かけら
四
目が覚めると、すっかり朝になっていた。頭上の窓、カーテンの隙間から柔らかい光が差し込んでくる。ゆっくりと寝返りを打つと、そこには眠ったままのカカシの顔があった。抱き込まれて眠っていたらしい。お互いシーツを被って、体がひどく汚れた感じがしないことから、後始末をやってくれたに違いない。
昨日の今日で、何だか気恥ずかしいが、まだ、カカシは眠っている。そのまま、闇夜でじっくりと見られなかった素顔を観察した。
睫毛はあまり無いのかと思っていたら、銀色だったらしい。光に当たって、キラキラしていた。異国の人みたいに、皮膚の色素が薄い。肌理が細かく、少し女性的な肌の持ち主だ。そっと、その頬に指をあてる。そのまま下にずらして、口唇に触れた。
昨夜、この唇が、自分に触れたのだと思うと、何だか神聖な気持ちになった。首を伸ばして、イルカは目を閉じて、そこに小さくキスをする。
再び目を開けると、カカシの目がぱっかりと開いていた。
「っ!」
思わずイルカは息を呑んだ。
まさか、起きるなんて!
「おはようございますー、イルカさん」
カカシは気にした風もなくイルカの体を抱き込んで、なんども啄むようなキスをイルカの顔中に降らせた。
くっついてきたその体が何だか熱いような気がして、秀でた額に手を差し込んだ。少し熱があるようだ。
「カカシ先生、無理はしない方が良いですよ。熱が出てます。もう少し休んで下さい」
「ああ、いつものことです」
カカシはイルカを解放すると、下穿きだけ身につけて寝室を去ってしまう。暫くするとコップに一杯の水を汲んで戻ってくる。
「薬飲みましたから、これで一時間ほど眠れば戻るはずです。でも、今日は比較的楽な方ですよ。いつももっと酷いですし、薬もかなり飲む時間が遅いのに」
コップの水を観葉植物に少しだけ掛けてやると、あとは枕元に置いて再び、イルカと同じシーツの中に潜り込んでくる。
「イルカさん、ここにいて」
小さい子供みたいにイルカの腰にしがみついて目蓋を落とす。せめて自分が裸なのをどうにかしたかったが、そのままカカシは安心しきったように寝息を立て始めたために、身動きが取られずに、途方に暮れた。
コップの水を一口飲んで、ぼうっとしていた。
今日は休日だから、夕方に家に戻られればそれでいい。
カカシとのんびり休日を過ごすことだけを考えていた。
カカシはきっかり一時間後に目を覚ました。
「おはようございます」
そう声を掛けると、イルカはカカシの額に手を置いて熱を確かめる。カカシはビックリしたようにイルカを見て、赤くなって飛び退いた。
「…え?」
様子がおかしい。ここに居ろと懇願したのはカカシの方だったのに。
「…えーと、……名前…」
そう言われた瞬間に、やっとぴんときた。
記憶障害。
「イルカです、カカシ先生」
「あの、これは一体どういう状況でしょうか…」
イルカは素っ裸、カカシは上半身裸で、勿論写輪眼を晒している。事実をそのまま口にすることが気恥ずかしくて、ちょっと俯くと、カカシは真っ青になった。
「…ま、まさか… オレ、強姦とか…」
「! ち、違います! そんなんじゃないです! ちゃんと、合意です!」
慌ててイルカが叫ぶように誤解を正すと、カカシは一瞬動きを止めて、穴の空いた風船のように、その場にへたり込む。
「よかったー…」
深々と息を吐いて、カカシは萎みきってそこに項垂れる。
「ちゃんと、意志を確かめましたよ。おれはあなたが好きです」
「…イルカ、さん…」
おずおずといったふうにカカシがそばに寄ってくるのに、イルカは少しだけ笑ってその体を抱きしめた。
一番、不安なのは本人だ。
きっと、自分が今もしカカシの立場だったなら、相手が言っていることの半分も信用できないだろうし、それでも、惹かれて、混乱するのだろう。
躊躇いがちに抱き返してくるその人に、キスをした。カカシは抵抗せずにうっとりと受け入れてくれる。
ああ、恋に墜ちてくれている。
熱を持って、さすられる背中。夢中になってどんどん深くなるキス。いつの間にか主導権はカカシに移っていた。
「あの、イルカさん…」
「? はい?」
返事をすると、その途端に、シーツに体を押しつけられた。
「あの、いいですか」
「…!」
こんなに日が高いうちから!
悟り、イルカは羞恥に顔を赤くした。
ああ、でも。
カカシの顔を見上げて、イルカは覚悟を決める。
そんな不安そうな顔をしていたら、断れないじゃないか。
イルカは何も言わずに一つ頷いて、小さく口づけた。
カカシの愛撫を覚えたイルカの体は、あっという間に熱に浮かされて、二度三度達した。カカシも昨日より激しく、長くイルカの中を奔放に暴れ、許しを請うイルカに、やっとその熱を吐き出す。
いつの間にか昼を過ぎた白光の中で、下に敷かれて見上げるカカシの体に予想以上に傷跡が多いことに気がついた。その一つ一つを撫でると、カカシはくすぐったそうに笑って、もっと、とねだる。悪戯する気分で、イルカはカカシの心臓の上を強く吸って、跡を残すと、いつの間にかお揃いの場所だった。
「傷が多いですね。もっと華麗に上忍の仕事をされているのかと思っていました」
「そんなことはないですよ。毎回泥まみれ土まみれです」
ぐったりとシーツに体を預けていると、カカシが、イルカの体中を熱いタオルで拭いてくれる。時折、啄むだけのキスをした。
ああ、でも、とカカシが言葉を重ねる。
「怪我だけの跡じゃないですよ。手術の跡もかなりあるはずです」
「その、二年前の大けがの時のですか?」
カカシはビックリしたように目を見張ったが、オレはそんなことまで話しましたか、と苦く笑って、一つ頷いて肯定する。
「皮膚移植をしたんです。六十パーセントぐらいの皮膚が焼けただれて」
「…そう、なんですか…」
「毒気を吸ったらしく、肺も…」
「……」
最早、継ぎ接ぎだらけになって生きているカカシ。何のために、そこまでして生かされているのか。生きていてくれて良かったと思う。こうして出逢うことが出来たのだから。しかし、悪意さえ感じるようなカカシの生かし方にイルカは疑問を抱かずには居られない。一体、誰が犠牲なっているのか、誰が利用しているのか。
「ああ、済みません。こんな話、イヤですね」
イルカの沈黙を気乗りしないものだと受け取って、カカシは小さく笑ってから作業を続けた。
「いえ、何だか、実感沸かなくて…。あなたはそうして、今ここに存在しているというのに」
「そうですね、感謝しています…」
カカシは誰にとも言わず、目を伏せた。銀の睫毛の下でオッドアイが揺れた。
翌日、カカシがまた不安がってイルカを離さないから、泊まってみれば、やはりカカシはイルカを忘れた。そして、前日と同じように宥めて諭してやると、すり寄ってきて、体を求めるのだ。渋るイルカに一度だけと、また、あの淋しそうな目をして追いすがられるから、ほだされてみれば、朝っぱらカカシはイルカを二度達させた。自分は約束通り一度だけ。
詐欺だ。一昨日が初めてで、昨日今日と体をつなぎイルカはもう暫くは満腹だ、いや、からからだと言わんばかりにベッドで朝から疲れはてる。
現金なことにカカシは拒んで上げなければ、上機嫌に、イルカにじゃれてくる。
「イルカさん、今日、家に行って良い?」
「ああ、そう言えば来たこと無いですね」
出かけ際に約束を取り付けて、カカシは楽しそうに指切りなんてものをイルカにさせた。
「今日、オレ検査なんです。二年前の大けがで…」
「大丈夫、分かってますよ。リハビリと検査ですよね」
カカシは、困ったように忘れっぽくてごめんなさい、と小さく笑う。謝る事じゃないのに、とそう思ったがイルカは口に出来ずに、同じように眉じりを下げて笑った。
「五時にアカデミーに来てもらえますか? それまでに仕事、きちんと終わらせておきますから。あ、それまでにカカシ先生の方は終わりますか?」
「大丈夫ですよ、楽しみにしています」
ああ、それからと、カカシは玄関でイルカを待たせたまま奥へ行き、再び戻ってくると、イルカに鍵を差しだした。
「いつでも来て。オレにあなたのことを教えて下さい」
そう言われてキスをした。
朝からカカシが元気だったせいか、さすがに早めの出勤が常であるイルカも今日は遅くギリギリに来たために、アスマが呼び出しているのに午前中には応えられなかった。アカデミーでの授業が入っていた所為だ。
時間が空いたのが昼休み直前で、おかげで相当待たされたアスマは少し苛立っているようだ。
呼び出された上忍の控える建物の、防音の出来た一室が、タバコの煙で空気が白く濁っている。
「何だか、機嫌がいいみたいだなあ」
むっつりとして嫌みの一つでも言ったつもりだったのだろうが、イルカはさっと、顔を赤らめる。
ふひーと、緩く首を左右に振りながら煙を吐き出して、アスマはこんもりとしてきた灰皿にタバコを押しつけた。
「聞かせろ」
「は?」
崩していた相好を、微妙な形に引きつらせてイルカはアスマを見上げる。
「なぜ、ヤツに興味を持ったか、だ」
「…アスマ先生…」
「調査の報告はお前の話を聞いてからだ」
アスマはそう言うと、再びタバコを取りだして銜えた。聞く体勢にすっかり入ってしまう。黙ってイルカは立ち上がると、添え付けの給湯室に入って、二人分のコーヒーを入れた。こっそりと換気扇を回して、湯だけを沸かして、インスタントで済ませる。
いやに小さくて上品なその部屋のカップは、二人にとても不釣り合いだった。
これはどうやら、火影が隠匿しているらしいことをイルカは最初に断っておいた。
そして、カカシの記憶障害のことを告げた。新しく覚えることが出来ないこと、今のところ火影と三人の子供は確実に記憶していること、自分だけは辛うじて覚えてくれていること。
「記憶障害があることは御自分でも自覚されているようでした」
ぱたりと、テーブルにタバコの灰が落ちる。その量から、アスマは一度もそのタバコの灰を灰皿に落とさないでそのまま維持していたようだ。
「…そりゃ、他国に漏れたら大変な話だわな。オレが言うこっちゃねえが、上忍は一騎当千の人材だ。それの不調が知られれば里は面白くない。また、他国はその上忍を潰すことも考えてくる…」
皆までいわねえが、と小さくアスマは舌打ちした。
「カカシだから、今までずっと他国と闇にいたヤツだから今まで隠せてきたが、ここでボロが出たと言うことか…」
「アスマ先生…」
「気をつけろ、イルカ。アイツは暗部に見張られている」
「……」
あの日カカシが見付けた暗部はその為の人間だったのか。ふと、視線を逸らすと、アスマが息を吐く。
「心当たりがあるようだな」
「…次はアスマ先生の番ですよ」
うん、とぬるくなったコーヒーを一気に呷り、一息つく。
「カカシが暗部を退いた理由は知っているだろう」
「二年前の大けがが原因でとお聞きしましたが」
「そのときカカシは瀕死とも言われる怪我で、同程度の怪我を負った人間と二人で暗部の医療班に運び込まれている。医療班の人間の話によると、カカシは何とか持ったが、もう一人の死体は人間と判別が不可能なくらいにバラバラになっていたらしい」
「二人…」
そして、生き残ったカカシと、バラバラの死体。
「…もしかして、カカシ先生はその人に臓器を移植してもらったんじゃ…。本人が言っていたんです、二年前の大けがで皮膚と、肺と…あと、何て言っていたかな…」
「かもしれねえな…。そして、ヤツは、それから一年近くも姿を消して居るんだ。どの記録にも、その一年間は記されちゃいない。任務記録もないし、木の葉病院にも入院の記録がない」
「…まさか」
「本当だ」
ならば、カカシはそんな重傷で何処に行っていたというのだ。一年間も。何処で治療を受け、どうして復帰してきたのか。
「その間のことを考えられるのは多分一つだけだ」
アスマは言い出しにくそうに、何度か口にしようとして躊躇い、溜息をついた。
「そのまま追い忍部隊が介入したんじゃないかと俺は思う」
「追い忍… 何故…」
「あいつらはなまじ医療班よりも人体に詳しい。それこそ合法的に死体を弄っていられるんだから当然と言えば当然だが…。カカシの体を維持させるためにお呼ばれしたんだろう。そして、残りの死体の素性もまだわからねえ。おれはそいつが全ての鍵だと思う」
話は終わりだとばかりに、アスマは再びタバコを取りだして、火をつけた。
「イルカ、もうアイツに関わるな。お前が傷付くことになるぞ」
「アスマ先生」
「悪いことは言わねえ。関わり方によっちゃあお前、消されるぞ」
イルカは小さく首を左右に振った。
もう無理なのだ。
「退くことは出来ません」
「…イルカ」
「もし、今のこの状況があの人にとって苦しいものならば、オレに出来ることだけでもどうにかして上げたい」
もう、深く、関わってしまった。
感謝の意を深くこめて、イルカはアスマに頭を下げる。
「有り難う御座いました、アスマ先生。協力して下さってとても嬉しいです。でも、これ以上は、あなたこそ無益に傷付くかも知れない」
「かまわねえよ。オレは、オレの興味を満足させるだけだ」
イルカを突っぱねた言い方だったが、イルカには分かる、これがアスマの優しさだ。不器用な。
「申し訳ないです…」
思わず涙が出そうになった。
「取りあえず、普段の動きから調べよう。お前の話だとすると、だいたい二十四時間程度は記憶が残っているという風だったが、日付変更を境にぽろりと取りこぼすように忘れるわけじゃねえだろ」
「はい。最初は睡眠かとも疑ったんですが、覚えているときもあるんです」
「……」
何げに凄いことを漏らしていることに気がつかないイルカは、不審の目で見つめているアスマの視線が解せない。
「まあ、いい。何かカカシが常習している物はないか、タバコとか酒だとか」
「…タバコはないですね、お酒は強いようですけど、そこまでは…。無いなら無いで、お茶でも良さそうな感じですし…」
ふと、イルカはカカシの一日の様子を振り返ってみる。
そう、最初のうちと暫くは睡眠を境に忘れているものだと推測していた。しかし、初めてカカシに抱かれたあの夜、自分はあっという間に落ちてしまって確実とは言えないが、きっとカカシも眠ったはずだ。にも関わらず、翌日目を覚ましたとき、イルカのことを明らかに覚えていた。そして、薬を飲んでもう一度眠り、二度目に起きたときにはイルカを忘れていた…。
「…アレ…」
「どうした…?」
「……薬」
そうだ、あの時カカシは言っていなかったか、熱がでていると言ったイルカに『いつものことですよ』と。
「カカシ先生はもしかして薬を」
ぞっとして、一瞬にうちに口内が干上がるような感覚がした。イルカは昨日も一昨日ももカカシがそれを飲んだという事実を知っている。
「何の」
「そこまでは分かりません。ただ、本人は熱冷ましのようなものとしか思っていないようです」
そう、確かに熱は引いたのだ。だが、二度目に起きた後カカシの記憶は無かった。
「熱を出すのが頻繁らしくて、カカシ先生は、オレが知る限りで必ず寝る前にそれを…」
「…くせえな」
アスマは、顎の髭を弄りながら、虚空を睨み付けて呟く。
「だいたい、小さな子供でもあるまいし、何だよ、その毎日必ず熱を出すなんてぇのは…」
熱と同時に記憶まで奪う薬が、あるのか。上忍の体は薬に慣れきって、その程度リスクのある薬でなければ効かないということなのか。
「暗部に居たヤツだと、あり得るかも知れねえなあ」
思わずといった呟きに、アスマは律儀に応えてくれる。
「ただ、問題は薬じゃねえな、この場合」
「え?」
アスマは灰皿でとんと灰をたたき落として、もう一度タバコを口元に持っていく。
「問題は熱をだす原因だ」
きっぱりとアスマは言い切る。確かに言われればそうだ。この際、記憶障害はその為の副作用と考えた方が自然だ。
「そんな熱の出方は異常だ。未だ入院状態だってもおかしか無いような状態だ。そんな強い薬ならば、処方を少し間違えたり、違う薬との併用で毒になるようことが必ず起こるはずで、さすがに相手が上忍で薬の知識はあって当たり前でも、野放しに出来るはずがない」
病院は明らかに退院なんて許さないだろう。
「その熱を自然治癒させるという意味で野放しにしておけば、記憶障害よりもカカシ先生にとって酷いことが起こると…。例えば、死…」
「…もしくは、カカシにそうさせている連中、この場合は暗部か火影様の、都合の悪いことが露見するか…だ」
余りにも客観的なアスマの意見に、イルカは震える思いがした。忍とはそうあるべきものだということを了解しているが、信じるべきものを失えば、忍は人でなくなるとイルカは考えている。
イルカとて里長を疑わなくもなかったが、アスマのようにその可能性を念頭に置いて考えることはなかった。
しかし、里長は腐っても大忍、隠匿したいことの一つや二つは必ずあるはずなのだ。里にひた隠しにして、秘密裏に処理しなければならない後ろめたい何かがあってもおかしくないのだ。
「…その薬」
アスマの声の調子は変わらない。
「薬包紙からばれない程度に少しでいい取ってこられないか」
それでも上忍相手にはしんどい作業だが、イルカには頷くしかない。
もしも、カカシの今の状態が本人に苦しいものであったならば、イルカは救ってやりたいと思うのだ。おこがましい考えかも知れない。
しかし、危険と隣り合わせにいる二人目の恋人を、ずっと傍から見ていて、一人目と同じような目に遭わせるわけにはいかなかった。
もう、見守るだけではダメだと言うことを知っている。それに見合う想いもある。
イルカはこれからのことを、アスマと簡単に確認を取ると、午後半休を取り付けて、家に帰ることにした。
偶然にもカカシがくれた鍵を使う時だ。
今更かとも思うが、イルカはナルトの姿形を借りて、カカシの家まで行く。普通に考えて中忍の、あまり接点の無いはずの自分がカカシの家に行き、無断で入り込むというのは変な感じがする。ナルトならばカカシの教え子だし、アイツの性格上、あり得ない話じゃない。
午後のこんな時間は人通りが少ない。暗部が居ないか意識をしてイルカはカカシの家に上がり込んだ。
薬を、飲んだという事実を知っていても、イルカは残念ながら薬を見たこともない。大抵台所付近だろうと予測をつけて、イルカは手袋をはめて家捜しを始めた。
家捜しをしたという感覚は、忍、それも上忍となれば雰囲気で何となく悟られることがある。イルカはそれを覚悟しながら、せめて証拠を残さない意味で、手袋を着用した。
明らかにものが少ない。
ここ一ヶ月、カカシと夕食を殆ど供にしてきて、確かにイルカも前ほどものがたまらなくなったが、少し異常とも思える。今日の朝までは気がつかなかったことだ。
ああ。今朝、隣の寝室で睦み合ったのに、今ではこんな事をしている。とても奇妙な感じがした。
小さな食器棚の足下にある引き出しを開けると、そこから四食に色わけされた薬包紙が大量に出てきた。こんなことはどうでもいいことなのかも知れないが、木の葉病院で処方されるときに使われる薬包紙ではない。
イルカは、四色の量の割合から、だいたい、カカシの一回の薬の量を量る。橙、臙脂、山吹、桔梗で一、二、二、一くらいの割合だろう。一つずつを取りだして、丁寧に開き、用意してきた真っ白の薬包紙に中味をほんの少しだけ取り、わざと元の折り方と左右反対の折り方をして、出来るだけ底の方にしまい込んだ。
あの薬を見たカカシは、誰かがあの薬包紙に細工をしたと勿論考えるだろう、その時、彼はその薬包紙の薬を飲むことを見送るはずだ。もしも、今回イルカが採取した微量の薬でさえバランスを崩すともなりかねないデリケートな薬であるならば、飲ませるわけにはいかない。
イルカは出来るだけ痕跡を残さないようにカカシ宅を去ると、一旦自宅に戻り、変化をといてアスマが待つ上忍本部へと赴いた。彼が、カカシの話を聞かせてくれたという元暗部医療班の男に話を付けて、調べて貰うという話になっている。
アスマは約束通り、人通りの少ない、裏庭のベンチでうまそうにタバコをくゆらせていた。
「アスマ先生」
「おう、来たか」
アスマはどっかりと座った体勢を、緩慢な動きでかがんだ姿勢まで持ってくると、イルカに隣りに座れと促す。
「お持ちしました」
イルカは小さな封筒をアスマに差し出す。
「割合など、ちょっとしたことは包み紙に書いてあります」
「分かった。無理はしてねえだろうな」
「はい」
「この結果が出るまでは暫くは動かねえぞ、じっと体力を温存しとけ」
その封筒でイルカの頭を軽く小突いてから、アスマは背をかがめて、さっさと立ち上がり行ってしまう。
「よろしく御願いします」
そう、その背中に声を掛けると、さも、面倒そうに振り返りもせずに彼は手を振っただけだった。
その背中を見つめたまま、一人では、何もできないなあとぼんやり考えた。
日は既に傾きつつあった。
時間より早めにアカデミーにカカシを迎えに行くと、カカシは驚いた顔をしてイルカを見た。
「どうしたんですか? そんな顔をして」
「だって、今聞いた所なんですよ、イルカ先生、具合が悪いから午後半休取ったって」
「口実ですよ」
「口実」
きょとんとした顔でカカシが反芻する。
「あなたが来るから、家の片づけをしていました」
そのイルカの言葉にカカシはふわっと、ありがとうございますと笑った。
行きましょうか、とイルカが促すと、カカシは黙って頷いて、イルカの隣を歩く。途中で晩ご飯に何が食べたい、あれがいいなどと話ながら、買い物をした。
「そう言えばあいつらも呼べば良かったですね」
家に上がり込み、カカシはのんびりとお茶を啜り、イルカは夕食の支度をしながら、他愛もない話をしているときだった。
「え?」
卒然のカカシの言葉に、イルカは目を白黒させる、何のことか分からない。
「ナルトたちですよ、やだなあ、イルカ先生」
「あ、ああ」
想いを通じ合わせてから、カカシの口から、二人の間に子供達の話を持っていくことは全くなかったのに、急に持ち出されてイルカは戸惑った。
「そうですね」
同意もお座なりになる。
「でもまあ、あいつら交えると、お開きの時間が確実に早くなりますね。まあいっか」
カカシは自己完結してしまって、近くにあった雑誌を手に取り、めくり始める。
何だか、イルカは違和感を覚えた。
何とは言えないが、昨日までと、違う。
戸惑い動揺しながら、イルカは夕食を作った、味見をしても何だか異様に薄い気がした。
カカシは美味しいですと、全てを平らげてくれた。
夕食を食べてから暫くして、カカシは熱を出した。
今までとは明らかに違う、高熱だ。
「カカシ先生、大丈夫ですか」
慌てて、イルカは自分のベッドまでカカシを運ぶ。カカシはぐったりとして何度もイルカに謝った。
「…薬があるので取ってくれませんか」
イルカが脱がせたベストを指さし、カカシが力無く言う。言われるがままにイルカはそこから薬を取りだした。
山吹と橙、臙脂に桔梗、六包。イルカが目算したのと同じ分量だ。それを手渡すと、イルカは水を汲んできてカカシに渡す。カカシは辛そうに起き上がると、全部の薬を無理矢理呑み込んでいた。
「こんな高熱を出すんですか…」
「こんなもんです…」
少し休ませて下さい、とカカシは布団の中に潜り込み、再びごめんなさいと謝った。
一時間ほど寝かせてから、イルカが眠っているカカシの額に手を当て、熱を診ると、すっかり下がりきっていた。カカシは健やかな寝息を立てている。
一体アレは何の薬なのだろう。
くずかごに捨てられた薬包紙。
その時、カカシは苦しそうに眉を顰めて呻き始める。後ろめたいことのあるイルカは、びくっとしてカカシを振り返ると、カカシが首を左右に振っていた。うなされているのか。
「カカシ先生…?」
それとも起きているのか、イルカが声を掛けても、しかし、カカシは苦しそうに喘ぐだけでその目を開けない。
「…ナ…」
「え…?」
明らかに呻きでない言葉がカカシの口から漏れる。
「…カンナ…」
その呻きを聞いて、イルカは硬直した。
カンナ。
鮮やかな華を模した名前は。
「…カンナ?」
人名だとすれば、それはとてもイルカには馴染みのある名前だ。
「カカシ先生…」
カンナ。
「カカシ先生、起きて下さい」
イルカはカカシの体を揺する。
「カカシ先生!」
そして、激しくなりかけた頃、カカシはやっと目を覚ました。苦しそうに呻いて、喘息をついて、目蓋を持ち上げる。
「イルカ先生…?」
「カカシ先生! カンナって…」
そのイルカの言葉に、カカシはびくっと体を反応させる。
カンナ。
それは。
「カンナって誰ですか…?」
それは、イルカが愛した女性の名前だった。
「どこで、その名を…?」
明らかに戸惑っているカカシの声に気がつかないほど、イルカは混乱を極めた。同じ暗部の所属だったのだから、知っていて当然だという考えも思い浮かばない。
「あなたが、うなされてその名を」
「…どうしてイルカ先生がその名前の人を知りたがるんです…?」
無理矢理起こされて、カカシの声は明らかに不機嫌だった。しかし、それ以上に混乱しているイルカを感じ取って、カカシはイルカを責めない。
「その人は…、カンナは、昔、好きだった人の名です。暗部にいて、いつの間にか亡くなりました」
「……そうですか…」
イルカは今自分がどんな顔をしてカカシの傍にいるのかも分からない。
「教えて下さい! カンナは、カンナは…!」
「…カンナは、オレと同じ小隊にいました。そして、オレが大けがを負ったあの任務で亡くなりました…」
「…!」
「…オレなんかが残って済みません。あなただったんですね、彼女が言う、『待つ人』というのは」
「……」
不意に、涙が零れた。カカシの言葉にどう言っていいのか分からなくなった。
カカシに、オレなんかなんて言って欲しくない。彼女が自分のことを任務中にも、思ってくれていたなんて。
「カンナは、オレの為に死にました…。オレはそんな経験は初めてで、今でも時折うなされます」
ああ。
涙が止めどなく流れて落ちた。それを遮るように、カカシの手が頬に伸びる。カカシも困惑した顔をしていた。
なんてことだろう。一瞬にしてカカシが愛おしいのに、憎い対象にも移り変わろうとしている。カカシさえ居なければ、彼女は生き残ったかも知れない。でも、カンナは既に亡く、今愛する人はカカシしか居ないのだ。
「ごめんなさい」
カカシははっと手を引いて、ベッドから降りた。
「今日は、帰ります」
手早くカカシはベストと額宛をつけると、まるですり抜けるように出ていってしまった。
イルカは一人、寝室に泣き濡れたまま取り残された。
謝らないで。
ただ抱きしめて宥めてくれるだけでもいいから、傍にいて欲しかったのに。
イルカは声も上げずにそこにへたり込み、自分でも訳が分からず泣き続けた。
少し腫れた目で、アカデミーに出勤したイルカは、その目を同僚にからかわれながらも午前の仕事を終えると、午後からの受付任務の方に回った。
定時間際に、紅班、アスマ班の順に完了報告書の受け取りをしていると、入口の方できゃあきゃあと、聞き慣れた明るい子供の声が聞こえてきた。同時にイルカは顕著に反応を示して、震え上がった。
ナルトの声だ。カカシ班が任務完了して報告に来たのである。
「イルカ…?」
その、アスマの訝しがる声で、はっと我に返る。そして、アスマに報告書の訂正個所を指摘すると、再びカカシ班から逃れるような視線で俯いた。
しかし、空気の読めないカカシがそれを許さない。とことこと、イルカの方に寄り、報告書を提出する。毎日の恒例でナルトがイルカに自慢話を聞かせようと、躍起になって声を張り上げている間に、アスマは自分の子供達に解散を命じた。
そうして置いてアスマはイルカとカカシ(と、否応なしに入ってくる子供)の声に耳を傾ける。
「お疲れさまです」
定例通りのお座なりの挨拶でイルカはカカシを迎え、カカシもどうも、と挨拶になってない挨拶で応えた。
「イルカ先生、昨日は済みませんでした」
その言葉に、イルカは身を震わせる。
「一度、彼女のことで、あなたとじっくり話がしたいです。本当のことをあなたには話さなければいけない」
「…カカシ先生…」
「お願いです、イルカ先生」
イルカは俯いたまま暫く考えている。子供達は聞こえないだろう大人の話に、ちょっとした物々しさを感じて、離れたところで大人しく待っていた。
「…分かりました…。今日、いい時間に家に来ていただけますか…」
明らかに戸惑ったようなイルカの声に、カカシは何度も頷いていた。
一旦カカシが子供達を連れて出てしまってから、アスマがもう一度イルカに報告書を提出した。
「…どうしたんだ」
その質問に、イルカは一旦顔を上げ、それを辛そうに歪める。
「明日…」
辛うじて正面に対峙するアスマにだけに聞こえるような、イルカの震えた声。
「明日、話します。…待って、下さい…」
「分かった、無理はするな。今は、話したくないことだったら、話さなくていい」
アスマの言葉に、イルカは憔悴した顔で小さく微笑んで頷いた。
今日もアスマに遠慮をさせてしまった。
あの人は聡い人で、人の気持ちが分かるから、先回りをして相手のいいようにしてくれる。また、そうさせてくれる雰囲気がある。寛容で、とても安心できた。
イルカは夕食を作りながら、呆然とカカシの何処が好きなのだろうと、自問してみた。優しいけれど、いつもイルカの気を引くために切羽詰まったような感じだし、配慮はそこそこ足りていない。好感の持てるアスマと正反対で、でも、そんな子供のような所が、可愛いとも思う。キレイだし、強いし、イルカのことを好いていてくれるし…。
ぴたりと、調理の手を止める。
困った。
短所すら、好きだ。何処が好きか分からないくらい、何が理由で好きになったか分からないくらい、好きだ。
妙に香ばしい匂いに気がついて、慌ててイルカは火を弱め、フライパンの中をかき回す。
愛した人が、守ったものだ、無下には出来ない存在だ。
うんと、気合いを入れると、手早く大きめのお皿に炒めた野菜を盛りつけた。
それと同時に、呼び鈴が鳴った。
ちょっと多めの一人分を、カカシとイルカと半分にして、ちょっと少ないけれど、それを白飯でごまかしごまかし、夕食を済ませた。
「ごちそうさまでした」
カカシは箸を置いて、丁寧に手を合わせる。
「お粗末様でした」
手早く食器を下げてから、イルカは熱い茶を入れる。カカシはそれを嬉々として受け取り、猫舌なのか、四苦八苦して口に運んでいた。
「あまり、熱いものを食べたことがなくて」
そんなことを言いながら、頻りにふうふうと息を吹きかけながらお茶を飲む。
「長期の戦場を体験したことはないですけれども、そんなものなんですね」
「小さな頃から、ずっと戦場に居たんで、こういう温かいものは苦手で…。冬に凍ったものとかは平気で食えるんですが」
ほのぼのと戦場の過酷さを語るカカシは、けしてそれが辛いことだったとは思っていないようだ。そうだ、上を知りようがなければ、辛さなんて感じない。それは、当然のことになるのだ。
「……お話とは」
そんな暗部にいたカカシとカンナ。
「…ああ、そうですね」
カカシは虚をつかれたようにはっとしたようで、だいぶ声のトーンが下がる。やはり、言い出しにくいことだったのか、熱い湯のみを両手で弄んで視線を小さく彷徨わせる。
順序立てて話すのは苦手ですが、とカカシは断って、訥々と語りだした。
「二年前、Aランクの任務で連結ミスがありました。本来あってはならないことですが、古参の中忍の一人が、情報を売っていたらしいんです。これは後で分かったことなんですが。そのせいで、任務は勿論失敗です。この任務に大量な人員を割いていたので、戦線離脱にはしんがりが必要でした。…二年前オレが大けがをした任務です」
正していた膝を崩し、カカシは幾分ぬるくなったお茶を一口啜った。イルカはカカシの言葉の一言一句聞き漏らすまいと、呼吸すら憚る勢いで固まっている。
「オレとカンナの暗部小隊と二つの中忍の小隊でそれを務めました。里まで戻られたのは、その十二名のうち二名。しんがりが居たにも関わらず、たった一人の中忍の所為で先行隊も五パーセントは無駄死にです。勿論その中忍は今も生きているらしいですよ。生きているという自覚もないでしょうが」
イルカも聞いたことがある。里を裏切ったり、仲間を売ると科される超第一級犯罪者の咎は死刑などでは済まされない。体中の健を断たれ、猿ぐつわを噛まし自殺できないような状態で、一生殺されることなく拷問をされるのだ。贖罪、免罪などは絶対にない。勿論死ぬ前に気が触れる。しかし、それでも許されない。その道に長けた暗部が精神さえも治療してしまう。そして、拷問の繰り返しだ。
「カンナは」
ふとその言葉でイルカはその恐怖の思考から抜け出す。
「カンナはいつ何処で死んだんですか?」
「…カンナは、里に戻ってきました」
「え…?」
カカシはイルカの顔を見られずに、深く俯いてしまう。
「カンナはオレと、酷い怪我で、それこそ、お互いに重態というような状態で、暗部の医療班の手に落ちました」
そう言えば、アスマが言っていた。
生き残りはカカシともう一人。
死体はバラバラに…。
震えた手に、じわりと汗が滲み、熱を奪っていく。寒くて、歯がなった。
いやだ、それ以上言わないで。
「暗部は、オレを生かすために彼女を殺しました。オレに必要な全ての臓器を生きたまま取りだして、彼女を殺したんです。オレの存在が、彼女を殺した。オレは気がつけば、カンナの臓器で生きている体になっていたんです」
ああ。
イルカは瞠目したまま動けない。その目から、涙さえ零れなかった。
時計の、壁に掛かった時計の秒針が規則的に立てる音。それが、カチリ、カチリと大きくて、やけに間隔が長く、感じる。
動けない。
体が凍っている。
「カンナは帰りたいと言っていた。待つ人があるから。オレは何も持っていなかったのに帰してやることもできなかった。この目のために、カンナを奪って…」
カカシの自分を責める言葉が続く。
「ごめんなさい」
そう言って俯くカカシの青い瞳から。一筋の涙が流れた。
それを見た瞬間に、イルカの涙腺が一瞬にして開いて、ぼろぼろと涙が流れ出す。
ごめんなさい、ごめんなさい。
何度もカカシはそう呟いた。
死ぬことも、自分として生きることもできない、まるで例の刑を一身に受けて、身動きできないカカシ。文字通り人の死骸の上に生き延びて、その死に縛られて自由に死ぬこともなく、その死のために思うがままに生きられず。
ああ、そうしてその罪を雪ぎながらもまた、イルカに謝罪をするのだ。何度も。
ぎしぎしとぎこちない体を、カカシの涙を見たことによって動くことの出来る腕を何とかカカシに伸ばして、その涙に触れた。
その瞬間、体中の緊張が上からほどけるようになくなって、イルカは思わずカカシに抱きついていた。
「…辛かったでしょう」
そんな、場違いなことを言うので精一杯だった。
カカシは驚いたように体を硬直させていたが、やがて、縋るようにイルカの体を抱きしめた。そして、次第に強くなるその抱擁に、イルカはカカシが泣いているのだと思う。
肩口に顔を埋めるカカシの髪を梳いて、背中をゆっくり、呼吸を整えて上げるように撫でた。
だいぶ落ち着いてきて、イルカが離れようとしたとき、それに気がついて、カカシがイルカの体を強く引き寄せる。
「…カカシ先生」
涙に濡れて、押しつけて赤くなった瞳で真っ直ぐにカカシがイルカの顔を覗き込んでくる。もともと抱き合っていたために顔は間近だ。真っ直ぐ目を見ていたカカシの視線が少し下を向いた瞬間、キスをされると悟って、イルカは目を閉じた。
そして、躊躇いがちに、唇を押し当てられた。
一番最初に、そうしたときと同じキスだった。
イルカが唇を開くと、自然と舌が絡む。情熱的に背中をまさぐられ、髪の結いヒモを解かれて、あっという間に呼吸に興奮が伴う。イルカも一度離した腕を、カカシの背中に回して、置いて行かれないように必死で縋った。
その場所に押し倒されて、上着を胸の上まで捲り上げられて、乳首を吸われた。早急に前に手を入れられて、あっという間にそれは立ち上がってしまう。
恥ずかしいと思う間もなく、カカシがそのままずり下がり、イルカのその欲を口に含む。
「ああ!」
あまりの快楽にイルカは思わず甲高い声を上げてしまう。その喘ぎに煽られ、余裕もなくカカシはイルカを追い立てた。後孔に指を突き立てて、ぐいぐいと掻き乱す。いいところに当たる度にイルカは体を引きつらせ、汁を漏らした。
「イルカ先生…」
え、と問いかける隙もなく、カカシはイルカの両脚を痛いくらいに拡げて、その身を押し進めてきた。
「ヒア…っ」
押し広げられる感覚は未だに慣れない。ただ、そこをカカシで埋め尽くされると、言いようのない安心感があった。
しかし、今日はそれがない。
カカシは今、自分を何と呼んだのか。
思い返せば、教えるべき事を教えていない、自分とカカシは好き合った同士なのだと。
いつからだ?
考えようとするけれど、下から突き上げられる感覚に、脳がうまく働かない。
「ああっ、ひっ、…んぅ」
突き上げられるたびに、喉から意味のない声と、熱くなったイルカの欲から先走りが漏れる。
恐ろしいほどにカカシを感じる。イルカはいやいやと首を横に振ってその過ぎた快楽を堪えようとする。
ふと、不安になったように、カカシはイルカを揺さぶり続けたまま、前へ屈んできてカカシがイルカの唇を吸った。
イルカはカカシの着たままだった上着を捲り上げて、その素の背中を抱きしめて応える。
「ああんっ、イヤっ、…カカシせんせっ!」
今までにないくらい、内部の刺激にイルカは顕著に反応をした。自分でもそうと分かるほどに、快楽によってカカシのことをきゅうきゅうと締め上げている。カカシも切なそうに眉根を寄せて、息をはきだした。
限界が近い。
「イっ、ああっ、ああ!」
何度も執拗に探られたイルカの好いところを内側からすりあげられ、そこに熱いものを感じると、イルカもあっという間に達した。
恥ずかしいほど精液をまき散らして、体を震わせる。
激しく達した余韻で、イルカは内股が痙攣しているのを感じた。
ずるりと、カカシが引き抜かれると、そこから液体が流れ出る感覚に、たまらない羞恥を感じてイルカは床に顔を伏せる。カカシは無言でイルカの体の後始末をし始めた。
「…どうして」
情交の最中に気になった、言葉。カカシはイルカが口を開いたことにびくっと体を震わせて、縮こまってしまう。手早く中に吐きだしてしまった物を掻き出し、イルカ自身がまき散らしたものを拭き取ると、乱れた格好を正す。
「ごめんなさい」
辛そうに顔を歪めると、カカシは慌てて出ていってしまった。
一人乱れた格好で取り残されたイルカは、余りのことに呆然とその場に座り込んでいた。
何なんだ、急に。
お座なりな後始末に、慌てて出ていく時の態度。急に肝が冷えて、不安になってくる。何かやってしまっただろうか。言ってはいけないことをカカシに言ってしまったか。
ただ、傍に居てくれない、それだけでイルカは再びひっそりと涙を流した。
しかし、考える動物である人間は、思考を止められない。泣いたって、風呂に入ったって、まるで泣き寝入りのように布団に入っても、考えてしまうのは一つのこと。
カカシが、イルカのことを「イルカ先生」と呼んだのだ。
それが今回初めてなのか、いつからなのか、イルカには分からない。いつも自分を「イルカさん」と呼んでいたカカシが、今あるイルカの背景を理解しているような呼び方をする。
イルカのことを「アカデミーに務めている人間」もしくは「ナルトたちの元担任」程度の知識がなければ、イルカの名前に『先生』等とつけて呼ばないだろう。
理解するというのは、記憶することに繋がる。
違和感を感じないわけがない。
まさか、まさか。
イルカは布団の中で、暗い天井を見上げて、一つの可能性を思い起こす。
カカシが、イルカを覚えた。
その可能性はイルカを酷く高揚させて、子供のように寝付かせなかった。
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