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失われた風景




「睦月ー」

後方から声を掛けられて振り向くと
薄桃色の長い髪を踊らせてサクラが駆けてくるのが見えた。
足を止めて追いつくのを待つ。

「睦月、試験どうだった?」

追いついたサクラと一緒に歩き出すといきなりそう聞かれた。
今日は、アカデミーの教員採用試験合格発表の日。

「えぇ、おかげさまで合格しました」

晴れがましい気分でそう答えた。
来年からは、念願叶ってアカデミーの教員になれる。
その喜びを隠そうともせず睦月はニコニコとしていた。

「おめでとう、あんたなら大丈夫だと思ってたけどね」

サクラは隣を歩く黒髪の青年を見上げながら思う。
あぁ、本当に似ている。
この子は、間違いなく先生の子供なのだと。
意志の強そうなその瞳も堅そうな黒髪もその声色さえ。
何もかも生き写した様にそっくりだった。

違う所があるといえば顔に傷がない事と束ねられていない髪。
肩に届きそうなくらいに伸びたその髪を括れば益々似るのだろう事は想像に難くなかった。

「それともう一つ、おめでとう。結婚決まったんだって?」

睦月は少しだけ驚いたようなそんな顔をして、笑った。

「情報が早いですね、サクラさん」

その隠しきれないほどの喜びを滲ませたまま。
睦月は笑う。

「ありがとうございます。教員試験にも受かったし、晴れて結婚できます」

にこにこと笑う睦月にだぶるのは、あの笑顔。

「これで来年からはサクラさんの後輩です、お手柔らかに頼みますよ」

睦月はどこかおどけたようにそう言った。

「これからカカシ先生に報告に行くの?」

「えぇ。一応サクラさんよりもずっと先輩になるわけですし」

この青年は今はもう逢うことの叶わないあの優しい先生を彷彿させて。
すこうし、痛む心。

「カカシ先生もきっと喜ぶわね」

優しいやさしいあの先生がいなくなってから。
カカシはすっかり変わってしまった。
カカシは、カカシではなくなってしまった。

睦月に会うたびに思うのは、カカシのこと。
カカシを思い出して、そうして痛みを増す、心。

柔らかく微笑みを浮かべたその横顔を見てサクラはそっと息を吐いた。

「サクラー!っとそれに睦月も」

はらはらと舞う落ち葉の中を歩いていたら。
不意に声を掛けられる。
二人して振り向けばそこにいたのはサクラの同僚の山中いのだった。

「いの」
「いの先輩」

長い髪をなびかせて2人に追いつく。

「何か嬉しそうじゃない?さては教員試験合格したのね」

サクラの隣に並びながらそう言って笑う。

「あんた、これからは教師としてもあたしが先輩になるわけだから覚悟しなさいよ」

いのはカラカラと笑いながら睦月の背中を叩いた。

「あー、サクラさんよりいの先輩の方が問題だったなぁ」

顔を盛大に顰めて、睦月がぼやく。

こういうところは、あんまり似ていない。
小さな仕種とかちょっとした口調とかは、むしろカカシに似ていると言った方がいい。
こうして会うたびに睦月を先生と比較してしまう自分が、サクラはイヤだった。
今はもういない、あの人と。

「問題って何よ、問題って。非道いこというわね」

「非道いのはどっちですか」

軽口をたたき合う睦月といのを見てサクラはクスリと笑う。
この2人は本当の姉弟みたいに仲がいい。

「やっぱり仲がいいわね、2人とも」

くすくすと笑うサクラに二人して嫌な顔をする。

「やめてよね。まぁどっちもアスマ班だったし、多少は仲良く見えるかもしれないけど」
「そうですよ、サクラさん。やめて下さいよ」

息のぴったり合った2人にサクラはますます笑い出す。

「ほら、そういう所!」

笑いの止まらないサクラに2人とも釣られて笑い出した。

そんな、柔らかい午後。
それはあのやさしい先生を懐かしい思い出にするのに十分なほどの。

今はもう、思い出の中にしかいない、先生。
何か共有するモノがあったかのように、ふと笑いを止めたいのが呟いた。

「何だか睦月、最近ますます似てきたね」

「え?」

何の事かと睦月はいのを見つめた。
サクラも懐かしそうに目を細めて口を開く。

「ホント、髪の毛括ったらそっくりになるわね」

柔らかい、優しい笑みを浮かべて。
2人は同じ人を思い出している。

睦月は思う。
この2人が思い出しているのは。
自分の知らない、それでも自分にとってきっととても大切な人。

「もしかして、それってオレの本当の父さんのことですか?」

名前も知らない、本当の父。
それを2人は知っているのだろうか。

いのとサクラは顔を見合わせると意外そうに睦月に聞いた。

「あんた、カカシ先生から何も聞いてないの?」
「イルカ先生のこと、なんにも聞いてないの?」

ほぼ同時に2人が放った言葉。
その中にある、一つの名前。
それは聞いたことのない、名前。

「イルカ、先生?それが、オレの父さんの名前なんですか?」

いのもサクラもとても驚いているようなそれでいてどことなく気まずいような顔をして。
もう一度視線を合わせる。

「カカシ先生、なんにも言ってないんだ」

「それなのに、あたし達が余計なこと言ってもいいのかしら」

そんな風に話し出す。
その顔には、ありありと後悔が浮かんでいて。
このまま話を終わらそうとしていることが見て取れた。
でもここで2人に聞かなければ、きっと一生あの人は話してはくれないだろうから。

「カカシ先生はきっと何も話してはくれませんよ」

静かにそう告げる睦月の表情はどこか痛みを耐えるようにもみえる。

「これからも、きっと」

今までがそうだったように。
これからも、きっと何一つ。

真実はきっとオレの元には届かない。

「父のことを聞く度に何も聞かなかったような顔をして話をはぐらかしてしまうんです。
だから、多分オレには話したくないんだと思います」

きっとずっと知らないまま。
誰にも聞けないまま。
記憶の中にさえいない、オレの本当の父親。
きっとカカシの大切な人だった、オレの父親。

その人に似ていると言うことでさえ、今始めて知ったというのに。

「教えて貰えませんか?もし2人がオレの父さんのことを知っているのなら」

しばらくの沈黙のあと。
重い口を開いたのはサクラだった。

「睦月、でもね。あたし達も本当にあんたのお父さんがイルカ先生かどうかなんて知らないの」

「どういうことですか」

そう聞いた睦月の言葉に答えを返したのは、いの。

「誰も、あんたがイルカ先生の子供かどうかなんて知らないわ。でもね睦月。
あんた、イルカ先生にそっくりなんだもの。
そうしてそこに立ってるだけでイルカ先生が生き返ったんじゃないかと思うくらい、そっくりなんだもの」

低く、呟く。

誰も、聞いたわけではないのだ。
この青年の生い立ちを。
ただ、この子はイルカ先生が死んだすぐ後にカカシが引き取った子供で。
大きくなるにつれ、イルカに恐ろしく似てきたという、それだけの理由。
それだけの、充分すぎる、確証。

真実はきっとカカシしか知らない。

「それでも、聞きたい?イルカ先生とカカシ先生のこと」

いのが低く問う。

「はい」

迷いを知らない、その真っ直ぐな瞳。
イルカ先生は、こんな目をしていただろうか。

ざわざわと風が木の葉を拾い、舞上げる。

強い風が吹いている、とそうぼんやりとサクラは思った。




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