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眠りが浅いということは、それだけ体が戦場に馴染んでいることの証明みたいなモノだと思っていた。
大して誇れる特性じゃない。
有り難いと思った事はあんまりなくて、それでも多少便利だと思ったことがあるくらいだった。
ただ、それだけのこと。
ただそれだけのことだったそんな些細な出来事を、ひどく有り難いと思うようになったのは、この人のおかげだと、思う。
この人よりも早く目覚めることの出来る幸福を、多分誰も分かりはしない。
目覚めたときこの世の何よりも愛しいモノが腕の中で安らかな寝息を立てていることの幸福を、誰も分かりはしないのだ。

イルカ先生で、さえも。
これはオレにだけ与えられた、特権だと、勝手に思ってる。
そんな、幸福。



休日の朝。君に一番に出会えることの幸福について。




目を覚ましたとき、やっぱり腕の中の愛おしい人はまだ目を覚ましてはいなくて、朝の柔らかな日差しを受けて穏やかに寝息を立てていた。
柔らかに、密やかに、寝息を立てて腕の中で眠る人。
このまま寝顔を眺めているのもいいのだけれど、もう一日以上この人の声を聞いていないことを思い出して無性に声が聞きたくなった。
たった一日。たかだか24時間。声を聞かない程度のことに何の不満があるのか、自分でも可笑しかった。
もう一日以上もこの人の中で自分の存在が不在なのかと思うと、それも居たたまれないような気持ちになる。
オレを見て、笑いかけて、名前を呼んで。
バカな欲求だと分かってはいたけれどそれでも、どうしてもその心を抑えられなくてつい腕の中に眠る人を揺すり起こしてしまった。

軽く頬に手を当てて髪を梳く。
そして、呼ぶ。

「イルカ先生」

起きてください、と。
目を覚ましてその瞳にオレを写して名前を呼んで。

「イルカ先生、朝ですよ〜」

さらさらと硬い髪を梳きながら覚醒を促す。
腕の中のイルカはもぞりと身体を動かしてそうしてゆっくり瞼をあげるとその瞳にカカシを映し出した。
間近にあるカカシの顔を見て、そうしてふんわりと、笑う。
ふんわりと、それは幸せそうに、笑った。
多分無意識。
はっきりと意識が覚醒しているようにはとても見えない。
だから多分無意識に、自分の顔を確認して、笑ったのだ。
そんな風に無防備に安心しきったそれは幸せそうな顔で笑うのだ。
ふんわりとしたイルカの笑顔にカカシは内心酷く動揺した。
好きだ好きだと思っていたけれど、敵わないといつもいつも思い知らされているけれど、こういうのは反則じゃありませんかね。
そんな風に笑うのは、反則ですよ、イルカ先生。
好きだ可愛い愛してるなんて陳腐なことを思う端からこの人に心を奪われていくような感覚。
困った人。
イルカは、ふんわりと笑ったままカカシにもう一度抱きつくと首筋に頬をすりつけてまた眠りに落ちようとしている。

「イルカ先生」

さっきより心持ち近くなった距離でもう一度、呼ぶ。
そんな風に無意識に可愛いあなたもいいのだけれど、今は名前を呼んで欲しかった。ねぇ、オレの名前を呼んでよ。
オレの心を魅了してやまないその声で。ねぇ、お願い。

「…ん……?」

もう一度身じろいだイルカの瞼に小さな口付けを落とす。
頬に、鼻先に、唇にキスをして、もう一度呼ぶ。

「イルカ先生、起きましょうよ」

口付けながら笑って、呼ぶ。

「…………カカシせんせ?」

まだ回りきらない舌足らずな声で名を、呼ばれた。
飢え乾いていた心に雨が染みこむようにイルカの声が馴染んでいく。

「おはよう、イルカ先生」

明け切らぬ瞼にもう一度キスをしてイルカを覗き込む。
ようやく把握出来てきた状況にイルカはだんだんと頬を染めていた。
顔を見られないように肩に顔を埋めて、イルカはくぐもった声で挨拶を返す。

「おはようございます、カカシ先生」

名前を呼ばれただけなのに心が満たされる。
側にいるだけで、ただ、側にいるだけなのに取り返しが付かないほど、溺れている。
自分よりもほんの少し高いイルカの体温が手放しがたくてカカシはくつくつと笑いを漏らしながら抱きしめる手に力を込めた。

「起きるんじゃないんですか?」

オレの腕に閉じこめられたまま、そう呟く。
それでも顔は上げないまま、抱きしめた腕は振りほどかないままで。

「起きようかと思いましたけど、やっぱこのままがいいかも」

ぎゅうぎゅうとイルカを抱きしめてそういって笑った。
腕の中に、イルカがいる。
ただそれだけなのに、どうしてこう嬉しくて柔らかい気持ちになるのか。

「人のことわざわざ起こしといて何ですかあんたは。俺はそっとしといたのに」

カカシの背中をぽかりと叩いてイルカはぶつぶつと文句を言った。
俺はそっとしといた?
イルカの台詞にカカシはふと思って問い返す。

「え?イルカ先生、起きてたんですか?」

とても起きていたようには見えなかったけれど。
問うカカシにイルカはほんの少し考えるような素振りをしてにまりと笑った。

「一度起きたんです。カカシ先生全然気が付かないし、あんまり気持ちよさそうに寝てたんで起こすのも悪いと思って、ね」

そっとしておいたんですよ。
そういって、笑う。
滅多にないことだからか知らないけれど、イルカはひどく得意そうに笑っている。
上忍のくせに気が付かないなんて、そんな風に笑われてるようでなんだかばつが悪い。
そうして、妙に楽しそうなイルカはやっぱりどうしても可愛らしくてちょっといろいろ困ってきた。

「悪かったですね。そりゃまた」

気を遣っていただいちゃって。
決まり悪くぼやいてカカシはごろりとイルカを抱えたまま仰向けに寝ころんだ。
あぁ、困ったな。
今日は、今日くらいは穏やかで何もないイルカ好みの休日を過ごそうと思ってたのに。
困った。
必然的にカカシの上に乗り上げてしまったイルカはそれはそれで困ったような顔をしていた。
慣れない体勢に困った顔をしているイルカを見て、カカシも困ってしまった。
この人ホントに可愛いなぁ。
どうしよう、今日くらい何にもない一日を過ごそうと思ってたのに。

「あの、カカシ先生、離してくれませんか?」

困ったあげく困った声で可愛く尋ねるその人に困ったなぁ、と思う。
ごめんね、イルカ先生。
心の中で謝って、困った困ったと思いながら顔がにやけているのが分かる。
あぁ、ホントにごめんね、イルカ先生。
看病くらいいつでもするし、今日一日小間使いのように働くからさ。

「イヤです」

笑いながら、カカシは答えた。
パジャマの隙間に手を差し込みながら、笑って答えた。
ごめんね、イルカ先生。
多分声に出して謝ってももっと怒らせるだけだろうから言わないけど。

「ちょっと、あんた何考えてんですか!?」

暴れ出すイルカに無理矢理口付けて、カカシはくつくつと喉だけで笑ったのだった。


そうして、イルカが眠り際に思った幸福な朝食の席に着けたかどうかはまた別の話。



fin


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