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MEDUSA




 イルカは食事前に風呂を済ませていたから、大まかな皿洗いをイルカがしている内にカカシが浴室を使った。まだ大根のアラ炊きは残っていたし、折角の鍋の出汁は明日の雑炊に回されることになった。きっとレタスの入った雑炊になることだろう。その他の取り皿や茶碗、箸やコップなどを洗い、洗い駕籠に伏せて、それからイルカは布団を敷いた。
 この居間で二人横に並んで眠るのは今日で最後だ。
 さっき火影から明日の詳しい日程の手紙を受け取っていた。午前中は火影の予定が詰まっているらしく、午後に来いとあった。その際にこの家の片づけなどは不要であると但し書きがしてあった。カカシが暮らした家だから、もしかして暗部が精密な掃除に入るのかもしれないとイルカは思う。彼は存在自体が木の葉の機密というくらい様々な任務に従事し、多種多様な知識を持つ才能溢れる人で、もしもその遺伝子情報が他国に奪われる事態になれば手痛い。もしも、この家を丸ごと燃やしてしまうような措置を取られるのだとしたら…。
 そう考えてイルカはぶるりと体を震わせた。
 カカシとの楽しかったこの暮らしが実際にあったことだと証明してくれる物は何もなくなる。イルカには何も残らずに、再び自分の淋しさをいやしてくれる相手を捜し求めて彷徨うような生活が戻ってくるのだと思うと、心の寄る辺くらいは残して起きたいという気持ちがわき上がってきても不自然では無かった。
「あれ? イルカ先生、茶碗洗ってくれたの?」
 相変わらず忍らしからぬぺたぺたという足音をさせてカカシは風呂から上がってきて、居間を覗く。
「もしかして、もう寝る?」
 カカシの口振りは少し残念そうだった。もしかしてもう少しブリ大根をあたりに酒を呑むつもりなのかもしれない。
「明日の晩はここに戻ってこられるか分からないんだから、もう少し飲みましょうよ」
 カカシはそう言うと台所に戻って何か作業をしはじめる。
 きっと戻っては来られない、とイルカは思った。明後日はカカシが任務に発つ。それも人の命を断つような、意味の深い任務に。そんな重大な任務にここから旅立てるはずもなく、まともな準備などもできはしない。イルカはともかく、カカシはきっと明日ここに戻ってくることは出来ないだろうとイルカは思っている。
「ね、もう少し、付き合って下さいよ」
 台所から戻ってきたカカシの手に掲げられた盆の上に載せられているのはとっくりとお猪口、それからつまみのブリ切り身の塩焼きだった。鍋の残りの大根下ろしとポン酢が添えられていた。
「…いつ作っていたんですか、こんなもの…」
「風呂に入る前です〜。もう少しイルカ先生と飲みたいなと思って」
 カカシは常に隅の方へと追いやられている座卓を引っぱり出して、布団の近くに据える。二人暮らしには大きくて手に余り、使わなくなっていた物だ。ちょいちょいと手招きをするカカシに誘われて、イルカはそこへにじり寄った。
「お縁のそばの方がいい風が入って来るんじゃないですか?」
 移動が簡単な座卓ならそれも可能なはずだったが、カカシは良いんですと笑う。
「眠たくなったらいつでも寝られるというのが一番幸せだとオレは思うんですよ」
 それは確かにそう思う。三代欲求の中でも一番に行動に起こしやすい欲求で、その分誘惑も苛烈で抗いがたいときがある。食欲を我慢しているときよりも性欲を我慢しているときよりも、睡眠を我慢しているときが一番己と戦っている気がする。
 カカシの言い分にある程度納得して、それでも少し首を傾げながらもイルカは素直にテーブルの傍に座ると、カカシはイルカの正面ではなく机の角を挟んで左隣に座った。大きなテーブルに対面で座るよりはぐっと距離が近い。
「…カカシ先生は摩雷妃という薬が完成していることを知っていたんですか…?」
 自分の正面に置かれたお猪口に酒を注がれているのを身ながらイルカは不意に思い出して尋ねた。
「そうですね…四日ほど前にはあと一週間から十日かかると見込んでいましたね…。実際は大分早かったことになりますけど」
 動揺することもなくカカシは淡々と答えてくれた。カカシは既に万古蘭の効力に期限が来ていることを察知していたということか。
「…居酒屋には行けませんでしたね…」
 思わずイルカはぽつり呟いた。
「? 何でですか? 治ったらそんなに忙しくなるんですか?」
「いや、そうじゃないですけど…」
 カカシが一緒に行きたいと思えるような自分では無くなっていることだろうとイルカは思うが、カカシはそんなこと全く考えていないようだ。
「それじゃあ、いいじゃない。オレが任務から帰ってきたら一緒に行きましょうよ」
 オレは休みが結構残っていますし、と続けたカカシにイルカは苦く笑う。イルカには休みなど今回の事で殆どなくなってしまった。暫くは休日出勤で代休の数を増やしていくしかないのである。
「…機会があれば…」
 そうイルカは言葉を濁して、俯いてしまいそうになるのを、イルカはお猪口に口を付けて誤魔化した。
「機会なんて作るもんですよ」
 それは強い人の意見だし、そうできるだけの力を備えた人の言だ。そんな卑屈な考えを口に出来るはずもなくて、イルカはそうですね、と縁側に視線を巡らせた。晩ご飯の時から結構アルコールを摂取しているのに、全く酔えない。
「…何か不安な事でもあるの?」
 何を怯えているのか、と山でも聞かれたことだ。振り返ったカカシはじっとイルカの眼を見ている。いつか感じた強い力を今はあまり感じられない。ただ、吸い込まれそうな眩暈を感じるだけだ。
 それでもイルカは、首を横に振った。カカシにこんな浅ましい思いなど知られたくない。
「いいえ…ただ、昨日の疲れが残ってるみたいで…。歳ですね。回復が遅い…」
「それを言われたら、あなたよりも年かさのおれはどうなるの」
 カカシは苦笑して自分の取り皿にブリを取って、薬味皿のゴマをふりかけていた。お腹一杯だったはずなのに、それを見ていると美味しそうだと思えてくる。
「実際年齢と体の年齢というのは人によって差が出てくる物でしょう。オレは内勤中心でカカシ先生は外回り中心」
 体の鍛え方が違うとそう言いたかったのだが、カカシはうんと受け流すような声を出した切り黙ってしまった。
 イルカも無理をして底上げのテンションで話しているため、沈黙が降りてしまえば敢えて話すこともなく、塩焼きをつつきながら酒を口に含む。酒自体はイイ物だが、あまり良くない酒になりそうだ。
 もしかしてカカシも今度の国外任務にプレッシャーを抱いているのかもしれない。あれだけ昨日平然と受け流していたのに、出立が明後日という段になり、不安になっているのかもしれない。
「…不安ですか…?」
 その突然の質問にカカシはぎょっとしてイルカを見上げて、笑おうとして失敗したようだった。端正な顔が歪む。
「不安にならないと言いたいところ何ですが」
 いきなりの質問だったのにも関わらず、カカシには何の話であるか分かったようで、まるで空気中に答えが彷徨っているかのように視線を巡らしながら、応えを捜す。
「不安にならないわけがないでしょう。オレは業師とか言われてもてはやされていますけれど、一介の人間に過ぎないんです」
 彼は知り合ってからこっちずっと素晴らしい上忍だと思っていた。雲の上の人で、自分とは違うのだと――――。
 そんな気持ちを覆す発言にイルカはどきりとする。
「無事にこなせる可能性が高いとしてオレが選ばれていますが、何かの間違いがあるかもしれないんですから」
 そんなイルカの動揺など知る由もなくカカシは言葉を続けた。頭では分かっていたことの筈なのに、カカシ本人から言葉にされると思った以上に衝撃が強かった。
 失敗する可能性も勿論あると言うこと。
 イルカも何度かこなしたことのあるランクAの任務。その時は同僚や上官が一緒に居た。カカシに与えられた今回のそれは、単独任務。カカシならば出来ると判断した里が下した決定。確実に何者かの命が奪われる命令で、それは暗殺対象者だけかもしれないし、カカシが大勢の命を道連れに果てるかもしれない。
 そのことを考えてイルカはぞくりと、肌に鳥肌を立てた。
 カカシがこの世からいなくなってしまうかもしれないと言う可能性。
「それに今回は未練もあるんですよ」
 カカシの声が妙に静かだった。
「未練…」
 その意味がすぐには理解できなかったイルカは、思わずその言葉を反芻していた。カカシの眉が困ったように下がったのを見て、イルカはようやくその言葉が持つ意味に気が付き、さっと顔を赤らめ、それから胸の痛みを感じた。
 きっとカカシはそれがイルカだと言いたいのだ。
 未練を無くしてあげることも出来るが、そうする事によってカカシは本当に帰ってこなくなるかもしれない。諦めることを覚えてしまうかもしれない。
 一生失ってしまうかもしれない。
 それは絶対に避けるべき事なのだ。這いずってでも里に戻ってきて貰わなければ――――イルカもきっと生きていけない。
 しかし、明日にはイルカは万古蘭の力を失う。そうすればカカシのイルカに対する気持ちも消えてしまうことだろう。つまり、求められているのは、今だけ。
「…イルカ先生。任務に行く前にオレに応えてよ…」
 きっとカカシとイルカに明日の晩は残されていない。それをカカシも感じているのだろう。そっと触れてきた手はそれ以上握る事もせずに、触れているだけ。握って欲しそうに――――。
 イルカだってカカシのことが好きで、でも自分のことも大事で、どうして良いのか困っているのに、こんな誘惑の仕方をしないで欲しい。どうしたら一番に良いかなんて分かり切っている。それは苦しくて厳しい道だ。それから逸れるようにカカシは誘惑してきて、もう泣きそうだった。
「…オレが何であなたを拒むか、分かりますか…」
 こんなこと、言わないつもりだったのに。浅ましくて、絶対に後から後悔するって分かっているのに。
 カカシは分からないと首を横に振った。
「…それはね、カカシ先生。あなたが万古蘭の影響を受けているって分かっているからです。オレは明日その力を失ってしまう。失えば…あなたがオレを思ってくれた気持ちはきっと消えてしまうんです…」
 もう、酒を楽しむような段ではなくなっていた。酒を乗せるための座卓も、イルカが顔を俯けて二人の間のバリケード役をさせるための物でしかない。
「それを分かっているのに、あなたを受け入れて傷つくのはオレじゃないですか。今は幸せになっても、明日のオレはきっとカカシ先生に見向きもされない存在になるんです。それならいっそ関係など持たない方がいい…!」
 自分本位な意見だとは思うが、カカシの言い分も自分本位な物だから構わないと理屈を付けて吐き出す。この二三日熟成させた気持ちは怒濤のように吐き出されて、カカシに目を剥かせるだけの威力を持っていた。
 しかし、カカシはイルカにとって意外な反応を示したのだ。
「それってオレのことを好きだと言っているように聞こえるんですけど」
 自分の都合のいいところしか捉えてない解釈に、思わず力が抜けそうになり、それから幾ばくかの怒りが沸いてきた。どうしてこんな人間を自分が。
「そうですよ、オレだってあなたのこと好きです…っ でも、異常じゃないか、こんなのじゃ…」
 幸せになれない。そう告げたかった言葉はカカシの唇の中に吸い込まれてしまった。強い力で抱き込まれて唇を奪われる。その勢いのまま押し倒されて頭の下に来たのは布団の端だった。途端に、体中の熱がぶわっと一気に上昇する。
「い、…嫌だって…っやだ…っ」
 これ以上カカシの所有物とされるのは困る。心はそれを歓迎しているけれども、理性が戸惑っていて、イルカは混乱しながらカカシを押しのけようとした。
「何でオレのことを好きな人間を目の前にして、我慢しなきゃいけないの。自慢じゃないけど、オレはあなたが初めてなんだよ。好きになって、抱きたいと思ったのは」
 イルカが逃げ出さないように畳に縫いつけた手はそのまま、見下ろすようなカカシはまるで獲物を目前にしてお預けを食らっている獣のようだ。イルカは、そんな目に捕らわれて逃げられない。言われていることも衝撃が強そうで、震えた。
「オレの気持ちがなくなる。それも可能性としてはあるけれど、オレの初めてのこの気持ちに結果を出さずに終わらせてしまうのは可哀想だと思わない」
「…そんなの、身勝手な意見だ…!」
 イルカだって幾つもそういう思いをしてきた。半分近くはカカシによって奪われている事実をこの男は知っているのだろうか。そんな人を好きになる自分も自分なのだが。
「ねえ、忍にはもったいぶってる時間なんて無いんですよ。思い出くらいは良いでしょう?」
 そう言いながらカカシは今まで触れることの無かった首筋や鎖骨に口付けてくる。途端に力が抜けて受け入れようとしている体が嫌で、イルカは身を捩ったが、カカシは拘束する手を緩めず耳を囓った。
「最後までしないから…」
 そう耳元で囁かれた言葉に、イルカの体は正直に反応した。体を密着させているカカシにはその全てが分かっただろう。
「この外道…」
 理性だとか未来だとか、そんなものカカシの下に抱き込まれて、あっという間にぐずぐずに解けてしまって、イルカはカカシを罵ることによって、今に流されることを選択していた。
 思い出さえあれば生きていけると、一度は思ったことも確かだから。
「イルカ先生…っ」
 それを正しく了承だと受け取ったカカシは縫い止める手を解き、深く口づけながら寝間着の釦を一つ一つ外していった、その度にカカシに隠していた胸の鼓動を悟られる気がして恥ずかしい。舌を絡め取るような性行為そのものの口づけもカカシとは初めてで、くらくらするほど熱が上がっている。酸素が足りていないのかもしれない。
 それでも体を離そうだなんて少しも思えない。カカシもそう思ってくれているのか、強引に座卓を押しのけてイルカの上に乗り上げると、腰を押しつけてくる。そこは既に固くなっていて、イルカは歓びを感じた。自分が相手でもカカシに興奮させることが出来る。
 カカシは寝間着の前を完全に開いてしまうと、一度体を離して、うっとりとイルカの裸の胸を見下ろした。そして、好奇心丸出しという体で晒された両の乳首を指先で弄る。
「あ…っ」
 その刺激の何が良いのか分からなかったが、何故か腰が跳ね上がった。カカシはそのイルカの反応に気をよくして、そこを押しつぶし、捏ねて、摘み上げた。そうすると寒いときのようにつんと力を持ってそこが立ち上がってしまったのがひどく恥ずかしい。
「ずっと触りたいと思ってた…」
 カカシはひどく恍惚とした表情で、指先でイルカを苛む。
「…う…っ」
 そんな様子を見ていられなくてイルカは顔を背けて歯を食いしばる。しかしカカシが飽くことなくその粒を弾いて揉み込めば、その頑なな唇から意志は消え、替わりに荒い息と時折か細い声が漏れるようなった。
 じんじんと乳首の先が痺れるような感覚がある。カカシがその先をつつくように刺激するだけで、体がぴくりと震えて、じわりと股間が漏れたようになって、慌てて脚を閉じようとした。
 しかし、カカシの脚がその間に入っていて、完全に閉じきることが出来ない上に、股間に異変を来していると言うことを報せてしまう羽目になる。イルカは笑われると覚悟して身をすくめたのに、カカシの反応はそんな物ではなかった。
「…ああ、イルカ先生もこんな風にしているの。嬉しい…」
 そう言いながらようやく執心していた乳首から離れて、あっという間に寝間着のズボンを下着ごと引き剥がされてしまった。抵抗する間もない早業で、脱がされたと言うよりは一瞬に消し去ったという感覚の方が正しい気がするほど。カカシがイルカの寝間着を後ろの方に放り投げている様子を見ていなかったら、本当に消し去ったのだと思いこんだかもしれない。
 そして、呆気にとられている内にイルカは固くなりしっかりと立ち上がってしまったものをカカシの手に扱かれる。
「…うぁ…っ、あ…!」
 胸を重ねるようにして口づけ合い、イルカがカカシの背中に手を回した直後、むき出しにされた敏感な性器に熱い物が押しつけられて、イルカは思わず仰け反る。それはイルカの物と一緒に握り込まれたカカシの性器だった。
「イルカ先生、一緒に…」
 カカシの背中に回った手を一本カカシが引き剥がして、二人の股間にそれを導く。いつの間にかどろどろになるほど分泌液を溢れさせた二本の性器にイルカは一度触れることを躊躇うけれど、カカシの唇に励まされて、そっと手を添える。その手の上からカカシが遠慮なく擦り始めてイルカは仰け反った。
「ああ…っ」
 口づけを維持できないほどの快楽に胸を震わせて、翻弄される。カカシと一緒に暮らし始めてから一月以上、ずっと自慰なんてしていなかったから、快楽が深く、受け入れも容易い。カカシに向かって大きく脚を開いているような状態だと気付かずにイルカは激しい手淫にあっという間に精を放ってしまっていた。
「あ――――…っ」
 みだりがましい声を上げて、腰を震わせる。こんなに早くてこんなに気持ちイイのは始めての経験で、イルカは全身を痙攣させた。カカシもイルカの手を使って上り詰め、うめき声を上げながらイルカの腹の上に精を吐き出した。
 イルカの腹の上で二人分の精が混ざり合う。違う遺伝子を持つ精子は喧嘩をすると言うから、もしかして、まるでばい菌を白血球が攻撃するように、容赦ない攻防を繰り広げているのかもしれない、とどうでも良いことをイルカは考えてながら、腹を見つめていた。
「まだだよ…」
 射精の余韻で呼吸を荒げたカカシが再びイルカに乗りかかってくる。力の抜けてしまったイルカは最早抵抗する気さえなくて、カカシという波に翻弄され続けた。
 カカシは宣言通り最後まで――――イルカのアヌスに性器を突っ込むという行為はしなかったが、二人で性器を舐めあっている時に指を侵入させてきて、イルカは危うく気をやりそうになった。衝撃を受けたかのような快楽が身を焼いて、その瞬間に驚いてイってしまったようなそんな感覚だった。その時イルカは不覚にもカカシの顔に吹きかけてしまったのだが、カカシの自業自得だと言わざるを得ない。
 自分の意志とはかけ離れた所で射精を促されるのはお漏らしのようでひどく屈辱的だったが、同時に今までにない快楽を呼び覚まされて、イルカは最後は喘ぐことしか出来なかった。カカシは最後までイルカのことを絞りつくしたし、自分好みのイルカに手淫と口淫を教え込んだ。
 羞恥も躊躇いも人間としての理性の何もかもを捨て去ったような行為は、イルカが失神するまで続けられた。



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