adagio in C minor
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カカシと子供達は二十九日から休暇に入ったらしく、受付に顔を出すこともなくなった。それは同期のアスマ班、紅班も同様で、下忍担当はアカデミーと同じような規則的な休みが取れて良いなあと思いながらイルカは受付に出勤していた。
受付も普段の半分以下しかシフトが埋められていない。忙しい時期ではあるものの、里の方が任務受付の制限をしているらしく、大がかりな任務以外は殆ど動いていない。里では今住民たちの大掃除が真っ最中だから、ここで受付を開放していればC、D任務がごろごろと入ってくるのに違いない。そうなると忍びは、やれ屋根の掃除をしろ、やれどぶ浚いをしろと便利屋のように使われてしまうのが目に見えている。忍にだってイルカのように普段の人間らしい生活を持っているのだから、こういう時はそっとして置いて欲しい。里もその気持ちを汲んでくれているので、政治的に大きく左右する任務以外は受け付けないようにしている。
イルカは今年最後の仕事に出てきていたが、そういう事情もあって、主な仕事は受付ではなく大掃除になっている。夕方には本年中に終わらせろという注文の任務の報告がどっと入ることだろう。それまでは空っ風に吹かれながらせっせと窓磨きに精をだしていた。
うちの窓も拭きたいなあと考えながら、自宅の窓とは比べものにならない大きなガラスを丁寧に磨く。
クリスマス前にカカシが来るという予定だったから、粗方の掃除も済んでいる。その点だけは良かったかも…と考えながら、新聞紙を水に浸した。
大掃除中だから勿論窓は全開だ。イルカは激しく動いているから濡れた手以外は寒さを殆ど感じないけれども、誰がいつ受付に来ても対応できるように受付の椅子に座ったまま書類を整理している同僚は寒そうだった。
彼もまたイルカと同時期にインフルエンザにやられてしまったうちの一人だ。受付に出てきている残りの二人はクリスマスも皆勤だったが、家に居たくない、掃除で良いように使われるのがイヤだからという理由で出勤している大黒柱だ。仕事に出てきて掃除するのは良いのだろうかとちょっと首を捻ったが、多分忍だと言うことが近所にばれて、近所の人達に雑用をお願いされてしまうのだろうとイルカは勝手にそう思うことにした。
今頃カカシはおせちを引き取りに行っている頃だろうか。
カカシの家を訪れるのは初めてだ。迎えに来てくれるとカカシは言っていたが、イルカは住所だけを頼りにして一人で行くことにした。
「カカシ先生は料理に集中して下さい。楽しみにしていますから」
とそう言うとカカシはちょっと困った顔をして、納得したように頷き、地図を書いてくれた。流石に普段の任務で地図を書くことが多い仕事だけあって、それは要所をおさえた、わかりやすい図だ。イルカも地図を読み解くことに慣れていたから、見ただけで何となく場所が分かる。その地図は、前日から用意したお泊まり道具と共にイルカの家で帰宅を待っている。手みやげの酒も既に準備が済んでいた。カカシと付き合うことになった店で初めて飲んだ『乱れ雪月花』を酒屋で発見してしまって、衝動的に購入してしまったのだ。ちょっと手痛い出費になったが、カカシが喜んでくれるだろうと思うと些細なことに感じてしまうからすごい。もしかして自分は貢ぎ体質なのかもと、浮かれている自分を戒めるのだった。
ちらりと時計を見ると十四時を少し回ったくらいだ。時間が過ぎるのがいやに遅く感じる。早く仕事納めにならないかなあと一心でイルカは窓を磨き続けた。
その後も受付に現れたのは数人の戦忍で、その誰もが新年までに里に戻られたことに安堵しているようだった。その一人一人に同僚が「よいお年を」と挨拶を贈っている。
今まではイルカも形通りそう挨拶していたが、今年はもっと気持ちを込めて言えそうな気がした。
それでもやっぱり、時間が経過するのは遅く、このまま定時が来ないままにイルカは寿命を迎えてしまうんじゃないかとそういう下らないことを考えてしまう。
だから、本当に命が尽きる前に定時が来たときには、イルカは(時が解決してくれるって本当だな)と妙な感心をしてしまった。
四人で受付を締めて、報告書を全て火影に持っていく。それで裁可を貰い、里長から正式に「ご苦労だった」という言葉を貰って漸く仕事納めだった。
「お疲れさまでした、よいお年を」
イルカは誰よりも先んじて火影の屋敷を出て、急いで自宅へと戻った。
すぐに額宛を外し簡単に着替えて、予め用意してあった荷物を持ち、再び部屋を出た。今年最後の自室だというのになんの感慨もなく後にして、カカシの家へと急ぐ。
急がなくてもカカシは家で待っていてくれるのだから、逃げたりしないのに、逸る心が勝手に足取りを軽くさせた。浮き足立っているというのはこういうことを言うんだろうなと思いながら、イルカは賑やかしい街を駆け抜ける。笑顔で街を行く人達みんながそれでも自分より幸福な年越しを迎えるわけが無いと、妙な優越感を抱く。
カカシの家はすぐに分かった。白い壁のマンションで、イルカの部屋より随分と立派そうだった。最上階ではないけれども、上から二つ目の角部屋がカカシの部屋だった。
――――う〜わ〜…
内心で感嘆の声を上げながら、イルカは周囲を見回してしまった。管理人が居て、毎日掃除しているのに違いないと思わせるような整然とした花壇が有り、ゴミや雑草の一つもない。
何だか自分と格の差を見せつけられているようでちょっと浮かれた気分に水を差されたような感じになってしまう。だが、幾分自分を取り戻せたようだった。冷静になってなかったらきっと玄関で出迎えてくれたカカシに飛びついてしまいそうな勢いだったに違いない。
深く深呼吸している間にエレベータで上まで運んでもらい、更に玄関の前で何度か深呼吸をしてからインターホンを押した。
すぐに「はーい」と中から声が聞こえて、ぱたぱたという足音も耳に届く。その時にイルカはあれっと違和感を感じた。そして、それが何に起因することか理解する間もなく、内側から扉が開け放たれて、その様子に愕然とした。
「お疲れさまってばよ〜!」
出迎えてくれたのは菜箸を握ったナルトだった。思わずイルカは硬直してしまう。すぐにカカシが顔を出し、笑顔でイルカを迎えてくれる。
「お疲れさまです、寒かったでしょう。上がって下さい」
促されて漸くイルカは敷居を跨いだが、いまいち状況が把握できない。眼の前には確かにナルトが居て、同時にカカシも笑顔のまま存在して、この状況に疑問を抱いているのはイルカだけのようだった。
「ちょっとナルトー! 菜ばし持ってる?」
という少女の声まで聞こえてきて、イルカはギョッとした。サクラまで居る。ナルトは持ってるってばよ〜と甲高い声に応えながら奥のほうへと駆けて行ってしまった。こうなれば恐らくサスケも居る事だろう。
「あの…これは…?」
イルカは戸惑いがちにカカシに説明を求める。どうして二人きりだと思っていたところに七班の面子が全て揃っているのか。そして、カカシもそれを歓迎しているような節があるのか分からない。
「これが実はあなたへのプレゼントなんです」
と、カカシはこっそり秘め事を伝えるような口ぶりでイルカに耳打ちをした。全く意味がわからず、はあ…と曖昧な言葉しか出てこない。カカシはなおも得意そうに微笑んでいる。
「ずっと、イルカ先生に何を上げたら喜ぶかなと思ってて、それで、子供たちとゆっくり過ごす時間を上げたらどうかなと思ったんです」
「………」
つまり、カカシは気を使ってこの場にナルトたちを呼んだと、そういうことらしい。確かにイルカはナルト達のことが好きで、その成長ぶりを知ることが出来るのはとても嬉しい。子供たちが卒業してからも慕ってくれるという事は教師冥利に尽きる。
しかし、それは教師であるイルカの思いであって、一個人としては出来ればカカシと二人きりで過ごしたかった。こんな日までカカシはイルカに教師で居ろと言うのだろうか。
内心酷くガッカリしたが、カカシが気を使ってくれた結果だと思うと、それも表に出せず「そうですね、有難うございます」とどうにか笑って見せた。自分の落胆を押し隠すようにイルカはカカシに『乱れ雪月花』を押し付けた。
「お土産です、後で飲みましょう」
きっと彼らは除夜の鐘がなる前に帰るのに違いない、人の機微に聡いカカシがイルカの気持ちを汲んでくれるはずだと、そう言い聞かせてイルカは初めて入るカカシの家へと足を踏み出した。
案の定、奥の居間と思われるスペースにはサクラとサスケも居て、ぐつぐつと煮立っている土鍋の中をナルトの持っていた菜ばしでかき回していた。イルカの姿を見ると、サクラは満面の笑みを浮かべて、サスケは愛想もなく挨拶をする。
広い部屋は煮炊きの蒸気と暖房によって温められ、寒い中を歩いてきたイルカの体の硬直を緩めたけれども、妙に心は寒々しいもので一杯だった。
子供たちが居たらイルカは教師で居るしかなくなる。それが嫌というわけではなくて、ただ、そうする必要がないと思っていただけに落胆してしまったのだ。
「もう体は元気になったのか?」
そう訊ねてきたのはサスケだった。
「あ…ああ…」
心配してくれていたのか。何処で聞いたのだろうと思って、ナルトがクリスマス会を抜け出してイルカの所に顔を出してくれていた事を思い出した。ナルトは抜け出す理由を素直に周囲に喋ったのだろう。忍びが風邪を引くなんて恥ずかしいと、そういう感覚はまだナルトは持っていないらしい。
「ほら、イルカ先生。そんなところに突っ立ってないで、座って座って」
上機嫌のカカシが切った野菜が山盛りになった笊を台所から運んできている。イルカは促されるままにテーブルの空いている端に座った。
テーブルの上にはカセットコンロとその上に土鍋。中身は水炊きのようで、既にぐつぐつと湯気を噴出している。それから散らし寿司、鶏の唐揚げ、フルーツが乗っていた。カカシが作ると言っていたから、カカシが作ったのだろう。何だか、あまりにも家庭的な内容に少し驚いた。きっと定期的に自炊しているのだろう。イルカは頻繁に飲みに誘われるから、カカシはあんまり自炊しないものと決め付けていたが、実はそうではなかったらしい。揚げ物なんて手が掛かるし、廃油の処分にも困るからイルカは滅多にしないし、散らし寿司の具となるすさもみじん切りが基本だからそんな面倒くさい事出来ない。それなのに錦糸玉子や海苔も乗っている上にさらに南天の葉で飾りもつけてあった。
器用な人なんだなあ…と改めてテーブルの上を見て思った。
「凄いよなあ、カカシ先生が作ったんだってばよ。母ちゃんが居たらこんな感じかなあ…!」
人の手料理をあまり食べたことがないナルトは目をキラキラさせてテーブルを見ている。ソワソワとイルカの隣で落ち着きが無い。
「…母ちゃんは無いよ〜、せめて父ちゃんにしてよ〜」
鍋の中に春菊を突っ込みながらカカシが不満そうにそう反論するが、ナルトは自分の意見を曲げなかった。
「いや、カカシ先生が母ちゃんで、イルカ先生が父ちゃんだな」
サクラとサスケは微妙な顔をしている。両親を知っている二人には理解しがたいナルトの意見なのだろう。イルカもカカシのような母親は、ちょっとどうかと思う。
「さ、じゃあ、野菜も煮立ったし、食べようか」
器や箸を配って、カカシが飲み物を三人に注ぎ分けた。カカシとイルカの分はビールだ。
「頂きます」と上品の挨拶をした後の子供たちの食欲は凄まじかった。あっという間に鍋の中身が減っていくから、頃合を見てカカシとイルカが追加する羽目になり、『子供たちとゆっくり会話』どころじゃない。サクラも女の子だから遠慮気味なのかと思いきや、全くそんな様子は見せず、二人に比べて上品に食事を進めているものの、詰め込む量は負けていない。
カカシは全く動じた様子もなく、にこやかに「よく噛んで食いなさいよ」と鍋に出汁を足している。
アカデミーの頃は良く知っているつもりだったが、成長期真っ只中の生きものは凄い。
「…よく食うなあ…」
思わず呟いてしまったイルカに反応したのはカカシだけだった。
「本当に」
感心したようにカカシも同意する。白菜一玉あっても足りそうにないなと思いながら、イルカは唐揚げをつまんだ。中からじゅわっと肉汁が溢れてきて、思わず取り皿にその雫を落す。火の通し方も抜群で美味しい。まだ十分温かかったし、塩気が利いていて、酒の肴にはぴったりだった。
年越しをイルカ主催でやらなくてよかったかもしれない。本当にイルカは蕎麦しか作るつもりは無かったし、カカシがこんなに料理上手だと思っていなかった。
――――上忍て何でも出来るんだなあ…。
それは感心であり、寂しさだった。大好きな人間と居るはずなのに、妙に寂しさがこみ上げてくる。思っていたのと違う展開に戸惑い、それを修正できないもどかしさで体がよじれそうだった。
美味しい唐揚げに合うと思って呷ったビールは妙に苦く感じた。
それでも人間は簡単に環境に適応してしまう生き物で、子供達が食事に満足し、落ち着いてきた頃にはイルカの気持ちも大分落ち着いていた。のんびりカカシと並んで酒を呑みながらくたくたになった鍋の野菜をつつく頃には、どうにかこの環境を楽しむこともできていた。
子供達はカカシが用意していたシュークリームまで平らげて、平気な顔をしてテレビを見ている。まさかあのデザートまでカカシが作ったのだろうかと戦々恐々としながらも、イルカはその真偽を確かめなかった。知れば落胆するような気がしたからだ。
鍋に使ったポン酢やごまだれもカカシが作ったと言っていたから、もう嘆息するしかない。対抗心を燃やすほどイルカは家庭的であることを自負していない。毎晩カップラーメンでも生きていける人間が無理しようとしなくて良かったと心から思った。
「…ああ、イルカ先生。あんまりお腹一杯にならないで下さいね。除夜の鐘を聞きながら蕎麦を食べるんですから」
「ええっ」
この夕食のボリュームに加えて、深夜に入ろうかという時刻に蕎麦。確かにうどんよりはカロリーは低いけれども…。
「太らせたいんですか…?」
「そんなこと無いですけど…年越し蕎麦ってそう言うものじゃないの?」
除夜の鐘を聞きながら食べる蕎麦が年越し蕎麦だとカカシは認識していたらしい。
「…年越し蕎麦は年末の忙しい時期にそれだけで夕食を済ませてしまおうって言う意味じゃないんですか…?」
「えっ! じゃあ、引っ越し蕎麦と同じような意味合いなの?」
「引っ越し蕎麦はまあ、引越しの忙しい合間に食べられるものって意味ですから…まあそうですね」
「ええええ…知らなかった〜。でもお出汁も作ったし、蕎麦も買っちゃってるんですよね…」
準備万端だったカカシはそれなりにショックを受けたらしく、がっくりと項垂れていた。
「いや、良いですよ。いただきますよ。カカシ先生の家がそういう習わしだったんでしょう?」
イルカや子供達が来るから懐かしく思い、過去のことを思って張り切る気持ちはよく分かる。実現しなかったけれど、クリスマスの時イルカはそれを強く思った。子供の時…両親が健在だったとき、どんなクリスマスを迎えていたか、それを思い出しながら料理を考えた。
「…はい…」
案の定しょんぼりとしたカカシが頷いた。
「今年ははたけ家式で年越しを迎える。それで良いじゃないですか、良いですよ」
嫁さんの家で嫁さんの実家伝統の年越しを迎える、そんな感じがイルカを悦に誘った。カカシもイルカの力説にそれなら良いんですけど、と機嫌を持ち直す。
「じゃあ、お蕎麦が控えているので、腹六、七分目で抑えておきましょうかね」
箸を置いて、最後に半月切りにされていたオレンジを一つ取って口に入れた。
「鍋は最悪明日の晩も食べられますからね」
カカシはそそくさとカセットコンロの火を消して、キッチンの方へと運んでいった。
テーブルを片づけてのんびりとするかと思いきや、カカシと子供達はトランプをやり始めた。しかも、イカサマ可の。
訓練じゃないか…と思いながらその四人の勝負を端から見ている。見ているだけでも面白い。そんな良いカードを捨ててしまうのかと思ったら、次に引くカードは更に良かったりするし、人の思考はこういう場合でもやはり十人十色なのだなと思う。勝つという目的は一緒でも、四人はそこまでの課程が全く異なっていた。ナルトは運でごり押し、サクラは記憶力と思考力を活かし確率で勝負、サスケは一発逆転狙いの案外勝負師タイプで、カカシは、完全にイカサマ師だった。
カカシに勝てるわけが無いなあと思いながらムキになる子供達は面白かった。子供達と交代してイルカも参加してみたが、やはりカカシには勝てない。カードを替える機会は原則一周につき一回、それも一枚だけと決まっているのに、カカシのカードは一周している内に全部すり替えられていたりするから、勝てるわけがない。イカサマを見破ればその時点で勝ちという特別ルールもつけられていたが、それでも誰もカカシの裏をかくことは出来なかった
「というわけでお年玉争奪戦は勝者ナシと言うことで…」
膨らんだ結婚式のご祝儀袋を一同に見せびらかしたカカシは、それをそっと神棚に奉納してしまった。子供達は一様にそれを羨ましげに見つめている。思わずイルカもその分厚さに目を剥いたほどだ。
「…どれだけ上げるつもりだったんですか…」
「秘密です」
カカシは悪戯が成功した子供と同じような顔で、にやにやしていた。つまりあのご祝儀袋を満たしているのは思っているものとは違う、つまり現金ではないということだろう。人が悪い。
リベンジを申し出た子供達は、今度はカルタで勝負と言い出した。
「…年越す前からそんな正月っぽいのやるの…?」
カカシはあまり乗り気で無さそうだったが、イルカにとっては何でそう言うものがこの家にあるのかが一番不思議だった。
「でも、もうサクラは家に帰る時間でしょ?」
「ええ?」
サクラが時計を振り返る。すでに時計は午後十時半になろうとしている。確かに親はもう心配している時間かもしれない。例えサクラが一人前の忍だったとしても、やはり未成年の女の子。心配されていると考えて当然だった。
「サスケとナルト。ちゃんとサクラを送って行くんだぞ」
子供達が帰る。
そのことにイルカは妙に緊張した。カカシとカカシの家で二人きりになる。
「イルカ先生は帰んないの?」
帰る様子を見せないイルカにナルトがあって当然の疑問を投げかける。サクラとサスケもそう言えばという感じでイルカを見上げた。
「あ、ああ…」
「イルカ先生はもうすこしオレと飲むんだよ」
しどろもどろになったイルカをカカシがフォローしてくれる。なんだかやたらとドキドキしてきた。狭い玄関で大の男が並んで立つために接触する肩が熱いような気がした。
「いーな〜…オレもまだ残りたい!」
そう言い出したのはナルトだった。思わずぎょっとしてイルカは身を退いてしまう。
「ナルト…、無理言わないのよっ」
「………」
サクラはわがままを言いだしたナルトを窘め、サスケはどうでも良さそうに黙り込んでいる。
「だって、オレ今までだれかと一緒に明けましておめでとうってしたこと無いし…」
その顔が見る見る萎れていった。生半可に誰かと一緒に時間を過ごしたために、その人肌から離れられなくなってしまったのだろう。これまでは仲間らしい仲間がいなかったから耐えられた孤独も、一緒にいることが普通になってしまった途端に耐えられなくなる。その現象はイルカも痛いほどよく分かる。
今日はカカシと二人で過ごしたいと思っていた。子供達のことなんか考えずに、傍にいるだけでも良い、ちゃんと恋人のように。
イルカにはどう応えることも出来ずに、俯いてしまった。それをどう捉えたのかカカシはナルトの頭にぽんと手を乗っけた。
「…今日だけだからな…」
その声が仕方ないという色を濃くしていると分かっていても、もうイルカはダメだと思った。ちょっと耐えられない。
サクラは送ってくれる人間がサスケ一人になって大喜びで帰っていった。ナルトもそれを最初は指を銜えて見て居たけれども、上機嫌で部屋の中に戻っていく。そして、折角整えた帰り支度を全て解き放ち、リラックスした格好に戻った。
「ナルト、お前先に風呂に入れ〜!」
カカシがそう促す声が聞こえても、イルカは何だか動く気が起こらず、どうにか体を引きずって居間のソファに座り込んでしまった。浮かれたナルトは気が付かないようで、カカシに案内されるままに風呂に向かっている。
「…どうしたの? イルカ先生」
風呂場から居間へと戻ってきたカカシが漸くイルカの異変に気が付き、イルカの隣に座る。本当は最初からこういう形だったはずなのに、そういう気持ちがイルカの中で渦巻いていて、妙な悲しみを形取っていた。
「…オレは一体何ですか…」
声のテンションは低く地を這うようだった。大きい声を出せば泣き出してしまいそうだったから、その衝動を抑えたらこんな声しか出なかった。
「…え?」
「カカシ先生にとって、オレってなんですか…っ」
「なんですか…て、恋人でしょう」
カカシの声は動揺していた。何でこんなことを言い出されるのか分かっていないようで、また腹が立った。イルカだけがこんなに煩悶しているのが、滑稽に見えて。
「おれ、今日は二人きりだと思っていました…。確かに子供達と居るのは楽しいし、オレのことを考えてくれたカカシ先生の気持ちは嬉しいです。でも…、オレはカカシ先生の前でまで教師で居たくないんです。それが仕事なら勿論そうしますけど、これって仕事じゃないでしょう…。おれはカカシ先生と過ごすために、今日凄く楽しみにしていたのに…」
みっともないことを言っているような気がして顔は見せられなかったが、その衝動は止められなかった。ナルトが湯を浴びているざばあっという音が微かに耳に届く。それさえも今は煩わしい。
「…イルカ先生…」
「カカシ先生は、キスはするけど、それ以上仕掛けてこないでしょう。今日こそそういうことをするんだろうなと思いました…。初めてお泊まりに誘われたわけですし、普通恋人同士ならそういうこと意識して当然だと思うんですけど…それってオレの自意識過剰だったんでしょうか…」
性的なことで言えば、イルカはカカシと付き合い始めたその日から意識してきた。カカシが性的なことに手が早そうだと思いこんでいた所為だ。しかし、想像していた以上にゆっくりと手間を掛けられ、段階を踏んできたと思う。それがカカシの自分に対する思いやりだと思っていた。そう思って納得していたけど、この二人きりになれるはずの機会をつぶしてしまうところを見ると意識していたのはイルカだけだったようだ。
「笑って下さいよ。オレ、今日コンドーム用意してきたんですよ。セックスするんだと思って」
クリスマス前から用意していたもので、イルカはコンドーム自体を初めて買った。薬局で購入したのだが、あまりの種類の多さに困惑し、通販にすれば良かったとかせめて色町まで行って購入すればよかったと煩悶しながら、結局『売れ筋ナンバー1』と書かれたものを手にとったことを今でも覚えている。AVを借りる時よりも恥ずかしかった。
今日こそは使われるのだと思っていた。
「でも不要に――――」
視界が急に何かで覆われて、同時に唇も塞がれた。
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