adagio in C minor
二十日になってからその予定は、春先には随分早いのに雪崩のように崩れていった。
アカデミーと受付にインフルエンザが流行りだしたのだ。
イルカも流行に乗り遅れることなく、二十二日にはダウンしてしまった。頭が痛くて吐き気が酷い。立ち上がるとくらくらと眩暈がして、横になっているだけでも虫の息だ。
昨日の段階でアカデミーは閉鎖をかねて早期に冬期休暇に入っていたから教師としてのイルカの仕事は殆ど残っていなかったが、忍としての仕事納めはまだ先で、受付にシフトが入っているのに。
それよりなにより二日後はカカシと約束していた日なのに、買い出しに行ってないし、満足に料理の練習もしていない。揃っているのは調理用具だけという、どうしようもない状態だ。
何とか今日は休む旨を受付に連絡する。
電話口で、『お前もか〜!』と嘆いた同僚の声にウィルスの猛威を偲ぶ。きっと受付要員もバタバタと倒れてしまっているのだろう。その日の午前中に出来たのはそれくらいで、イルカは水を飲んで横になるのが精一杯だった。
眠っていたらしく、次に目が覚めたのは昼だった。喉が痛くなっていて、本格的にキていると自分の迂闊さを呪いながら、どうにかインスタントラーメンを食べた。食欲はなかったが、食べないと治らない気がしたのだ。明日熱が下がってないとカカシには会えない。会う予定は二日後だけど、中途半端に治した状態でもうつしてしまう可能性があり、それは絶対に避けなければいけない。
何でこんなことになっちゃったんだろうかと項垂れながら汗に濡れた寝間着を替えた。二十四日は絶対定時に上がれるように、と少し無理をしたのがいけなかったのか。それとも、何を作ろうか迷って料理本と遅くまでにらめっこしていたのが悪かったのだろうか。いつもはそれくらいで倒れるような柔な作りはしていない筈だったのに。
一番の原因は過信だと気付かないまま、イルカは水分補給をし、居間兼寝室に戻る。寒さは一度通り越して体中が熱く感じているから、熱は上がりきったようだと分析する。上手くいけば明日には熱も下がるかもしれない。
シーツも新しいものに替えたかったが、そんな元気はなく、枕カバーにバスタオルを敷いただけでベッドに潜り込んだ。
寝て過ごすしかないイルカはテレビを点けて、音量を下げ、その密やかな音を子守歌がわりに目を閉じた。病気になったときはなんでこんなに眠れるんだろうと思いながら簡単に意識を手放した。
夕方に起き、用を足してからもう一度水分補給をする。もう一度寝て起きると、部屋の中は真っ暗になっていた。
「イルカ先生〜」
こんこんと扉を敲く音で起こされたようで、寝ぼけた頭のまま、もう一度イルカは耳を澄ました。
「イルカ先生、起きてますか〜?」
のんびりとしたその声は、カカシだった。
――――ええええ…?
家の場所は知っていてもおかしくないだろうけど、どうしてこんな時に来るんだろう。今イルカの家の中はイルカがまき散らしたウィルスが充満しているのに、そんな中にカカシを上げられない。
「…らめれす…、いれられません…」
必至でひねり出した声はがらがらに嗄れていて、玄関の向こうのカカシには届かなかったのだろう。カカシは聞く耳も持たず。
「開けますからね」
と宣言して、勝手に開けた。鍵も掛かっていたはずなのに、開けると宣言した瞬間に外から鍵が開く。勿論まだ合い鍵も渡していない。
「お邪魔します」
いつもと変わらないのんびりとした様子でカカシは部屋に上がってきた。初めてくる筈なのに、全く物怖じしている様子はない。
「イルカ先生〜?」
すぐにベッドの上でぐったりとしている所をカカシに発見されてしまった。情けないやら、早く出ていって欲しいやら、安心したようなそんな気分がない混ぜになって、カカシの顔を見た瞬間に、うわーっと涙が溢れてきた。
「受付で聞いてきましたよ、風邪だって。一人で淋しかった?」
カカシは近くのティッシュボックスからティッシュを引き抜き、イルカの涙を拭いてくれる。そして、手袋を外した手でそっとイルカの額に触れた。今まで寒い外を歩いてきたと思われる手は冷たくて気持ちいい。
「ちょっと寒いかもしれないけど、窓開けるよ」
カカシは立ち上がると締め切ったままの窓を開け、カーテンを閉めてから部屋の照明を点けた。人工的な明かりが眩しくて、イルカは身じろぎをした。すぐにカカシが一段階照明を暗くしてくれる。
てきぱきと換気をした後に、窓を閉めて、カカシは鍋で湯を沸かし始めた。狭い部屋が蒸気でゆっくりとぬくめられて、イルカも呼吸が幾分楽になる。もしかして鍋で煮詰めているのは吸引用の薬なのかもしれない。
「このところ急に寒くなったもんね。アカデミーでもはやり始めたって聞いたから心配だったんですけど、まさかイルカ先生まで罹るなんて…」
イルカの頭の下に氷枕を入れながらカカシは溜息を吐いていた。何だか申し訳なくて、イルカは布団の中で縮こまってしまう。
「食欲はありますか? 食料をいくらか買ってきたんですけど、食べたいものはあるかなあ…」
どうやら表に出歩く元気も無いだろうと予想してカカシは買い物を済ませてきたらしく、買い物袋を持ってきた。ちょっと一日では食べきれないような量で、イルカは違和感を覚えた。
「今食べられそうなものはありますか?」
カカシはベッドの縁に座って、一つずつ買ってきたものをそばに並べて、イルカに見せていく。唐揚げ弁当、オムライス、温泉卵、生卵、ミカン、アイスクリームが二つに、ヨーグルト、牛乳、野菜ジュース、鍋焼きうどん、それから冷凍食品が数点。
一人ではとても食べられない量だし、カカシが一緒に食べるにしても多すぎる。
「…カカシ先生…、任務に出るんですか…」
それしか考えられなかった。
カカシはイルカの顔を見て、それから気まずそうに頷く。
明日は来られない、明後日もどうか分からない。だからこんなに買ってきたのだ、と熱に倦んだ頭でもすぐに理解できた。イルカが風邪を引いてしまった時点で、クリスマスを一緒に過ごすなんて無理な話だと若干諦めていたけれど、最後通牒を突きつけられたようで、イルカは呆然とした。がっかりするほどの体力もなく、ただ黙り込んでしまう。
「本当は休みを取れてたんです…けど、里がこの状態でしょ?みんなばたばた倒れちゃって…」
イルカの沈黙をどう取ったのか、カカシは申し訳なさそうに言い訳をする。確かに受付が壊滅状態ならば、そこで任務のやりとりをする忍達に蔓延していてもおかしくない。よくカカシが無事だったものだ。
「…カカシ先生は、なんともないんですか…?」
「これのお陰ですかねえ…」
カカシはそう言って口布を引っ張る。そのまま下げようとするから、
「あ…ダメです…!」
慌ててイルカはそれを制止した。そのお陰だと言うならこんな所で外しちゃいけない。カカシに伝染してしまう。
その手を止めようと急に動いたために、血流さえ緩くなっているのか、途端に眩暈を感じ、再び枕へと頭を預けることになった。
「ほら、大人しくしてないと…」
ずれてしまった氷枕をきちんと頭の下に戻して、カカシはそっと髪を梳いてくれた。
「あなたがダメって言うなら外しませんよ。本当はキスしたいけど」
本気なのか冗談なのか分からない顔で笑って、そっと親指で唇を辿られる。冷たくて気持ち良い。血圧が上がっているのか、横になっていてもくらくらとする。
黙ってしまったイルカの傍に屈み込み、そっとカカシは口布を外さないまま唇を押しつけてきた。熱を保った唇に乾いた布が押しつけられてひりひりしたし、取ったらダメだと言った傍からその口布を引き剥がしたくて溜まらないほど甘かった。早く元気になって普通に味わいたいと思えるほど。
毛布から腕を出して、カカシの体にしがみつけば、同じ強さで返してくれる。
「…カカシ先生…」
うん、とカカシは言ったきり、ただ優しく髪を梳き続けてくれる。それがこれから殺伐とした任務に発つ人の手とは思えないほど穏やかだ。人のはかなさを知るからこんなに優しいのだろうか、とイルカはその手を感じながら愚にも付かないことを考えた。
それからカカシの買ってきてくれた弁当を半分とミカンを一個食べ、野菜ジュースを一杯飲み干し、カカシが準備してくれた苦い薬を飲んで横になった。すぐに眠気がイルカを襲う。病気の時の防衛本能なのか、お腹が満たされた所為なのか、それともカカシが飲ませた薬に何か入れられていたのだろうか。
まだ眠りたくない。カカシがすぐそこに居るのに。
「…かかしせんせ…」
しゃがれた声で呼ぶと、すぐにカカシがイルカの視界の中に入ってくる。
「なあに?」
声に出すのが辛いから、唇だけ動かす。
『任務はいつから?』
カカシは正しく唇の動きを読みとってくれて、「明日の早朝立ちます」と素直に応えてくれた。
「心配しないで、眠るまでここにいますから」
そのカカシの言葉に駄々をこねるようにイルカは首を横に振る。そうじゃない。眠りたくない。出来ればカカシを見送りたかった。しかし、カカシはその意志を汲むことなく、イルカを眠らせるために照明を暗くした。
「眠らないと、治るものも治りませんからね…」
室温で温もった手がイルカの目蓋にそっと当てられる。それはいけない、と思った瞬間には既に抗いようもない眠気が全身を襲い、意識は霧散してしまった。
翌朝起きると、熱はまだ平熱には戻っていなかったが、酷い頭痛と喉の痛みは退いていた。体はだるいし、まだ受付で仕事をするには不向きだろう。いくらかマシになったとはいえ、これは無理するとまた悪くなるという確信があったから、イルカは風邪ひき二日目も仕事を休むことにした。
洗顔と排泄のためにベッドから出ると、食堂のテーブルに目もが残されていた。カカシの手紙だとその難解な文字ですぐに理解し、思わず飛びついた。
『二十三日の昼にナルトが寄るようになっています。任務扱いになっていますから便利に使って下さい』
イルカを心配したカカシがきっと受付に申請してくれたのだろう。ナルトじゃきっとあまりいいお手伝いさんにはなれないかもしれないが、良い話し相手になってくれる。ちょっと伝染してしまわないか心配だったが、もしもマスクも着けずに来たら、その時は出直しを命じるつもりだった。この場合イルカは依頼主ではないけれど、ナルトは自分を守るという最低限の努力をしなくちゃいけない。
ナルトが来てくれるのか。
やはり一人暮らしで病気になるのは心細く、誰かが来てくれると言うのであれば、伝染さないか心配だったけれども、内心大歓迎だった。
ナルトが来るという時間までもう暫くある。イルカはカカシの手紙を綺麗に畳み、水屋の抽斗にしまうと、用事を済ませてもう一度ベッドに潜り込んだ。
病気の時はどうしてこんなに眠れるのか考えている内に眠っていた。
こんこんという音でイルカは目が覚めた。聞き間違いかなとぼんやりとした耳にもう一度戸が叩かれる遠慮がちな音が聞こえてくる。
「イルカせんせー」
それはナルトの声だった。もうそんな時間になったのかと時計を確認すると、一度目を覚ましたときから既に二時間が経っている。眠っているとあっという間に時間が経っているな、と感心しながら上着を羽織り、玄関先までナルトを迎えに行く。ナルトはまだまだ未熟だから、カカシのように合い鍵も無しに外から錠を外すことなんてまだ出来ないのに違いない。
そう言えばイルカは鍵を閉めた記憶なんて全くないのに、きちんと掛けられている。カカシはご丁寧に出ていくときも鍵を閉めていったようだった。開けるのはイルカにも出来るが、戻すのは困難で、妙な所でカカシの実力を目の当たりにする。
「お前ちゃんとマスクしてるか〜…?」
寝起きと喉の腫れのお陰で相変わらずまともな声が出ない。そとでナルトが「うっわ、酷い声だってばよ〜!」と騒いでいる。
「ちゃんとカカシ先生が用意してくれたってばよ〜」
魚眼レンズを覗き込むと、誇らしげに真っ白のマスクをしているナルトが、見て見てとこちらを覗き込んでいた。用意の良いことだとカカシに感心しながらイルカは玄関の鍵を下ろして、扉を開けた。
「おう、大丈夫? イルカ先生」
ゴム毬のように飛びついてきそうなナルトをふらふらになりながらどうにか避けて、イルカはベッドに戻る。長く立っているのはまだしんどい。
「なんだよ、まだまだ具合悪そうだなあ」
イルカの後ろをナルトが附いてくる。附いてこられても何もしてあげられないんだけど。
「まあなあ…、お前絶対に貰って帰るなよ〜…」
「はい、イルカ先生」
お、いい返事と思って振り返ると、それは返事では無かったようで、ナルトイルカにマスクを差し出していた。
「カカシ先生から差し入れだってばよ」
イルカにもしろと言うことなのだろう。元気なナルトがマスクをしていて、イルカがウィルスまき散らし放題というのも確かに何だか変だ。素直に受け取りゴムを両耳に掛けた。鼻はバカになっていないらしく、ぷんとガーゼか消毒の臭いを感じた。
「ナルト、昼飯は食ったか?」
火照った頬に乾燥した布が擦れる感覚はちょっと不快だったが、乾燥した空気を吸わずに済む状況はちょっと良い。
「うんにゃ、食べてないってばよ」
そして、ナルトは顔をきらきらとさせて、イルカの横になるベッドの傍に膝立ちになる。
「おれってば、今日はイルカ先生のお手伝いだからな。飯も作ったりするんだろ」
もしかしてナルトは料理が好きなんだろうか。あいにく冷蔵庫には水と出汁を入れて炊くだけの鍋焼きうどんも昨日カカシが買ってきたままのオムライスも残っている。それを先に処分しないと。冷蔵庫の中で腐らせてしまうのは勿体ない。昨晩イルカが残した唐揚げ弁当はカカシが全部食べてしまっていた。
「…昼は冷蔵庫にあるものを温めて食べよう。夕食は作って貰おうかな…」
ナルトは少し不満そうだったけれども、渋々と鍋焼きうどんをコンロに掛け、レンジでオムライスを温めてくれた。二人で半分ずつ食べて、ミカンも一つずつ食べた。
「もしかして、このミカン、カカシ先生の差し入れ?」
そう指摘されてイルカは一瞬動揺したけれども、ナルトがカカシとイルカの関係を疑るような微妙な探りを入れてくるわけがない、と己に言い聞かせ、そうだよ、と応じる。疚しいことはまだ何一つない、残念ながら。
「やっぱりねー。風邪が流行りだした頃にカカシ先生よく言ってたんだ。風邪予防にはミカン、風邪に罹ってもミカンって」
「へー…」
イルカはカカシがミカンを持ってきたとき、あの桔梗峠の任務のことを思い出した。
紅とアスマがミカンを持ってきていて、イルカは美味しそうだなあと思っていて、帰りがけに幾つか食べようと思っていたのに、カカシがイルカの意志に気付くことなく宿に全部引き渡してしまったのだ。あの時、きっとイルカは酷く恨めしそうな顔をしていたに違いない。渡した後でカカシがイルカの顔を見て、しくじったという表情を見せたからだ。
カカシの『風邪にはミカン』論が正しいのだとすれば、イルカが今回風邪を引いたのはきっとそのミカンで予防できなかった所為に違いない。
「何、にやにやしてるんだってばよ…」
一人で思いだしにやけして、ナルトが不審そうな顔をしている。
「オレはミカンが好きなんだよ」
と適当にはぐらかしておいた。今までも嫌いじゃなかったけど、何だかもっと好きになれそうな気がした。
「食べてすぐ寝たら豚になるってばよ」
ナルトは食後になってぐったりとしているイルカにぶすくれながら文句を言い、結局シーツを換えてくれて、眠っている間に洗濯をしてくれた。
昼間になって、少し熱が上がったようだ。
ナルトに伝染してしまわないか心配だったが、ナルトはイルカのそんな心配など余所に、はつらつと仕事こなしていた。カカシの教育の賜か、ただ単にナルトが成長したのか、その姿は眩しかった。
寝ては醒めを何度か繰り返し、その度に、ナルトが心配そうに顔を覗き込んでいた。呼吸が荒く、熱を出してしまったイルカの尋常でない様子に物怖じしているようだった。
「イルカ先生…。晩飯の準備で買い物行ってくるけど、何が食べたい?」
少しだけ考えて、イルカは「雑炊」と応えた。それから不意にカレンダーを見た。今日は二十三日。大きく○がしてあった。
――――そうだ…。
「待って、ナルト…」
午前中以上にふらつく体を持て余しながら、イルカはタンスの中から封筒を取りだした。それをナルトに渡す。
「…何これ…」
「三丁先に鍛冶屋があるの知っているだろ…?」
ナルトはお金と分かる封筒にうろたえつつ頷く。
「あそこに刀を預けてるんだ…それを取りに行って貰えないか…。オレの名前を出せば分かってくれるはずだから…」
「わ、分かったってばよ…」
お釣りで買い物も済ませてきてくれと頼むと、ナルトは緊張したような顔で一つ頷いて家を出ていった。あんまり、大金を持っていて緊張していますという顔をして街を歩かないで欲しいのだが、そんなこと言えば更に緊張してしまうのが目に見えるようだったからイルカは黙って送り出した。
刀の出来は気になったけど、体が元気じゃないから期待感に胸が躍るということもなく、イルカはもう一度ベッドに倒れ込んだ。早く元気になりたくて、イルカはミカンをもう一個食べた。今年の冬はきっと手が黄色になるのに違いない。
ナルトは家を出てから一時間弱で戻ってきた。ベッドで横になっていたイルカは丁度寝入りばなを起こされる羽目になる。
「た、だいま〜…」
ひどく疲れきった様子で部屋に上がったナルトは、ビニールのガサガサという音を立てた後、イルカが横になる寝室兼居間にやってきた。
「イルカ先生、これ」
そして、生成の絹に包まれた刀を差しだした。イルカはそれを起きあがって受け取る。
「もしぞうがん…?が気に入らなかったら持ってこいって、おやじが言っていた」
象眼の意味が分からず伝言をしてくれているのが分かり、少し苦笑した。ナルトはもう少し言葉の勉強をしておくべきだろう。
お釣りはこれ、ナルトがイルカに戻した封筒の中が案外多く、修繕にそんなに金が掛からなかったらしい。やはりいい刀は違うなあと感心しながらイルカは領収書を眺めた。ナルトはこれで任務完了とばかりに台所へと戻っていく。
イルカは確認の為にその白い袋を開けて中をあらためた。よく見ればその袋も良い布地を使っているようで、橘の模様が織り込まれている。
中から姿を見せた装具は大変美しいものだった。
柄頭から鐺まで全て黒。のっぺりとしたような黒一色ではなく、柄頭は金属、柄捲きは絹、鍔は艶消しの鋼、鞘は漆ようなの艶の利いた黒だ。一見無骨なのだが、鞘の螺鈿と鍔の透かし彫りが繊細な面も見せていて、芸術品のようだった。
これをカカシが携えている姿はさぞ絵になることだろうと、イルカは嬉しくなった。明日きっとカカシに渡すことは出来ないだろうけれど、別にクリスマスという口実が無くても、恋人にプレゼントを贈っても良いはずだ。年末に『今年一年間、お世話になりました』でも良いと思う。
クリスマスは多分もう無理だけど、年末こそ一緒に過ごしたい。カカシと一緒に除夜の鐘を聞いて朝日を拝めることが出来たらなあと、夢見心地で思うイルカの精神はとても健全で前向きだった。体はそれに附いていけずに、今ははいつくばることしか出来なかったけれど。
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