* * *
翌日、まだ午後の早いうちに里が見えるところまで辿り着いていた。遠くから何週間かぶりに見る里は、相も変わらず穏やかにそこにあってイルカは無意識に安堵の溜息を吐いた。
還る場所があることの安心感。ここがなくなってしまったらどうなるだろうか、とイルカはふと思った。そうして里を失った笹岡の末裔の哀れな最後を思い出す。
拠り所なく無謀な戦いを続けた彼ら。哀れだと思う気持ちは変わらないけれど、護るべきモノを持たない彼らが滅びた理由も今となっては分かる気がする。木の葉の里がここにこうしてあるからこそ、自分たちが勝てたのだということも。
歩みを進め、里の入り口がもうすぐそこまで見えている。そうして町を巡る隔壁にぽっかりと空いた大門。
外に向かって大きく開かれた門の下に小さな影が三つ見えた。寄り集まった影はまだこちらには気が付いてはいない。ざくざくと歩きながらカカシに視線を投げればふと笑顔にぶつかった。
「迎えが来てるねぇ」
ポケットに手を突っ込んだままの格好でカカシはのんびりとそう呟く。カカシの言葉に小さく頷いてイルカは子供たちの方を向き直る。そうして声を上げようと思ったその時、三人の中の一人が弾かれたように顔を上げた。
顔を上げたのはサスケ。つられるように残りの二人も顔を上げる。イルカの姿を認めて、ぱあ、とその顔中に笑みを浮かべたのはナルト。金の髪が光を弾いてこちらに駆け出してきた。
「イルカセンセー!」
まろぶように駆け寄ってくるその影をイルカは笑顔で迎えた。いつものように腰に飛びついてナルトは真下からイルカを見上げて笑う。
「お帰りだってばよ!」
ごろごろとイルカに懐くその姿は常よりも幼く見える。淋しかったのかな、とイルカは思った。思えば任務に出てからそろそろ三週間が過ぎようとしている。
そんなにも長い間里を明けるなんて、本当に何年ぶりだろうか。もちろんナルトと出会ってからは初めてだった。任務に赴くこと自体中忍になってからは本当に稀だったから、ナルトも不安だったのかも知れないな、と思う。腰にまとわりつく金の髪をくしゃくしゃと掻き回せば、やめろってばよ、とくすぐったそうな声が聞こえた。
「ナルトオマエね…。オレには一言もないのか…?」
呆れたようなカカシの声が聞こえて、そうして残りの二人がようやくやって来る。
「イルカ先生、カカシ先生お帰りなさい」
礼儀正しく言ってからほころぶように笑ったのはサクラ。
「ただいま。わざわざ迎えに来てくれたのか?」
そっぽを向いたまま何も言わないサスケの頭をくしゃりと混ぜてイルカは子供たちを促した。問い掛けに答えたのはまとわりついたままのナルトだった。
「火影のじっちゃんがさ、イルカ先生とカカシ先生今日帰ってくるって教えてくれたんだってばよ!」
「そうか、わざわざすまなかったな」
いーんだってばよ、とナルトは笑う。どこか浮かれた調子のナルトにイルカも笑った。
「そうですよ、イルカ先生。ナルトったら朝からずっと浮かれてたんだから」
どうしたって修行に身が入らないから、それならとみんなで迎えに来たとサクラは言った。
「それよりお前らオレがいなかった間サボってなかったろうな?」
背中を丸めて歩きながらカカシはのんびりとした口調で子供たちを見下ろした。やいのやいのと反論を始める子供たちにカカシは疲れたような表情を浮かべていたが、心なしか楽しそうにも見える。
何よりカカシの雰囲気が柔らかい。初めて受け持つ子供たちをカカシはカカシなりに気に入っているのだろうと思って、イルカは温かい気持ちになった。
大門をくぐり抜けようやく里に踏み入ると、カカシはおもむろに足を止めてぱんぱんと手を叩く。ぎゃいぎゃいとうるさい子供たちはカカシの行動にいったんは口を閉ざした。
「オレたちはこれから任務報告とか色々あるから今日はここで解散。明日は休みだ。それ以後のことは追って連絡する。以上」
休み、と言ったカカシの言葉に子供たちはまた不満そうな顔をした。不満そうな顔だけならまだしも、またぎゃいぎゃいとカカシに食って掛かっている。
カカシのいない間、ほとんどが修行か他の班との合同任務だったのだろう。合同任務は人手ばかりはいるものの面倒で単調な仕事が多いから、やっとカカシが帰ってきてまともな任務に就けると喜んでいたに違いない。
子供たちをほんの少し不憫に思うが、責められて辟易しているカカシが珍しくてイルカは小さく笑ってしまった。
「ちょっとイルカ。笑ってないでこいつらどうにかしてよ」
喚くナルトの頭をぐいと押してカカシは困ったようにイルカを見る。
「ホラ、お前らあんまりカカシ先生を困らすんじゃないぞ」
不満を漏らす子供たちの肩をぽんぽんと叩く。大人しくなった子供たちに笑いかけて、イルカはカカシを振り返った。
「オマエも自分の部下くらい自分で何とかしなさいね」
そうして最後にカカシの肩を小突いた。
「ちぇ」
笑うイルカを面白くなさそうに見つめて、カカシはがりがりと頭を掻いた。拗ねているな、と思う。けれど拗ねているカカシは大層可愛く見えてイルカは吹き出してしまった。
「ちょっと、なに笑ってんの?」
よもやカカシを可愛いと思う日が来るとは思ってもみなかった。うくく、と笑い声を噛み殺してはみたけれどどうにも駄目だ。
「カカシってさ、結構可愛いんだな」
堪えきれずひーひーと笑い出したイルカにカカシは呆れたような顔をした。
「なに言ってんだか。報告書出しに行くぞ」
ぽかりと頭を叩かれたけれどそれが照れ隠しだということくらいイルカにも分かる。五年前に比べたら随分変わったと思う。明らかに丸くなった。
あの頃だってイルカには柔らかくて優しかったけれど、時に鋭利な刃物のような印象を与えたカカシ。その印象が今は見えなくなった。
その事が忍びとして良いことなのかは分からない。あの危うさは暗部として剣を振るうカカシにとっては必要なモノだったような気もするけれど同時にとても恐ろしかった。
いつかその危うさ故にカカシが命を落とすことがあるような気がして。その危うさ故に、イルカの命さえも奪うような気がして。結局カカシは上忍うみのイルカを殺してしまったけれど、それだけで済んだことを喜ぶべきなのかも知れない、と思った。
自分は生きているし、カカシも生きている。それだけで、十分だと。自分たちは案外上手くやれるかも知れない、不意にイルカはそんな風に思った。
カカシは五年前のカカシではなく、イルカもまた五年前のイルカではない。歪みはどこまで矯正されたのか見当もつかないけれど、でも。それでも多分、悪くない方に進んでいる。
子供たちを見守るカカシにはそう思わせる何かがあった。そうして自分も、多分悪くない方に進めるだろうと。
ほんの少しイルカの胸を塞いでいた小さな不安。まだ消えないけれど、近いうちにきっと。棘のようにちくりとイルカの胸に刺さった不安は、近いうちに音もなく落ちるだろうと思う。悪くない、そういうのは、悪くない。小さく笑みが零れた。
背を向け歩き出すカカシ。ポケットに手を突っ込んだまま歩き始めたカカシに追いつこうとして、イルカはふと振り返った。
「お前ら、ホントにありがとな。今度ラーメンでも奢ってやるから!」
ひらりと片手をあげてイルカはすたすたと先を歩くカカシに小走りで追いついた。手を挙げたイルカに手を振り返した子供たちは、呆然としたままその手を下ろすことも忘れて佇んでいる。
「………なんだあれは…」
呟いたのは手を振り返さなかったサスケ。こちらもまたポケットに手を突っ込んだまま、遠ざかる二人の後ろ姿を見送っていた。今や二人は仲良く並んでじゃれあっている。
「ていうか先生たちって、あんなに仲良かったっけ…?」
のろのろと手を下ろしながら呟いたのはサクラ。サクラの記憶にある限り、あの二人の間には随分とぎすぎすした空気が流れていたように思ったのだけれど。二人は答えを求めるようにナルトを見つめる。
「どういうコトよ」
「どうなってる?」
尋ねた二人にけれどナルトが答えを返すことが出来るはずもなかった。
「全然わかんねーってばよ…」
ほんの少し前、任務に出る前までは敬語で話してなかったっけ?こう、もっと階級を感じさせる感じだった気がする。一線を引いていたし、どうもよそよそしい会話しか交わしてなかったように思う。
二人が仲良くなって欲しいと思ったけれど、どうしてだかいざ本当に仲良くなったところをみると、どうにも裏切られたような気がしてならなかった。
裏切られた、というのは正しくないかも知れなけれど、二人は以前からあんな風に仲が良かったのではないかという疑念に駆られる。
むっつりと黙り込んでしまったナルトの肩をサスケはそっと叩く。
「………帰ろっか」
なんだかとても疲れてしまって、サクラはそう呟いた。ナルトもサスケも大きな溜息を吐いて頷きを返す。
空は青いし、今日これからと明日一日が休みだ。明日もきっと晴れるだろう。歩き始めたサクラとサスケの後ろを追いながらナルトはそんなことを思った。
そうしてふと、視線を巡らす。ちらりと視線を投げた先、二人の教師が去った方向を何となく見てナルトはまた溜息を漏らした。随分と小さくなった教師たちは肩を寄せ合って笑い合っているようだった。角を曲がり完全にその姿が見えなくなったときサクラの声がナルトを引き戻した。
「ナルトー、なにやってるのよー!」
「サクラちゃん、今行くってばよ!」
駆け出したナルトの頭上には、うす淡い春の青空がどこまでも広がっていた。
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