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「……カカシ先生は話してはくれないかも知れないわよ」

それまで黙って話を聞いていたいのが不意に口を開いた。
静かな、確信に満ちた声で。

「どうしてよ」

ムキになったような声でサクラが答える。
いのはちらとサクラを見ただけでその視線を睦月に合わせた。

「睦月、あんたさっきカカシ先生は自分には話したくないのだと思うと、そういったでしょ?」

遙か遠くを見据えるような。
強いいのの視線。
きっとこれからいのの話すことは、睦月にとって良い話ではないだろう。
それでも。

「はい…」

弱く返事を返す。

いのは、一体何を見ているのだろう。
視線の先には何もないのかそれとも何か映っているのか。
強い視線とは裏腹にいのの言葉に力はなかった。

「でもそれは、きっと違うと思うの」

「どういうことですか?」

話したくないのではないとしたら、なぜ?
探るようにいのの瞳を覗いてもその表情からは何も読みとれず。

「カカシ先生は、あんたに話したくないんじゃなくって、誰にも話したくないのよ」

酷く透明ないのの横顔に、なぜかカカシの姿がだぶる。

「え?」

「イルカ先生はきっとカカシ先生の中ではまだ死んでないのよ」

そう呟いたその美しい横顔。
サクラは網膜に広がる青い空を感じた。
どこか存在感の稀薄ないのはとても遠い存在になってしまったかのような錯覚さえ抱かせる。

「カカシ先生にとってイルカ先生は思い出ではないのだと思う。まだ生きているのよ」
いのの言葉は支離滅裂で睦月には上手く理解できなかった。
ただ、それでもそれがどこかで真実に繋がっているような気がして。
耳を澄ます。

「もし、カカシ先生がイルカ先生の死をきちんと受け入れててそれでも話さないのだとしたら、
カカシ先生はイルカ先生の思い出を誰とも共有するつもりが無いんだと思う。
きっとそういうことなんだと、思うわ」

そこにあるのは強い思い。
思い出すら、分け合いたくはないという傲慢なほどの独占欲。
死を受け止めているのかいないのか、それは分からないけれど。

「どうして、そんなことが分かるのよ」

呆然と立ちつくすサクラが我に返ったようにそう言葉を紡ぐ。
理解できないと、そう言いたげな瞳で。
否、理解したくないのか。

いのは弱々しい笑みを浮かべたまま軽く息を付いた。

「あたしがカカシ先生だったら、きっとそう思うから」

うっすらと笑ういのの横顔は、なぜかあの日のカカシに似ている様で、胸が痛い。

「あたしにも、そういう人が居るから。あの人が死んでしまったら、生きていけないと思うほど強く焦がれる人が、いるから。
だから、なおさらカカシ先生が今も生きていることが不思議なの」

穏やかないのの横顔からはそんな激情は微塵も感じられず。
弱く悲しい寂しいそんな表情をしていた。

「それってサスケ君のこと……?」

思わず口を付いて出たのはそんな言葉。
酷いことを聞いている、そう思うが聞かずにはいられなかった。

「違うわ」

儚い、と言うのか。
淡い笑みを湛えたまま。
いのは弱く否定する。

「じゃあ……誰?」

その視線はサクラを捉えたまま。
何かを訴えているようなのに、何も見えず。
深い深い海のように沈み込んでしまっているようだった。

「秘密よ、サクラ。あんたにも睦月にも誰にも。誰にも内緒。
叶わない恋だから、誰にも言うつもりはなかったのに」

そう呟く。
それは酷く透明ないのの告白だった。
いのが何を思っているのか。
誰を思っているのか。
それはサクラには分からない。
でもそんな風に思えることの幸福をいのは知っているのだと。
そんな風に思うことしかできないことの絶望を知っているのだと。
その事に少しの羨望を覚える。
そして、その事が酷く胸を締め付けた。

寂しい瞳をそっと伏せてその後もう一度サクラを見つめたあと、いのはいつものように笑う。
「ゴメンね、しんみりさせちゃって。でもカカシ先生が何も話してくれないと思うのは本当よ。
言いたかったのは、それだけ」

やがて重たい沈黙が下りてきて、誰も、何も言葉を発しないまま。
睦月はカカシに思いを馳せる。
あの人は何を考えているのだろうか。
誰を思っているのだろうか。
イルカ先生を、父を思っているのだろうか。
その中に、自分はどのくらいいるのだろうか。
オレは、あの人にとって、どんな存在なのだろう。
ただの息子なのか、そうでないのか。
なぜ、オレを引き取って育ててくれたのか。

分からないことだらけで。
答えを知っているのは、カカシしかいなくて。
でも。あの人は、なんにも言わない。
そうしてまた、時だけが過ぎていくのだろうか。

「帰りましょう」

静寂を破る声は、サクラ。

カカシ先生の所へ。
そういって立ち上がる。

「睦月が納得できないなら、聞くしかないじゃない」

その力強い眼差し。
暖かい日差しとは裏腹に冬の研ぎ澄まされた風が耳元を吹き抜けていった。





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