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 翌日。紅はカカシとイルカと連れだって王宮へと赴いた。アスマも一緒に。
 朝食の席でも行くのを迷っていた風のアスマだったが結局は一緒に行くことに決めたようだった。どうしてアスマが王宮にそれほど行き渋るのか分からず、イルカは小さな声で隣を歩くカカシにひっそりと声をかけた。
「どうしてマスターはあんなにも王宮に行くのがいやなんでしょうか」
 答えが返ってくるとは思っていなかったイルカの問いに、意外にもカカシは答えを返した。
「軍隊を退役した身としては行きづらいんじゃないんですか?しかもあんまりいい辞め方してないみたいだし。ただ、あの人がやめたときの王は王位を譲ってるわけだから、それほど責められることもないと思うんですけどね」
 カカシの答えに驚いたような顔を向けるイルカ。
「カカシさん、なんでそんなこと知ってるんですか?」
 ただの世間話のつもりで話を振ったのに、まさかこんな具体的な答えが返ってくるとは思わなかった。
「なんでって、あの人が王国海軍第二艦隊総司令官だったことは結構有名な話ですよ。オレも噂は何度も聞いたことがあるし、顔写真だって見たことありましたからね。判断ミスで部下を失ってしまったその責任を取ってやめたってのは、本人から聞きました。王が変わったのはつい最近のことですけどそのことはアナタも知ってるでしょ?」
「それは、知ってますけど」
 そのことは知っている。王が変わったことは、さすがに自分も知っている。新王の戴冠式のパレードも見た。
 けれど。アスマのことは全然だ。彼は自分がここに辿り着いたときからあの店のマスターだった。過去のことは取り立てて聞いたことはなかったけれど、そうだったのか。呆然とするイルカの頭をカカシはぽんぽんと撫でた。
「まぁ、アナタが知らなくても無理ありません。でもあの人結構すごい人ですよ。二十五の若さで総司令官まで上り詰め、それ以来負けなしですからね。王国海軍第二艦隊といえば別名無敵艦隊とも呼ばれるくらいなんですよ」
 そんな、すごい人だったのか。少し前を歩く大柄の男を見つめて、イルカは溜息を吐いた。そうしてちらりと横を歩く男を見る。
 この人も実はすごい人なのだ。その強さはいうまでもなく、その知識も情報量も並大抵ではない。どこでそんなにも沢山の情報を仕入れるのかは皆目見当もつかないが他国の事情にとても精通している。
 我が身を振り返れば溜息ばかり漏れそうだとイルカは思った。色々なことに疎すぎる、自分は。黙り込んだイルカを慰めるように、カカシが手を握ってくれる。
 王宮へ続く最初の城門がもうすぐ近くまで見えていた。



 そうして辿り着いた王宮の中。一応部外者のカカシとイルカ、そうして今となっては部外者のアスマがいたため僅かに煩雑な手続きを済ませたあと、四人はそろって王宮へと入った。
 サンカイハ王国王都ルシールトの中心にそびえ立つジルハ宮殿。ドラン帝国より輸入した青い鉱石をふんだんに使った紺碧の宮殿である。白と青のコントラストが海の色に溶け込んでひどく美しい。世界有数の軍隊をその身に抱える青の宮殿。
「外からは何度も眺めたことがあるけど、中も美しい宮殿だな」
 恐ろしく高い天井を見上げてカカシは呟いた。天井には創世神話が描かれている。
「ホントに怖いくらい綺麗ですね」
 イルカもまたその美しさに目を奪われてしまう。青く静かなこの国の象徴。
「こっちよ、ぼやぼやしてないで」
 珍しげにあちこちを眺める二人に紅がそう声をかけたとき、その声を遮るように声をかけられた。
「艦長!」
 振り向いた先には灰色の髪の男と白い短髪の髪の男がいた。二人は慌てたようにアスマに近付いてくる。
「ゲンマ、ライドウ。相変わらず元気そうだな」
 いつもくわえている煙草がないせいかどことなく居心地の悪そうな顔をしてアスマは二人に声をかけた。
「艦長!ついに戻られる決心が?」
 そう言ったのは白い短髪の方だ。二人の名前は分かったけれどどっちがどっちかまではまだ分からない。
「なんだそりゃ。戻るも戻らないもねぇよ。オレはとうの昔に軍を辞めてんだ。第一もう艦長なんかじゃねぇ」
 お前は相変わらずだなぁ、とアスマは苦く笑いながら短髪の頭をぐしゃりとかき回した。それを見て灰色頭の方も笑みを浮かべる。
「艦長もお元気そうで何よりです。で復帰はいつなんです?」
 さらに問いかけた灰色の髪をアスマは小さく小突いた。
「ゲンマ、お前もか」
 小突かれた頭を大げさに抱えてゲンマと呼ばれた男はくつくつと笑う。アスマは部下に随分と慕われていたようだ。艦長と呼ぶということは彼らも第二艦隊に所属する者なのだろう。そうして彼らは、未だにアスマの復帰を望んでいる。
「艦長、いい加減本当に復帰するつもりはないんですか?王もそれを望まれていますよ」
「ライドウ」
 笑っていた顔を急に引き締めライドウはアスマにそう言った。王もアスマの復帰を望んでいる、とそう。
「オレが忠誠を誓ったのは前王だ。あの小倅じゃねぇ。オレの王が望まれない限りオレがここに戻ることはないだろうよ」
 アスマの言葉にゲンマもライドウも押し黙った。アスマは所在なく顎に蓄えた髭をなでている。沈黙を破ったのは紅。
「話は終わった?こっちは急いでんのよ。用があるんだったらアスマだけ置いていくから存分に話してちょうだい。二人ともこっちよ」
 最後の呼びかけはカカシとイルカに対して。言い捨てて紅はくるりと背を向けた。その後ろにまずはイルカがそうしてそのあとをカカシが付いて歩く。僅かに遠ざかった三人の後ろ姿を見ながら、ゲンマはぽつんと呟いた。
「艦長、あいつ何者です?」
 黒髪の方は何度か訪れたアスマの店で見たことがある。恋姫、と呼ばれている歌い手だ。しかしあの銀髪の方にはまるで見覚えがなかった。
 けれどあの気配。あの立ち振る舞い。ただ者ではあるまい。ゲンマの直感がそう告げる。
「あいつが噂の死神だ。負けなしは第二艦隊と変わらねぇが向こうの方が遙かに強いぞ」
 笑って今度はゲンマの髪をぐしゃぐしゃとなで回す。
「魔神狩りの人間と一般市民であるオレらを一緒にしないでくださいよ。向こうの方が強いに決まってるじゃないですか」
 乱暴なアスマの手から逃げ回ってゲンマは情けなさそうに呟いた。
「どの面下げて一般市民とか言ってんだ」
 くつくつと笑うアスマに呆然とカカシの後ろ姿を見送っていたライドウがぽつりと呟いた。
「あれが銀の死神…。スゲー、いい男だなぁ…」
 ライドウの言葉にアスマは珍しく笑い声を上げた。
「色男で金もあって、しかも強いときてる。しかも恋人はとびきり別嬪だ。随分な差だなぁ、オイ」
 佇むライドウとゲンマの背中をばしばしと叩いてアスマはひとしきり笑う。
「痛いですよ、艦長!そんなことより復帰の話をしに来たんじゃなかったら一体なにしにきたんです?」
 背中を叩くアスマの手から逃げ出したゲンマはひどく不服そうな顔をして呟いた。すでに回廊の向こう側に姿を消した銀の髪が何となく憎らしい、と思いながら。
「何しにって、そりゃじゃじゃ馬娘のお守りをしにきたのさ」
 呑気にそんなことを言ったアスマに二人は呆れた顔をした。
「お守りをしにきた人間に置いて行かれてちゃどうしょうもないじゃないですか」
 ライドウの台詞にアスマはそうだなと笑う。
「そろそろ追いかけるか」
 じゃあ、達者でな。片手を上げて立ち去ろうとするアスマにゲンマはもう一度言った。
「艦長、ホントに戻る気はないんですか?」
 投げかけられた問いかけに振り向くこともなく、アスマは挙げた手をひらひらと動かすとぽつんと呟いた。
「戻れねぇよ、今更だろ」
 自嘲気味に落とされた呟きにゲンマは何度目になるか分からない台詞を口にする。
「まだ、第二艦隊の艦長席は空っぽのままです。どうか艦長戻ってきてくれませんか」
 この数年、何度となく繰り返した遣り取り。アスマが第二艦隊を去ってから、幾度となく交わされた会話。自分の判断ミスだとアスマは繰り返し言うけれど、仕方のない事態だったと部下の誰もが分かっていた。
 あの戦で勝てただけでもすごいことなのだと。けれどアスマは耳を閉ざしたまま、戻る気配は一向にない。第二艦隊の艦長席に座るのはアスマしかいないというのに。無敵艦隊を動かすのは、この男しか。
 アスマはしばらくそのゲンマの言葉を噛みしめるようにぴくりとも動かなかったが、不意に息を吐き出して歩き始めた。振り向きもしないまま。答えを返すこともしないまま。
「艦長!」
 ライドウ叫び声は広い回廊に吸い込まれただけだった。
「オレがいなくてもお前達なら勝てるさ」
 返ってくる答えはいつもと変わらず、そうしてアスマは回廊の向こうへと遠ざかる。
「くそっ!」
 完全に姿が見えなくなった頃ゲンマは悔しげに吐き捨てる。いつになったらあの人がまた海の上に戻ってくれるのだろうか。それとも、もう本当に無理なのか。けれどでも、ゲンマ達の艦長は彼なのだ。
 アスマが新王は自分の王ではないと言ったのと同じように、自分たちを指揮する者は彼しか有り得ないのだ。待ち続けるしか、ないのだ。彼の決意を根底から覆す何かを待ち続けるしか。



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