第二話 日常とか日常
アスマと紅が結婚して、そうしてカカシとイルカが一緒に住み始めて一年。一緒に住み始めてからすぐにカカシとイルカも結婚した。オス同士だとか猫なのに結婚だとかそう言う細かい話は抜きにして、二人と二匹はそれなりに幸せに暮らしている。
そんなある日のこと。
今でも完全家猫のイルカと違ってやっぱりカカシはたまにふらりと外に出かけ、そうしてその日のうちには帰って来るという生活を続けていた。外でカカシが何をしているのか気にならない訳じゃないけれど、浮気をしているなんてことは有り得ないし、だったら別に何をしててもいいかとイルカは呑気に思っていた。
けれど、ある日。いつものようにふらりと出て行ったカカシが、その日の晩遅くになっても帰ってこなかった。次の日の朝になっても、昼を過ぎても、日が沈んでも。
今までにそんなことは一度もなくてイルカは不安で不安で胸が潰れてしまいそうだった。カカシが帰ってこない。いつもなら今頃二人並んで座布団の上に寝そべって、カカシが髪を梳いてくれたり小さくキスをしあったり抱き合ったりしてるのに。
カカシがいない。どこにも。
帰ってこないなんてことがあるとは思わなかった。ここに来てからずっとカカシがいるのが当たり前で、二人でいるのが当たり前だったから。
どうしよう。カカシがこのまま帰ってこなかったら。
どうしよう。
じわりと滲む涙を拭ってくれるはずのカカシはいなくて、イルカは自分でごしごしと目を擦った。家の中を落ちつきなくうろうろと歩き回り、不安げに鳴き声を上げるイルカをアスマと紅は痛ましく見つめる。
「明日になったら探しに行ってやるからそんなに不安そうにするな」
「そうよ、それに今晩ひょっこり帰ってくるかもしれないでしょう?」
抱き上げられ、頭を撫でられても不安はどこにも去らなかった。二人が眠りについたあともイルカは所在なくうろうろと家の中を歩き回る。二人が言ってることは気休めにしかならなくて、カカシがいつも出入り口に使っている窓などをうろうろと見回ることしかイルカには出来なかった。
カカシさんカカシさんカカシさん。早く帰ってきて抱きしめて。いつものように笑って頭を撫でて。
呼びかけるようにみゃあと鳴けば、窓の方でカタリと音がした。慌てて走り寄れば、月明かりにてらされた銀の毛並みが見える。
「カカシさん!」
もっと近く触れるくらいまで駆け寄ろうとしてイルカは辺りを満たす匂いに驚いて足を止めた。
血の臭い。
「……イルカさん、遅くなってごめん…。心配したでしょう」
血の気のない青白い顔をして、それでもカカシはイルカの不安を拭うようににこりと笑う。その言葉で呪縛が解けたようにイルカはカカシに駆け寄った。崩れ落ちる体をすんでの所で抱き留めて、そうしてカカシを見る。
顔や首、そうして腕の辺りに血がこびりついていた。大きな傷が数カ所と小さな傷が無数に。カカシの銀の美しい毛並みが赤黒く染まっている。
「どうしたんですか?!一体誰がこんな酷いことを…」
弱り切ったカカシの姿にイルカは堪えきれなくてぽたりと涙を零した。
「…あぁ、泣かないで。大丈夫だから」
イルカに抱き留められたまま起きあがることも出来ないクセに、そう言ってカカシはまた笑顔を浮かべる。そんな風に無理して笑わないで欲しい。涙を零すイルカの頬をカカシは血に汚れた手でそっと拭った。
「野犬がね、いたんです。この辺りの野良猫が結構やられてまして、それで退治してくれるように頼まれちゃってね。無茶だと思ったけど仲間を見捨てるわけにもいかないし。まぁ勝てたのは勝てたんですけど、オレも無傷とは行かなくてね。でもこんなに派手にやられるんだったら止めときゃよかったかなぁ」
弱々しく笑みを浮かべたカカシをイルカは抱きしめ直した。悲しいのか辛いのか痛いのか分からないけれど、泣かないカカシの代わりにイルカは泣いた。酷い目にあったカカシが可哀想で、そうしてそれでも帰ってきてくれたことに安堵してイルカは涙を流した。
そうしてまだ血の滲むカカシの傷を舐める。血を流すそれを癒すように。深い傷も浅い傷も一つ残らずイルカは舐めた。
「イルカさん…」
涙を零しながらカカシの傷を舐めるイルカ。自らの口の回りをカカシの血で汚しながら。
その姿に、いけないと思いながらもカカシは欲情した。イルカの零す涙は美しく、自らの血で汚れた口元が艶めかしい。下半身が不意に重くなる。純粋に自分を心配してイルカは泣いているというのに。駄目だ駄目だと思っても、思えば思うほどにカカシはイルカを貪り尽くしたくてたまらなくなった。
赤く染まったあの唇を今吸ったならば、自分の血の味がするのだろうか。その血は甘いだろうか。カカシの腕の傷を舐め、そうしてイルカは擦り傷の出来た指先を口内に引き入れた。
ちゅぷちゅぷと音を立てて指を舐めるその仕草は、ひどく卑猥で淫らだ、とカカシは思った。口淫を強要したときのように口を窄め眉を寄せ、そうして苦しげに泣いているその姿。カカシの理性の限界はここまでだった。
所詮獣。本能に忠実な生き物だ。そのカカシが必死に耐えていた理性は思いの外呆気なく崩壊する。
「イルカさん!」
イルカの口からぬるりと指を引き抜いて、そうして替わりにカカシはその唇に自分の唇を押し当てた。貪り食らうように荒々しく口内を蹂躙して、そうして息も絶え絶えのイルカをひっくり返す。
怪我をしているとかそういうことはすでにカカシの頭の中にはなかった。ただイルカの中に入りたい。それだけ。
熱くて柔らかくて、でもきつくて信じられないくらい気持ちいいイルカの中に押し入りたい。思うままに揺さぶってイルカの甘い声を思う存分聞きたかった。
「カカシさん?!」
驚いたのはイルカだった。今まであんなにぐったりしていたのにどこにこんな体力が残っていたのだろう。いきなり欲情してイルカを引き倒したカカシを制止しようと名を呼んだけれど、そんなものは何の役にも立たなかった。
性急に口付けられ、息も絶え絶えだったけれどイルカは必死でカカシの名を呼ぶ。
「カカシさん!駄目です!傷に障るから…!」
けれどカカシが今更やめるはずがなかった。イルカの耳を咬みしだきねろりと舌を差し込む。
「……あっ!だ、駄目…!」
ざわざわと迫り上がってくる快楽に流されないようイルカは必死で身を捩るのだけれど、その抵抗もそろそろ無駄なものになりつつあった。突っぱねる腕の力がかくりと抜け、ぞわりと這い上がる快楽を慣れた体は全部拾い上げていく。駄目だと思うのにそれを体が裏切っていく。
「カカシさん!……カカシさんっ!」
最後の抵抗なのか、それとも急かすためなのか、イルカはただカカシの名を呼んだ。
「ごめん、あんまりヨユーないかも…」
イルカの項をがじりと咬んでカカシも荒い息を吐き出した。傷口から新しい血が滲み始めているのは分かったけれど、もう今更やめられない。
熱いイルカの中に入りたかった。何も考えず、ただイルカの中に。背中を押さえつけて汗ばむイルカの頬に口付けを落とす。
「イルカさん…」
熱い息を漏らすイルカの耳に湿った息を吹き込んでカカシはその腰を掴んで引き寄せた。そのとき。
「なにやってんのよこのバカ猫!」
首根っこを捕まれ、そうしてもの凄い力でカカシはイルカから引き剥がされた。
「にゃー!!」
叫んだのはカカシ。
「にゃーじゃないわよ!こんなに血みどろになって帰ってきて何いきなりイルカに乗っかってんのよ!」
息も絶え絶えで座布団の上に転がるイルカ。美味しそうな体を投げ出して。
「うるさい、このブス!放せ!」
じたばたと暴れれば派手に切ったところからまた血が流れた。けれどこの際そんなことはカカシにとって些細な問題だった。
「イルカは雄だって何回言ったら分かるのよ!」
爪を立てようとするカカシを避けて、紅は後ろで興味なさそうに煙草を吹かすアスマを睨み付けた。
「アンタんとこの万年発情猫どうにかしなさいよ!」
くわえた煙草を吸い込んでアスマは眠そうなまま曖昧に頷いた。
「あー、そうだな」
「くそっ、放せ!このバカ力!」
カカシはまだ紅に捕まれたまま暴れている。
「アスマ!呑気にタバコなんか吸ってないでケージ持ってきて頂戴!明日朝一でこいつを病院に連れてくから。今晩はこれ以上無茶しないよう閉じこめとくわ」
「なにー!」
カカシは力の限り抵抗した。けれど所詮猫。紅にがっちり押さえ込まれていてはどうすることも出来なかった。
そう、たとえカカシが野犬すら退けるすごい猫だったとしても。
「イルカさん!」
これ以上紅の不興を買うのがいやなのか単にめんどくさいのか、随分素直にケージを持ってきたアスマにカカシはがぶりと噛みついた。
「裏切りやがってこの野郎!」
しかし残念なことにアスマもそんなことくらいで動じるような男じゃなかった。
「痛ぇな、おい」
煙草はくわえたまま噛みついたカカシをあっさりとケージに押し込むと、ちゃんと扉を閉めて二人はさっさと寝室に引き上げてしまった。
イルカはくたりとしたまま座布団の上。
「イルカさん!イルカさーん!」
その夜一晩、カカシの悲痛な鳴き声が猿飛家には響いていたそうな。
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