adagio in C minor
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街は寒さを増してきて、赤と白に飾り立てられている。クリスマスが近づいてきているのは分かるが、来月末の舶来イベントのために街総出で飾り立てることもないだろうにとカカシは歩きながら思った。子供達も気がそぞろになり、どうにも集中できないようだった。
今日は町中で落とし物を捜している。イヤリングを捜しているのだが、見つかる望みは薄いだろう。今日一日捜して見つからないようだったら諦めると依頼主も言っているほどだ。小さくて、それなりに高価で、子供達がこの様子ではまず見つからない。かれらは昼間からチカチカと賑やかしい電飾に注意を奪われては地面に視線を戻し、店先の窓ガラスにへばりつき、給料が入ったら――――なんてことを熱心に話すことを繰り返している。
カカシもカカシであまり捜す気にはなれなかった。恐らくもう誰かに拾われて転売されていることだろう。捜しているイヤリングのもう片割れは借りてきているので、子供達を解散させた後にでも一人で古物商の所に行ってみようと思っていた。
「ねえ、カカシ先生。あたし達クリスマスも任務かなあ…?」
一応地面に視線を落として、捜す振りを続けながらサクラが問う。
「…どうだろうねえ。任務だとしても多分夕方には解散だと思うけど」
例え下忍でも子供だからという理由で夜遅くまで働かせるようなことはしない。どんなに遅くても十九時には解散させるつもりだ。サクラには待っている両親も居る。
「本当? じゃあ、パーティが出来るね! ヒナタの家でみんなとパーティやるんです!カカシ先生も来ませんか?」
まさか誘われるとは思いもしなくて、一瞬カカシはきょとんとしてしまった。それからすぐに脳裏を掠めたのはイルカと、そして任務のことだった。カカシには予定が立たない。明日のことさえ分からない。緊急の任務が入れば子供達をそっちのけにしてでもそれに従事せねばならず、おいそれと予定を入れてしまえば反故にしてしまう可能性が高かった。だからサクラのその誘いもやんわりとはぐらかした。
「どうだろう。予定が入るかも」
任務が入らなかったとしても、出来ればイルカと過ごしたい。イルカが任務に出れば子供達と過ごしても良いかもしれないが、その可能性は自分が任務に出るよりも低いことだろう。
「ふふっ、カカシ先生もクリスマスを一緒に過ごす彼女が居るのね〜」
サクラはカカシのことを肘で小突く。任務だと受け取らずに他に行くところがあるのだと受け取ったのだろう。それもまあ確かなのだが、殆ど紅と同じような茶化し方に内心げんなりする。幼くても立派なくのいち候補生だ。
カカシも…と言うことは同期下忍担当上忍師であるアスマや紅も誘ったのだろうか。それは勇者だなあと思う。その二人は出来ているから、もしもオフだったならどこかでしっぽりと過ごすのに違いない。アスマよりも紅の方がそういう行事が好きそうだ。
もしかしてイルカもそう言うのは好きなんだろうか。一応カカシとイルカは付き合っている関係なのだからプレゼントの一つでも準備していた方がいいのかもしれない。
「やっぱりプレゼント交換とかするの?」
それがどれくらいの重要度を占めるのか知るために、カカシはサクラに探りを入れる。するとサクラはぎらっと視線を鋭くしてカカシを見上げた。
「当然でしょ! 今年こそ、今年こそサスケ君の用意したものを貰うのよ〜…!」
やけに燃えているサクラに、カカシは凄まじいものを感じて少し退いた。下忍に気圧される上忍はいかがなものかと思いはしたが、サクラが去年のプレゼント交換でキバの用意した犬用おやつである骨が当たったことをカカシは知る由もない。
なるほど、重要なものらしいとカカシはきちんとプレゼントのことをインプットした。確かに何を選ぶか考える時間も考慮するならこの時期からクリスマスの準備をする店側の気持ちも分かるし、それに踊らされる消費者の気持ちも理解できる。これまでカカシはまともにクリスマスなんて行事に参加もしないし乗ってもこなかったけれど、今年はその踊らされる一消費者になれそうな気がした。
全てはイルカのための変化だった。イルカが居るからこそ、これまで歯牙にも掛けなかった季節ごとの行事を楽しく迎えられそうな気がした。イルカのために何かプレゼントを捜すことさえも喜びになりそうな自分の変化に少し呆れながらも、その高揚感はけして不愉快ではなく、早くイルカに会える時間にならないかと心を逸らせる材料になった。
出来るだけ早くこの仕事を終わらせたいなと思うが、きりがない上、見つけることも絶望的で、かといって切実な依頼主の手前早めにうち切るわけにもいかず、時間を掛けるしかないのが辛い。
結局、カカシも子供達も上の空だった所為か、成果は上がらず、捜索は打ち切りとなった。今の時間から受付に行ってもきっとイルカは帰ってしまっているに違いない、と思いながら、カカシは子供達を解散させて、古物商を回った。主立った店に借りてきた現物を見せて取り扱ったことはないかと聞き回る。「プレゼントか」と問われて、思わずイルカの耳にこのイヤリングがぶら下がっているところを想像してしまって、首を傾げた。似合わない。
しかもそう問われたのは一件だけではなくて、およそ半分くらいの店で同じように尋ねられた。クリスマスが近い所為だろう。こんな所までクリスマスという毒に侵されかけているのに違いない。
カカシなら絶対誰かの使ったものをイルカにプレゼントしたいとは思わないのに、古物のリーズナブルさに惹かれて買っていく客も多いということだろう。イルカには出来れば新しいぴかぴかのものを贈ろうとカカシは心に決めた。
もうそろそろ二十時を回ると言うときに、閉店ぎりぎりに駆け込んだ店だった。
「これと似たようなの、扱ったことない?」
ジッパー付きのビニールに入れたイヤリングを、店じまいをしようとしていた店主に突きつける。
「なんだい、プレゼントかい?」
もう何度ともしれないやりとりに、カカシは溜息を吐きながら「任務」とだけ応えた。違うと否定したら「なんだ、彼女は居ないのか」と五件前の店で言われたからだ。否定肯定も出来ない微妙さと少し嘲ったような物言いに少しだけ気分を害した。そんなことで苛立ってしまうなんてまだまだ自分も青いと思うものの、イルカと過ごせるはずの時間を削ってまで仕事をしているのだから気も短くなる。
店主はカカシの任務服とそのイヤリングを見比べて、納得したようだった。
「開けてみてもいいかい?」
「手袋してね」
三軒前の店主はカカシの見ている前でこっそり石を取り替えようとしたものだから、殺気を漲らせてやったら、それ以降手が震えて鑑定出来なくなっていた。また同じようなことにならなきゃ良いけど、と思いながら許可を出す。
店主はきちんと手袋填めて、黒い布の敷かれた台の上にそのイヤリングを出した。金細工の掠れるしゃらしゃらという音が聞こえた。彼は丁寧にそれらを扱い、まず地金を調べる。それから眼鏡をかけて貴石を調べ始めた。
カカシは彼が何か不正を働かないか、じっとその指先や行動を監視する。
「う〜ん、いいものだねえ…」
それは前の店でもお墨付きを頂いている。イイ物だからこそ依頼主も捜しているのだ。
「…似ているものを前に買ったような気がするなあ…」
眼鏡を外して店主は店の奥の方へと足を向ける。カカシが渡したイヤリングは台の上に置いたままだから、すり替える気は無さそうだ。店の奥から鍵を持ってきた店主はカカシの横を通り抜けて、一番端のショウケースの前に屈み込む。鍵を外してそこから天鵞絨の小箱を取りだした。そして中身を確認する。
「ああ、これだ、これ」
店主は躊躇いもせずにカカシにその小箱を差し出した。受け取ってその中身を見ると、確かにカカシが依頼主から借りたものと同じ形の装飾品が収められていた。
「いつ頃これを?」
カカシの質問に店主は面倒くさがる様子を見せず、ちょっと待っててと再び裏手に回る。その間にカカシは持ってきたものと店に持ち込まれたものを並べて、よくよく観察した。
並べてみると、二つは左右対称の作りをしている。メインの金剛石、黄玉、紅玉、紫水晶の配し方も揃って対称になっているところを見ると、対で作られたものとしか思えない。十中八九これが捜しているもので間違いない。
カカシの予想は半分当たっていた。
誰かに拾われたイヤリングの片割れは売られて、足が着かないように加工されて再び販売していると思っていたのだが、こうして形が残った状態で見つかるのは僥倖だ。
「ああ、あった。それはね、先月の連休の翌日に持ち込まれているね。持ってきたのは男だったし、片方だけだったから何だかおかしいなとは思ったのよ。なんか曰く付きのもの?」
任務とカカシが言ったことを覚えていた店主が興味深そうにカカシの顔を覗き込んでくる。忍を雇ってまでそのイヤリングを捜したい何かが依頼主にはあるのだろうが、それは高価なものに対する執着心かもしれないし、ものに対する思い出かもしれないがカカシの知るところではなく、店主には曖昧に笑うことしかできなかった。
「二三日以内にもう一度来ます。それまでこっちの方は誰にも売らないで貰えますか?」
「いいよ?」
店主はあっさりとそれに応じてくれて、カカシは胸をなで下ろした。
「もともとこれはイヤリングだし、片方じゃあ買い手は居ないよね〜」
依頼主から借りたイヤリングも再び丁寧にビニールへと収めて、カカシは何かあったら、と受付への連絡先を店主に渡した。
「イヤリングのことでと、言えば分かると思いますので」
「はいよ」
捜し物の入った天鵞絨の箱は別の所へと収納してくれるつもりのようで、店主は帳簿と一緒に奥へと持っていった。
「お邪魔しました」
「今度は買いに来てくれよ」
あいにくカカシは中古品を買うつもりはないから、当分ここにはお世話にならないだろうと思うものの、余りにも裁けた店主の様子に好感を持っていた。客でもないカカシに邪険にすることなく話を聞いてくれたのは今回回った古物商の中ではあそこだけかもしれない。貴金属が安く手にはいるのなら大歓迎だと思われるアスマとゲンマに紹介してやろうと思った。
最初からこうして古物商めぐりをすれば良かったと思いながらカカシは受付へと急いだ。
子供達が居る間に情報収集をさせるというのも修行の一つの方法だったかもしれないと今になって思う。任務を受けた時は道を虱潰しに捜させることしか脳裏に無かったからだ。無いものを承知で、それでも確認の為に一パーセントでも残っている可能性にかけて捜すという行為も時に必要となるから、こうして成果が上がらない任務も時には必要だと自分に言い聞かせてみるけれども。それでも、イルカと過ごしても良いはずだった時間を無為に過ごしてしまったという妙な後悔が残ってしまった。これで古物商にも何処にもなかったらそれこそ達成感のない仕事となったに違いなく、そういう意味では時間を割いて良かったと思う。
受付には明かりがついていた。
まだ人が残っていたらしい。少しだけほっと胸をなで下ろしながら建物に入り、受付へと入る。
そこでカカシを出迎えたのはイルカだった。
「え、イルカ先生…っ!」
「あ、お疲れさまです」
イルカは今日も定時までだったはずだ。イルカの仕事はアカデミーの方がメインだから、それに支障が出ないように残業はあまり回ってこないようになっているはずなのに。何度か残業をしているところを見たことがあるけれど、ここまで遅いのは今まで無かったはずだ。
――――なんだ…
カカシは思わず脱力してしまった。
もしも今日カカシが効率よく仕事をこなしていたところで、イルカがこんなに遅くまで残業だったのなら、一緒に晩ご飯を食べる機会もなかったのに違いない。
「今日は遅かったんですね。もうそろそろ閉めようかと思っていた所だったんですよ」
九時になったら閉めようと思っていたというイルカの言葉に改めて時計を見れば五分前だった。
「ああ、待って下さい。急いで書くから〜…」
カカシは慌ててC、Dランク用の報告書を一枚取り、必要事項を書き込んでいく。慌てなくても待ってますから〜というイルカののんびりしたような声を聞きながら、ペンを走らせれば、難解な文字が書けた。イルカには読めるだろうか。
イヤリングを発見出来た旨を書くのが少しだけ誇らしい。今現時点での安置されている場所とその連絡先も勿論書いておく。
任務に従事したトータルの時間を明記してサインを書き込めば仕舞いだった。
一人だけ残っている受付に提出すれば、カカシの今日の仕事は終了だった。奇遇にもイルカも九時には受付を閉めるというから、少し待てば一緒に帰られるという事実がカカシを高揚させた。
イルカはいつもと変わらない調子でカカシから報告書を受け取り、今書き上げたばかりの文字を読み進めていく。イルカが「お疲れさまでした」と顔を上げたら一緒に帰ろうと誘うつもりで、タイミングを計ることに集中する。
イルカの視線は時々つっかえながらも先へと進んでいく。カカシの摩訶不思議な文字もどうにか理解してくれたらしい。書き込まれた時間を確認し、貼付された連絡先などの資料を確認して終了だった。
「カカシ先生」
今だ…! と思った瞬間に、イルカが口を開いて先制してきた。出鼻を挫かれて、カカシはしどろもどろになってしまう。疚しいことを考えていたわけでもないのに、「は、はははい」などとうわずった返事になった。
「一緒に帰りませんか? 十分ほどお待たせすることになるかもしれませんけど、今日はカカシ先生で終わりですから…」
「え」
まさかイルカの方から言い出してくれるとは思いもしなくて、思わずカカシは固まってしまう。
「あ…、もしかして用事がありましたか…?」
硬直したカカシに気付いたイルカが、恐らくカカシが断りやすいようにとそんな風に逃げ道のようなものを用意してくれるが、それは全く不要な準備だった。
「いいえ、オレも今そう誘おうと思っていたところなので、吃驚してしまって…」
イルカは目を大きくしていたが、カカシの言葉を理解した途端に、とろけるように笑った。
――――!
不覚にもその笑顔が可愛いと思ってしまった。直撃を受けたような胸郭が吃驚している。
「以心伝心ですね」
無邪気にイルカは笑い、「じゃあ、そこで待ってて下さい。今から片づけますから」とファイルの方へと駆けて行ってしまった。
カカシはふらふらと指定されたソファに辿り着き、座り込む。
あの桔梗峠で任務をこなすまで、まさか自分がここまでイルカに惚れ込んでしまうなんて思いもしなかった。
きっかけは間違いなく、最終日での温泉で目にしたあの映像だ。
カウンターの向こうでくるくると働いているあの人があの淫靡な光景を作り上げていた人物だなんて信じられない位だ。普段は清潔な顔をしていて、性欲なんてこれっぽちもありませんと言う風な顔をしているのに、そのギャップにやられてしまったのだと思う。
だが、カカシは間違いなくあの純朴なイルカに惹かれているし、実際ちょっとそれは――――な誤解を抱かれていたが、許してしまえるくらいには好ましく思っている。
今日も会えて良かったと、些細なことで喜んでいる自分がすこしばかり信じられなかったが、間違いなく幸せだった。
働いているイルカを見ていると、不意に視線が合った。すぐにイルカははにかんで見せて、仕事に戻っていく。カカシを待たせていることが後ろめたいのか、仕事に戻った横顔はすぐに真剣な眼差しになり、そのイルカの変化ぶりに再びカカシは胸を打たれたようになってしまう。凡庸なはずのイルカがかっこよく見えた瞬間だった。
ぽーっとカカシが舞い上がっていることなど知る由もなく、イルカは着々と帰り支度を整え、宣言通りに十分ほどで戸締まり整理整頓を済ませてカカシの側に歩み寄ってきた。
「お待たせしました。帰りましょう」
イルカはカカシを促し、受付の扉を閉める。その手には鍵が握られていて、その鍵で外から受付の鍵を閉めた。それだけで強固な結界が張られる。
「――――!」
そのシステムを初めて目の当たりにしたカカシは、思わず一歩後ずさってしまった。
「ああ、カカシ先生は初めてでしたか。受付には重要書類も保管されているので、こうして特製の結界が張られているんです」
イルカはカカシが驚いたのを見て、そう説明してくれた。これまで何度と無く出入りしてきたのに術の気配も感じていなかったので、すこしだけ裏をかかれたみたいで悔しかった。
その鍵を当直の忍に渡してから、カカシとイルカは漸くその建物を後にした。
「カカシ先生は夕飯済んでますか…?」
「いえ、まだです。イルカ先生は?」
「オレもまだなんです。どこかで食べて帰りませんか?」
「いいですね。でも、イルカ先生明日も仕事でしょ?大丈夫?」
空気が冷たいせいか、イルカの頬が紅くなっているのが薄暗い中でも分かった。それも可愛いけれど、早く温かいところに入って、温めてあげたいなと思った。
「おれは大丈夫ですよ。深酒さえしなきゃ、朝は強いので」
それは良く知っている。あの桔梗峠の最終日にあれだけ飲んだにも拘わらず澄ました顔でカカシの起床を待っていたイルカだ。酒に強いことも、寝起きが良いことも知っている。
少し遠回りになるけれど、吉まで足を伸ばした。カカシはまだ行ったことはないけれど、イルカの家に近い。カカシは明日の朝少しくらい遅刻しても大丈夫だけど、イルカは朝から授業だから少しでも負担を軽減してあげたかった。カカシと一緒に居ることによって普段のイルカが一つも損なわれてはいけないと思う。カカシの存在が負担だとは思われたくなかった。
店に入るとすぐに女将が応対してくれて、奥の部屋へと通された。空いている限りそこがカカシとイルカの指定席になってしまったようだ。
「出汁巻き卵と、あら煮…他は何にします?」
その二品は吉に来たときの定番メニューになってしまっている。温かいおしぼりで手を拭きながら二人で一つのお品書きを覗き込んだ。
「そうですねえ、白子なんてどうですか? 紅葉卸とアサツキが添えてあって、ポン酢で食べるんです。去年の冬もよく食べたんですけど、そんな季節になったんですねえ」
イルカは壁に掛かったメニューの木札を眺めて、少し懐かしそうに言った。
「良いですねえ、白子」
それから根菜の煮物とぬる燗を二本つけて貰うことにした。
先付けと酒が先に出てきて、料理が揃う前から二人は待ちきれないとばかりに始めてしまう。
「お疲れさまです」
互いの猪口を軽くぶつけて口に含む。吉の熱燗は本当に熱々で来てしまうから、ぬる燗で丁度いい。揮発し掛かったアルコールが口の中一杯に広がり、芳醇な香りを楽しむにはやはりこの温度だと思う。
「そう言えばイルカ先生。今日はかなり遅くまで残業だったんですね」
「…まあ、そうですね。ちょっと替わってくれって頼まれちゃったもんですから…。でも来月になればもっと忙しくなりますよ。依頼が殺到しますから」
その殺到した依頼はカカシの所にも振り宛てられる。子供達同伴のものならば大半がその日に終了するようなものだから良いけれど、カカシ個人に上忍として割り当てられてしまった場合、その日で終わる可能性なんて殆ど皆無だ。これが上忍師もしてなければクリスマスに里にいるなんて絶望的だったかもしれない。
「ねえ、イルカ先生。もしも、クリスマスに里にいられて仕事がなかったら、一緒に飲みましょうね!」
そのカカシの言葉に、イルカはまずきょとんと目を見開き、まさに意外な言葉を聞いたという顔をして呟いた。
「…行事ごと、興味があったんですね〜…」
「…まあ、それなりには〜…」
サクラや街の雰囲気に触発されて、とは言えなくなってしまった。
「…希望は薄いですけど…、良いですね!」
イルカはカカシの猪口に喜々として酒をつぎ足しながら、目をきらきらさせていた。
「オレはあんまり料理が得意じゃないですけど、もし二人とも都合が合えば料理作って待っていますよ」
「良いですね、お願いします」
イルカの手料理か、初めてだ。
これまでは付き合っている人間の料理を食べたら、異国の神話にあるように束縛される理由になると思っていたが、何故か、イルカの手料理だったら構わないような気になった。それどころか、どんな料理を作ってくれるのだろうかと、楽しみにさえ思う。
そして、漸くはっと思い付いた。
イルカが料理を作ってくれる。それはイルカの部屋で料理をいただくと言うことで、つまり、イルカの部屋への招待されたも同じことだ。思わず手中の猪口からイルカへと視線を上げると、イルカは何一つ重要なことを言ったつもりはないという風に、先付けのイカを摘んでいる。さっきは寒さ赤らんでいた頬がすでにぬくめられて、酒に染まっていた。
カカシとイルカは曲がりなりにもお付き合いしている仲で、部屋に呼ばれたと言うことは、そう言うことなのかなあ、とカカシは思わずイルカの瞳と唇を見てしまう。すでに濡れたようになっていて、ドキドキしてしまった。
「…都合が合うと良いですね…」
イルカが料理を準備してくれるならば、カカシは何かプレゼントを考えなければいけないだろう。出来るだけ形が残るものが良いなと思った。自分はいつ死んでしまうか分からない身の上だから、もし急に逝ってしまってもイルカが思い出してくれるようなもの。
――――まだ付き合い始めて間がないから、流石にそう言うのは重いかな…
イルカの傍にいれば自ずとイルカの欲しいものが見えてくるはず。そう信じてカカシはいっそうのイルカ観察を始めたのだが、その日はどうしても酒を舐め取る唇が気になって仕方なかった。
酒をもう二本とご飯ものを追加注文して、いつもは三時間四時間平気で滞在するのに、二時間ほどでお開きにすることになった。それでもいつもお開きになる時間とほぼ一緒で、もう少しで日付が変わりそうだった。
何だか物足りないような気がしたが、カカシもイルカも明日は仕事だ。無理は出来ない。万全の体調で仕事に臨まないと命を落としかねない、そういう脅迫が常に背中について回っている、いやな性分だ。
もっと一緒に居たいなあと思いながら店を出れば、もうそこは別れ道だった。イルカの家は右へ。カカシの家へは左。吉は良い店だったが、余韻と言うには物足りない構えの店だ。
「それじゃあ、カカシ先生」
酒と室温でぬくめられたイルカの頬は艶々としているようだった。思わずカカシは別れを告げようとしているイルカの頬に触れる。
離れがたいという思いとカカシの中でわき起こった衝動がそうさせた。イルカはぼんやりとカカシのことを見たまま、硬直している。
「また明日」とか「お休みなさい」という別れに準じた挨拶をするために半開きになった唇に吸い付いてみたいと思った。
「…カカシ、先生…?」
幸い人通りの少ない通りだ。吉は旨い店なのに流行っていないのはその立地の悪さのせいだ。だからこそ誰かに見られる心配も低く、カカシは意を決してイルカに訪ねてみた。
「…キスしてみても良い?」
「――――!」
かっとイルカの頬に朱がさすのが分かった。そこはまだ、吉の店明かりが届く、目と鼻の先。イルカの動揺は理解できた。
ダメならダメでも良いかなとカカシは思っていた。無理矢理する気はないし、まだ一度もそういう性的な意味あいをもって触れたことがない。それにイルカはしたいと思っていないかもしれないという可能性もあると考えていた。カカシもやっぱりイルカとは同性だから怖い。でも触れたいと思ってしまう気持ちも間違いなく存在した。
「……ダメ? ダメならダメでも良いんだけど…」
カカシに頬を好きにさせたまま俯いてしまったイルカに、どちらでも良いから返事を貰おうと促してみる。すると、イルカはきっとカカシに挑むような視線を向けた。
「き…っ聞かずにすればいいじゃないですか…! 付き合っているのに……」
爆発したのは一瞬だけで、またイルカは顔を俯けてしまった。恥ずかしいらしいと言うことを漸く理解すると、思わずカカシはにやけてしまった。
「でも〜、そういうことするのに同意は必要でしょ」
硬直してしまったイルカを抱き寄せてみても抵抗はなかった。カカシの中にも、イルカからも。だからそのまま、自分の体の中に取り込むくらいの勢いで抱き寄せる。イルカが息を飲んだようだが、気付かない振りをした。
好きだと思った。
何に惹かれたのか分からないけれど、この人なら自分の全てを捧げても良いと思える位に。
そっと自分の顔下半分を覆う布を下げ、万感の思いを込めて頬に唇を宛てる。びくっとイルカは体を震わせたが、やはり抵抗はなく、カカシはそのままイルカの唇と自分の唇を重ね合わせた。
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