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「ただいま」

カカシの待つ家に3人で帰ってきた。

「カカシ先生、こんにちはー」
「お邪魔しまーす」

そう声を掛けるとカカシがひょいと顔を覗かせる。

「お帰り」

差し込む午後の陽光がカカシの銀の髪に弾いてきらめく。
カカシはいつもと何の変わりもなく、柔らかな雰囲気を纏っていた。

「サクラといのも一緒か。お前達も暇だねー」

そう、いつものセリフと共に。
自分たちを迎えてくれる。
その事に何故だか酷く安堵する自分がいた。
今日いきなり、あんな話を聞いたから。
帰ったらカカシがいないのではないかと、そんな気がしていた睦月は自分の滑稽な心情に小さく笑った。

そんなわけ、ないのに。

「カカシ先生、受かりましたよ」

取り合えず、そう報告をする。
そうは見えなくても。気にしていてくれたから。
これでやっとカカシと同じ位置に立てると。
その事に喜びを隠しきれず笑みがこぼれる。

「そんなの当たり前でしょ。あんたオレの息子なんだから」

家の中ではあまり口布をしていることの少ないカカシは、今日も素顔を晒したままで。
嬉しそうに目を細めた。

「ま、上がったら」

そう言ってサクラといのを促す。

きしきしと板張りの廊下が音を立てていた。
ダイニングの扉を開けて中に入ると机の上にはいつものように学校の書類が広げられている。

いつも通りだった。
何もかもが、いつもの通りの風景。
カカシは簡単に書類を片付けてキッチンへと姿を消す。

今までカカシが使っていたテーブルに3人で腰を掛けて。
最初に口火を切ったのはサクラ。

「睦月、何にも聞かなくて良いの?」

その瞳は真っ直ぐに睦月を映し出していた。

「良く、ないですけど。でもいざ会ってしまったら何を聞いていいのか解らなくて」

あの長い話を聞いて。
どことなくカカシが変わってしまう気がしていた。
でも、実際に変わってしまうのはカカシではない。
話を聞いた自分の心が変わってしまうのだと睦月は分かっていた。

何となく、小さな頃の不安が戻ってきたような心細い気持ちになっていて。
カカシに会ったとき、カカシがあまりにもいつも通りで泣きたくなった。

まだここにいてくれるのだと。
その事の安心感が先に来て、カカシに何かを聞くことなんてどうでも良くなってしまった。
聞きたいことはあるのだけれど。
まだ、巧くその事が聞ける自信がない。

沈黙が下りてくる。
その沈黙を破ってカカシが現れた。

「何深刻そうな顔してんの?3人して」

お盆の上に湯気の立つコーヒーを載せていつものように穏やかな顔で。
カカシが、そこにいた。

まだそこに、存在している。
その事がなぜ、こんなにも嬉しいのだろう。

「ハイドウゾ」

コーヒーをテーブルに置くとカカシはまとめた書類を持ち上げる。

「ま、ごゆっくり」

いつもと同じ、カカシ。
きっとこのあとは書斎で仕事の続きをする。
いつもと同じように。
立ち去る背中に不意に酷く胸が苦しくなって気が付いたら呼び止めていた。

「カカシ先生!」

ん?そう言いながら振り返るカカシ。
いつもと、何の変わりもない、その姿。

なのに、なぜこんなにも胸が苦しいのだろう。

「あ、の。オレ、オレお父さん似ですか?」

呼び止めた勢いで口を付いたのはそんな言葉。
馬鹿だ、とそう思ったがもう遅い。

「オレ、『イルカ先生』に似てますか?」

目の前に立つカカシは少しだけ、驚いたような顔をしていた。
そしてオレの向かい側に座るかつての教え子をそっと見る。

2人は俯いたままだった。

カカシは長い溜息を付いたあと瞬きをしてオレの方を向く。

「似てないよ。外見は似てるけど、お前は似てないよ」

手にした書類を抱え直して。
もう一度、呟いた。

「お前はお前でしょ。イルカ先生とは似てないよ」

空いた手をぽんと頭に載せられて。
よしよしと撫でられた。
小さな頃、泣いていたらよくそうやってくれたように。
じんわりとカカシの手の温もりが伝わって。
涙がにじむ。

初めて、カカシの口からイルカの名前を聞いた。
その事が、嬉しくて。
何かが大きく前進したような気がしていた。
きっとカカシは遠くない未来、話してくれるだろう。
イルカのこと、カカシ自身のこと。
自分を引き取った理由。そして、母のこと。

単純に、そう思った。

確かに何かが変わっていた。
それは間違いではなかったのだ。
ただ、そんな単純なことではなかっただけで。
ただ、自分の見込みが甘かっただけで。

「睦月、お前結婚するんだから、もうちょっとしっかりしなさいね」

くしゃりと頭を混ぜたあとカカシの手が離れる。
そうして顔を上げたサクラといのに笑うと書斎の方へと消えていった。



「カカシ先生、イルカ先生ってはじめて言ってくれた」

ぽつりとこぼす睦月の声はどことなく喜びを滲ませていて。
そんな些細なことがひどく嬉しい自分が何だか可笑しくて。
何だか照れくさかった。

「カカシ先生、話してくれるつもりになったのかしらね」

睦月の喜ぶ姿を見て、サクラも単純に嬉しかった。
カカシの中で何かが変わりつつあるのかも知れないと。
その事が、そう思えることが嬉しかった。
もう随分と長い間カカシの口からは語られなかったから。
イルカ先生の名前は封印されてるといった方が良いくらいで。


その中でいの一人だけが、僅かに顔を顰めていた。






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