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第六話 少しまえ、雨の日のこと




 カカシさんカカシさん。小さな声でオレを呼ぶ可愛いあの人の声。
 雨の日は出掛けない。それはあの人に出会う前からの習慣なのだけれど、あの人はそれがとても嬉しいらしい。あの人は家の中だけで育った人だから外には出ないけれど、いつだって縁側の紺色の座布団の上に座ってオレを待っている。
 待つのは辛くないけれど、少しつまらないと言ったあの人の顔。強がってる横顔。本当は寂しいと思っている顔。それを言わないけど隠せない。とても可愛い人。
 呼ぶ声は柔らかで甘い、鳴く声はもっと。まるで溺れるみたいに出会った瞬間に恋に落ちた。あの瞬間はきっと一生忘れられない。



 晴れの日は一人だったり二人だったり。雨の日は必ず並んで。紺色の座布団の上。
 一つの座布団を二人で分け合って、少し低くなった外の温度を補うみたいに丸くなって眠りにつく。混ざり合うほどに浮かされる熱よりも、どうしてか雨の日に分け合う体温の方がずっと近くにいるような気がして、オレは雨の日が好きになった。
 雨はずっと嫌いだったけれど。外に出られないことも、湿気が多いことも、気温が低くなることも何もかも。
 けれどあの人に出会ったから。
 さあさあとわずかな雨の音。窓の外は霧みたいな細かい雨。
「静かですね」
 眠っていると思っていた人がひそりと秘密を打ち明けるみたいな声で囁いた。
「ホントに」
 だから秘密を打ち明け返すみたいにひそりと返した。ただそれだけ。

 ぱたぱたと窓を叩く音がしないのはちょっと寂しいと思ったけれど、囁くような小さなあの人の声が聞こえるのはとても良いと思った、ある雨の日の出来事。



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