かけら
三
かたりとも小さな音を立てずに、深夜の受付に忍ぶ影がある。闇に紛れていて、それは見事なものだ。
非常灯の下に一瞬現れた巨躯、またそれを感じさせないほど洗練された身のこなし。
木の葉の上忍アスマだった。
カカシのことを探るイルカに影での仕事をさせないため、自分がその役を買って出たが、イルカが手を出した獲物は存外、大きいらしい。
何せ何から手をつけて良いのか分からない上に、ガードが堅い。
本来は閲覧禁止である、受付の最奥にある任務履歴をカカシの所だけ片っ端から漁っていると、二年前から一年間、全く履歴が残されていなかったのだ。暗部での任務期間の活動記録は一切記されていない。しかし、転属などはしっかり記されている。カカシは二年前に暗部を退いている。
年端もいかぬ五歳で下忍、六歳で中忍に昇格し、暗部まで行って生きて帰ってこられた、忍びとして華の経歴を持つ男に、一年間の、空白。
この間、カカシは何処にいて何をしていたのか。
そもそも、アスマはなぜイルカがカカシを不審に思うのか、理由を知らない。もし、理由を知っていたら、この一年間に、納得できる理由を推測できるのだろうか。
そして、アスマは、ある噂を聞いた。
その情報源は彼が懇意にしている木の葉病院の医師の一人だ。
「誰にも本当は喋っちゃなんねえんだけどよ」
今では清潔で明るい、木の葉病院のまっさらな白衣を着、皮のゆったりとした椅子にのんびりと腰掛けて、男は忌まわしそうに語り出す。
「オレは二年前はまだ、暗部の医療班の一つにいた。その時によ、写輪眼保持者とも一人の暗部が殆ど瀕死で転がり込んできたんだ。二人とも、木の葉の額宛と面がなければ、暗部だなんて分からないくらいにボロボロになっていてよ」
医療班でも、暗部は忌まわしいところなのか、とアスマはぼんやりタバコをくゆらせながら考える。
男はちりちりと煩わしく瞬く蛍光灯を気にした様子もなく、虚空を見付める、過去を回想する。
「一人は今になって思えば、はたけカカシだった。見たことぐらいあるだろう、あの銀色の髪が血で真っ黒に染まっていやがったから、そのときそれとは分からなかった」
その時男は、いきなり仕事の増えたもう一つの医療部隊に助太刀に行っていて、運ばれた二人がどうなったのか知らないという。
「戻ったとき、死体は一つ、もう一人は生き残っている、はたけカカシ」
もう一人の死体は…。
「ひどい有様だった。何をしたか知らないが、異常者でもあそこまでバラバラにしないだろうというくらいバラバラにされていた。内臓も肉も皮も切り分けられ、もう人間だったという判別もできないほどに」
その死体は、何処に行ったのか。誰のものなのか。イルカの求めるカカシの正体をその死体は語ってくれるかも知れない。勿論語ってくれないかも知れない。
それを確かめるために、アスマは闇夜に紛れ再びこの建物に訪れたのだ。最早イルカの為だけではなく、自分の好奇心を満たすために。
受付のある本部の建物の最奥にあるのは任務履歴保管室(ここには個人別と年別の二つがコピーで保管されている)、特殊巻物保管庫、そして、殉職者リスト保管室。
男がうろ覚えに思い出した日付を頼りに、そこから死体に語りかけるしかない。
忍に死体はない、墓もない。
記録だけが忍の死だ。
ここに記されていなければ、カカシとともに運ばれて天に見放された忍者は、過去にも存在しなかったことにされる。そんな忍も多いことをアスマは知っていたが、その記録に賭けてみたくなった。
いざというときに外れない自分の勝負勘が囁く。
行って見ろと。
見張りや、鳴子のような装置が無いことを確かめてアスマは手堅く進む。酔狂で忍び込んだ訳じゃない。最早任務と同じレベルでの自分の集中しように、アスマは内心呆れた。
しかし、今日はこの前忍び込んだときと明らかに様子が違った。見た目には全く変わらないのだが、忍の習性が、気をつけろと叫んでいる。空気が張りつめている。
殺気を押し殺した何人もの暗部が、アスマの気配を探って潜んでいるのだ。まだ、ばれては居ない。それどころか潜んでいることにも気がついていないようだ。もし、暗部の配置が一人だけだったならば、とっくにアスマは捕捉されていたかも知れない。だが、こう人数が居ては、きっと仲間内の気配をかぎ分けるので精一杯なのではないか。
この狭い建物に暗部小隊、二隊…。
火影様か…。
アスマは、あと扉に飛び込むまでの距離をどうしても飛び出せなかった。
この前、カカシの任務履歴を覗いたときに何かポカをやらかしたのかも知れない。なにかやっていたとすれば、この先の扉にはトラップが仕掛けてあることはまず疑わない。おいそれと飛び出してはさすがに無謀か。
ここまで来て。
暗部よりもうまく闇に紛れても、多勢に無勢、アスマほどの人間でも手こずる。舌をうちたい気分だったが、ここで少しでも音を立てれば暗部が自分の存在に気がつくだろう。
アスマは細心の注意を払って、その建物から抜け出した。
そのころ、イルカは、案の定カカシに連れ回されていた。
しかし、毎回あの、ネムの店に連れて行かれては、懐の状況が寒くなる一方。そこで、三日に一回は断りを入れるペースで、しかも、店をイルカが選ぶことにした。そして、そのうち何回かに一回、例のネムの店に行くことによって、カカシとのつきあいのバランスを何とか保っていた。
今日も今日とて、受付でカカシに見いだされて、あの、子供のような真っ直ぐな視線でもってイルカを誘ったのだ。
「最近、はたけ上忍とよくつるんでるな」
「…そう言われればね…」
同僚に言われて改めて自覚する。
指折り数えてみること、ここ一ヶ月近く例のペースでの夕食及び飲み方が続いているのだ。それでも、カカシはなかなかイルカのことを覚えているようで覚えていないし(カカシの方から声を掛けてくるのだが、名前まではどうしても思い出さない)、サスケのちょこっとした報告によると、やはり、他の人間は全く覚えないようだった。
それよりも何より、イルカがカカシと飲むことに、だいぶ慣れて、楽しくなってきたことが一番の要因かも知れない。
カカシは今、静かに穏やかにイルカの目の前で杯を傾けている。
明日が休みだからと、今日はカカシがイルカを離したがらずに、珍しく二件目の店に来ている二人だ。
「家から近いところにお店があるんですよ」
行ってみたいんです、というカカシの言葉にほいほいとついていくと、そこはイルカの家からもさして遠くない、何度か行ったことのある店だった。
確か、こざっぱりと上品な感じの小料理を出してくれるところで、いかにもカカシが好きそうな雰囲気だ。
そういえば、彼女も、亡くなった彼女も静かな雰囲気を愛する人だった。
ふと、懐かしくなって彼女が好きだった酒、甘い果実酒を頼んだ。
「それ、美味しいんですか?」
程なくして運ばれてきた、黒すぐりのリキュールをお茶で割った、真っ赤な色をした甘い酒にカカシは興味深そうな顔をしている。カカシの記憶には無いかも知れないが、イルカはカカシと飲むとき、頼む酒類はお互いに専ら日本酒や焼酎で、こんなお酒を頼んだことがない。時々異国の蒸留酒になったりするが、色鮮やかな甘い酒は珍しかったのだろう。
「飲んでみますか?」
「ちょっとだけ…」
イルカからグラスを受け取ったカカシは、疑い半分の顔でそれを口にして、不思議そうな目で再びそれを見つめる。
「どうですか?」
「ワインみたいなものと思っていたら、違うんですね。ああ、砂糖を沢山入れた紅茶みたいな…。これ、好きです」
カカシはグラスを返すと、早速店員を掴まえてイルカと同じものを注文した。
「こんな甘いお酒、今まで飲んだことが無くて」
カカシは気に入ったといいながらも、未だに物珍しそうにその酒を口にする。
「かぱかぱいけますね」
「ジュースみたいなくせに案外アルコール度数ありますから、気をつけた方が良いですよ」
「……ーーに良くないかな…」
「え? 何ですか?」
ふと、呟いたカカシの言葉が全て聞こえずに、イルカは聞き直す。カカシはハッとしたような顔をしてから、斜め下に視線を逸らしてしまう。何か、そんなに語りづらいことがこの酒に?
「いえ、オレが暗部に居たのは知ってますか…?」
思わずどきりとする。カカシがナルトたちも絡まない過去の自分を口にするのは初めてだ。
「はい、火影様からお聞きしています」
ほぼ毎日会っているという自覚はカカシの中にあるものの、イルカを覚えないカカシにとってイルカは、ほぼ初対面に近い感覚なのではないだろうか。そんな人物に語れるような柔な過去は過ごしてきていないだろうはずなのに。
それだけ、カカシの奥深いところで、イルカのことを覚えてくれていて、そして、心を許してくれつつあるのだろうか。
そう思って、イルカは臍の当たりから、カッと熱が上がる思いだった。まるで、酔いが一瞬でまわったかのようだ。
「暗部を退くきっかけとなった大けががありましてね、任務を失敗したんです。その時の治療がまだ、少し続いて居るんです。リハビリのようなもので、月にあるか無いかの頻度なんですけれど。それで、近くその検査があるんです。だから、余り飲まない方がいいかなって…」
「そら、飲まない方がいいと思いますよ、検査にもよると思いますが…」
「やっぱりそうでしょうかー」
カカシは口を少し尖らせて、グラスを両手で弄び始める。からころと中の氷がガラスに当たり軽快な音が立つ。あんな事を言いながら、もう、飲んでしまったのだ。案外カカシは酒豪で、イルカよりも相当強い。
「これ以上、面倒なのは、嫌ですからねー。早く、直したいです」
「その怪我は…生活に障るんですか?」
「…え? 気付かれてないんですか」
ふと、イルカは質問に質問で返されてしまう。
「オレが記憶障害持っているの、気付いて無いんですか?」
カカシはあっさりとイルカにそう告げると、もう一度店員をつかまえて、追加オーダーをした。
「自覚、していたんですか…」
「勿論ですよ。多分、ボケの初期症状と同じような状態なんじゃないかと、自分で分析して居るんですが」
どうでしょう、とカカシ。まさに、その通りだと思う。若い頃(勿論今のカカシも若い人間だろうが)のことは明瞭に覚えているのに対して、ごく最近に覚えたことはあっさりと忘れてしまうと言う、まさに痴呆症の、それ。
「基本的な事は覚えていたりするんです。例えば過去の事は勿論、子供達のこととか、殆ど毎日あなたと夕食をともにしているとか」
「…そうだったんですか」
「記憶が、繋がるときと、繋がらないときがあって、ナルトやサスケ達は当然のように記憶して居るんです。今日はこんな事を教えて、明日は、これ、とか。だけど、他は駄目だ。全く思い出せない。その中間がイルカさん、あなただけ」
あなただけ、繋がる、そう言われて、少し胸が疼いた。
「中間、とは…」
「…会うと、繋がるんです。この人を知っている、と体の何処かが訴える。ふと、記憶が浮き上がって来るんです。漠然と、靄みたいに。固有名詞とか、以前会ったというそれがいつなのか、具体的なものは何も思い出せないけれど。まるで、盲目の人の、唯一の音みたいに。そのうち、もしかしたら自分がこういう状態に陥っているという事さえも忘れていってしまうのかも知れません」
盲目の人の、唯一の音。
目の前の上忍は、そんなことをさらりと言って、少しだけ照れたように笑った。
この人は、覚えてくれていたのだ、イルカのことを。名前なんて覚えていなくても、イルカの存在と、時間を。
思わずイルカはそのテーブルに上半身を伏せた。慌ててカカシが心配と労りの言葉を掛けてくれる。
嬉しい!
困った。
心臓が痛いほどに騒ぐ。あまりの激情に涙が出そうだった。
「イルカさん、大丈夫ですか?」
大丈夫じゃないです。
あなたのこと、好きみたいです。
誤魔化すために、大丈夫なのだと見せつけるように、イルカはちょうど運ばれてきたカカシの酒を奪って、一息に呷った。
カカシは、どうしたんですか、と困ったように笑った。
一瞬、失った女性のことを思いだしたが、カカシがあんまり楽しそうに笑うから、イルカはすぐにそれも忘れてしまった。
アスマは駆ける。日付の変わった、大人にとってはまだ深夜でも無いような時間に非常事態でなければ通ってはいけないとされる民家の屋根づたいに、急ぐ。
勿論、気取られるようなへまはしない。それが、例え上忍だろうと暗部だろうと、結界が張ってない限り、最短距離を選んで、カカシの住まい(これも自身で調べた)へと、一路。
難なく夜の受付から抜け出して、次の行動を取ることにした。
あれだけ火影が飼い猫の髭をピンと張り、カカシの動向を伺う人間を調べようとしているのだ、カカシの周辺を固めない訳がない。もしも、本部での暗部配置がカカシの個人情報の漏洩防止であるなら、それはまたそれで、さらに興味深い。
カカシの家は里のはずれだ。里を守る不可侵の森に隣接した場所にある。明かりの少ない方向へと足を早める。音もなく瓦を寸分もずらさせることなく、まるでそれこそ猫のように移動をする。
幸い、今夜は新月だ。
高く空を飛んで、自分が遮るのは、街明かりで霞んだ星の瞬きだけ。こんな夜には忍者が暗躍する。暗部もきっと、潜みやすいことだろう。
家が近づくと、アスマはいったん裏路地に降り立ち、飄々とした体で、そこから姿を現した。まるで、今丁度、近道をしてここから出てきたばかりだと。
そのままのんびり、家に帰る風に夜道を闊歩する。新月を幸いだと思ったのは忍んでいるときだけで、夜空を見上げると数えるばかりの星。月が出ていないことを不満に思うのだ。
じわりと集中力を集めて、意識を四方に広げる。明らかにカカシの家に意識を向ける人間を探る。勿論、暗部の人間は気配を消すから、この広さではアスマにでも掴まえられないこともある。しかし、相手は人間、いつどう言ったへまをやらかすか分からない。もしかして、案外容易くしっぽを掴まえることが出来るかも知れない。
目算でだいたいカカシの家まで道のり一キロ、とぼとぼとこの調子で歩いて二十分弱。その間にアスマか暗部かどちらかが他方を捕捉するか、アスマの杞憂か、それで決着が付く。
もし、暗部がカカシの家を張っているのならば、影には暗部を統轄する火影が居ることになる、それは言うなれば、一国の軍事機密に相当する。イルカにはカカシから手を引かせるしかない。
アスマはだらけているようで気を張りつめている四肢と同じような状態の脳みそで、ぼんやりと考えた。
まずは、カカシにどう言った不信感を持っているのかを、イルカから聞き出さねばなるまい。今後調査を続けるか否かは、その答えとのかねあい次第だ。
郊外だし基本的に民家が多いから、眠ってるとおぼしき人間が多数、アスマのぴんと伸ばした意識の走査線に引っ掛かる。
暗い家の中に、無防備な体が何体も転がっているのを想像するだけで、奇妙な感じがした。あんまり、気色のいいものじゃない。
近づくに連れ、アスマは不思議なものを感じるようになった。丁度、アスマが居る地点から、カカシの家の方に真っ直ぐのその延長線、カカシの家を過ぎてその向こうの森の中に、同じように眠ったような気配があるのだ。
否、眠っているかどうかはアスマのその方法では分からない。存在があることは分かる。しかし、ぴくりとも動かないのだ。時々気配が薄れ、呼吸を憚り、まるで身を潜めているような…
…暗部か。
その自分の直感に、ぞわりと嫌な汗が項に滲み、皮膚と背中に緊張が走る。
ここで気配を覗かせるわけにはいかない、何人配置しているか、そのくらいは把握しておきたい。事の重要性を量るために。
女でも連れてくれば良かった。偶然を装い、暗いところに向かっても何ら不思議はない。
しかし、好いた女を巻き込むわけにもいかない事情になりそうな雲行きに、アスマは小さく溜息をついた。
諦めろ、イルカ。
その男に関わっては危険だ。
諦めろ。
傷付くのは、お前だ。間違いなく。
アルコールで火照った肌に夜気が心地良い。これで月が出ていたら最高の散歩だと思う。隣には、いつものように静かにカカシが歩いている。
イルカの視線に気がついて、晒された右目を細めて、穏やかに笑う。
「ご機嫌ですね」
「とても、楽しいですから」
おかげでアルコールが少し過ぎた。途中からペースが速く、今日はカカシよりも多く飲んでいるという自覚もあったが、美味しくて止まらなかった。カカシと飲むと、こういうことが多い。
いつもの許容量を平気で圧倒して、それでも、今日は次の店に行きたいと思った。おかげで、散歩する足は殊更遅い、帰りたくない。カカシもそれに合わせて、とぼとぼと、歩くことを堪能するように足を進める。
自覚してしまったカカシへの、感情。
「少し酔いましたか」
「はい」
理屈じゃないんだ。
脳みそよりも体と心が先に反応した。まるで条件反射のように。
今までに余り恋愛経験のないイルカだが、この感情を取り違えることはない。
今はもう亡き、好いていた人を掻き消すくらいに、自分の中にカカシが居座っている。あの日、まだ、合歓が咲いていたころに同僚に言われた言葉を思い出す。
その人のことを、好いているのではないかという、その言葉を。
本当だ。
諦観にも似た思いで、イルカは少しだけ笑った。
二人は近くの河原の近くまで歩いて来ていた。遠くに水の流れる音が聞こえる。微妙にお互い、家から遠ざかる方向に歩いている。アカデミーの方に近づいて行ってる形だ。
ふと、カカシが上を見上げた。
ならってイルカも見上げるが、そこには掠れたような星の瞬きしかない。もう一度カカシを伺うと、既に視線は後方へと逸れていた。
「…どうかしましたか?」
「…忍が」
暗部のようでしたが、とすぐにその視線をイルカの方に戻す。
屋根づたいに走ったというのか。そして、この男はそれに気がついたというのか、この朔の闇夜に。イルカとて忍だから一般人や一部格下の忍に比べれば夜目は利く方である。しかし、暗部の黒装束や面など、見極めが出来るようにはなっていない。まして、カカシは片目だ。どんな作りになっているのか不思議だ。
「何かあったんでしょうか?」
「大丈夫でしょう、必要とあれば呼び出しがかかりますから」
それに、最近よく見ますよ。
とカカシはあっさりのたまって、また、さっきのようにのんびりと歩き出す。慌ててイルカは後についていった。
「最近、何か暗部が動くような事件があったんでしょうか」
「……」
カカシは応えず、少し俯くように歩みを進めた。
少し、空気が重たくなった。
いけないことを聞いただろうか。
もしかしてカカシに何か…。
「今日は、もう帰りましょうか」
イルカは思わずといった感じで口にしていた。
沈黙が堪えられない、自分のこの思考をどうにかして止めたい。
もしかして、あの暗部の行動、カカシが知っている暗部の行動はカカシに全て関係するものであったのなら…。
彼女のように…
彼女のように前線に居るためにカカシが逝ってしまったら。
もう、戻って欲しくない、暗部などと関わり合いになって欲しくない。
そんな思考の一切を止めたくて、イルカは言葉を紡いだ。
「もう、遅いですし、日付も変わりました。とても楽しかった」
「イルカさん」
カカシは驚いて名をなぞってくれる。それだけで、今日はもう十分だ。自覚した心臓にはそれだけで幸せが満ちる。
「また、誘って下さい。思い出したら」
「イルカさん、どうしました」
ああ、考えたくない。
「何でもないですよ」
イルカはくるりとカカシに背中を見せる。
「今からおれ、ナルトの所に行きます」
そうして、だっと勢いよく走り出した。まるで、カカシの元から逃げ出すように。
「イルカさん!」
どのくらい走ったのだろうか、気がつくとよく知らない、ナルトの家とはあさってな方向に走っていたようで、夜では何処だか見分けがつかないような場所まで来ていた。
ものすごい力で腕を捕まれ、振り向かされた。まさか追いかけられるとも思っていなかったので、そのまま、カカシのいいように両腕を痛いほど捕まれる。まともに、カカシの戸惑ったような視線を見てしまう。こんなときに夜目が利くなんて。
「どうしたんですか…? ナルトの家はこっちじゃないですよ」
その時、急に目眩がして、体が支えられなくなった。カカシは慌ててイルカの両腕を掴んでいた手に力を込めて、イルカの体を支えた。
「いきなり走るからですよ、酔いが回ったんでしょう」
「……」
ああ、情けない。忍のはずなのに、感情に左右されて、抑えきれずに逃げ出して、挙げ句捕まってしまい、状況判断も出来ずに酔いが回って自分の力で立っていられないなんて。
「あの、おれ、何か気に障ることしましたか? 謝りたいから教えて下さい」
「…そんなんじゃ、ないです」
顔も上げられずにイルカは首を横に振った。やっとまともに聞けた口は掠れていて、みっともない。
「…すみません、急に。ただ、自分が、情けなくて…」
酔いの所為か、高ぶった感情の所為か、または悔しいせいか、カカシに支えられたままの状態でイルカは涙をこぼした。
「! イルカさん」
ぎょっとしてカカシが目をむく。
ああ、こんなみっともないところ見られたくないのに、どうしてこの人は追ってきたりなんかするんだろう。迷惑かけないつもりで、走って逃げたのに、どうして一人にさせてはくれないんだろう。
「どうしたんですか、泣かないで」
カカシは、そっとイルカの涙を自分の唇で掬った。思わずぎょっとして、イルカは身を強ばらせる。
「もったいなくて」
いつの間にか口布を引き下げて、端正な顔で困ったように笑いながら、もう片方の頬も同じように拭われる。
そして、同じような仕草で、口づけられていた。
それは、今まで体感したどの唇よりも、体と心が震えるほど、甘いものだった。
息が上がり、顔が熱くなる。思わずイルカは体を捩り、再びカカシから逃げようとしていた。しかし今度は両腕も捕まれているし、イルカ自信に力が入らないために敵わず、体をひねっただけのような所作にとどまる。
「逃げないで」
そのカカシの言葉にひくりと震え上がり、イルカは抵抗を止める。カカシの声は切羽詰まったように、引きつっていた。
そして、次の瞬間にはその腕に抱き込まれて、再びキスされていた。
息が苦しくて思わず唇を開いた途端、カカシのそれが侵入してきて、イルカは舌を絡め取られる。
「すきなんです」
息を吐く合間に、興奮した呼気とともに、そう告げられる。
背中に手をまわされて、強く抱きしめられた瞬間、イルカはカカシの銀の髪をかき乱して、唇を寄せ、自ら舌を差しだしていた。
カカシの家に連れ込まれて、履き物を脱ぐのも惜しく、玄関で抱き合って唇が腫れ上がるほどに口づけ合う。カカシが促すに従って、寝室まで上がり、ジャケットを脱いで捨てた。
「すきです」
二人でベッドに上がって、カカシは何度もそう呟いてイルカのこめかみに口づける。イルカは何も言えずに、カカシを強く抱く締めた。
額を付き合わせて、カカシが言葉を探して何も言えずにいるのに、イルカも何も言わずに一つ頷いて、そっと、唇を寄せた。目を閉じた瞬間、一粒、涙が零れた。
カカシの手が、口づけの合間に上着の裾をくぐり、するりと脇腹を撫で上げ、思わず、息を呑む。
「イルカさん、ねえ、男とは初めて…?」
胸の、薄く色づいた突起を軽くつまみ上げて、指の腹で捏ねられる。
今までそう触られるまで気にしたこともなかったような存在に戸惑いながら、イルカは上の空で頷いた。
「オレとも、初めてですか…?」
その言葉を聞いて、ああ、と嘆息した。
「初めてです…。わかるでしょう」
乳首を執拗に触っていた手を少しずらして、心臓の上に当てる。そこはかつて無いほどに激しく動悸していた。自分の耳にも届くほど。
「すごく、どきどきしてますね」
イルカの上着を捲り上げて、カカシはイルカの胸元に顔を埋め、そのまま心臓に唇を寄せた。緊張している皮膚には、そんな他愛ないことでも愛撫として受け取るらしい、イルカはひくりと震えて、乳首をつんと立ち上がらせる。
「すごくかわいい」
それに気付いたカカシはうっとりと顔を緩ませ、ぴとりと吸い付き、舌先で舐め上げた。片方も指先で弾くように弄る。
「あ…っ」
その刺激は、不思議なくらい腰に来た。
「ねえ、イルカさん。これからずっと、オレと一緒に居てくれませんか」
ふと、愛撫の手を止めて、カカシがイルカの顔を覗き込んでくる。まっずぐの子供のような視線が、少し恥ずかしい。
「男同士でって考えられないかも知れないけれど、オレにはあなたしか居ないんです。他に覚えられることがない」
頬に触れてくるカカシの指が、僅かに震えていることにイルカは気がついた。その手に手を寄せて、カカシの手の熱を堪能する。
「毎日、一緒に居てオレに教えて下さい、あなたのことを。おれはきっと毎日イルカさんを好きになります」
なんて嬉しい言葉なんだろう。
好きと自覚して、すぐに好きだと言ってもらえて。
「失礼なことかも知れないですけど…」
ん、ときょとんとして、カカシはどうぞと視線でイルカを促す。
「記憶障害って、ちょっと嬉しいです。毎日あなたがオレに飽きることなく一番気持ちが新鮮な状態で恋してくれるわけですよね。失礼なことかも知れないですけど」
「好きな気持ちくらいは覚えていますよ。困ったことに、どんどん募るみたいですけれど」
カカシが悪戯っぽく笑いながら、髪の結いヒモを解いて、イルカの自由になった黒髪に指を通す。その感触が気持ちよくて、イルカはうっとりと目を閉じた。
なんて、すごいことだろう。
この人は、毎日、自分を好きになってくれるのだ。
「一緒に居て」
耳朶を甘噛みされて、初めてカカシの手が下半身に伸びる。布越しにやわやわと触られてあっという間に反応を来してしまった。
「…オレでいいなら」
「あなたでなければいけないんです」
もう一度キスされて口を塞がれた。
「もう、余裕がありません」
あっという間にカカシに下穿きを下着ごと剥かれて、半勃ちのそれが、震えてもたげる。そして、カカシは躊躇うことなくそれを己の口の中に引き込んだ。
「ヒ…っ」
ふわーっと腰から一瞬にして熱いものが体中に染み渡る。目の前が白く霞んだ。
「…あっ、ああっ」
先端を舌先で弄るように舐められて、喘ぐ顔を上目にして覗き込まれる。そこが立ち上がって、気持ちいいとあからさまに訴えていることが、イルカにはたまらなく恥ずかしく、イルカは両腕で顔を覆って、それでも喘ぎは止められずにいた。
竿を手で扱かれ、くびれに丹念に舌を絡められる。
「ああ、…ん」
イルカの喉からは意味のある言葉は漏れてこない。
自慰よりも強烈な刺激の口淫は、あっという間にイルカの体を快楽の中に突き落とした。カカシの舌は、そのまままっすぐ窄まったところまで降りてきて、そこまでを丹念にほぐすように、押し入ってくる。
「ヤ! ダメ…っ、そんな…」
イルカは慌ててカカシの顔をそこから剥がそうとした。
「痛くしたくないんです。お願いだからさせて」
唾液をたっぷりと塗り込まれて、指を突き立てられても、イルカの性器は天を向いたままだった。最初は驚きと気色悪さでいっぱいだったが、暫くすると性器を弄られるのと同じくらい、そこも気持ちが良かった。
「あ…ん、は…っ」
そのまま、指の出し入れを繰り返しながらカカシはずり上がり、さっきの愛撫で濡れたままの乳首を再び口に含んだ。
「アッ!」
二点の刺激にイルカは恥ずかしいぐらいに体を捩らせて、快感に先走りをこぼした。その体勢で、大腿にあたるカカシの股間が痛いくらいに張りつめているのを、遠い意識で感じる。
これを受け入れるのだ。
指は二本、三本とイルカの気がつかない間に増やされて、それも従順に受け入れていく。あまりの快楽に、何度もそこを締め付け、その度にカカシはうっとりとした顔をした。
「ねえ、イルカ先生。そろそろ、いいですか?」
イルカは訳も分からずに何度も頷いた。
執拗に中にとどまった指を引き抜き、手早く服を脱ぎ捨てるとカカシは、再びイルカの上に覆い被さり、両脚を割り裂いてきた。
「力を抜いて体を弛緩させて。爪たててもいいから」
イルカの両腕を首に回させると、カカシは遠慮がちに中に埋まってくる。
「ああ…、ヒ…」
イルカが思っているほど、痛みは少なかった。それよりもドロドロに濡れて、カカシが押し入るたびに水音がする下半身がいたたまれなかった。
「ああ」
カカシが、思わずといった風に、眉根を寄せて嘆息する。その熱い息がイルカの耳に吹きかかり、無意識に肛門を引き絞った。
「…だめ、イルカさん、そんな締めたら持たない…」
ぴったりと腰が合わさって、全部入ったのだとイルカは感じた。荒い息を吐いたままカカシはイルカの体を抱きしめ、中が慣れるまで動こうとしない。イルカはその間、中にあるという感覚だけで、カカシの体に縋って、小さく喘ぎ続けた。
自分の心臓の音が、耳にまで響く。
困ったことに、気持ちいい。イルカのペニスはカカシの挿入にも硬度を失わず、快楽に汁をこぼし続けている。そして、淫らなことに、僅かに擦るように腰を小さく揺らす。
「…動きますよ」
ぐっと奥まで押し込まれたかと思うと、すぐに抜けそうなまでに退かれて、また押し込まれた。
「アア!」
思わずイルカは高い声を上げて、カカシの背中に縋り付く。
「やぁ、ああ、…はっ」
カカシがある一点を突き上げると、イルカのからだが顕著に反応を示した。
「…な、なに…っ? やだ、や…!」
「気持ちいい?」
中にあるいいところを何度も何度も的確に突き上げられる。その度に喉から声にもならない音のような悲鳴が漏れて、先端からは汁をこぼした。
「イヤっ、あ、ああん、ん…っ、…か、カカシ、せんせ…!」
ベッドが軋んで恐いくらいに揺すられる。
「…気持ちいい…、すごく、熱いしキツイ」
聞いていられなくて、イルカはいやいやと首を振る。構わずにカカシは突き上げながら乳首や耳朶や、首筋を必要なほどねぶり、イルカはそれの全てにかわいそうなくらい反応した。
「アア、やだ…っ、そこっ、へんっ、へんになる、も…!」
「うん、いいよ。イって、たくさん出して」
カカシが激しく押し入るたびに届く濁音が、耳を犯し、唇と舌がイルカが恐怖するほど、快楽を引き出す。
「あっ、ああっ、あっ、イヤ…っ、だ、め……っ」
カカシが奥深くまで何度も抉った。
「あっ、イクっ、イク! も…ぅっ!」
「…イルカっ」
そして、更に深くカカシはイルカを犯した。
その瞬間、イルカの目の前は真っ白にスパークした。
「ひあっ、アァっ、アー!」
甲高い嬌声をあげて、イルカは熱いものを吹き出し、カカシを痛いくらいに締め付け、果てた。同時にカカシも荒い息を吐いてイルカにもたれ掛かる。
合わさった胸は、お互いの鼓動を直接伝え合うようだ。
このまま、同じリズムで生命を刻んでいかないのが淋しい。
ずるりと、抜かれたそこから、なにか熱いものが流れ出すのをイルカは感じながら、意識を失った。
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