カラダカラ
森の影、闇夜こそ彼らの息づく場所だ。肥沃な土に太く育った木々の枝が足場となって彼らを足音のとは無縁の世界に住まわせる。
「離れるな。単独行動をとれば端から潰されていく」
カカシは思い思いに走ろうとする部下にそう静かに声をかけた。走っていても彼らの耳には届いている。その証拠に優秀な部下達はカカシから付かず離れず一定距離を保つように陣形を組み、足を早めた。暗部特有の漆黒の外套が風を孕んで膨らむが、カカシたち暗部は歯牙にもかけず、疾駆する。
いつもならばこんなやり方はしない。いつもならばターゲットを逃がさないように、ある程度散開し、かち合ったところで交戦。周囲の人間に余裕があれば援護に向かう、という一対一に限りなく近い手段が用いられる。
しかし戦場にあって通常の暗殺任務と違う今回の仕事は掃討作戦。つまりターゲットは単体ではなく、不特定多数。得意とする一撃離脱の方法はこう相手が多いと効果も薄く、必然的に団体で行動してまとまった相手を協力して潰していく方法を執る事になった。
今回は暗部を三名加えた七名がカカシに従って暗闇を駆けている。隠密のために構成員は全て中忍以上の忍びばかりだ。
「部隊長がわざわざこんな前線に出てきていいんですか?」
そうカカシに声を掛けてきたのは一人の暗部だった。カカシの後輩で禍々しい蛇の面に似合わずよく人に懐く性格をしている。
「まあ、前線の様子を知らないことにはね。交代要員とかも必要だろうし。大体あの隊で一番使えるのは俺でしょ?後生大事に拝まれたって実力発揮できないからねぇ」
そりゃあそうでしょうが、と後輩が面の中で苦笑したのがわかった。しかしカカシの言い分に納得したのか、それ以降は部隊長じきじきの前線視察については何も口を挟んでくることは無かった。
今回の視察はどの辺りまで敵の陣が張ってあるかの視察だ。それ次第で前進後退を決める必要がある。相手にも忍びが混ざっている事を確認しているため、術発動のために後衛が巻き込まれないように常に間合いを図っておく必要がある。
先頭に居たもう一人の暗部が筒型にした手にチャクラを篭めて、その手を右目に当てる。遠見の術だ。彼の見ている方向は、やはり一面の闇。
「…隊長。ここから一里ほど先に明かりが見えます」
自軍は背後に三里。上忍クラスの忍びがぶつかって術の応酬になった場合、術の種類にも因るがおよそぎりぎりの範囲だ。カカシが立ち止まると部下達もめいめい辺りに注意を払いながらゆっくりと速度を落とす。今は野生の獣の気配さえしていない。
「…もう少し幅を取りたいな…」
恐らくこの戦いは両軍に忍びが投入された事により、忍び同士の争いになることが目に見えている。忍びではない一般の兵士にとって四里の幅はちょっとした旅行にもなるかもしれないが、忍びの場合ではあって無きが如しの距離に過ぎない。
「しかし、ここで退くというのも…」
「そうです…! ようやく巻き返してきたというのに…」
カカシの呟きを耳聡く捉えて、部下が口々に悔しそうに呟く。
「双方同じ条件なのですから、こっちが引けばあっちの思うツボ…」
「そうだね」
カカシはこともなげにそう切り替えして、地図を開く。夜目の利くカカシにも見え辛い暗さだったが、そのことに頓着せずに、敵のおおよその位置を地図に記す。
「…隊長…!」
カカシの煮え切らない態度に、部下の一人が声高になる。それをそっと制したのはカカシではなく、あの蛇面の後輩暗部だった。暗部だけはカカシに対して何も言わない。
「退くことは考えていないよ」
すっとカカシは地図にもう一本の線を書き加える。それは自陣より五里ほど離れたところで、敵陣の背後およそ一里。それをカカシは部下に掲げてみせる。
「何のために粒をそろえておれが前線まで来たのか、解るよね?」
言外にたっぷりとやるべきことを匂わせてそう言えば、漸く部下達はハッとした顔つきになり、それからその表情を一層引き締める。
「わかったみたいね」
カカシは持っていた地図を巻き取り、ポーチに片付けた。
カカシの目的は、敵陣の位置の捜索と、精鋭八名をして敵前線部隊を撹乱し、ニュートラル帯を少しでも敵陣側に広げる事だった。
「じゃあ行こうか。戦いに行くけど、殺さなくてもいいよ。士気を落として後退させるだけで十分だからね」
部下達は無言で頷くと、ようやく自分たちの役目を正確に把握したような顔になって再び敵陣に向かって走り出す。交戦せずに逃げるだけなら木の葉の下忍でも敵側の忍びに引けをとることはないだろう。
これからもまだもう暫くこの戦争は続いてしまう。ここでこの忍びたちを失うわけにはいけないから、「敵将の首を取って来い」という命令を下す事は出来なかった。出来ればカカシよりもっと上のレベルでの対話で解決へと導いてもらって、全員を生かして家族の許へと返したい。
だからこんな長期化した戦地で命のやり取りをすることは馬鹿のやることだ。どうにかして長く生き残る事を考えていれば、自然と戦に勝っていたりする。
しかし、精鋭といえども暗部以外は戦場自体が初めてだ。
「無茶しなきゃいいけど…」
カカシは胸に僅かなしこりを抱えて、自身も敵陣に向けて地を蹴った。
敵部隊の前線は自陣の様子とあまり変わりない。みすぼらしく汚れてしまった一般兵に衛生の悪そうな飲み水。し尿のにおいとも腐敗臭ともしれない異臭が漂い、夜の闇にどこまでも静かなのに、空気が張り詰めている。一部は恐らく眠っていないからだ。
当然木の葉がこの戦いに加担している事は敵陣にも知れている。忍びを警戒しているのだろう。その割には穴の開いたような警戒態勢だ。カカシたち木の葉の忍びは敵陣警戒の臨界線をとっくに越えてしまい、今は一度跳躍すれば天幕に手が届きそうなところまで入り込んでいた。
二人一組になって、それでも付かず離れず進んで、もう少し奥まで入り込めば、そこは食料や武器などが備蓄してある天幕が並んでいた。勿論そこには立って見張りをしている人間がいる。
カカシは印を手早く組んで結界を張った。結界の内部音声の一切を遮断して外部に漏らさない術だ。
それを合図に部下たちが結界の内部に走りこむ。勿論物資を護衛する彼らは持ち場を離れる事も出来ずに、何か叫んだようだったが結界の外にいるカカシには聴こえなかった。
物資を守る一般兵が忍びに勝てるはずも無く、あっさりと手刀や拳の一撃で伸されてしまっている。カカシとカカシの二人組みの相手である上忍以外の六名で見張りはあっさりと片が付いてしまった。
カカシと相方の上忍はそのまま結界の外に待機する。結界内部の彼らはこれからその物資を処分する。やり方はおのおのに任せて、カカシと相方の上忍は見張りに徹する。交代要員や見回りの人間が訪れた場合には速やかに結界の中に知らせを送り、撤退しなければならない。
結界は音を消しても視覚を遮る事は出来ない。勿論視覚を遮る結界を重ねがけすれば問題は解決するが、帰りやもしもの時を考えて、チャクラの無駄遣いは出来なかった。
結界の中はカカシの思った以上に派手にやっているようだった。人間に対して手荒に扱う事は許していないカカシだが、物資に対しては多めに見ている。ただ破壊しつくされるだけならば食料でも装飾品でも利用したほうがいいと考えているからだし、こんなイレギュラーな時間に働くことへの見返りになるのならば安いものだ。
ただ、天幕を燃やす炎の明かりはまずかったようだ。
「来た!」
左手から足音が聞こえる。相方の上忍はそのカカシの声を聞きつけると迷い無く結界に飛び込んで、カカシはその応援部隊を迎撃するために刀を抜いた。次々に結界の中から木の葉の忍びが抜け出して、打ち合わせどおりのルートを通り戦線離脱を試みたが、やはり異変に駆けつけたのは忍びの人間だったようで、カカシたちと同様、身軽に木の枝を足場に追ってきた。
「首尾は?」
カカシは蛇面の男の隣まで走る。
「そうですね。この場に長逗留は出来ないでしょう。持ってあと二日で後退せざるを得ないところまでは…」
めいめい獲物を手にしながらもカカシたちの用事はすでに終了したため、殆ど交戦らしい交戦は無い。殿になった忍びが時折敵の放ったくないや手裏剣を叩き落す金属音だけが響くだけだ。
数人の敵忍を引き連れながら、あっさりと八名は揃って敵陣を抜ける。自陣を傷つける恐れの無くなった敵忍はいくつか術を発動させたが、逃げ足に術が届かない。そうした実害はないものの、しかし彼らを振り切れる様子は無かった。
カカシが考えていた事がすぐに伝わったのか、殿と後方を走る三人の忍びが彼らを迎え撃つために立ち止まった。
「――――!」
その瞬間にカキンという金属音と共に火花が散る。刃と刃が叩きつけられる音だ。すぐにその場は戦場になった。
敵は総勢六名。全体的な経験では負けていたかもしれないが、こちらのほうが人数に勝る。カカシと暗部の三人が一人ずつ受け持ち、他の四名が自然と二人組を組んで一人ずつを相手にした。
カカシの相手は恐らく上忍。カカシの銀色の髪を見咎めてもひるまないという事は余程の自信家か無知なのか。数度切り結んでカカシはそれを前者だとあたりをつける。切っ先は鋭く迷いは無い。的確にカカシの急所を狙った一撃を繰り出してきた。
しかし、冷静にその攻撃を受け流せるカカシの敵ではなく、疲れて大きな動作で斬りかかって来た所を、体を逸らしてかわし、脳幹に鋭くくないを突き刺した。血飛沫を避けるためにくないを手から離してしまえば、敵の忍びは即死したようで、血を噴出しながらどうっと倒れ行く。
明日のわが身を髣髴とさせる無残な最期だったが、そのことに対して感傷に浸っている場合ではなく、カカシは仲間内に犠牲が出ていないか視線を巡らせた。暗部の三人はあらかた片が付きそうだ。
さっきまでカカシと二人組みを組んでいた上忍のヒユラと中忍の二人組みが戦っている相手ももはや体力が底を付きかけているようで足に来ている。そもそも一人で二人を相手にするのはかなりしんどい作業で、カカシでさえ影分身を利用しながらサシに持っていくところだ。
もう一組を探そうとして、視線を動かそうとしたその時だった。
今まで見ていた敵の忍びが刃を交えていたヒユラに向かって何かを投げつけた。それを避けられなかった彼は咄嗟にくないでそれを叩き落す。
「――――!」
ぱりんという軽い音がして何か液体がこぼれ出したようだ。咄嗟にカカシは残りの一組の様子を探る事も忘れて、ヒユラの許に向かう。
不意を衝かれたヒユラと中忍は一瞬呆然としてしまって、相対していた敵の忍びはその隙に身を退き、全速力で自陣に向かって走り去る。
「大丈夫かっ」
「近寄るな…!」
すぐさまヒユラは一緒に組んでいた中忍とカカシを制止する。
その様子を見ていた敵の忍び達も急に間合いを取り、そして液体を投げつけて行った者と同様に戦線離脱していった。暗部を相手にしていた一人だけはそのとき既に絶命していたようで、大地に身体を横たえていた。
「毒か…?」
「…いや、即効性は無いようだけど…」
液体を被ったヒユラは困惑気味に自分の手足や、液体をかけられたところを見ている。足元には割れたガラス瓶。
八名全員がとりあえず無事のようでその場に集まってくるが、不安要素を抱え込んでしまった。
「…何か負傷した人はヒユラ以外に居る? 掠り傷でもあったら教えて」
めいめいで傷を探すが、誰も名乗りを上げず無傷な事だけは安心した。
「ここに長く居ても仕方ない…。とりあえずは大丈夫だから天幕まで戻ろう」
ヒユラが濡れた手を振り払いながらそう言った。カカシはその液体の正体が掴めるまで動きたくは無かったのだが、その場所は敵陣の目と鼻の先。見逃してもらえたのだからとっとと自陣に戻った方がいいことは理解していたけれどどこか腑に落ちない。
「そうだね、とりあえず近くまでは戻ろう」
もしかして混乱する事を狙ったただの水かもしれないし、肉や骨を腐らせる毒かもしれない。予断は出来ないが、これ以上ヒユラ以外の無事な人間を危険な場所においておく事も出来なかった。陣の近くまで戻るにはそれなりの時間も掛かるし、運動量もばかにはならない。時間経過で結果が出るのだとしても、血液の循環で様子が変わってくるのだとしても自陣方向に進めばそれだけ生存確率が高くなる。ヒユラ自身が申し出てくれた事にカカシは少しだけほっとしていた。
彼は紛れもなく木の葉の上忍だ、と都合のいい事を思ったりもしていた。
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