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    * * *



 それから三日。終わりの時は予想よりもずっと早く、そしてあっけなく訪れた。
「イルカさん、アナタの買い取り手が決まりましたよ」
 にこにこと上機嫌で部屋に入ってきたカカシは、開口一番そう告げる。一瞬、何を言われたのかイルカには分からなかった。買い取り手が決まったと、そう。カカシはそう言ったのだろうか。
 呆然と見つめるイルカにカカシはいつもと同じ笑顔でもう一度死刑宣告のような言葉を落とした。
「アンタを買いたいって人が現れたんです。良かったですネ」
 引き取りは明日になります。事務的に告げるカカシにイルカはただ呆然としていた。
 思考が上手く纏まらなくて、イルカはそのあとカカシに何と答えたのか思い出すことさえ出来なかった。



    * * *



 くちりと湿った音を突然鼓膜が拾い上げた。背中を這い上がる寒気にも似た快楽をゆるく打ち払って、イルカは音源の在処を無意識に探る。
「何考えてんですか?それともまだそんなにヨユーあるの?」
 拡散した意識を引き戻す、掠れた声が鼓膜を打った。そうしてまた水音にも似た湿った音が、イルカの耳を打つ。
 あぁ。拾い上げた音は。そう、自分が拾い上げた音は。
 この男と繋がっている部分が立てる卑猥な音。それを知覚した途端、イルカの身体をぞわりと何かが駆け抜けた。
「………んっ!」
 無意識にイルカの内部は咥え込んでいるカカシをきつく締め付ける。鼻にかかった甘ったるい吐息を漏らすイルカをカカシは愛おしそうに眺めた。
 目を閉じているイルカにはその表情は見えない。それはイルカにとってひどく不幸な出来事だった。
 汗にまみれ涙で濡れた頬をべろりと舐めれば、またイルカの後口はきゅっと窄まってカカシを締め付ける。快楽に我を失っているのはイルカだけではないというのに。
 上気した頬にほつれた黒髪が張り付いていた。イルカの腰を掴んでいた手でそれをかき上げ、カカシはそのまま頬を包んで浅く息を吐き出す唇に口付けを落とした。薄く開かれた唇を舌で無理矢理こじ開けて、口付けを深くする。
「…ん、ふっ」
 イルカの鼻から抜ける甘い吐息。舌を絡ませれば唾液の混ざり合う濡れた音がした。引き寄せるように背中に回されたイルカの手の平に僅かに力が込められる。
 それが合図だった。カカシは口付けを解かないままイルカの内部を突き上げた。イルカを蹂躙するカカシの熱源。過ぎた快楽に背筋がしなるけれど、追い立てられるように抜き差しを繰り返すカカシを止める術をイルカは持っていない。息を吐き出したくても口付けで塞がれていてはそれもままならず、息苦しさにイルカは涙を零した。喘ぎ声さえ飲み込もうとするようにカカシの口付けは執拗で、下半身を責め立てる動きも激しかった。
 身体は解放に近づいている。昇り詰め精液を吐き出すときが近づいているのが、快感で思考のけぶるイルカにも分かった。
 達ってしまえばお終いなのだ。カカシとの関係は、これで最後。これが最後の調教。ともすれば飲み込まれそうになる思考をどうにか留めてイルカは祈るように思った。永遠にこの時が続けばいいのに。
「っふ、んぅ」
 ぐちゃぐちゃと音を立てるのはイルカの下肢かそれとも合わされた唇か。過ぎた快楽は身に辛く、解放を求めて身体は無意識に揺らいだ。
 カカシがこの身の内から出て行ったときが終わりなのに。少しでも長い情交を望むのに、イルカの身体は心を裏切り続ける。達きたくて達きたくて堪らない。堪えられないほどの愉悦が身の内を焦がしていた。ずるりと抜かれ、ぐちゃりと音を立てながら押し入るカカシの性器がイルカの何もかもを溶かしていく。
 達きたくないと、この情交を少しでも長く続けたいと思っていたその思考は、ついに快楽に飲み込まれてしまった。口付けを解かないカカシの背にイルカは縋り付いて爪を立てた。達かせて欲しいと、爪を立てた。
 吐息も懇願も全てはカカシに飲み込まれている。口付けは止まない。熱くて苦しくて辛くて、けれどそれら全てを凌駕する堪えきれないほどの快楽。声に出せない代わりにイルカはぎりぎりとカカシの背中を引っ掻いた。
「んんっ、ん!」
 爪を立てたのは跡を残したかったからかも知れない。この身の全てが、この心の全てがカカシに奪われてしまったから。何一つ手に入らなかったのに、何一つ自分の元には残らなかった。自分自身の何もかもでさえ。
 だから、せめて。あと何週間かの間だけでも、カカシの身体に傷跡を残したかったのかも知れない。ぐずついた思考がふつりと途切れた。その刹那。
 カカシに一際深く突き上げられ、イルカはびくりと体を震わせて白濁した液を吐き出した。自らの深い内部にカカシが精液を吐き出したのを感じてイルカはあぁ、と目を瞑った。
 これで終わり。全てがこれで終わりなのだと。もう二度とカカシに会うこともないだろう、と。ぎりぎりと傷みを訴える心臓に、イルカは快楽とは違う涙を一筋零した。




 ほんの一瞬気を失っていたらしい。ずるりと引き抜かれる感触にイルカは意識を浮上させた。
 無意識に震える身体。快感の余韻と、ひたひたと迫る恐怖に。別れの時が刻一刻と近づいている。この身体のどこもかしこもまだカカシに抱かれた余韻に浸っているのに、ただ心だけがひどく寒かった。
 カカシはざっと身体を清めると、早々と洋服に身を包んだ。
「明日、あなたを買った人が直接ここに引き取りにきます」
 振り返りまだ気怠く身体をベッドに投げ出しているイルカに、カカシは優しげな口調でそう言った。もう指一本動かすことなんて出来なかった。
 体はだるく、そして心は痛みに耐えかねて悲鳴を上げている。
「……ハイ…」
 イルカに答えられたのはそれだけだった。今はただ、泣くことも叶わず。カカシの顔を見ることも出来ないまま、イルカはまだ暖かいシーツに顔を擦りつける。そうしてカカシの匂いがまだ色濃く残るシーツに顔を埋めてゆるりと目を閉じた。
「明日の朝支度にきますから、それまでに身体綺麗にしておいて下さいね」
 ベッドに伏したまま動かないイルカにカカシはそっと近づいてそう言った。
 そうしてイルカの足首にひやりとした感触。かちゃんと音がして、イルカの細くなってしまった足首を拘束したのは、いつもの鉄の足枷。カカシに買われてからずっと、抱かれるとき以外はイルカを拘束し続けたそれは最後まで自分を彼に縛り続けるのだ。
 もう悲しいのか憎いのか辛いのか、よく分からなかった。恋しさが、彼への恋情だけが肥大し続けたこの身体は、この拘束を喜んでいるのだろうか。
 ただ分かるのは、この胸の痛みだけ。俯いたまま返事も返さないイルカをどう思ったのか、カカシは頭上で小さく溜め息を吐いた。その事に身の竦む思いがする。最初から好かれてなどいないのに、やはり嫌われたのだろうかと思うと心臓が壊れそうなほど痛い。
 溜息と共に降ってきたのは、けれど優しい言葉だった。
「風邪、引かないようにね」
 え、と思うまもなくイルカの素肌に柔らかな毛布が掛けられる。さらりとしたその感触にイルカは思わず顔を上げた。
 首を捻ってカカシの方を見れば、彼はもう扉の向こうへ姿を消す所だった。カカシの柔らかな銀の髪がぼんやりとした灯りに照らされてきらきらと光る。
 それきり振り向くこともないままカカシは音もなく部屋を出て行ってしまった。
 あぁ。どうして、どうしてそんなにも優しくするのだろう。いっそもっと冷たくしてくれれば。立ち直れないくらい酷く詰ってくれれば。冷たい侮蔑の視線を浴びせてくれれば、自分は彼を諦めることが出来るのかも知れないのに。
 否、きっとそうなれば今よりももっと辛くて辛くて自分は壊れてしまうだろうけれど。けれど、でも、優しくしないで。期待するのはもっと辛いから。
 ひょっとしたらカカシも自分と同じ気持ちをほんの少しでも抱いてくれてるのではないかなんて、バカみたいな期待を抱いてしまうから。
 永遠にカカシと結ばれることなんてないのだから、ほんの少しでも優しくして貰った思い出があるだけでも幸せなのかも知れないけれど。
 優しくされて舞い上がるほど嬉しい自分が、哀れで惨めでしかたなかった。あぁ、もういっそ、嫌いになれたらいいのに。
「っ…ふ……っ」
 カカシのかけてくれた毛布にくるまって、イルカは涙を零した。まだ色濃く残るカカシの匂いに包まれて、切なくて苦しくて恋しくて、涙が止まらなかった。
 明日で終わり。全て、カカシとのことは終わるのだ。そうしてこの身は二度とカカシに愛されることはなく、やがて見も知らぬ男に蹂躙されるのだ。
 このまま死んでしまいたかった。カカシに愛されたこの身体のまま。けれど死ぬことも許されない。
 カカシへの恋情に絶望しながらイルカはただ泣き続けることしかできなかった。



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