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 翌朝目を覚ますと、裸でイルカを抱いたまま自分の外套に包まっていた。そばにあった焚き火はもうくすぶっているばかりだ。よくもまあ獣や敵に見つからなかったものだと自分のことながら呆れるやら感心するやら。
 まだ眠ったままのイルカを起こさないようにして火を熾すと、小川で汗を流す。服や髪に付いた血は昨日のうちにイルカと戯れながら洗濯していたから、すっかり乾いていた。
 昨晩の自分はやはり媚薬に犯されていたとしかいいようがないほどの稀に見る荒淫ぶりだった。一晩にあれだけ挑んだことなど未だかつてない。性を覚えたての頃だって眠気が勝ってしまうほどだったから、今回は間違いなく新記録を打ち立てただろう。きっと自陣に帰ればアスマに揶揄される事は必死だった。
しかし、今ではすっかり薬も抜けてしまって、今さらイルカをどうこうしたいという気持ちは湧いてこない。むしろ昨日の事は夢じゃなかったのかと思うほどだが、背中に沁みる裂傷はイルカがカカシに付けた交歓の証で、イルカにもカカシが吸い付けた痕が残っているのだろう。
 水浴びついでに朝飯用の小川の魚を捕まえた。拾った小石を勢いよく泳いでいる魚に向かって投げつけるだけで、ぷかりと水面に白い腹を向けて浮き上がってくる。
くないで木の枝を削った串に刺して手持ちの岩塩を砕いた塩を軽くまぶして火にかける。焼いている間にカカシはそっとイルカの下から自分の服を引っ張り出して身に着けた。
 まだイルカは死んだようにぴくりとも動かずに眠っている。昨日の晩の艶はどこにも見当たらない無邪気な寝顔だ。
「イルカ…起きて」
 フードを深く被り、すっかり身支度を整えてからカカシはイルカを起こしにかかった。
 疲れているから寝起きは悪いだろうと高を括っていれば、予想に反してたった一度の呼びかけでむくりと身体を起こした。周囲をきょろきょろと見回してカカシを発見し、自分の状態を把握して、それから真っ赤になって服をかき集めて裸の身体を隠そうとする。もう知らない訳じゃないのに、初心な反応だと思いながらも、堂々とされていればそれはそれで幻滅しただろうと勝手なことを考えながら、イルカがわたわたと身づくろいのために川に入っていく様子を眺めていた。
 それから二人で焼けた魚を食べて二人の痕跡を消した後、陣地への帰途に就いたが、イルカは始終無口だった。昨日あれだけ無理をさせてしまった所為で体調が悪いのかと思いきや、しっかりとカカシの速度には附いて来られるようだったし、息も切れていない。カカシと目が合うとふっと視線をそらしてしまい、話かける段ではなかった。
 無駄話をするわけでもなく、勿論迷子になんてなるわけも無いので、陣地にはあっさりと辿り着く事が出来た。
 まずカカシはイルカを伴ってアスマのところへ向かう。少し緊張した様子だったが、きっとアスマに会えば、その緊張した事自体が無駄に思えてくる事だろう。アスマは部下や仲間に優しい男だ。
 アスマは天幕で部隊長を集めて会議を開いているようだったが、入ってきた暗部がカカシだと分かると、こっちが困りそうなくらい大仰に出迎えてくれた。
「生きていたか、このやろー」
「ああ、なんとかね」
 軽口を叩き合う二人をぽかんと入り口に突っ立ったまま見つめていたイルカを、カカシはアスマに紹介した。
「この人の上に話をしといて。俺が借りてたって」
「……、…そうか…」
 勿論カカシの薬の事を知っているアスマは竦んでしまっているイルカを頭のてっぺんからつま先までしげしげと眺めて、最終的に「お前趣味が変わったか」とカカシに訊ねて殴られたのだった。
「まあ分かったよ。お前はどこの隊の人間だ?」
「はい、後方第二分隊の補佐です」
 アスマはぺらぺらと書類をめくり、ああと唸って隊長の名を上げるとイルカはそれに肯定した。分隊補佐ならそこそこ使える腕なのだろう。イルカはまあ体格にも恵まれているし、体力があることもすでにカカシは知っている。
「じゃあイルカ、お前の身柄は預かろう。カカシは次の仕事が入っているぞ」
 アスマはカカシに一本の巻物を押し付けるとそのまま追いやるように天幕から出して、隊長格の集う天幕の中にイルカを引き込んでしまった。
「あ…っ!」
 思わず声が出て、その声にイルカがカカシを振り返ったけれども、天幕の扉代わりの布は下ろされてしまって、彼はあっさりとカカシの視界から姿を消してしまった。
「………」
 カカシはそこに無言で立ち尽くした。
 こんなあっけない別れ方をカカシは想像していなかった。
 カカシは忍びだからいつも別れることや最期のことを想像して生きてきた筈なのに、あの男にはそんなことを考えなかったということだ。
 カカシには次の仕事が入っている。里を思えばどんな仕事でも辛くはなかったし、今でも仕事をこなす事がカカシの存在意義だと信じている。しかし、それに出立するのには今はまだ何故か、心が名残惜しいと叫んでいた。
――――イルカ。
 もともとはカカシのものだった天幕の中に今も居ることは分かっているのに、自分の仕事だとか、彼の今後を思えば後ずさることしかない。
 イルカとは交わっただけで殆ど会話らしい会話もしていない。彼の事についてカカシが知っていることは名前と顔と階級、ただ其れだけだ。そして、カカシには今名乗り出る事も出来ない。
 アスマから与えられた任務指令書と思しき巻物が、手の中でどんどん重みを増してくる。これ以上待たせるな、これ以上未練を持つなとカカシを急かしているようだった。
 向かうべき戦地はまだいくつも残っている。カカシの写輪眼を必要としている人間がまだ沢山居るのだ。
 カカシは後ろ髪を引かれる想いだったが、そろりと足を後ろに引いた。そこに魂だけ残ってしまうんじゃないかと思うくらい心が抵抗していたが、それを意志の力で振り払って、カカシは漸く天幕の前を後にした。



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