イルカ先生は、優しい顔でにこりと笑った。
見慣れた、あの笑顔で。
大きな子供を胸に抱き留めて。
酷く幸せそうな顔で、微笑んでいた。
「ゴメンな」
そうして、風に乗って届いた言葉。
それが、イルカ先生の言葉だと理解した時、一際大きな風が吹き込み轟々と音を立てた。
「待ってイルカ先生!何が、何がゴメンなのよ!!」
強い風に煽られて思わず目を閉じて。
それでもなお、サクラは叫んだ。
そうして睦月も開けられない瞳を忌々しく思いながら叫ぶ。
「父さん!」
そう叫んだ瞬間、少し風が弱まったような気がした。
開けられない目をこじ開けてその視線が捉えたものは。
ただもう何の憂いもなく幸せそうに笑うカカシと。
今はないはずの左目だった。
赤い左目が残像のように網膜に焼き付く。
あの、酷く幸せそうな横顔を見たとき、不意に記憶を掠めたものがあった。
『はたけカカシ、あんたにとってオレは必要なの?』
幼い自分がカカシに聞いた言葉。
それは、そんな小さな疑問。
ずっと誰にも必要とされずただ生きてきた自分を迎えに来たその人に。
初めて聞いたこと。
それにカカシはこう答えた。
『んー、必要かどうかは分からないけど、お前はオレの家族だから。』
当たり前の顔をして。
当たり前ではないことを言う不審な人物に。
不思議と疑問は何も浮かばず、酷く安心したのを、良く覚えている。
一人ではないのだと、あの時初めて知ったのに。
「カカシ先生!!!」
声の限りに叫ぶ。
その存在を引き留めるために。
あんな風に笑うなんて、思わなかったから。
あんな風に安心しきった顔で笑うなんて。
思わなかったから。
そうして自分の小さな望みに気が付いた。
あぁ、オレは、カカシ先生に笑って欲しかったのだと。
あんな風に、甘えるように笑って欲しかったのだと。
カカシが家族だと言ってくれたから。
あの人の帰る場所になりたかった。
いつだってその背中を見るたびに、心が重かった。
あの人があまりにも大人で辛かった。
オレではあの人が安心して背中を預けられないのだと。
その背中を見るたびに思い知らされることが辛かった。
誰にも心を開かない人なのだと、いつからか諦めていたのかも知れない。
誰にも、オレにも。
本当の心は見せない人なのだと。
でも。
そうじゃなかった。
カカシはずっとここには居なかったのだ。
いつだってカカシはここには居なかった。
その心は、ずっともう昔に死んでしまっていて。
イルカ先生が、心を連れ去ってしまっていて。
そうして今度は全てが連れ去られてしまうのか。
家族だと言ったのに。
オレでは何の役割も果たせなかった。
あの人を抱きしめることでさえ。
「カカシ先生!!」
そう叫んでも、誰も答える者もなく。
風が収まって目を開いたとき、其処には誰も居なかった。
イルカはもちろん、カカシすら。
ただ風が、名残のように吹き抜けただけ。
「カカシ、先生?」
縋るようにその名を呼んでも、もう答える者はいない。
連れて行かれたのだと。
置いて行かれたのだと。
分かるのはそれだけ。
あの人の鎖にはなれなかったのだと。
風が、吹いて。
取り残された3人は、ただ、黙ったまま。
ただ、其処に、風が吹き付けているだけだった。
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