かけら
五
次の日、イルカは眠い目を擦りながら、記憶のことを問いただすためにカカシの姿を探したが、なかなか見つからなかった。今までだったなら、たいてい受付に勤めていれば、申し合わせたように向こうからやって来たのだが、今日は今のところそれがない。出来れば、大抵周りに人が多いイルカの任務中に聞けることではないから、こうして暇な時間に彼が居そうな所を探し回っているのだ。
グラウンド周りを歩き、裏庭に入る。どこの科も今は授業中で閑散としたものだった。
そこでふと後方に人の気配を感じて、振り返ると、アスマがやって来た。
「アスマ先生」
「よお、探したぞ」
探したと言うわりには、急いだ風もなく、ゆったりとタバコをくゆらしながら、手招きをする。
「どうしました?」
「いいから、来い。結果が出た」
その言葉だけで十分だ。
イルカは一瞬で表情を変えて、一つ頷いた。
薬の、カカシが服用している薬の調査結果が出たのだ。
イルカはアスマに連れられて、再び上忍本部の会議室に通される。途中すれ違った見知らぬ上忍何人かに、奇異の目で見られたが、気にしている心の余裕はなかった。
しっかりとアスマが鍵を掛けると、彼はテーブルに持っていた資料の全てを出した。
一言断りを入れて、イルカは一枚一枚確認していく。詳しいことになるとイルカには分からない。その道のスペシャリストでもないし、趣味もない。それでもアカデミーで教えていることだから、知っている方ではあるのだ。
「成分に曼珠沙華…?」
麻酔に使用される毒性の強い薬草だ。
「他にも、使いようによっちゃ毒になるもんばかりだ。それがただの痛み止めだとよ。こんなもん毎日飲んでたら、そのうち廃人になっちまわァ」
良くても何らかの障害持ちだわな。
そう言うアスマの言葉に、イルカがハッとする。
やはり、カカシはこの薬を服用することによって、記憶を失っているのか。
「ほんで、もう一枚の方、見てみろや」
イルカは言われるままに、紙をめくる。
「…え?」
そこに書かれていたのは薬の名前、いや、総称と言った方が良いか。普通に生活していれば絶対に見ることはないし、木の葉薬局で処方してもらえるものでもない。
『免疫抑制剤』
そう書かれていた。
「あいつも、暗部に配属になってなかったら分からなかったってさ」
「つまり、暗部の秘薬の一つだと?」
「そう言うことだ」
移植した臓器が、まだ悲鳴を上げていると言うことか。カンナの細胞が、まだ、カカシのものになりきれずに、自己を主張しているというのか。
「アイツが言うには、提供臓器が攻撃されている際の発熱だそうだ。軽くても平熱よりは二度高くなるそうだ。放っておけばどんどん高くなり、体が弱ってか、臓器が殺されてか、やっぱり死ぬ可能性は高いらしい」
イルカが一緒の時には、かなり具合がいいことの方が多かったようだ。本人もそう言っていたし、イルカもカカシがそんな高い熱を出したことを、一度しか見ていない。
「…アスマ先生」
「ん?」
資料の端を、とんとんと軽く揃えて、テーブルに置く。
「カカシ先生のドナーが分かりました…」
「本当かよ!」
イルカは無言で頷く。認めたくなくて、許し難くて、眉間に皺が寄る。
「アスマ先生が仰ったとおり、やはりカカシ先生と一緒に運ばれた忍で、名前はカンナ。藪内カンナ。昨日、あなたに待って貰った事実です。あのあと、カカシ先生本人が教えてくれました。」
「カンナって…それは」
イルカは小さく頷く。アスマはきっと暴れ出したい欲望を抑えて、ぎりぎりとタバコを噛み、拳を震わせる。
「許せねえな、きっちり落とし前をつけてもらわにゃ」
「カカシ先生も、犠牲者です。アスマ先生も言っていたじゃないですか、何時死ぬともわからないような重傷で、二人運び込まれ、いつの間にか手術が終了していたそうです。本人がそう言ってました」
「偽証なんていくらでも出来るぞ」
「…分かっています。でも、そんなんじゃないと思います。カカシ先生はカンナとオレのことを知っています。知って、教えてくれたからには、そこに嘘はないと」
もはや、自分の言っていることが人道的な観点からでしか評価できないような言葉であることは理解している。よもや、そんな戯れ言に近い、証拠も根拠も何もないことを忍である自分が信じるわけには行かないのだけれど、ここは戦場じゃない。とても個人的な領域で、失えば、ただの猛獣に成り下がる。意地ではないが、信じたい、カカシを。
アスマがじっとイルカの視線を射抜くような強さでもって見つめる。
「…分かったよ」
フィルタをかみ切り、吸えなくなったタバコを灰皿に押しつけて溜息をついた。
「これで、何もかもが繋がったな。暗部かもしくは火影様の意志により藪内カンナより、はたけカカシに臓器移植。一年間の空白はこの際の治療だろう。暗部が関わっているならば、不思議でもない。手術は成功したが免疫抑制剤服用の必要があり、それに伴い、記憶障害が生じて、今に至る…と」
アスマがそう簡単に言ったが、きっとそれだけじゃまだ済まされない。
「これからどうするか? 事実を突き止めたが、オレ達にゃあ何もしようがねえ」
「…まだ、確認したいことがあるんです…」
最初の疑問がまだ、片づいていない。
どうやら、カカシには二年前の大けが以前の記憶はしっかりしているようだ。カンナのことも、裏切った中忍の事も覚えているようだからだ。
しかし、それ以後に覚えた人間は、七班の子供、ナルト、サスケ、サクラ。そして、イルカも『記憶が繋がる』ことによってある程度、覚えて貰っていたが、昨日今日の、ほんの最近になってイルカを覚えたような感じがする。
確かめたわけではない。
しかし、急に。
そして、何故、三人の子供達は、都合がいいほど覚えられたのか。
「わかった。どうするかはお前のその確認とやらが終わってからにしよう。時間は要るか?」
「…分かりません、予測が出来ません」
「よし、気長に待つことにしよう。何か分かったことがあったり、援護が必要なときは連絡をくれ。相手は、暗部と火影様だからな」
気をつけろと言うアスマに、イルカは彼の目を見たまま、強く頷いた。
「免疫抑制剤で、記憶を忘れるんですか」
帰りがけの所を偶然掴まえられて、再び自宅に引っ張り込んでカカシのことを分かることだけ教えたが、サスケは解せないと言ったように眉根を寄せて、訝しげな顔をする。
そもそも、理解の範疇を越えた話であることは間違いない。それはイルカにだってそうだ。
「そうみたいだな」
「…カカシの記憶を消すほどの強い薬で抑えなければいけないほど、その、ドナーの思いは強いんですね」
視線を逸らしたサスケの言葉が、印象的だった。
「それとも、逆でしょうか。カカシがドナーを頑なに拒むから、その思いを忘れさせなければいけないように強い薬が必要なのか…」
湯呑みを抱え込んだまま、イルカは、ぽかんとみっともなく口を開け放つ。
「…そんな風に考えたこともなかったよ」
「ただの、精神論ですよ。薬なんて詳しいことはまだ殆ど分からないから、子供じみた発想しかできなくて」
イルカは呆然としたまま、首を横に振る。
そんな風に、考えたことも無かった。確かに、サスケが言うように、自分とアスマが比較的大人な部分があるからだろう。なかなか原因が、精神的なものだと思い当たりにくい。
そうなるとしたら、イルカを覚えてくれたカカシは、本当にカカシなのか、それとも、細胞単位として生きているカンナなのか。
その考えは、きりりと、イルカの胸を痛ませた。
イルカはカカシを探した。
何日も、会えなかった。
例えば、いつも記憶を失った中で、カカシはどうしてイルカを探し当てていたんだろう。姿形の分からない、声すら知らない人間をどうやって捜していたんだろう。
暗部の人間と火影、そして、三人の子供達しか知らないで、他の人間は知りようもなく、覚えようもなく、不安だったに違いない。
生まれ育ったはずの里で、誰一人覚えられず、過去の罪に苛まれながら、生きていくというのはどういうものなんだろうか。
想像を絶する世界だ。
そんな中で、例えばイルカの存在はどんなものなのだろうか。
もしかしたら、カカシの中のカンナの細胞がカカシにイルカを覚え込ませたのかも知れない。それでも、もし、イルカがカカシの立場にあったならば、その人を求めるだろう。
まるで渇きの時、水を求めるように、凍るときに毛布を求めるように。
現にカカシの初期の行動はまさにそれだ。イルカを『気になる』と言い、何度も連日、夕食に誘った。イルカの存在が傍にあるように求めた。
今は、もう、必要がないのだろうか。
カカシは全くイルカに接触をしない。イルカの存在を理解して、シフトを把握しなければそうできないはずなのに、受付の時間を確実にずらし、往来でも全くと言っていいほど姿を見ない。
どうやってカカシは、イルカを探したのだろう。
イルカはカカシを見付けきられなかった。
そうして避けられていると分かっている時点で、カカシが以前押しつけた鍵を、使うのを躊躇わせた。
カカシは明らかにイルカの存在を知っている、覚えている。
何故、避ける。
イルカは、毎夜、少しだけ泣いた。
そうして、カカシを好いているのには何も変わりなかった。
カカシとの接触が無くなってから十日以上過ぎた頃だろうか、イルカはその日にちを殆ど見ない。
ナルトがイルカの家に駆け込んできたのだ。どこから走ってきたのか、息を枯らして、涙目になって。
「どうしたんだ?」
慌てて家に上げようとするがナルトは反対にイルカを引きずり出そうとした。
「ど、どうしたんだよ」
「カカシ先生が…!」
ナルトは荒い息の中、それだけ喘ぐように絞り出した。
「もう、ダメだってば。イルカ先生には言うなってカカシ先生が言ったんだけど…!」
カカシの身に何かがあったのだ。
ざわりと体中の毛が逆立った感覚に襲われる
「カカシ先生は今どこに?」
「…家、カカシ先生の…!」
イルカは一つ頷くと、今にもへたり込みそうなナルトを家に上げる。
「オレは今からカカシ先生の所に行って来る。お前はここで少し休んでから、アスマ先生を呼んできてくれ。もし、少し探して居ないんだったらそれでいいから」
訳も分からずにナルトはイルカの言葉を反芻すると、その場に寝転がって荒い息を吐いた。
イルカはナルトに家の鍵を託すと、急いでカカシの家に向かった。
何があった? これ以上何がある?
なぜ、ここまでカカシを苦しめるんだ。
訳も分からずに、自分のことのように、イルカは涙こみ上がってくるのを感じた。
走る足が、とても重く感じた。普段ならば、屋根を越え、梢を渡ることが出来るほど軽いこの脚が、まるで、何者かに捕らえられたかのように、思うようには動かなかった。それよりも、意識が、心がはやって体がついていかないのだろうか。
「カカシ先生!」
何とかたどり着き、カカシの家に駆け込むと、そこには呆然とした風に、サスケとサクラが居た。二人ともイルカを見た瞬間に、体中を弛緩させたのが分かった。
「イルカ先生ー!」
今にも泣き出しそうな顔でサクラが駆け寄ってくる。
「カカシ先生は?」
その言葉にサスケが視線を逸らして、その場所を無言で知らせる。
カカシはぐったりと布団に転がっていた。駆け寄ると、一目で分かるぐらいに熱があるようだった。肌の色が明らかに変わっている。この状態が何日続いているのだろう。下手をすれば自らが発する熱によって、皮膚のタンパク質が不可逆変化を起こすのではないかという熱さだ。額に手をやると、驚くほど熱い。
「カカシ先生」
「……イルカ先生…?」
そのカカシの言葉にサスケがびくっとその身を震わせる。サクラはほっとしたように、小さな溜め息を吐いていた。
「さっきまで、意識、無かったのにー」
そう言いながらぼろぼろと泣き出してしまった。
「カカシ先生、薬、飲みましたか?」
「……」
カカシは目蓋を落として小さく首を横に振った。
「何故です? あれが無いとあなたは…」
そこで、イルカはハッとして、サスケとサクラと隣の部屋へ追い払った。不審がるだろうが今は仕方ない。
「…あなたに、酷いことを…」
「え?」
カカシは両拳をきつく握り締め、目蓋に当てて呻いた。口角が、戦慄いている。
「この前、オレはたった一人の友人であるあなたを、犯してしまった…。あなたはあの時嫌がらなかったけれど、オレのことを想いやってくれたんだと分かる…」
「カカシ先生…?」
「薬を飲めば忘れてしまうみたいだから、だから、飲めなかった…。あんなに酷いことをして自分だけ忘れるわけには…」
ごめんなさい。
そうしてカカシは贖罪をするのだ。
イルカはその言葉の衝撃に一度身を震わせて、その場に立ちすくんでしまった。
ああ、恋人同士と思えば、自然な行為なのに、友人だと。
これで、一つの可能性が浮き出てくる。
最初の疑問。
何故、子供達は覚えられたか。
こうなれば簡単だ。
「カカシ先生、そんなことどうでもいいです。薬、持ってきますから飲んで下さい」
カカシに反論させる間もなく、イルカは寝室を後にして以前探ったケースの薬を取りだして、コップに水を汲む。
「起きあがれますか?」
カカシは小さく首を横に振る。それは起きあがれないことを意味するのか、飲みたくないと言う意志なのか分からなかった。イルカは構わずに自分が一口水を含むと、そのまま、横になったカカシの口に直接移した。
カカシは驚いたような顔をしたが、イルカには取りあえず、憚ることではない。カカシのことをまだ好いていたし、カカシも自分のことを思っていてくれてると信じている。
「飲む順番がありますか?」
その質問にカカシははっきりと、いいえと応えた。イルカはカカシの喉に粉が直接かからないように注意しながらその口に二つ、薬包紙を開いて、再び口移しで水を与える。今度はカカシも顎を少し上げて、飲みやすいように受け入れる。それを三回繰り返して、何とか薬を飲ませた。
「眠って下さい、忘れてもいいです。あなたに死なれるのはカンナを殺すのと同じことです。ここにいますから」
「…はい」
カカシは、素直に目を閉じる。イルカはそれを見届けるとふと視線を上げた先、観葉植物が水分を無くして萎れかけていた。
毎日、カカシが薬を飲むたびに、水を与えられていたのだろう、その土はからからになっていた。イルカは、コップに残った水を、カカシを真似て与えた。凄い勢いでその土は水を吸い込み、もっとを欲しがる。根腐れされてもイヤなので適度に与えて、後は放置した。
カカシの記憶。
簡単な構造だ。
追い忍や、暗部には記憶を操作できる忍が居る。実際には催眠で覚え込ませているだけだが、カカシの記憶はまさにそれだろう。
子供達三人のことも覚えて居ないのと同然だったのだ。
予め、カカシが何も記憶が出来ないと分かっている彼らは、三人の情報を無理矢理カカシに覚えさせる。それは自然な記憶ではないから、薬を飲むことによっても忘却の対象となりえないに違いない。
付け焼き刃の記憶で、カカシを操作している。
カカシが覚え始めたイルカの存在をかぎつけた彼らは、イルカのことを慌てて覚えさせたに違いない。慌てたが為に『友人』と短絡したか、わざとそうしたのかイルカには分からなかったが、カカシに近づく人間が居ては心安らかではない。
きっと、この前カカシが行った『リハビリ』の時にそう、催眠をかけられたのだろう。だいたい時期が一致するはずだ。
要らない罪悪感に苛まれて、一人で生きて行くしかない、かわいそうな人。
落ち着いた呼吸を繰り返すカカシにほっと一息吐いて、イルカは寝室を後にした。
今度は子供達を安心させて上げる番だ。
イルカがカカシの家中をひっくり返し、結局何もないことを理解してから、買い物を済ませて戻ってくると、ナルトが戻ってきていた。今にも泣きそうな顔で、小さく謝ってくる。
「髭の先生、見付けきらなかったってばよ…」
「ありがとう」
しょぼんとするナルトに、イルカは笑って、頭を撫でる。買ってきたばかりのココアを不揃いのカップで、三人に淹れて上げた。
三人はそっと、寝室のカカシを心配して視線を送る。時々、部屋に入って、進んで額に置かれたタオルを絞り直し、軽く汗を拭いて、甲斐甲斐しく世話を焼く。
イルカの期待通り、カカシが三人に優しく接してくれていた証だと思って、イルカは嬉しくなった。
サクラと協力しながら夕食を五人分も作った。一人暮らしが長いイルカには初めての経験だし、サクラやナルトはキャンプのような感覚で楽しんでいた。サスケはカカシのベッドの傍に座り込んで、何処かから持ち出した本に目を通している。あの、いかがわしい本ではないかとサクラが頻りに気にしていた。
カカシは、四人が夕食をそこで済ませても目を覚まさなかった。
イルカが額に手を当てて、熱を診ると大部下がっているようだった。
「もう、今日は遅いから明日もう一度来なさい。カカシ先生はオレが看ておくから」
子供達は時計を確認すると、仕方なく納得したような風に、無言で頷いたが、少しだけ不服そうだ。
「また、明日」
「よろしくね、イルカ先生」
「ちゃんとサクラを送って行くんだぞ」
玄関先でそう諭して、そこから見送った。サクラを真ん中にして、三人はイルカのことを何度も振り返りながら、夜の闇に消えていった。
三人の姿が見えなくなると、イルカは再びカカシの眠る寝室に戻る。カカシは規則的な呼吸を繰り返して、眠っている。ベッドの端に腰掛けて、イルカは乾いたタオルで、首筋の汗を拭った。
カカシが目を覚ましたら、教えなければいけない。
「カカシ先生」
約束したんだ。
恋人同士であると。
暗部に教え込まれた『友人』という立ち位置に、お互いに居るんじゃないと、不安がるカカシにきちんと教えて上げると。
もし、もしそれでもカカシがイルカの言葉を信じられないのならば、今度はイルカがカカシに好きだと告げる番だ。
毎日だって、好きだと告げて、もうカンナのように失わないように。
「カカシ先生」
カカシの中に彼女が生きている。カカシが生きている限り彼女も生き残る。
「カカシ先生…」
イルカはカカシの体に縋り付くように、そのベッドに横になる。そして、伸び上がってその頬に口づける。悲しくも無いのに、込み上がってきた涙もそのままに、イルカは銀色の髪を梳いて、耳に目蓋に口づける。
イルカの涙が、零れて、カカシの頬に落ちた。
イルカはいつの間にか眠っていたらしい、目が覚めたのは、深夜だった。
身じろぎすると、どうも動きづらい。体を起こそうとして、やっと、自分がカカシに抱き込まれているのだと知った。
「起きましたか?」
ふと、耳元で声がかかり、びくっとしてカカシを見上げると、彼はにっこりと笑って、イルカを抱きしめる手に力を込める。
「どうしたんですか、オレに縋り付いて泣き寝入りしていましたよ」
イルカはハッとして体を起こすと、シーツの一部に涙の後と思われるシミが出来ていた。
「す、すみません…」
イルカはごしごしと目を擦って、ベッドから立ち上がった。
「あなた、凄い熱で、ナルトたちが心配していましたよ。何処かで倒れたんでしょう。夕食、勝手に作っちゃったんですけど、食べられますか?」
「ああ、本当ですか、嬉しいなあ」
カカシはへらっと顔を弛緩させるように笑う。
「あなたがずっと家にいてくれたらいいのに」
「給仕人という意味ですか?」
軽口を叩きながら、イルカは鍋を火にかける。冷蔵庫から塩鯖の切り身を取りだして、焼く準備を始める。カカシのために取っておいた、腹の、骨の取りやすい方だ。五人で分けたから少し小さいが、脂がのっていてとても美味かった。
「今から魚、焼きますから、暫く時間かかりますけど」
その、イルカの声にカカシの返事は無い。
不審に思って、イルカがカカシを振り返ると、彼は本当にすぐそばに立っていて、思わず身を竦ませる。
「…カカシ先生?」
「イルカ先生は幻滅するかも知れないよ、オレがどんなふうにあなたのことを見てるか知ったら」
「……?」
カカシはイルカをそこに張り付けるように、イルカを囲う形でシンクに両手をつく。
「もしかして性的対象にされてます? オレ」
そう冗談めいて笑うと、カカシの目が点になる。そして、顔を僅かに紅潮させた。
ああ、なんて、可愛い人なんだろう。
「好きです、カカシ先生」
目を逸らさずに言えただけ、上出来だ。そのすぐ後にいたたまれなくなって、硬直したカカシを押しのけて、鍋の様子を見た。照れ隠し半分。
蓋を取り、木べらで底からかき回したときに、背中から抱きつかれた。
「火の周りなのに、危ないですよ」
冷静を努めてそう諭したつもりだ。カカシはイルカの首筋に顔を埋めたまま小さく、ごめんなさいと呟くと、そのまま、抱きしめる手を強くする。まるで、イルカを自分自身に取り込もうとするかのように強い抱擁だった。
「大切な友人だから、あなたには知られたらいけないと思っていました…。あなたのこと、そう言う風に見ちゃいけないんだと…」
「……」
「オレも、好きです」
その言葉に、木べらを捨てるように投げ出すと、イルカはカカシに抱きついていた。
何度も、恋におちる。
何度忘れようとも、イルカが傍にいる限り。
「…一つだけ、聞いてもいいですか?」
抱きしめてくるカカシを少しだけ引き剥がし、顔を覗き込む。美しいオッドアイに射抜かれ体を竦ませてしまうが、これは、聞かなければいけないことだ。
「あなたが俺を好きなのは、カンナの細胞がそうさせて居るんですか? それとも、あなたの本当の気持ち?」
カカシは質問の意味を理解出来ないのか、暫くきょとんとイルカの、夜色の瞳を覗き込んだままだ。
「もし、例えばあなたの記憶障害が治って、他に人も覚えられるようになって、あなたに、他に、好きな人が出来てしまったらオレはどうしたらいいんでしょう。捨てられるんでしょうか」
「…イルカ先生」
明らかにカカシは動揺していた。
イルカがこんな事を言いだして、イルカの挙動に戸惑っているのではなく、痛いところを突かれて、急に不安になっているのだ。
「捨てられると分かっている相手に固執するほど、オレは弱い人間ではないです。かといって、好いた人を振り払って一人で生きていけるほど強い人間じゃない」
カカシはよろけるようにイルカの傍を離れて、椅子に、まるで尻餅をつくように力無くへたり込んだ。
「…分からないんです」
カカシはぽつりと呟いた。
「オレは、あなたのことが好きだという記憶しかない。今までこんな風に好きだなんて思ったことがないから、これはカンナの記憶なのかも知れない。でも、オレは今、確実にあなたが必要なんです。他には、オレには何もない」
「…カカシ先生…」
カカシは項垂れて、そこにへたり込む。丸まった背中が、捨てられた犬のようだった。
「オレの中には二つの人格はありません。自覚していないだけなのかも知れないですけれど。もしかしたら、心の奥深くでは、カンナが生きているのかも知れない…」
深層心理というのでしょうか、とカカシは一人ごちるように呟いた。
「でも、オレはオレの意志でもって生きて居るつもりです。記憶の自由は利かなくても、元々自由なんて利かないし、関係ないです。オレはオレでしかない。あなたにこういうと酷なのかも知れないですけれど、カンナの意志は、オレの意志の中に無いと思います」
「酷な話ですね…」
イルカは、眉根を寄せながらも、無理に笑おうとする。そうして、失敗していた。
「けど、亡くなった人を何時までも思っていられるほど、強くもないんですよ。オレは、さっきも言ったように、今はあなたが一番なんです」
「……」
イルカはカカシの傍により、項垂れたままのその、頭を抱いた。
「あなたが、本当にオレを好いていてくれるというのであれば、オレは安心してあなたと一緒に居られます…」
「…あなたに信じてもらえなければ、オレに存在価値はありません」
その言葉に、イルカは心が震えるのを感じた。
イルカが死ねばきっと死ぬと、カカシは言っているのだ。
「オレはあなたの支えになれますか? あなたの傍に居てもいいですか? もう、無くなったりしないって、言ってくれますか?」
カカシは改めてイルカの腰に腕を回す。
「はい」
イルカは自分からカカシに口づけていた。カカシは少し驚いたようだったが、イルカの好きにさせる。
初めて、口づけたときと、同じように触れるだけのキス。
「…もっと」
カカシが促してくるのに勇気づけられて、イルカはカカシを抱き寄せて、もう一度唇を重ねる。するりと、空いた口唇から舌を這わせて、互いの口内を思う存分に、味わった。
「…ねえ、イルカ先生…」
口づけて、うっとりとしているイルカに、カカシは腰を押しつけてくる。そこは既に堅くなり主張をし始めていた。
かっと、イルカの頬に熱が上がる。俯いて、何も応えられずにいるのを了承と取ったのか、カカシは夕食の準備をする火を全て止めて、ガス栓まで閉めると、イルカを寝室に引っ張り込む。
ベッドに押し倒すと、上から被さるように抱きしめて口づけてくる。息も吐けないほどに切羽詰まったように舌を吸われ、角度を変えて、イルカはカカシに食われるような感覚を覚えた。
熱を持った手は、体中をまさぐってくる。上着を奪うように脱がせると、すぐに首筋に吸い付いて、指で乳首を弄り始める。
「ハ…」
思わず声を上げそうになるのを、息を詰めて堪えた。弄られるもう片方も口に含まれて、甘噛みされ、吸い上げられて、つんと尖る。交互に舐られて、イルカの胸はてらてらと淫靡に光る。
羞恥に赤く染まった顔を背けるイルカの頬に、伸び上がってキスをすると、カカシはあっという間にイルカの下穿きを全て取り払った。触られても居ないのに、イルカのそこは既に興奮を覚え、ぷるんと立ち上がった。
カカシも全て脱ぎ捨てると、うっとりとイルカの欲を緩く握り、扱き始める。そうされるとすぐに力を持って、堅くなる。
「気持ちよくなってくれているんだ」
カカシはそう言うと、イルカのそれを躊躇いもなく口に含んだ。
「アッ」
ぬめって熱いカカシの口内は、たまらなく気持ちが良かった。もう、その行為に羞恥を感じている余裕なんてなく、イルカは切羽詰まった声を上げる。
「いい声…」
「ひあ…!」
竿を扱く手はそのままに、有りとあらゆる所を丹念に舐られる。裏筋に沿って下まで辿られ根本や袋までを交互に口に含まれ、吸い上げられた。
「ああん、いやっ、…んァっ」
「かわいい…」
カカシの舌はペニスだけでは飽きたらずに、アヌスにまで達する。太股を高く持ち上げられて、自分の膝の裏を持ち、見せつける形を要求されて、イルカは快楽に成す術もなく従う。
堅いままのペニスを手で擦り、唇と舌で直接唾液を送りながら、指をそこに埋め込んできた。
「アッ、…やっ、はあっ」
濡れた指と舌で、容赦なく探りを入れられて、イルカは声も我慢できずに、涙を流して悶えた。
「アア! なに…っ、ヤだ…ソコ…っ!」
「ああ、ここがイイ…?」
探っていた指である一点で何度も押して、擦ってやると、イルカの体が本人の意志に反して何度も痙攣するように震えた。
「イヤっ、ああ、あぁっ、ああンっ」
カカシがソコを刺激する度、イルカは猛った欲から先走りの汁をこぼす。イルカのその痴態にカカシは生唾を呑んだ。
ソコから指を引き抜いて、自分の猛ったものを押し当てる。
「…ア」
イルカが期待しているように、熱に浮かされた目でその様子を見ている。
なんて淫らな。
自分でカカシに見せつけるように両脚を開きながら、恥ずかしがって。
「もう、一生、オレ以外の人にはだれにもこんな事、させないでね」
荒い息を吐きながら、何度もイルカは頷く。だからはやくして、と強請られているようで気分が良い。
イルカがソコを食い入るように見ている。知っていて、カカシは見せつけるように、ゆっくりと押し入った。
「あ、ああっ」
ずるりと、自分の足を支えていたイルカの手が離れる。快楽のためか、手に握った汗のためか、支えきれなくなったのだろう。
「やっ、ヤだ! アアアっ!」
まだ、半分しか入ってないところで、イルカは狂乱したように、嬌声をあげて、カカシの入りきっていないものを、痛いくらいに締め付けて達した。
「…くっ」
なんとか、その締め付けによる射精感を遣り逃すが、ひくひくと、そこは一定に収縮を繰り返す。
「…ごめんなさい…」
イルカは小さな声で。真っ赤になりながら謝り、体を小さくさせる。なんて、浅ましい体。カカシが入っただけで、我慢できずに達してしまうなんて。
「…初めてじゃ、ないんですね」
肩口に口づけて、カカシが呟いたのに、はっとして見上げる。カカシは構わないと、首を横に振った。
「…誤解しています…、オレは、あなたとしか…」
「…?」
イルカは、顔を真っ赤にしたまま、カカシを見ていられずに、何とか言葉を紡ぐ。
「あなたは、覚えていないかも知れないけれど、オレとあなたは、何度も…」
「…セックスしていると…?」
その言葉に、カカシが恥ずかしくなるほどに、さらにイルカが赤く染まる。その拍子にまだ、半分ほど中に入っているカカシのものを締め上げた。それが、とても気持ちよくて、カカシは腰を揺すり、最奥まで突き上げた。
「ああっ」
イルカが眉根を寄せて喘ぐ。
「ああ、勿体ない。オレはあなたのこんな姿さえ忘れているんだ…」
イルカはその言葉には応えられずに、はあはあと息を吐いている。よく見れば達したはずのイルカのソコが、既に緩く立ち上がっていた。気付かない振りをして、カカシはイルカを労るように、顔中に唇を寄せる。そうすると、面白いくらいにカカシを締め上げて、焦れったいのか自ら腰を揺らめかす。
「カカシせんせぇ…」
イルカは堪えきれずにカカシを促す。
気持ちいい。
口に出して言えないところに、男の性器をくわえ込んで、喜んでいるなんて。
イルカがカカシにしがみつくと、それが合図だったかのように、カカシが腰を突き上げてくる。
「ああっ」
ぐっとカカシの背に爪を立てそうになるのを何とか堪えるので精一杯だった。
浅く深く、カカシがイルカを突き上げる。その変則的な動きに翻弄されて、イルカは声にならない声を上げ続けた。
「ねえ、ずっと、傍にいて。オレは、毎日あなたを好きになります」
イルカはその言葉を聞いて、涙した。
ああ、日々のことを忘れても、カカシはカカシで、自分を忘れてはいない。いつでも同じように自分のことを思ってくれている。
「…カカシ先生」
イルカはカカシの名を呼び、その体に縋り付くことしかできなかった。言葉にすればそれまでのような気がして、万感の思いを込めて、唇を寄せる。
「ああ、あなたを見付けることが出来て良かった」
うっとりと目蓋にキスされて、行為が再び始まる。
「ああっ、カカシ先生っ、ひあ…っ、ァ…っ」
いいところを何度も執拗に突き上げられて、イルカの欲は先走りで濡れていた。一度達してから、カカシに一度も触れられていないのに、後ろを突き上げられるだけで、堅く反応するなんて。
カカシはイルカの乳首を親指で押さえるように体を掴むと、そのままがんがん突き上げてくる。勿論、体の奥も狂いそうな程気持ちよかったが、弄られるでもなく、抑えつけられた乳首に、イルカは狂ったように喘ぐ。じんじんと、快楽が容赦なくソコに集まって、意識したくないのに意識してしまって、どうしても我慢が出来なくて、声を上げた。
どろどろの腔をかき回される水濁音と、肉を叩き付ける音に、耳まで犯される。
「ヤぁ…、も…っ、もう、ダメ…っ、でる…っ、ぅ…」
「うん、出して。いっぱい」
しがみつく手に力がこもる。目の前が霞んできて、上半身の感覚が雲散していく。しかし、それに伴い、下半身に意識が集まり敏感になった。
ぐいっと、カカシが一際深く抉ると、熱を堰き止めていたたがが外れたように、熱の奔流が一瞬にしてイルカの体を突き上げた。
「あーっ、ああっ、あああーっ!」
一瞬にして脳天にまで達した熱を、一度目よりも長く吐き出した。
同時に、カカシも小さくああ、と呻き、イルカの中に吐精した。
涙と涎と汗でみっともなく汚れきったイルカの顔を、軽く拭って、カカシがキスをする。応える気力もなくて、イルカはぐったりと、されるがままにしていた。
だんだんその後戯に熱が入って、抱きしめられ、再び乳首を舐られて、初めてイルカは抵抗した。まだ中にあるカカシが、徐々に力を取り戻していた。
「もう、ダメです…っ」
「うそ。あなたの体は凄いエッチだから、すぐに準備できちゃうでしょ?」
からかうように莞爾と笑われて、イルカの頬に熱が上がる。
「ねえ、好きです。イルカ先生。まだ足りない、もっと…」
優しく髪を梳かれて、熱のこもった瞳で求められる。
「もっと、あなたがオレのものだと言うことを感じたい…」
そう言われてしまっては、イルカには断れもしない。ゆるりと動く腰に、足を絡めて、しがみついた。
「オレも…」
明日は、仕事が普通にあることだとか、子供達三人が来ることだとか、実はナルトにアスマを探させていたことだとか、全て考えの隅の方に追いやって、今はカカシのことだけ。自身を握ってくる手だとか、優しく寄せられる唇だとかに、集中して、イルカは身も世もなく喘ぎ続ける。
腕の中の熱を、必死にたぐり寄せて、置いて行かれないように縋り付く。
やっと、手に入れた愛なのだと。
胸を突き抜けるような喜びに、言葉無く、叫んだ。
翌朝、イルカが目を覚ますと、カカシが既に起きていて、顔を覗き込まれていた。
「おはようございます」
「…オハヨウゴザイマス…」
上機嫌のカカシににっこりと微笑まれて、何が何だかわからず、挨拶し返していた。
「んー、夢じゃないんですね!」
そう言うとカカシはイルカを抱き込んで顔中至る所に、口づけてくる。
「ちょ…っ、カカシ先生…っ」
何かを言おうとした唇を、あっさりと塞がれて、言葉はそのままカカシに呑み込まれてしまった。最初は触れ合うだけだった唇が、徐々に深みを増してくる。
寝起きの頭には濃厚すぎて、くらくらとした感覚を覚えた。
「ああ、イルカ先生…。あなたは髪の毛一本でもオレのものです」
「勝手を言わないで下さい」
イルカはカカシの体を押し返して起き上がろうとした。しかし、その瞬間背中に激痛が走った。
「っっ!」
思わず呻いて、元の、ベッドに仰向けの体勢に戻ってしまう。
「…ああ、昨日少し無理させましたか」
自覚がないのか、と思わずイルカは突っ込みたくなった。
昨晩、いや、今朝方まで続いていたカカシとのセックスは、今までにないくらいカカシが執拗でイルカが燃えた。
イルカはそれこそ精が果てるまで吐き出させられ、最後には泣いて許しを請うたのだ。
最後の方は本当に快楽だったのか分からなくなるほどだった。腰の一つや二つ、痛くなろうと何もおかしな話ではない。
「今日はオレが全部面倒見ますよ。先ずはお風呂? それともトイレ?」
「結構です…」
イルカは何とか我慢しながら慎重に起き上がって、カカシにちょこちょこ手伝って貰いながら、何とか服を着た。
「ナルトたちが来ますよ。早く着替えて置かないと…」
「オレは一向に構いませんが」
しれっとそうのたまうカカシに青筋を立て、追い立てて、無理矢理後始末をさせた。
そうしている間にイルカは朝食の準備をした。昨晩の残りにちょこちょこっと手をくわえて、残っていた鯖を改めて焼き始める。手早くみそ汁も作ると、結構豪勢な朝食になってしまった。
「うわー、すごいー。これから、毎日こんな朝ご飯が食べられるんですね」
カカシはそそくさとテーブルについて、イルカの給仕を待つ。
「あなたとの同居はオレ、イヤです」
暗に新婚のようだと言っているカカシに、イルカは根本からそれを否定して、さっさと片づける。たんたんと、手早く白飯を茶碗に装い、温め直した煮物をテーブルに出した。
イルカが椅子に座ると、二人手を合わせて食事を開始する。
「えー何でですかー」
「有りとあらゆる意味で、オレが死んでしまいます」
それにきょとんとした顔でカカシがふと考えるような仕草をする。
「だって、イルカ先生。感度はイイし、反応可愛いし、全身でオレのこと誘ってくれるんですもん。そらあ頑張っちゃいますよ」
その言葉にイルカが喉を詰まらせる。頬が赤いのは咳き込んだせいか、照れのせいか。
「あに、バカなこと言ってンですかー!」
「ああ、あなたに見せて上げたい。あんなにも可愛いイルカ先生を…」
それがどうやら本気で言っているらしいので、イルカは青くなったり赤くなったりして、まるで烏賊のようだった。
「でも、本気な話、あなたを殺してしまうようだったら、止めておきますけれど、一緒に暮らしてくれませんか。あなたが毎日、傍に居るのと居ないのとでは、天地の差がある」
天国と、地獄という意味で、とカカシが付け加える。
「…考えておきます」
その小さな声に満足したのか、カカシはほっと安心したように、顔中を弛緩させるようにして笑った。
イルカが一番好きな、だらしない笑みだった。
食事が終わると、イルカはカカシをベッドに押し込んだ。今日はお互いに無理矢理休暇を取った。
夜を明かすほど激しい性交をしておいて、何を今更と言う気がしたが、さすがにあれだけ高い熱を出したカカシを今日、任務に出すわけには行かないような気がしたし、自分は何より、今日確実に使い物にならない。少し前屈みになるだけで呻く始末だから、授業のように立ちっぱなし、受付にいるときの座りっぱなしは、相当辛いことは目に見えている。明日のことを考えて、今日は有給消化だ。
イルカが痛い背中に四苦八苦しながら、カカシに洗わせたシーツを干してしまった頃に、子供達三人が仲良く現れた。
まず、飛びつこうとするナルトを躱すこともできずに、イルカは大ダメージを受けて沈没しかかった。
困ったことに、幸せな痛みだった。
三人は元気なカカシの様子に、安心したり喜んだり、憤慨したり様々だった。カカシのベッドの近くに居たがって、頻りにカカシに話しかけている。カカシは明らかに戸惑った様子だったが、まんざらでもなさそうで、始終、機嫌が良さそうににこにことしていた。
昼前にアスマがやってきて、子供達を引き取っていった。カカシとイルカが休みという連絡を受けた火影が手配したのだろう。外で待っていたイノ達と仲良く連れ立っていく。
「イルカ先生」
見送ったあとに、呼び寄せられて、キスして、交わった。
やっぱり背中は痛かったけれど、気持ちよくて、昼前からイルカはカカシの手管に泣き叫んだ。
三人が戻ってくるまで、一緒のシーツで、昨晩の付けを払うように、ゆっくりと眠る。
「ああ、家族のようですね」
ほっとするような呟きを最後に意識がとぎれるのを感じた。
カカシはやっぱり、小さな熱を出していた。
西の空が茜に染まった頃、子供達はアスマに見送られて、カカシの家まで戻ってきた。
熱のためか、寝込んでしまったカカシの代わりに礼をすると、アスマは女房みてえだと笑った。
「カカシ先生、大丈夫なの?」
不安そうに見やるナルトの頭を安心させるように撫でてやる。
「大丈夫だよ、強い人だから」
買い物を頼むついでに、サクラは帰っていった。二晩続けて夕食をごちそうになるわけには行かないと、律儀な子だった。
「親もいるしね」
彼女は元気に手を振って帰っていった。昨日と同じように女の子を真ん中に、歩いていく背を見送って、今できる夕食の準備に取りかかった。
昨日よりは大部いい状態のカカシをたたき起こして、四人で食事をし、子供達を帰しても、カカシの熱は下がらなかった。
「カカシ先生、薬を飲みませんか?」
「…イヤです」
カカシは頑なに首を横に振り、拒絶するようにイルカに背を向けるように横臥状態になる。
「カカシ先生…、そのままじゃあ、弱って死んでしまいますよ。お願いですから、飲んで下さい」
「…いつもより、症状が軽いんです。堪えられないほどじゃない…。だから、飲みません…」
「何ですか、その理屈は」
持ってきた水とコップを枕元に置いて、イルカは呆れたように、ため息をつきながら、ベッドの端に腰掛けた。
そうしたら、カカシもこの、観葉植物のように死を待つだけなのに。
「…記憶を、なくしたくない…」
カカシが、そう呻いたのに、イルカはハッとして振り返る。
「カカシ先生…?」
「記憶がないオレは、あなたを失望させて、信じてもらえない…。薬を飲んで記憶を失うのは、飲まないで死ぬよりも拷問なんです…」
カカシはシーツを握り締めて、小さく体をすくめた。
記憶を、なくしたくないと何度も呟いて、その度、このまま消えてしまうんじゃないかと思うくらい、体を縮めていく。
思わずイルカはそれを止めようと、カカシの肩を力任せに自分の方に引いて、体を開かせた。
イルカの突然の行動にビックリしてイルカを見返すカカシの唇が切れて、そこから血が流れていた。
いつの間にかかみ切ったのだろう、これじゃ自刃行為と変わらない。イルカが手を当てて、初めてカカシは流血に気がついたようだった。
「死なないで」
イルカはそう言うのが精一杯で、カカシの体に縋り付く。
「…カンナを生かしたいからですか…」
「……!」
思いも寄らないカカシの言葉に、ばっとイルカは顔を上げると、カカシは苦しそうに顔を歪めて、今にも泣きそうだった。
「あなたこそ、本当にオレのことを好いてくれて居るんですか…? カンナではないオレを見てくれていますか…? 例えば、カンナがオレのドナーでなくても、オレのことを好いていてくれたでしょうか…」
イルカは思わず、カカシの服ごとシーツを握り締める。呼吸が出来ないように苦しい。
「…オレを、疑うんですか」
「だって、おれはあなたを覚えられない! 例え、昨日あなたが誰と抱き合っていようと、それを目の当たりにしても、薬を飲んでしまったらそれを忘れて、オレは…! 信じるべきものなんて、オレには何一つ無いんです。自分の存在すら、疑わなければいけない。寄るべきものは、何も…」
「オレを、信じてはくれないんですか…?」
「信じたい! でも、あなたはオレを疑っている!」
そうだ、自分を守るために、この、不安で震えるような人を疑った。
イルカは、カカシの体を抱いた。
「死なないで、生きて。オレには、もう、あなただけしか居ないんです。オレは、好きでない人と、セックスなんて出来ません。カカシ先生、おれはあなたが好きなんです。オレをかけらほどでも覚えてくれているというそれだけでも、優越感に浸れるんです」
言っていて、涙が零れてきた。
苦しいのはカカシなのに。
唯一イルカを覚えられたことに、深くカンナが関わっていたとしても、それは、カカシの記憶には違いないのだ。カカシが、イルカを記憶したのだ。
ああ。
背筋に電撃が走り、微少電流が筋肉を震わせ、全身の毛が逆立つ感覚に襲われる。
一瞬にして閉じた世界が開いたような気がした。
「あなたと、カンナは、もう別物ではないんだ」
その言葉にカカシもイルカも硬直してしまった。
カンナはもうなく、それまでのカカシももはや亡い。今あるカカシは、カンナあってのカカシだ。また、カンナはきっと、カカシが最後の存在意義だったに違いない。
ああ。
イルカは言葉無く嘆息した。
もはや、切り離して考えることなど不可能なのに、イルカはずっとそれを考えていた。どちらがどちらの記憶か、だなんて。分けられるはずもないのに。例えば、イルカを覚えたことがカンナの臓器に起因しているのだとしても、カカシは一生、それを抱えて生きて行くしかないのに。
ゆるりと、カカシの腕が、イルカの背中に回る。
「ああ」
カカシが、全てのわだかまりを吐き出すように溜息を吐き出した。
「やっと、認めてくれましたか」
そのカカシの言葉に、イルカは涙がぶわっと込み上がって来るのを感じた。ゆっくりとカカシの腕が抱きしめてくるのに、ぼろぼろとみっともなく溢れさせて、涙はカカシの浴衣、胸元に染み込む。それすら心地よさそうに、カカシはうっとりとイルカを抱きしめる。
「…ごめんなさい、ごめんなさい…」
「いいんです…、本当なら、オレは憎まれる相手です…。好きになってくれて、ありがとうございます…」
涙が、浴衣に染み込んだように、言葉が、こころにじわっと広がる。体中のしがらみがそこを中心にしてことごとく剥がれて、素の肌がやっと空気に触れるような開放感だ。
カカシは、イルカを抱きしめたまま、何度も好きだと囁き、髪に目蓋に唇を落とした。イルカはみっともなく泣きはらしたままで、カカシに縋り付いて眠った。
意識を失いかけたイルカに、カカシが再び、暫く一緒に暮らしてくれないか、という問いかけて、今度は、イルカも夢うつつに小さく頷いた。
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