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    * * *



 ぱらぱらと軽い音がしている。何の音だろうと思って重たい瞼をあげると、誰かの後ろ姿が見えた。
 光を弾く銀の髪。あぁ、カカシだ、と思う。自分を蹂躙する男だ。貪り尽くし、喰らい尽くす男。
 ベッドの上のイルカにほど近いところに腰をかけ、後ろを向けて座っている。ぱらぱらという音はどうやらカカシの手の中からしているらしい。
 見ればベッドの上には隙間がないほど紙が散らかしてあった。一番手近にあった紙を拾い上げて、イルカはそれを眺める。豚、馬、羊、牛、山羊、鶏…。商品リストだろうか。
 もう一枚手にとって眺めると上からずらりと香辛料の名前が明記してあった。やっぱり商品リストだ。イルカの手の届く辺りに散らかしてあるのはどうやら商品リストばかりらしい。薬、油、塩、香辛料、お茶、動物、武器の類や果物、野菜、布、書物、装飾細工、果ては壺やら食器まで。イルカのよく知るものから知らないものまで、沢山のものがそこには明記されていた。
 けれど不思議と奴隷のリストらしきものは見あたらない。奴隷商人じゃ、なかったんだろうか。次の紙を捲ろうとして伸ばした手を不意に上から押さえられた。
「面白いですか?」
 上から覗き込むようにカカシはイルカを眺めていた。
「あ、あの、すいません…」
 咎められたのかと思いイルカは小さく謝罪を口にする。大事な書類なんだろうか。それにしては扱いが雑な気もするけれど。
「イヤ別にたいした書類じゃないですから構いませんけど、こんなもの見て面白いのかな、と思って」
 オレは出来たら見たくないくらいですよ。そう言ってカカシはくすりと笑う。
「まぁ、その、面白いです。知らないものも沢山あるし、値段の変動の激しい商品とかあるんだな、とか思ったら割と」
 きまりが悪くなってイルカは紙から手を離し、押さえつけられた自分の手をするりと抜き取る。取り戻した手を胸の辺りで握り締めたとき、ふとイルカはいつか感じた違和感の正体に気が付いた。
 あの窓の外の風景。あれは。
「カカシさんて、奴隷商人じゃないんですね」
 どういう経緯でカカシが自分を取り扱っているのかは知らないけれど、カカシは奴隷商人じゃあないのだ。そもそも奴隷商人は奴隷以外の品物なんて扱わないはずだとイルカは思った。
「なぜそう思うんです?」
 問うのではなく確認するように言ったイルカに、ほんのちょっと意外そうな表情を浮かべたあと、カカシはそう言って面白そうに笑う。笑ったカカシから視線を外してイルカは横たえていた身をゆっくりと起こし、ベッド脇の窓を指さした。
「あの窓から砂漠が見えました。ということはここは西地区だということでしょう。奴隷商人が軒を連ねているのは北地区と決まっている。それにこのリスト。奴隷商人は奴隷しか扱わないと聞いています。だから」
 そう、だからあの窓からの風景を見てイルカは違和感を覚えたのだ。北地区からは見えるはずのない砂漠。ベッド脇の窓からは果てしなく広がる死の大地が見えたのだ。
「確かにオレは奴隷商人じゃありません。まぁ、似たようなこともたまにはしますけど、普段の仕事は中継ですよ」
 中継?イルカはわずかに首を傾げた。あまり屋敷から出ることもなく世間の事には疎いくらいのイルカはその職業が一体どんなものなのか全く知らなかった。
「まぁ、商人以外には全然関わりのない仕事ですから知らなくても当然ですよ」
 散らばった書類をがさがさと纏めながらカカシはそう言った。
「主に砂漠を渡る商人たちが相手の仕事です。砂漠に盗賊団が多いのは知ってますか?」
 イルカはこくりと頷いた。砂漠は盗賊の住処だ。進む方角さえ見失ってしまうという目印の乏しい死の大地。盛り上がる砂の山から不意に現れる奪略と死の使い。
 けれど街町の間には必ず砂漠が横たわり、そうして彼ら盗賊も、必ず砂漠を根城にする。
「この町自体が元々中継地点ですからね。ここまでに売り買いした荷物のうちこの先の町で必要のないモノは私のような商人が預かるわけです。あとは怪我人とか病人なんかもね。頼まれれば奴隷だって預かりますけど、大抵奴隷は別に奴隷商人に預けることが多い」
 リストは預かっている荷のリストですよ。集めた書類を大雑把に纏めてカカシはそれをベッド脇のサイドテーブルに放った。
「あとはね、傭兵の貸し出しとかしてます」
 傭兵の貸し出し?首を傾げたイルカにカカシは、そう、と頷く。
「とてもじゃないけど商人だけじゃ砂漠は渡れないですからね。徒党を組んでさらに傭兵を雇う。オレみたいな中継をやってる商人は荷を預かって傭兵を貸し出すことで商売してるってわけです」
 へぇ、と感心したように声を上げたイルカにカカシはほんの少し笑みを深くする。
 面白い男だ。警戒心が薄いにもほどがある。自分が何をされているかを忘れたわけではないだろうに。
 くつりと堪えきれない笑い声を漏らしてカカシはにいと人の悪い笑みをイルカに向ける。
「だけどね、実際のところそんなに儲かる商売じゃないんです。傭兵たちに払う給料がバカにならなくてねぇ」
 昨日と同じように不意にその身に纏う雰囲気を変化させたカカシにイルカはびくりと身を竦ませた。どうして不意にこの人はこんな笑みを浮かべるのだろう。人を貶めようとする、そういう類の笑みを。
 ひくりと喉を震わせたイルカを楽しそうに見詰めたままカカシは言葉の続きを発した。
「だからオレは何でも仲介するんです。例えば秘密裏に攫われてきた奴隷とか、ね」
 大体攫ってきた奴隷をそのまま奴隷商人の元に置いておけばあっという間に足がつく。だから皆、仲介屋に奴隷を隠す。彼らがしかるべきところへ引き取られていくまでの間。
「依頼があれば調教も躾も何だってやります。ホントはやりたくなくてもね」
 くつくつと喉を震わせてカカシは笑う。
 あからさまに自分を辱めるための言葉を吐くカカシにイルカは怒りと羞恥で頬にかっと血を上らせた。頬に血を上らせたままぎりぎりとイルカはカカシを睨み付けた。
 カカシはからかうような光を瞳に宿したまま面白そうに笑みを張り付かせている。昨日までの屈辱的な情交の数々が脳裏を過ぎって、イルカは別の意味でもさらに頬を染めた。
 自分は何をバカみたいに呑気にしていたのか。この男が自分にしていることを思い出せ。教え込まれつつある感覚を思い出して、恐怖のせいか勝手に身体が震えた。
 頬を染めて眉間に急に険しい皺を刻んだイルカにカカシはついに吹き出した。
「アンタ面白いねぇ」
 くつくつと笑いを止めないカカシにイルカは思わず呆気にとられてしまう。滲ませていた剣呑な雰囲気はあっさりと消え去ってしまった。
 分からない男だ、とイルカは思う。一見頼りない優男風で身に纏う雰囲気も柔らかいのに、一瞬でがらりとそれを覆す。まるで別人のように。
 未だ笑いを堪えながら身を震わせるカカシにイルカは思わず毒気を抜かれたような気分になってしまった。怒ったり怖がったり恐れたり、そういう一切のことがなんだか馬鹿らしくなってしまったのだ。
 呆れたようにぼんやりと見詰めるイルカにカカシはようやく笑いを止めた。
「どうもすいませんね。まぁ、そんな警戒しなくても今日は何もしませんよ。あんまり立て続けにやって体調を崩されても困りますからね」
 ぼんやりとしたままベッドに座り込むイルカ巻き込んでカカシはベッドに横になる。半ば押し倒されるような形でベッドに転がったイルカは、衝撃で軋む身体に息を詰めた。
「ッツ…!」
「あぁ、すいません。痛みますか?」
 さらりと髪を梳いたカカシの手から逃れることも出来ずにイルカは詰めていた息をそろそろと吐き出す。イルカを抱き込んだまま横から覗き込むように見つめるカカシ。
 触れている肌は温かく隣に横たわっていても不思議と恐怖感は湧き上がっては来なかった。
「し、仕事は、いいんですか?」
 肌を合わせるにしても本当に眠るにしてもまだ日が高い。自分の屋敷にいるときでさえこんな時間にベッドの上にいることなんてなかったというのに。怠惰で自堕落な事をしている気がしてイルカはわずかに眉を顰めた。
「まぁ構いませんよ、一日や二日くらいサボったってエビスが何とかしてくれるでしょ。昼寝でもしましょうよ」
 にじり寄ってイルカをしっかりと胸に抱き込んでカカシはゆるりと目蓋を閉じた。
「あの、さっきまで眠ってたんであんまり眠くないんですけど…」
 イルカを抱き込んだまま本当にこのまま眠ってしまいそうなカカシに控えめに主張してみる。本当にカカシが眠ってしまったらなんだか居たたまれない状況に陥ってしまう。眠りこけるカカシの腕の中でどうしたらいいというのか。カカシが眠るのは一向に構わないからせめて手を離してくれないだろうか。抱き枕代わりは何となく勘弁して欲しい。
 そう思ってカカシを見ていると閉じた目蓋がぱかりと開いてイルカを捕らえた。
「そうですか、そうですね。じゃあどうしましょう」
 どうしましょう、って言われても。困惑したままカカシを見つめる。
「仕事に戻ったらどうですか…?」
 そうして控えめに一番無難だと思われる提案をカカシにぶつけてみる。
「アンタそしたら暇でしょう。何するつもりですか?」
「え?」
 確かにカカシがここからいなくなれば自分は暇を持て余すだろうけれど、何でそれを心配されているのだろうか。別に放っておけばいいんじゃないんだろうか、とイルカは思う。預かっている奴隷が暇だろうが暇じゃなかろうが関係ないと思うのだけれど。
 困惑を深めたイルカにカカシはやんわりと笑いかけた。
「マァいいや、じゃあお茶でも飲みましょう。淹れてあげるからソファーで待ってて」
 よ、っと掛け声をかけてカカシはベッドから起き上がると、そのままイルカの意見も聞かず、すたすたと部屋を出て行ってしまった。



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