* * *
後日。イルカが事態のあらましと真相をカカシから聞いたのは、あの騒動から一週間は優に過ぎたあとだった。
あの日の翌日から目の回るような忙しさだったのだ。どこでどう手を回したか知らないが、カカシはイルカをカカシの家の正式な養子として引き取る手続きを済ませていた。
それからカカシの主立った取引先や友人やその他諸々に次々と紹介され、それが終わったら商売のあれやこれやをたたき込まれた。カカシは本当に忙しいらしく、商売のあれこれについてはエビスが一任されているようだった。
まるで知らない人ではないからやりやすくはあるけれど、エビスはイルカがカカシにどういう扱いを受けていたか知っている。その事を思うと顔から火が出るほどに恥ずかしかった。
けれど、エビスは新たに引き取られたイルカに会ったとき、たった一言、ご無事で何よりです、といったきりなにも言わない。取っつきにくそうな顔をしているけれど、本当はとてもいい人だということはイルカが一番よく知っている。攫われて屋敷に連れてこられたとき、何かにつけて親切にしてくれたのはエビスだったから。
イルカもエビスに、ありがとうございました、と言ったきりあの日々のことを話すことはないけれど。
悲しく辛い、けれど懐かしい愛おしい日々。ほんの少し前のこととは思えないほどに。
そうしてあれから一週間。イルカの聞いた事の真相はどうにもよろしくないものだった。
「貴族を専門に攫ってる窃盗集団ていうのがいるんです。彼らの正体はよく分かりませんが、奴隷商人たちは彼らから貴族の子供を買い取ります」
カカシはそう言う風に話を切り出した。
曰く。希少で価値のある貴族の子供は普段は護衛に守られて迂闊に手が出せないのだという。
そこで下働きのものに小金を握らせて情報を集め、隙をついて貴族の子供を攫うらしい。奴隷商人たちは貴族相手の商売故に自分の手下をけしかけて、そこから足が付く危険を恐れている。
だから窃盗団が代わりに攫ってきては奴隷商人に売りつける。上手く成り立った図式だな、とイルカは他人事のように思った。自分もそのようにして攫われたのだろう、と。
「ただね、小金目当てにリークされる情報は多いですけど、嘘の情報も多いんですよ。成功率はあんまりよくないって話も聞きますね。だいいちその情報の出所なんて正直こっちには全然分からないじゃないですか。子供を売り払いたいがために主や妻たちが流した情報なのか、それとも単に小金目当てに下働きが偶然聞いた話を流したかなんて事は特にね」
だから売られたか攫われたかは時間がたたないと分からないのだとカカシは言う。
「二週間が目安です。二週間たって何の音沙汰もないなら間違いなく売られた子供ですが攫われた子供ならこの期間内に十中八九親が探し当てます。この狭い街で見つからないはずがない。見つかったら当然子供を返せと親はいう」
下手したら商売がやっていけなくなるほどの制裁を受けることになる。そうカカシは言った。
「だからね、いざというときのための布石を打つんです」
それがなんだか分かりますか?とカカシは聞いた。カカシの言葉にイルカはわずかに首を傾げる。
何だろう。激昂した親の怒りを解く方法。
「犯すんですよ。攫われる子供はほとんどがまだ少女や少年と言って差し支えない歳の子供です。アンタみたいなのは例外中の例外です。で、まぁ売られたのならそのまま性奴隷として売り払えばいいし、そうじゃなかったらここであったことをバラす、と親に言う」
そうすると立場は逆転します。親は怒りに震えながら黙っていてくれと頼むしかない。攫われて犯された自分の子供を、殺しても殺し足りないくらい憎い相手から買い戻すしかないんです。
可哀想にね、とカカシは感情のこもっていない声で呟いた。ひどく酷薄そうな顔をして。
「そうなるとね、普通に奴隷として売るよりイイ値段になるんです。だから貴族は攫われる。アンタみたいに力ずくで取り戻されるなんて事滅多にありません」
大体オレのところを嗅ぎ付けられるとは思ってもみなかったですよ。そう言ってカカシはくすりと笑った。
「何でカカシさんのところだと大丈夫なんですか?」
自信にあふれたカカシの物言いに少し疑問を感じてイルカは問う。
「オレは奴隷商人じゃありません。ただの仲介屋です。オレは知り合いの奴隷商人からアンタを預かって欲しいと頼まれただけなんですよ、ホントは。まぁ仕込みも込みって事だったんですけど。その上アンタを監禁してたあの屋敷は、別宅の中でもホントに隠れ家みたいなところだから」
それなのによくまぁ見つけたな、と思いますよ。あのイビキっていう護衛隊長凄まじい執念ですねぇ。
呑気に言ったカカシにイルカは複雑な顔になる。どう反応したらいいものやら。
「そういえばカカシさん、やけに早く助けに来ましたよね。アレのからくりはどうなってるんですか?」
ついでだと思って話を逸らしがてらイルカは聞いてみた。だって本当にもの凄い早さだった。まさに電光石火というか。ちょっと違うか。
「アレはネー、実はエビスが知らせに来たんですよ。あいつは戦闘要員じゃないからイビキが押し入るやいなや、アンタも屋敷も放り出してオレのところに知らせに来たんです。急いで帰ったんですけどすでに連れ去られたあとだった。で、急いでアンタの実家に馬を走らせた、とそう言うことです」
愛の力とかだったら凄かったんでしょうけど、残念ながらそう上手くはいかないみたいですね。カカシはそう言って笑っている。
なんだか不思議な気分だった。ひどい話を聞かされて、そうしてカカシがいかにひどい人間かを改めて実感させられたみたいな気分だったけれど。
カカシの商売や、自分の受けた仕打ちを考えれば到底許せることではないと思うけれど、でも。
イルカは自分がいかに愚かで馬鹿なのかよく分かった気がしていた。こんな事を聞かされてもまだカカシのことが好きなのだから。
むしろよく出来たカラクリに感心さえしている。本当に馬鹿だ。馬鹿だけれど、でもカカシと共にいられて幸せなのだから仕方がない。多分自分は、父のあずかり知らぬところで密かに彼の妻たちの誰かに売られたのだろう。
その事に怒りを覚えないわけではないけれど。でも。
あの息の詰まるような孤独な屋敷から抜け出せたこと。そうしてカカシに出会えたこと。その全てが彼女たちのおかげだと思うと、別に彼女たちを恨む気持ちにもなれなかった。
あの屋敷にいる間中、自分が生まれてきたのは間違いだったと思っていた。屋敷の中でたった一人、誰の役に立つことも出来ずただ生きているだけだった日々。
悲しいことも嬉しいことも怒ることも泣くこともなく、ただ笑みを顔に貼り付けて生きていた日々。ようやく自分のあるべき場所を見つけられた。
本当に強引でどうしようもないやり方だったけれどこうでもしなければきっと辿り着けなかった場所。
「オレを軽蔑しますか?」
黙ったまま物思いに耽るイルカにカカシがぽつりと訊ねる。
「いいえ」
短く答えたイルカにカカシは目を細めた。軽蔑するどころか感謝さえしているというのに。貴方を好きになったことを、貴方が好きになってくれたことを。とても。
恥ずかしいから、そんなことは口には出さないけれど。目を合わせてイルカはカカシに笑いかける。ふわりとそれは、花がほころぶように。
「そりゃ良かった」
そう言ってカカシもまた笑う。広いベッドの端に二人腰掛けたまま、くすくすと笑い合った。
こうして二人きりになるのも一週間ぶり。ゆっくり話すのも、手が触れるくらい側にいるのも。抱き合っていた日々から考えると本当に久し振りの逢瀬。
カカシは不意に表情を弛めてベッドに横たわった。そうしてゆったりと寝ころんだままイルカに手招きをする。
見覚えのあるカカシの笑顔。含みのあるそれは、あからさまな誘い。のろのろと這いながらイルカはカカシの側に近寄った。想いが通じ合ってから触れ合うのは初めてじゃないだろうか、とイルカは思う。
今更恥ずかしがることではないだろうけれど、自然に頬が熱くなる。頬を赤く染めたままイルカはカカシを見下ろした。いつもとは違う視点。覆い被さるようにカカシの上に乗り上がれば、そっと項に手を置かれた。首筋をゆるく撫でられてイルカはふるりと身を震わせる。覚え込まされた快楽がざわざわと背筋を伝う。たったそれだけのことで。そう、たったそれだけ。
カカシが項を撫でただけなのに快楽を汲み取ろうとする身体。浅ましい、いやらしい身体。
涙で目を潤ませたイルカにカカシはゆるりと口を開いた。たったそれだけ。
カカシは何も言わない。ただ、そこにいてイルカを見つめるだけなのに。
それに逆らえない身体。それに逆らわない身体。
イルカの心臓はどきどきと早鐘を打つ。ゆったりと身を屈めて誘われるようにその唇に自らの唇を重ねた。キスは甘く優しく、それが激しい物に変わるまでにはそれほど時間は掛からなかった。
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