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 多くはない荷物。けれどそれらは全て色褪せ、擦り切れるほどに使い込まれている。明日必要な物を買い足せば、カカシの旅支度は終わるのだろう。
 そうして、早ければ明日その足で。遅くとも明後日にはカカシは旅立つ。数少ない荷物を一つ一つ丁寧に点検するカカシをイルカはぼんやりと眺めていた。腰に帯びていた細身の長剣。鈍い光沢を放つ装飾のない短剣。薬や医療用具、携帯食などを開いてはまた丁寧にまとめていくカカシ。
 その慣れた手つき。メモを取る堅い骨張った手と指。
 そうして、本。カカシの荷物の中にはなぜか一冊ひときわ古びた本があった。カカシの横に腰掛けて荷造りを眺めていたイルカはその古い擦り切れた本を手に取る。重くどっしりとした質感のその本の表紙はもう擦り切れてしまって読めない。はらりと開いてイルカは驚いてカカシを眺めた。
「カカシさん、これ、聖典ですか?」
 薬草の量を確認していたカカシはイルカの言葉にふと目を上げる。
「あぁ、そうですよ。聖典です」
 あっさりと認めたカカシを驚いたままイルカはまじまじと眺めた。意外な取り合わせだ、と思う。
「意外だと思ってるでしょう」
 そんなにも顔に出ていただろうか。ゆるりと笑みを浮かべたカカシにイルカは顔を赤くした。
「それはね、先生の形見なんです」
「形見?」
「そう、オレが魔神を狩る者として生きる術を教えてくれた先生の形見です」
 笑みを浮かべるカカシの顔にはほんの少し悲しげな色と遠い昔を懐かしむようなそんな表情が浮かんでいた。メモから手を離しそうして聖典に置かれたイルカの手に自らの堅い手を重ね合わせる。平たく体温の低いざらついた手。
「『「見よ、星が落つる。空が燃え、切り裂かれるのを見よ。星が落つる」神は言った。すると東の空が切り裂かれ燃える星が地上に一つ落ちた。見よ、地上が燃えている。そうしてまた空が光り東の空を星が切り裂く。そうして落ちた星の中に、最初の人類がいた。彼と彼の名を神は呼んだ。それが最初の人類の名となった。けれどその名はすでに封印されている』」
 カカシが諳んじたのは聖典の最初の一説だった。
「他にね、することもなくてよくこれを読みました。信心深い方ではないですけど、聖典もなかなか悪くないですよ」
 先生は、信心深い人だったんです。穏やかなカカシがけれどとても悲しげに見えてイルカは黙ってその髪を梳いた。深く聞くのもためらわれて、けれどカカシの悲しみがじんわりと浸透していくようでイルカの胸は小さく痛む。
 梳かれる髪をそのままにカカシは甘えるようにイルカの肩に頬を寄せる。もう片方の手でカカシの背を撫でれば、やんわりと抱き寄せられる。
 もう二度と、この人に会えないかも知れないのだ。唐突にイルカは思う。もう二度と、声を聞くことも触れることも叶わなくなるかも知れないのだ。
 おそらくきっとそれはとても高い確率で。抱きしめてくれる体をイルカもきつく抱きしめ返す。
 どうかこの震えが止まりますように。
 どうか、どうか、この人が永遠にこの世から損なわれることがありませんように。





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