それからもイルカはカカシが思い人だと気づく様子も無く、同僚を誘う感覚で夕食に連れて行ってくれたり、カカシの誘いに応じてくれたりしていた。
打ち解ければ打ち解けるほどカカシは一歩を踏み出しがたく、このままでも十二分に幸せだからいいかなと思っていた矢先だった。
上忍師は弟子がいなければ暇な職業だ。だから穴の開いた長期任務とかに詰め込まれる事がある。長くても十日ほどだが、ベッドで眠る事に慣れた身には結構しんどいものだ。明日からカカシはその任務に遣わされる事になる。そのためにも今日はイルカと食事でもして英気を養っておきたくて、任務が終わるとアカデミーに向かった。
もうアカデミーにも通いなれたし、そろそろカカシにとって二回目の下忍承認審査も近い。
イルカは職員室前で誰かと話しこんでいるようだった。しかし、イルカはすぐにカカシに気が付いて視線を寄越し、ぱっと笑顔になってそれから社交的に会釈をした。話し相手だった人間もイルカのその様子に気が付いてカカシを振り返った。
「カカシ先生。今日帰着だったんですか。お疲れ様です」
「そうですよ、仕事上がりです。夕飯を誘いに来ましたよ」
焼き魚を食べたいですというと、イルカは「相変わらず安上がりですね」と苦笑した。
「あ、そうだ。ひのい先生、紹介しておきますね。こちら今度の下忍承認審査を受け持ってくださる上忍のお一人ではたけカカシ上忍です」
ようやくイルカは話し相手にカカシの事を紹介する気になったようだ。しかし、ひのいと呼ばれた男はイルカの話が聞こえていないのか、じっとカカシの事を見つめて、くちをぽかんと開いていた。
これは驚愕の表情だ。
「えーと…ひのい先生、はじめ…まして…?」
手を差し出そうとすると、がっとカカシはその手をひのいに奪われた。
「御久し振りです! はたけ上忍!」
おひさしぶり、と言われてもカカシには見覚えの無い男だ。目を白黒させていると、カカシの心情を読み取ったのか男は、覚えていなくても仕方ないと言った。
「あの時おれは二十人から居る部下のうちの一人だったんですから」
その台詞に何故かイルカがへえっと声を上げている。
「カカシ先生ってそんな力持ちの上忍だったんですか」
力持ちの使い方を間違っているが、今はそれを指摘している場合ではなくて、ひのいに掴まれた手を何とか引き剥がした。
「昔の話です」
「今も素晴らしいはずです」
ひのいのカカシに対する視線は無遠慮な尊敬と押し付けがましい友愛に見えた。こういう輩は結構多い。しかし紹介してくれたイルカの手前無碍にする事も出来ないし、ひのいを『先生』と紹介されたからには今後アカデミーに配属される忍びなのだろう。仲良く振舞うに越した事は無い。しかし。
「なにせ写輪眼のはたけカカシといえば戦場では知らぬものは居なかったんですから」
その余計な一言にカカシはいらっと殺気を立ち上らせてしまった。その事に二人は敏感にびくっと身を竦ませる。
別に写輪眼の事を言われようが戦場で流した浮名を知られようがどうでもいいことなのだが、この人間が自分のことのように吹聴するのはあまり気分がいいものではなかった。
「…ひ、ひのい先生、次の説明が始まりますよ…!」
小動物のように身を固めてしまったひのいにイルカが助け舟を出すと、まるで逃げるようにひのいは職員室の中に駆け込んでいった。本当にあんな男が自分の部下に居たのだろうか。
「カカシ先生。ここはアカデミーなんですから、そんなに殺気を出さないで下さい。子供が泣いちゃいますよ」
「…あ、ああ済みません。折角イルカ先生に会いに来たのに、あの人がわかってくれないもんだから…」
「またカカシ先生、変なこと言い始めた」
イルカは困ったように眉を寄せてそれから荷物を取ってきますと言って職員室に入っていった。もう上がれるのだろう。早く仕事上がれる事はいいことだ。カカシがイルカと一緒に居られる時間が長くなるから。
その日も二人並んで適当な飯屋に入り、清い時間にはお開きになってそれぞれの部屋へ戻った。
上忍が受ける任務に酷いとか綺麗とか楽とかそういった一切の形容詞は相応しくない。酷いのは当たり前ではかなくてめちゃめちゃで、遠慮が無かった。
そんなところはビニールハウスを経験したカカシには耐えがたい苦痛に思えた。勿論耐えることは出来る。それは表を取り繕っているだけであって、内側では早く帰りたいとかイルカのことを考えて過ごし、けして任務に集中していたとはいえない状況で十日間を過ごした。
そんな中、カカシは一人の女に出会ったのだった。
女は名をアケビといった。髪が短く色気と言う意味の女らしさは薄かったが、それでも伸びやかな肢体とさばさばとした性格が魅力的な、戦忍だ。
「人生って何が起こるか解りませんね」
爆音の響く中彼女はカカシにそう声を掛けて来た。
「まさかあのはたけ上忍と戦場をご一緒する日が来るとは思いませんでしたよ」
「そう? 誰よりも戦場への出没確率が高いと思ってたんだけど」
そう軽口を叩けば、彼女は声を殺して大いに笑った。
戦局は此方が押しているものの、消耗戦になることは目に見えており、カカシの目標である全員生きて帰還というのはどう考えても無理な状況に等しかった。
「確かにそうですね。でもそうじゃなくて、肩を並べて戦える日が来るとは思わなかったってことです」
そんなアケビの発言にカカシはもやもやとしたものを抱え込むが、それに気づかない振りをして、そう、と気のない風の返事を返した。
「そうなんです。あなたは戦忍のなかでは伝説と化してますからね」
「…無条件に頼られても困るんだけどね〜」
そう、今回の戦場のように十日間の短期制圧など狂気の沙汰だ。長い目で見たときに争う双方に被害が少ない方法だと言う事はカカシにもわかるが、借り出された人材は凄惨な最後を遂げる事が多い。それは死んでも里に帰る事がかなわなかったり、遺骸が敵の手に渡ったり、ケアが間に合わず動物に骨だけにされたりと色々だ。
「お願いがあるんですけど」
彼女は自分の黒装束の胸元をごそごそと探り出し、自分のIDタグを取り出すとそれをカカシに差し出した。
「私が死んだらこれを私の夫に渡してもらえますか」
そのアケビの目にうっすらと涙が溜まっているのが解った。
「…結婚してたの…?」
「…結婚は出来ない相手なんです…」
カカシは深く追求せずにそのタグをチェーンごと受け取る。
カカシにも、そういう相手が居る。
イルカ…。
ふと思い出してカカシは胸が熱くなるのを感じた。
自分は忍びだ。だから何時死ぬかわからない。死ぬのは怖くないが、とても怖くなった。イルカに、何も告げずにこの世から去ってしまう事が。
イルカとカカシの間には何も始まっていない。始める事が出来るのに、カカシは動こうとはしなかった。確信がなければ動けない性質になった所為で、情やファジーななにがしかに巧く対応できない時がある。イルカの事だって、そうではないのか。
アケビのタグを握り締める手がじわりと汗をかく。
「…俺のもお願いできる? もし死んだら、渡して欲しい人が居るの」
そのカカシの申し出にアケビはびっくり目を見開いて、それから少し笑ってこっくりと頷いた。
「それは誰ですか?」
カカシの心の中に根付いてしまった人。
それは誰?
「うみのイルカ」
結局、誰一人として死ぬ事はなかったが、その代わりに十日間の制圧の断念と一人の忍びの脚が奪われた。アケビもカカシも傷一つなく、アケビは居たたまれない思いで自分のタグをカカシから受け取った事だろう。今後この戦は協議によって解決に歩み寄る事になった。
戦いの最中カカシはずっとイルカのことを考えていた。きっと暗部だった若い頃の自分はイルカに存在を刻み付けていたが、今の自分はイルカにとって何なんだろう、と。
イルカには『食事に誘ってくれる友人のような上忍師』というだけの存在かもしれない。つまり、友人ですらない。
そんな注意力散漫な状態でも無傷で帰ったカカシはやはり実力があるのだろうけれども、カカシは自分のことをチキンだと評価していた。
そのチキンは十日間の任務をただ耐えるだけの任務と総評して、任務終了の期日にきっちりと里へ戻った。
十日ぶりにイルカと会えることからカカシの気持ちは浮き立っていた。こんなに長い間会わなかったのは再会して以来無いのではないか。衣服は少しどろが着いていたけれど、イルカに早く会いたくて、そのままの格好でカカシはアカデミーに向かう。
通いなれた道は、今日は矢鱈に長く感じたが、一歩一歩進めば確実に目的地は見えてくる。
いそいそと子供の居なくなったアカデミーに入り込み、職員室を覗いた。
「……?」
いつもと、雰囲気が違う。いささか雰囲気が騒がしい。
「あ、カカシ先生!」
背後から声を掛けてきたのは、見知らぬ女だった。ぎょっとして身を固めると視線が痛いくらいに突き刺さる。
「こんにちは、任務終わられたんですか?」
アカデミーの人間とはいえ知らないおんな。女性として魅力的ではないとは言わないが、興味は無く、そんな品を作られて話しかけられてもまともな答えを紡ぐのでさえ勿体無い。
しかし相手はイルカの同僚。その葛藤がカカシから「はあ…」という微妙な答えを引き出した。そして、相手はカカシの心境など知ってか知らずか、構わず自己紹介を始めてぴーちくぱーちくとさえずり出す。カカシはそれを聞く振りをして視線だけはイルカの姿を探した。
その間何故かアカデミー職員からの視線がちくちくと痛い。早くイルカを連れてアカデミーから出たいなと初めて思った。
漸くイルカが職員室に戻ってきて、捕まえる事が出来た。
「イルカ先生」
女の話は途中だったようだが聞いていなかったので話の切れ目も気にせずにイルカに声を掛ければ、いつもと少し反応が違い、カカシに気づいたイルカは悲しそうに微笑んだ。
「カカシ先生、お疲れ様です」
「お疲れ様です。イルカ先生この後空いてますか?」
「…あ〜…」
イルカから初めて躊躇うような態度を取られる。任務帰りに折角アカデミーに寄ったのにイルカには振られ見知らぬ女に絡まれただけでは悲しすぎる。慌ててカカシはどうにかイルカを連れ出そうと必死に考えた。
「あ、あの…っ、有名な豆腐屋さんがお店を木の葉の中にも出店しまして、今日はそこに行きませんか。旨い日本酒も沢山置いてあるそうなんですよ」
その言葉でイルカは更に困ったように眉尻を僅かに下げてしまう。
「長期任務で臨時収入も入りましたし、今日はおごりますよ!」
もはや必死だった。こんなになりふり構わず人の気を惹こうとしたのは初めてだ。その必死さがイルカに伝わったのか、イルカは困った笑顔を崩さずに頬を掻きながら「夕食ご一緒しましょうか」と了承してくれた。嬉しいと言うよりも、ほっと安堵する気持ちのほうが強い。
「だけど場所はいつもの居酒屋で良いですよ。飲み代は割り勘で……」
そしてそのイルカの語尾を浚うかのように今までカカシの正面に立っていたおんなが急にイルカの横に回りこみ、がっちりと乳房で挟む形でイルカの腕を抱きこむ。
「わたしも連れて行ってください! 勿論、割り勘で良いんで」
と、おんなはカカシに了承を求めて、「ねっ」とイルカの同意を強要した。その様子を見ていた数人の男女が俺も私もと急に名乗りを上げてきた。
目を白黒させていると逃げ出そうとしているひのいの姿が視界に入って、それから困惑気味のイルカと目が合い、イルカは視線で申し訳なさそうに頭を下げた。イルカがカカシを見た瞬間に少し表情を曇らせたのはこのことが原因だったのか、と妙に納得した。
きっとカカシに心酔している(と思しき)ひのいが同僚にあること無いこと色々誇張して吹き込んだに違いない。例えば「イルカ先生と親しいはたけカカシは写輪眼を持っていて金もある、そこそこ男前で気前がいい」的なことを広めれば、こんな風なことになるかもしれない。
本当は断りたかったし、面倒だったが、カカシはここに居る全ての人間がイルカの同僚ないし関係者なのだからと己に言い聞かせて、必死に愛想いい顔を取り繕って、快諾した振りをした。
総勢十八名で入った居酒屋は宴会場みたいになってしまった。カカシはイルカと二人きりで来たかったのに、よりにもよって九倍に膨れ上がってしまっている。そして一番話したかったイルカとはものの見事に離された位置に座らされて、カカシの周囲は女たちがけばけばしい順に取り囲んでいた。おそらくその女たちについて来たと思われる男たちがイルカの周囲を囲んでしんみり呑んでいる。時々男たちがイルカに触れるたびにカカシは思わず膝をテーブルにぶつけた。
結局その場でカカシはイルカと一言も話すことが出来ず、かと言っておんなどもの話を聞くわけでもなく、任務明けのおよそ二時間をまんじりともせずに過ごす羽目になったのだ。
盛り上がるイルカの同僚達を尻目に会が――――そもそも『会』になる予定は無かった――――お開きになったのはイルカがカカシの体調を心配してくれたお陰だ。不機嫌になって黙り込むカカシが本調子ではないと思ったのだろう、イルカが気を利かせてカカシが任務明けだということを周囲に伝えて、何とか抜け出して来られたのだった。
「私、送っていくわ」
などと一人が言い出して、他のおんなどもも合唱し始めた時には流石にぴきっとこめかみが引きつるのを感じた。しかし。
「ああ、俺がお送りしますので、皆さんはこのままお続けになってください」
イルカがそう申し出てくれたことで機嫌が一気に持ち直すのを感じた。
「じゃあ、イルカ先生。お願いします」
とカカシも調子を合わせれば、おんなのこたちも不満げだったがすごすごと引き下がって、その店で飲みなおすことに決めたようだった。
「それじゃあ、お疲れ様。また明日」
イルカがにこやかに居酒屋を後にするのに倣い、カカシも会釈をしてその場を後にした。
「今日はすみませんでした…」
居酒屋が見えなくなったところでイルカがカカシの正面に相対し、生真面目にぺこりと頭を下げた。
「あ、いや。イルカ先生の所為じゃないですよ」
「…ひのい先生が、皆にカカシ先生のことを話してて、それで皆が興味を持ったらしいんですが…。それを止めることが出来ませんでした…」
そんなことではないだろうかと思っていたが、まさか本当だとは。
「それこそイルカ先生のせいじゃないですよ。俺のことを勘違いしているひのい先生の所為ですよ」
勘違いさせた俺も悪いのかしら、と言えば、イルカはまじめに話しているのに、と少しむくれながらも、肩の力を抜いたようだった。
「でも、もう今日みたいなのは勘弁ですよ。おれはイルカ先生に会いに来ているのにあの場所で一度も話が出来なかったじゃないですか。もう今後こういうのはごめんです」
「そう…ですね…、済みません…」
心なしかイルカの頬が赤く染まったような気がした。カカシがそれを確認しようとじっと目を凝らせば、ばつが悪そうな顔をして再び歩き始めてしまった。
「それにしても、やっぱりカカシ先生はもてますね」
「はあ?」
「最初は胡散臭い感じだったし、訳のわからない行動をとったり、俺からしたら常識の埒外にあるような人だと思っていました。でも、それは……」
イルカはそこで話すのを辞めて俯いたが、歩みは止めなかった。
「イルカ先生…?」
様子がいつもと違う気がする。夕方、アカデミーで会った時は同僚の事でカカシに後ろめたい事があった所為だと思っていた。しかし、もしかしてもっと別の何かがあったのかもしれない。
「何でもないです。忘れてください」
口を挟むことを許さない強い調子でイルカに話を打ち切られてしまった。話の続きをしてもらいたいと思ったけれど、イルカは何かを考え込んでいるように俯いて先を急ぐから、カカシも黙ってそれに付き従った。
結局分かれ道までイルカは口を開こうとはしなかった。左に進めばカカシの家、右に進めばイルカの家。そこに至るとイルカは急に立ち竦んでしまった。
「イルカ先生。今日はお疲れ様。送ってくれて有難う」
カカシがそう話しかけてもイルカは動こうとしない。ただ、じっとカカシを見上げた。
「…イルカ先生?」
イルカの目に酒気は無いし、狂気も感じない。ただ真摯な瞳で見つめられてカカシは思わず目を眇める。眩しい気がしたのだ。
「…お部屋までお送りします」
「え」
それはイルカがカカシの家まで来ると言う事か。カカシの家に、イルカが。
それから家に上げて茶でも出して、ちょっといい雰囲気になったらちゅうの一つでもして――――。
そこまで一気に妄想して、カカシは思わず身体を硬直させた。
実際カカシはイルカとのそういうことを想像した事がなかった。薬の件があって、それ以来イルカを性的な目で見るのを自分に律していたからだ。しかし、後一歩踏み込めば現実になるところでもその理性が働くかと言えばそうではなかった。そこまでカカシは意志の強い人間ではない。咄嗟のことに脳みそが無駄に回転してしまった。
「カカシ先生。俺部屋を知らないので案内してもらえますか」
イルカの身体は既に左の方へ向き、一歩を簡単に踏み出してしまった。
いやいや、意識しすぎだとカカシは自分を戒める。イルカのことは本当に好きだけれど、イルカはカカシの事が好きではないと言う事も解っている。
イルカは二年前の暗部だったカカシに今も心を奪われているけれど、そのカカシは今のカカシではない。それと同様にイルカも違うかもしれない。二年前のイルカと、今のイルカは本当に同じだと言えるのか。
カカシは、早合点は致命傷になると自分に言い聞かせて、先を促すイルカの先導を買って出た。
「ひのい先生が言っていたんですが…」
おもむろにイルカが語り出したのはやはり、ひのいの言だ。どうしてもイルカはひのいの言っている事が気にかかるらしい。
「カカシ先生は写輪眼を持っているそうですね…。それってその隠された左目の下ですか?」
「…ああ。そうですよ…」
気になったのはそんなことなのかとカカシは若干拍子抜けした。カカシの写輪眼は誰かに言いふらすようなこともしなければ、隠しもしていない。隠そうと思えば写輪眼の正統後継であるうちはの特徴とは似ても似つかない色の白さが隠してくれるし、むしろ、ソレのお陰で隠れても無駄だからだ。どこに行ってもカカシは目立つ。
「それを手に入れた経緯とかは聞きませんが、今それはどんな風に嵌っているんですか…?言いたくないなら、別に…無理に聞こうとは思いませんが…」
「どんな風にって…。普通の目玉ですよ。入れたときは目蓋に切れ目が入っていたので大して無理もせずにきゅきゅっと詰め込まれた感じで、今は何の違和感もありませんが…」
「…――――」
カカシの一歩後ろから附いてきていたイルカは立ち止まってカカシの顔をじっと見つめる。立ち止まるのが遅れたカカシとは数歩の距離だ。
「…イルカ先生?」
若干ホラーのような話に気持ち悪くなったのだろうか、食後にそんな話をするのは信じられないと言った顔で、イルカはじっとカカシの事を凝視している。カカシは促されたから写輪眼の嵌り方を教えただけのつもりだったのだが。
「…気持ち悪くなりましたか…?」
「……いいえ…」
数歩差が出ていた距離を埋めるようにイルカが歩き始める。隣に並ぶのを見計らってカカシも歩き出した。
「カカシ先生は…一度だけ男の人と関係した事があるという話を聞きましたけど、本当ですか?」
「…なんで…そんなこと…」
ひのいはそんなことまで知っていたのか。いや、二年前の戦場に居た人間ならばだれもが知っていてもおかしくは無い。なぜならばカカシはアスマにイルカを引き渡した時、すぐそばに姿は見えなくとも部隊長格の人間が近くに居たのだから、彼らから話が漏れる可能性が残されている。
そこまで考えて今度はカカシが足を止める番だった。
もしかして、イルカはあの暗部がカカシだと気づき始めているのではないか。
「カカシ先生…?」
立ち止まってしまったカカシにイルカは静かな視線を送る。その落ち着き払ったイルカの様子が、こちらの心をざわつかせた。
イルカが気づきかけているのだとしたら、さっきの写輪眼の話はしてはいけなかった。イルカはカカシの左目に縦に走る傷があることを知っている。二年前のあの夜にカカシがイルカに触れることを許した所為だ。それが写輪眼だったとは話していないし、傷の形状までは口にしていないが、勘が鈍くない限り琴線に触れる発言であるはずだ。
カカシは自分が未だかつて無いほどの緊張をしていることに気が付いた。
もしイルカがカカシの隠し事を知れば、良くも悪くもこのままの関係ではいられないだろう。この居心地のいい関係が変わってしまうのは怖い。
しかし、気づいたことを解っていながら放置も出来なかった。こういう傷を残しておいて怪我の功名なんて言えた試しがないのだ。放置した場合、時間が経てば経つほど膿んできて周囲を腐らせ始める。そして終には切り落とさなければならないという運命が待ち構えているのだ。
それだけは耐えられなかった。傷つくのは怖いけど放っておくともっと怖いこととがおこるという脅迫観念でカカシは口を開いた。
「…家に、寄って行きませんか」
そこで存分に話合いを持つつもりだ。
果たしてそのカカシの申し出にイルカはこっくりと頷いたのだった。
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