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    * * *



 気怠い身体をベッドの上に投げ出したままイルカはぼんやりと部屋の中を眺めていた。変わり映えのしない風景。ここから出ることが叶わない以上イルカが売られる日までは、きっとこのままだ。
 奴隷として売られたことについては随分前に諦めがついた。ただ、男から与えられる快楽に身体が喜びを覚えることについてはどうしても慣れることが出来ない。
 セックスの最中は何もかもを忘れているから別に構わないのだけれど、こうして一人になるとじわじわと嫌悪感が湧いてくる。本来受け入れるべきでないところでカカシを受け入れ悦ぶ身体。それどころか最近ではちょっと焦らされるだけでも我慢出来なくてすぐにカカシにねだるような言葉を発してしまう。
 シーツにくるまったままイルカがぼんやりとしているとひどく軽い足音が聞こえた。ぱたぱたと音を立てるそれはどう考えてもカカシやエビスの足音ではない。
 子供?不審に思って入り口に視線を巡らせたとき、そこに掛けられた布がばさりと捲られた。常よりもいささか乱暴に。
「カカシセンセー!」
 布をはためかせて部屋に飛び込んできたのは見るも鮮やかな金の髪の子供だった。全身に生命力を漲らせて子供はきょろりと部屋の中を見回す。
「アレ?カカシ先生は?ていうか兄ちゃん誰だってばよ」
 肩から斜め掛けに鞄を提げた子供はベッドの上に横たわるイルカに目をとめて何の屈託もなくそう聞いた。のろのろと身を起こすイルカの元へとやって来て広いベッドの上に遠慮無く腰掛ける。
「オレはイルカ、お前は?」
 にじり寄る子供にイルカは笑いかけてやる。どうしてここに子供がいるのかそれが気になりはしたけれど、久し振りにお日様の匂いを感じてイルカは単純にそれが嬉しくもあった。
「オレはナルト。兄ちゃんこんな所でなにしてんだってばよ」
 イルカのほんの側に腰掛けてナルトはそのままベッドに寝ころんだ。
「兄ちゃん寝てるって事は具合良くないのかよ」
 ベッドの寝心地を確かめるかのように何度かごろごろと転がりながらナルトはほんの少し心配そうな顔でイルカを見上げた。
 何と答えたものだろうか、とイルカは思う。否定するのはたやすいがそうすればまたここで寝ている理由を問われるだろう。本当のことは言わない方がいいことは分かる。
 心配げに自分を見上げる子供に嘘を付くことにほんの少し胸が痛むけれど、イルカはナルトに向かってわずかに顎を引いて見せた。
「そっか…。兄ちゃん大丈夫なのか?」
 ますます表情を曇らせるナルトにイルカは苦笑する。
「大丈夫だよ。そんなに悪いわけじゃなから」
 くしゃくしゃと髪をかき混ぜてやればナルトはようやくにこりと笑みを浮かべた。
「なぁ、だったら聞いていい?」
 ぴょこんと身体を跳ね上げてナルトは覗き込むようにイルカを見上げる。透き通る翡翠の瞳に見つめられイルカは急に自分がとても汚い物のように思えた。目を伏せることで視線から逃げ、イルカはゆるく首を逸らした。
 バルコニーへと続く窓からは相変わらず心地よい風が吹き込んでいる。
「なんだ?」
 遙かに見える空の青に目を眇めてイルカはナルトをもう一度見下ろした。
「イルカ兄ちゃんは何でカカシ先生の部屋にいるんだ?」
 ごく当たり前の問い掛けにイルカは困惑した。どう答えたものだろうか。父親の妻に売られて奴隷として仕込まれるためにここにいる、なんて口が裂けても言えない。
 困ったままイルカはナルトの髪をもう一度混ぜた。
「まぁ、色々あってお世話になってるんだよ」
 答えにはなっていないけれどイルカは嘘を付くのが苦手だったから仕方ない。上手い嘘を思い付かないし、子供に嘘を付くのもイヤだった。
 これ以上問いつめられたら困るな、と思ったけれどナルトはどこか不服そうな表情を浮かべつつも、ふうんと言っただけだった。
 跳ね上がった金の髪はカカシと違って堅くて真っ直ぐだ。俯いて何かを考えている子供を見下ろしたままイルカはふと疑問に思う。
「なぁ、ナルト。お前カカシさんのことを先生って呼んでるけど何か教わってるのか?」
 イルカの問いにナルトは顔を上げてにぱりと笑う。どこか誇らしげなその顔。
「あんね、オレってばカカシ先生に武術を習ってるんだってばよ!カカシ先生すっげーつえーんだぜ!」
 目を輝かせて子供は言う。
「ホントはさカカシ先生の専門は剣術なんだけどよ、オレがそういうの得意じゃないから体術教えてくれてるんだってばよ。体術だって超スゲーんだよ!」
 勢い込んで話す子供がカカシを慕っていることなど容易に想像出来た。誉めて誉めて誉め飽きた頃、子供はカカシの文句を言い始めた。
「でもよー、カカシ先生ってば超時間にルーズなんだよ。今日だって手合せの時間になっても全然来ねーからオレってばわざわざ迎えに来たんだってばよ」
 そしたらさ、カカシ先生の部屋にはイルカ兄ちゃんがいるし、やっぱりカカシ先生いないんだもんよ。
 ぶつくさと呟く子供はけれどやはりカカシにひどく懐いている。文句が言えるほどに彼らの距離は近く、ナルトはカカシを慕っている。
 イルカにはよく分からなかった。カカシはイルカにはただのひどい男でしかない。自分を辱め犯す男。優しい言葉や仕草をくれるくせに、与えた側から裏切っていく。
 優しくされたいと思う浅ましい心がカカシに縋るのが堪らなくイヤだった。
 この子供があの男をそんなにも慕う理由が分からない。理由もなく子供に慕われるなんて事はないだろうと思うから。これほどまでにこの子供を惹き付けて止まない何かがあの男にあるということだろうか。分からない。
 カカシという人間は本当はどういう人間なんだろう。優しくて冷たい人。
 でも、本当は?
 ナルトの話に相槌を打ちながらイルカは久しぶりに心の奥底で波紋が広がったような気がしていた。





 明くる日。その日、窓から見える空は珍しく灰色に重く垂れ込めていた。
 この辺りには年に一度か二度、必ず雨の降る日があった。何もかもを洗い流すかのように二、三日豪雨が降り続き、そうしてまた雨のない一年が過ぎ去るのだ。
 雨が降るな、とイルカは思う。いつも見える突き抜けるような青空はどこにも見えず、湿気を含んだ風が開け放たれた窓から流れ込んでいた。
 もう少し。重みに堪えきれなくなった空が泣き出すまではもう少し。
 ソファーに身を沈めてイルカは昨日のことを思い出していた。
 ナルトのこと、そしてカカシのこと。あの後ナルトは突然ふらりと現れたカカシに連れられてどこかに行ってしまった。あの時は思い付かなかったけれどナルトとカカシはどういう関係なのだろうか。親子というには無理があるし、兄弟というには年が離れすぎている。腹が違うのなら有り得ない話ではないが、ナルトがカカシを先生と呼んでいる以上それはないだろうと思う。
 血縁か、それとも誰かの子供を引き取って育てているのか。それとも単純に何かを教えるために一時預かっているだけなのか。
 そうして、ナルトが見せたカカシへの思慕。それが一番イルカの心を乱していた。子供に心の底から慕われているカカシ。
 それはどういうことなのだろうか。
 怖いカカシ。優しいカカシ。酷いことをしながらけれど最後の最後で優しくするカカシ。
 憎いのに憎みきれないのはあの手が優しいから。カカシがいない間、日がな一日ぼんやりしながらずっとカカシのことを考えている。
 ここに連れ込まれた日からずっとそれは変わらない。優しくされるのが酷いことだと知ったのはカカシのせい。
 ふかふかと柔らかなソファーに身を横たえてイルカはじっと窓の外を眺めた。昨日ナルトを連れて出て行ったカカシは、夜になって戻ってきた。相変わらず手酷い言葉でイルカを辱めて、最後にはいい子だねと優しくする。
 最初の頃のような身体の痛みはもう感じない。受け入れることに慣れ咥え込む喜びを身体が知っているから。昨日受け入れた後ろはまだ熱を持ってるみたいだった。カカシに触れられたどこもかしこもが。
 身体は気怠く動かすのも億劫だったけれど、何となくベッドの上にいるのが居たたまれないような気持ちになってイルカはソファーに移動していた。
 目に映るのは重く垂れ込めた空。どんよりと曇った空はまるで今の自分の心を映しているみたいだと思った。



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