぐれで、引き取られて。
そうしてただの枷にしかならなかったと、そう、言うのだろうか。
しかしそれでは自分があまりにも可哀相ではないか。
まるでカカシに酷い裏切りを受けたような、そんな気持ちにさえなる。
こんな風に捨ててしまうならいっそ放っておいてくれたらよかったのに。
こんな気持ちのまま、置き去りにするくらいなら。
そうすれば、こんな風に寂しくもならなかったのに。
泣くこともできないくらい、悲しくはなかったのに。
一度与えておいて取り上げるくらいなら、最初から何も要らなかったのに。
ずっと寂しいままなら、寂しいことにさえ気が付かなかったのに。

どうして。

疑問はあの時からずっと、今日まで溶けることなく。
幼いあの日からずっと。
今日まで。

どうしてオレを引き取ってくれたの?

それは雪のように心の中で溶けることなく、ずっとずっと降り積もったまま。
これから先、ずっと溶けることなく降り積もったまま。
真実を語る口は永遠に閉ざされてしまったから。
もう誰も、その問いに答える者は、居ない。

こんな物、見るのではなかった。
否、見てはいけなかった。
だからこうして、厳重に、仕舞われていたのだ。
誰の目にも、触れないように。
カカシの目にも、俺の目にも。
決して誰にも、知られないように。

不意に、いのが口を開いた。

「もう一本の方も、見てみる?」

二本目のフィルムはいつの間にかきちんとセットされていて。
睦月は狼狽した。
これ以上、あれと同じ風景を見ても、どうなるわけでもない。
カカシが帰ってくるわけでもイルカが生き返るわけでも、ない。
しかし見ずには居られないだろう。
だってそこには、2人が映っているから。
オレの父親達が、映っているのだから。
見たくないはずがなかった。
見ればきっと後悔するのに。
見なければよかったと、今のように。
思うに違いないのに。
それでも。

睦月はいのを見つめて、そっと頷いた。



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