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かけら









 イルカはアカデミーの教師をしている。職掌柄、人と接することが多くなってくる。それは同僚だったり、生徒だったり、父兄だったり。
 そして、教え子が卒業したならば、その次期教官である上忍とも勿論、顔を合わせる。こうして、一介の中忍教官であるイルカは、普段ならば雲の上の人である男と出逢った。通例通り、アカデミー中央棟、小さな会議室で、里長である火影を仲介に。
「はたけカカシです」

 男はそう言ってイルカに手を差し出してきた。
 珍しい上忍だ。
 階級が一つ下(実力的には何段階も下なのだろうが)の中忍相手にして、カカシほど対等に接してくれた上忍は今まで居なかった。アスマなどはイルカと慣れ親しんでいるから、そんなものは必要ないとしても、他の上忍から考えれば不思議なくらいだ。
 女性である紅だって、イルカが名乗った時に、自分は名乗らず、簡単に「よろしく」の一言で済んでしまったのだ。
 だから、まず、差し出された手が、一体何を意味しているのか、イルカには分からなかった。
「あれ、こう言うときは握手はしないんですか?」
 カカシは戸惑ったように自分の手と火影を見比べる。
「ああ、済みません! 海野イルカです」
 慌ててイルカはカカシに手を差し出した。
 調子の狂う人だった。
 カカシは暗部に居たのだ。
 そう、火影から聞かされたのはその日のうちだった。
 カカシが部屋を辞退して、気配が消えてからすぐだ。
 どきりとした。
 イルカは、二年ほど前に暗部に所属していた思い人を失っていた。
 それはとても急な事件だった。安全と言われていた任務に穴があり、敵の忍びの襲撃を受けたのだった。彼女の所属する小隊はしんがりを務め、その際の殉職だったと聞いている。
 今際の際にも駆けつけてやれず、死に顔にすら会えない。辛い最期だったのをイルカは未だに明瞭に記憶している。
 カカシはそんな部隊の出身なのか…。
「ともすればお前とは折が合わんかも知れんな、あやつは色々なものを押し隠したがるし、知りたがる」
「…俺と一緒じゃないですか」
 憮然として呟いたイルカに火影はそっと苦笑した。
「なんじゃ、もうあやつに警戒心が無くなっておるな。気に入ったか」
「気に入った…なんて、そんな恐れ多いですけど…、他の上忍の方々よりも余程好感が持てますよ。俺より先に手を差し出す方なんて今まで居ませんでしたし」
「まあ、安心しただろう」
 火影の言葉にはっとする。
 そうだ、カカシはイルカが今まで見てきた生徒の中の、問題児として互いに歴代首位を争う二人の担当上忍となるのだ。
 一人は、うずまきナルト。もう一人は、うちはサスケ。
 ナルトはこう言っては何だが、御しやすい性格であったと思う。根は明るいし、寂しがり屋でとことん自分の幼い頃と大差が無い。その分、気持を判ってあげられたのだろう。
 きっと、カカシはナルトに優しく厳しく接してくれるはずだ。
 対してサスケは、ナルト同様両親の不在というバックグラウンドは同じくしている。だが、彼は優秀で、その点がイルカやナルトとは違った。判ってあげられなかったなんて、言い訳はしない。彼にはイルカを始めとした全ての教官を不要としているようだった。優秀であるがゆえに、ありあまる才能ゆえに。
 今度は上忍だ。その力の差を見せ付けられるだろう。そして、カカシから全てを吸収して行くのだ。その時、サスケはカカシを師と仰いでいるといい。
 明るく朗らかだった彼女と、カカシの姿が重なるようで、イルカの心はしくりと痛む。
「…はい」
 イルカは笑うことが出来た。 
 寂しいけれど本心だ。
 安心した。
 きっとカカシはサスケとナルトを、正しい方向に導いてくれるだろう。きっと、憂い事など何一つとして、ない。
 その時イルカは、火影が複雑な表情をしていることに気がつかなかった。
 窓からは緩やかな春の光が射し込んでいた。





 ナルトたちがアカデミーを卒業しても、イルカは相変わらず教官を続けたし、更に受付の仕事増やした。子どもたちと触れ合うのは楽しかったし、自分やナルトのように寂しい思いをさせたくないせいだ。受付の仕事は、この時期の人手不足から来た、副業のようなものだ。
 上忍が数名、下忍の指導にあたるため、その穴埋めをする中忍が倍以上借り出されるのもざらにあることだ。
 事務的な仕事が苦で無いイルカには、こういう仕事が追加される。
 そして、この仕事はイルカにとって教官職並にやりがいのある仕事だった。
「イールカせんせ!」
 金色の髪の少年が、マリのように跳ねながら部屋に入ってくる。
「ナルト!」
 ナルの後からサスケとサクラ、最後にカカシが受付に入ってくる。報告のためにカカシ七班が受け付けにやってきたのだった。
 公的な場所であるために、繕う様にナルトに静かにするように注意をするイルカだった。本当なら、抱きつかれたって文句はいわない。
「本日の任務報告です」
 相変わらず穏やかなカカシの声だった。唯一晒された右目を細めて、イルカに書類を差し出す。
「お疲れ様です」
「今日は猫探しとか芋掘りとかそんなんじゃなかったんだぞ、イルカ先生」
 ナルトがカウンターの縁に両肘をついて、ご機嫌でイルカの手元を覗き込んできて、楽しそうにしゃべりだす。サクラとサスケは、カカシの側でおとなしく控えている。
 もう、こんなことはいつもと同じ調子だから、二人はナルトを止めない。
「こらこら、任務内容を簡単に口にしちゃいけないでしょ」
 カカシが目を細めて、困ったように眉を寄せて、ナルトの襟首を掴んで、カウンターから引き剥がした。
「はーい」
「返事ばっかりよね」
 いつも気にしないんだから、とサクラは呆れたように溜息をついた。
 イルカはさっと書類に目を通して、判をついた。
「はい、確かに本日の任務をお預かりいたします。お疲れ様でした」
「じゃーね! イルカ先生、また明日!」
 子どもたちは大きく手を振って、笑顔で部屋を出て行く。
 カカシは子供達について行くようにして最後に出て、小さく会釈をして行った。
 任務内容は報告書を見ればわかる。その任務に費やした時間まで事細かに書かれているものなのだ。
 それを見れば、彼らの成長振りをいかなイルカでも測ることが出来る。
 受付の仕事はそれだけが楽しみだった。
 任務自体は流石に簡単なものが多いが、その時間はどんどん短くなっている。ナルトたちはきっと気がついていないだろう。
 その様子を考えるだけで、頬が緩むようなイルカだった。



「あれ?」
 昼番で昼食時よりも幾分早い時間に家を出たイルカは、丹橋のたもとでナルト達に出くわした。サスケとサクラは居たが、カカシは居ない。
「お前たち、こんなトコでどうしたんだ?」
「イルカ先生」
 一番先にサスケがイルカのことを見咎めて、声をかける。それに反応するようにサクラとナルトが気付き、二人ともイルカの元に駆け寄ってきた。
「おまえら、任務は…?」
「カカシ先生が遅刻だってば!」
 憤慨した様子でナルトは頬を膨らませる。
「朝、9時にここに来るように約束だったんです。でも、まだこないんですよ」
 サクラもナルトと似たような表情をして、こちらはただ遅刻だけに怒りを露わにしているわけではないようだ。サクラはしきりに鏡を見たり、天気をうかがったりしている。要するに美容に宜しくないと考えているのだろう。
「家には連絡したのか?」
「……」
 サクラとナルトがふっと怒気を失い、困ったように顔をあわせる。
「どうした?」
「連絡がつかないんだ」
 そう答えたのは、ゆっくり歩きながら側に寄るサスケだった。
「教えてもらったトコに電話したんだけど、繋がんなくて…」
「実はカカシ先生、遅刻、常習なんです…」
 ナルトとサクラは自分たちが怒られるようにしょんぼりとして、ぽつぽつとしゃべり出す。
「最初の日も相当遅刻してきましたし、一時間遅刻が最近では当然で…。でも、今日は二時間以上で…」
「心配して今日初めて電話してみたんだけどよ、繋がらないんだってば」
 イルカは首をかしげた。
 流石にカカシは上忍であるから、時折、里に程近いところでなら、個人でBランク以上の任務を請け負ったりする。しかし、昨日今日でそんな依頼は無い。
「変だなあ」
「ですよねえ」
 サスケもナルトも頷く。しかし、きっと子どもたち三人と、イルカの「変だ」は、意味合いが違っているのだろう。そんな事をどこかで考えながら、イルカは、この子どもたちをどうするかも、悩んだ。カカシに無断で解散させるわけにもいかないし、自分はこれから仕事がある。
「仕方ない、少しここで待っててくれるか」
 三人はそれしかないと、諦め半分で頷いていた。サクラのために、近くの木陰で待つように言うと、イルカは急いで本部に向かった。
 カカシの休暇届が出ていないか調べることと、自分以外の教官で誰か手が空いていないか調べるためだった。
 幸い、自分が受付に就くまでにもう暫く時間がある。
 本日分の休暇届を一枚一枚確認していると、後から火影が歩み寄ってきた。
「どうしたんじゃイルカ」
「火影様。…いえ、カカシ先生の休暇届が出てないかと思って。七班の三人がこの清清しい晴天の下でもう三時間近く待たされているらしいので」
「ああ、そうか…。今日は…」
 火影は妙に納得したような面持ちで、何度か一人で頷いた。
「火影様? …何か」
「いや、なんでもない。カカシはもう今日は来られんじゃろう。今からアスマか紅に連絡は取れんか。二人のどちらかに臨時の代役を任せよう」
 火影はそうまるで独り言のように呟くと、傍にあった紙と筆で一筆したためて、イルカに手渡した。臨時の勅命という意味だろう。
「連絡はつくと思いますが…」
 イルカは続けようとしてはっとして、回りを確認してから、非礼をわび耳打ちをした。
「暗部で何か…」
 そのイルカの言葉に、火影は表情をぴくりとも変えずに、そんなものだ、と頷いた。
 その曖昧な態度に、イルカは何かを感じたが、余計な詮索は無用と、己を戒めて、抱え込んだ仕事をこなすために、火影の前を辞退した。
 その日、カカシの担当下忍は十班担当のアスマがまとめて面倒を見た。アスマは人数の膨張で、任務は請け負わずに、訓練をした。
 カカシの子ども達三人は、始終元気が無かった。





 翌日からカカシは復帰したようだった。少しだけ態度のぎこちない三人を従えて、受付に入ってきた。今日は報告ではなくて、任務の請負だ。
「おはようございます」
 相変わらず気さくに挨拶をしてくれるカカシはいつも通りで、イルカもカカシにならって挨拶をした。そして、七班に実行処理してもらう任務を選び取って渡した。
「昨日はどうなさったんですか?」
「?」
 カカシはイルカの言葉に首をかしげる。
「昨日、イルカ先生が通り掛ってくれたおかげで、俺たち干からびずに済んだんだってばよ」
 ナルトの言葉でようやく事態が飲み込めたというような顔をして、カカシは頭を掻いた。
「すみません、ご迷惑をおかけしました」
「いえ、体調不良ですか?」
「…はあ、そんなかんじです」
 カカシは三人を連れて、すぐに出払ってしまった。
 また、火影同様、イルカは曖昧にはぐらかされてしまった。



 カカシが一日中来ないという日は、その日以来、何日か起きたことだということを、イルカは後になって知った。それは、周期的に行われるということも、イルカの知る限りの任務には関係が無いこと、火影が認知していること、他の上忍は何も知らされていないことなども同様だった。
 イルカの不信は募る。
 そして、それが最大になった日は、ナルトたちをカカシに預けてから丁度三ヶ月のことだった。







 その日、イルカはアカデミーの仕事が終わってから、昨日残しておいた受付の仕事を処理してしまうために、本部に行った。前日は飲み会で、どうしても定時で上がらなければいけなかったのだ。今まで世話になった人間が、まっとうに忍びの道から退職するというのであれば、おめでたすぎて行かないわけにはいかない。年齢に負けて忍びを退くという人間は、きっと二十人に一人も居ないはずだ。
 予め飲み会だと判っていたから、そんなに仕事を残していない。きっと、今日、一時間ぐらい頑張れば何とかなるだろう。
 定時間外の本部にはさすがに人が少ない。西向きの窓からはオレンジ色の日差しが優しく差し込んできている。
 いい季節だなあ。
 ぼんやり廊下をゆっくり歩いて、窓の外を眺める。本部の白い外壁も、肉厚になった若葉も、何もかも同じ色に染め上がっている。頂点の空が既に藍色に変わりつつあるくらいだ。
 ぼうっと、眺めている間に近くに人の気配を感じて、イルカはその方向に目を向ける。
 前から歩いてくるのはカカシだった。
「カカシ先生! お疲れ様です」
 とりあえず、黙ってすれ違うのもどうかと思って声をかける。しかし、カカシはふと立ち止まって左下に目線をそらし、小さく、それと判らないくらい小さく首をかしげた。
 え、と思う暇も無かった。
 カカシはイルカの横を通り過ぎるとき、声もかけずに、小さく会釈をしただけだった。
 まるで、イルカが誰だか判らないかのような態度で。
 思わず、イルカは不躾とも思える視線でもってカカシの背中を追いかけた。だが、カカシはその視線に気がついて、振り返り、また首をかしげて今度こそ行ってしまった。
 何だ?
 イルカは呆然とそこに立ち尽くした。
 昨日も一昨日も、受付で会っているはずだ。そして、そのときは何らかの会話を交わすのに、なぜ、なぜ。
 自分が、わからないのか?
 まさか。
 彼は危険な任務も何も受けていない。薬を盛られることも、何らかの外的衝撃で記憶が吹っ飛んだなんてことも考えられない。
 イルカは立ち尽くす。
 思考しているようで全く動作していない脳みそが、そこから離れたがらない。
 何だ?
 何なんだ?

 何も身に覚えの無いまま、イルカは、西の空が暗くなるまでその場に立ち尽くしていた。

 その日の残業は勿論身に入らなかった。





 翌日、アスマ班や紅班より遅く、カカシ班は受付へやってきた。いつも通りだ。
 カカシに連れられてやってくる子供たちはみな、一様の不安を抱いているようで、どこかぎこちない。それは、イルカも同様だった。
「おはようございます」
 やはり、昨日のことなど気にしていない様子で、カカシはイルカに挨拶をした。
 何とか、笑顔で返事をしたものの、上忍相手にごまかせたものではないだろう。すぐに書類を捜す振りをして、イルカは下を向いた。
「…あ、昨日…」
 カカシがぼそりと呟く。
 その言葉に、イルカは驚愕して、失礼とも思える視線でもってカカシを見上げた。
「昨日、廊下で会いましたよねえ」
 そして、イルカの隣に座っていた火影と、サスケがびっくりしたようにカカシのことを見る。火影は信じられない、という表情でカカシとイルカの顔を見比べていた。イルカはそれ所ではなくて、二人の反応に気がつかない。
「はい、逢いました」
「あー、やっぱりー」
 思わず上ずったイルカの声にも気がつかず、カカシは目を細めたまま、少し得意げだった。子どものような反応だ。
「最近実はよく会っていますかね?」
 受付で殆ど毎日、一日一回は顔をあわせるというのが、会う、というのならば、そうだ。よく会っている。
 イルカはみっともなく何度も首を縦に振った。
 カカシは満足そうに笑ったようだった。
 ごほん!
 その咳払いにイルカがびくっとして火影の方を見る。
「後がつっかえるぞ、無駄話はそこら辺にして、早く任務を渡してやらぬか」
「は、はい!」
 慌ててイルカは書類を取り出し、カカシに手渡す。
「それでは」
 簡単な挨拶のみでカカシは行ってしまう。しかし、サスケがイルカを見て何か言いたそうな顔をして、出て行ったのにイルカが気付いた。
 もしかして、あの聡い子どものことだ、何かしら気がついているのかもしれない。近いうちに捕まえて話を聞いてみよう。
 サスケの視線は勿論、火影も気がついていた。
 火影は人に悟られず、視線を隠すように、傘のつばを押し下げた。





 サスケと話をする機会はある日、突然やってきた。

 その日、イルカは受付の仕事が無い上、珍しく、アカデミーも定時に上がることが出来たために、久々、商店街に繰り出したのだ。普段ならば一楽の暖簾をくぐるところだが、さすがに栄養の偏りが心配になる。ナルトに口がすっぱくなるほどその手の説教をしていて、自分が壊血病だの夜盲症だのになってりゃ、そんな資格も無くなると、妙に律儀なイルカだ。
 食材を買い込んでから、本屋を覗いたときだった。
 サスケが古い、術の指南書に目を通しているのが見えた。熱心に読んでいるようで、微笑ましかった。教官よりもああいうふうに書物に教えてもらう方が好きな子だった。きっと、人付き合いが苦手なのだろう。
 ナルトやサクラが居ないということは、本日は解散したということらしい。
「サスケ!」
 思い切って声を掛けてみた。
 サスケはふっと我にかえり、イルカの姿を認めると、書店の暗がりから小さく会釈をした。
「今日の任務は完了したのか?」
「はい」
「お疲れさん」
 サスケは書物を棚に戻す。
 邪魔したかな、と思いつつも、イルカは聴きたいことがあったから、間がもたないだろうとわかっていても思わず話し掛けていた。
「あの…」
 しかし、意外なことにサスケのほうから話し掛けてきたのだった。そう言えばコンタクトをとりたいと思ったきっかけはサスケのあの、視線からだ。
 案外、今までも、ああいう風にイルカにも他の教官にも、何かしら訴えていたのかもしれない。この子なりに、何かを。
「話したいことが」
「うん」
 イルカは頷いて、先に本屋を出る。サスケは一巻きの書物を購入して出てきた。
「どうせだからうちに来ないか? 飯でも食って行けよ」
 たいした物は作れないけれど、というイルカに、サスケは表情を変えずに一つ頷いた。
 二人並んでイルカの家に向かう。
 ナルトとならば、こうして一緒に歩くことは度々あったのだが、サスケとは滅多にあることではない。サスケが、人とふれ合うことを好まないからだ。
 赤い光の、夕焼けで、影が長く延びている道をしっかりした足取りで、イルカの家へ向かう。こんなことでなければサスケにヒミツにして、ナルトやサクラも呼ぶのに。
 そんなことになれば、カカシも、誘うべきだろうか?



 急に二人になったから、特に食材の準備はしていない。買っていた鰺、一匹を拙い包丁さばきで開いて、半身ずつ塩焼きにした。
 汁物、御飯、塩焼きのアジと、有り合わせの野菜を炒めて出した。
「食事に誘った割に、こんなものしかできないけど」
「十分です」
 サスケは両手を合わせて箸を取った。それを見てからイルカもサスケにならう。
「話なんですが…」
 きた。
 食事を初めてからそんなに経たずに、サスケが口を開いた。サスケはイルカのことをじっと見つめてくる。
「多分、何についてかはわかってますよね」
 イルカは小さく頷く。
「はたけカカシ上忍」
 その言葉にサスケは項垂れるように、小さく首を縦に振った。
「…記憶障害を持つみたいです」
「…?」
 サスケの言葉が信じられなかった。
 上忍には、卓抜した身体的な能力や忍術などだけで選出されるわけではない。勿論それも必要になるが、頭脳戦に長けたものが最終的には選出されることが多いと聞く。どんなに力を持とうとも、それを発揮する場を作る能力がないことには意味がない、ということらしい。そのためには、様々な能力をスタックする能力が必要になる。
 そして、カカシはその能力が欠けているとサスケは言うのだ。
「最初はなかなか気がつきませんでした。おかしいと思ったのは、1ヶ月が経ってからです。…マダムシジミという依頼人を憶えてますか?」
 イルカは一つ頷く。
 それはよく失せもの探しを依頼してくる富豪の夫人だ。飼い猫やら指輪やらを無くしては、依頼に訪れる。おかしな話だが、木の葉の廉価な常連だ。
「俺達は四回ほどその人の依頼を受けたんですが、簡単な任務が殆どで、本人とも会ったりするんです。三回目にはナルトがあの人にキレて…。サクラもオレも、まあ、同じ気持ちでしたが。ただ、その時、カカシは…」
 サスケは苦いものを思い出すように、左下に視線を向ける。
「ナルトに『知り合いか』、と聞いていたんです」
 勿論、依頼人と会う場合、担当上忍も必ず臨席する。
 上忍が、依頼者を憶えないはずがない。しかも、彼女は木の葉の常連で、三回も会っている。他の下忍の班だって彼女の依頼を受けたりする。
「さすがに、そのときは何かの間違いだろうと思ってました。なぜなら、確実に殆ど毎日会うオレ達の顔をしっかり覚えていたし、三代目のこともしっかり認識していたから」
 ぽそりと、すこし冷えた白飯を、サスケは口に運ぶ。イルカはすっかり食事中だと言うことを忘れていて、サスケのその行動に、慌ててみそ汁を啜る。少し、味が薄かったか。
「四回目にはオレが聞きました。カカシに、マダムシジミのことを知っているか、と。…カカシは、はじめて会った人だと、はっきり応えました」
 そんな風なことが、他にも何回かあったのだ、とサスケは語った。
 しっかり味見をして作ったはずの料理の全てが薄味に感じた。きっと、味が分からなくなるほど、ショックを受けたんだろう。
 正直、血の気が引く思いだった。
 火影はこのことを知っているのだろうか、知っていてだからこそ暗部を引かせたのだろうか。
 サスケと、ナルトを預けていても平気なのだろうか。





「例外な人物が一人、居ます」
 サスケを途中まで送っていって、その、別れ際、サスケがぽそりと呟いた。
「一人だけ、カカシが思いだした人が」
 サスケがじっとイルカを見上げる。
 その大人との丁度中間点に居る、子供のまなざしはひどく真っ直ぐで、暗くて良かったと、イルカは何処かで考える。
「それは、あなただ」


 サスケは晩飯の礼を簡単にすると、あっさりとイルカに背を向けて、駆けていってしまう。
 イルカは呆然と、別れの言葉も言えずにその、小さな影を見送った。



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