ゆるやかに、柔らかく。
乾いた風が秋の訪れを告げていた。
高い高い澄んだ青い空。
時折鼻先をかすめる夏の名残と冬の兆し。
そうして秋はもう少し、別のところからやってきたりもするのだ。
autumn
「イルカ先生。」
ある晴れた休日の夕暮れ近く。
暮れかけた遅い午後の光に紛れてカカシがふらりとやって来た。
カカシは今日は任務が入っていたはずだからたぶんその帰り。
ほんの少し埃っぽいような、懐かしい土の匂いとともにイルカの家に寄る。
いつもの事。
イルカが仕事でも休みでもカカシが休みでも仕事でも。
一緒に暮らしていないのが不自然なくらい、いつもいつもいつも。
カカシはイルカの側にいれるときは必ず。
そうしてふらりと何気なくイルカの所にやってくるのだ。
何だろうなぁ。と思う。
この人は、いったいなんだろう、と。
あまりにも自然にそこに居て、なくしてしまったらきっと、自分すらなくなってしまうと、そう思うほどに。
そんな風に不意に思ってしまうほど、いつの間にか側にいて。
イルカはほんの少し面映ゆいような顔をしてしまった。
「イルカ先生?」
カカシがうっそりとイルカを覗き込む。
「お帰りなさい、カカシ先生。」
ここはあなたの家ではないけれど。
あなたがここに帰ってくる限り、俺はそうしてあなたを迎えるんでしょう。
急に色濃くなり始めた秋の気配にどこか物寂しいような気がしているのか、イルカは心持ち感傷的になっている自分に気がついた。
「ただいま帰りました、イルカ先生。」
のぞいているのは片目だけ。
眠たげなその瞳がやんわりと弧を描いてカカシがゆったりと笑った。
そうしてぽふりとイルカに抱きつく。
カカシは、よくイルカに抱きつきたがる。
抱きつく、というのはおかしいかもしれない。
抱きつくと言うよりは、よくイルカを抱きしめたがるのだ。
それは、セックスの匂いのしない、ひどく純粋な抱擁でイルカをほんの少し混乱させる。
こういうのは、こういう柔らかに甘やかな感覚はどうしてか、なれる事が難しい。
いつまでたっても、カカシの体温はイルカを落ち着かなくさせて、困る。
溜息をついてカカシに肩に顔を埋めたとき不意に鼻孔を掠めた匂いに、あ、と思った。
カカシの纏った匂い。
冷えた、空気の匂い。
まだそれは、冬の凍るような寒さの匂いではなく。
秋の、匂いだと、思う。
透き通った、秋の匂い。
カカシはまるで犬みたいにイルカに頬擦りしてくすりと笑った。
耳元を撫でる、カカシの吐息。
抱きしめられたままの自分はこうしてカカシにダメになっていくのだ。
だから、だから困ると、何度も言っているのに。
こんな風に、いきなり抱きつかないでくださいと、何度も言っているのに。
抱きしめられると、困るのに。
どきどきと心拍数は上がるし同時にひどく安心してしまって、どうしようもなく身の置き所がなくなるような気分になるのだ。
そのくせずっとこのままで居たいような、そんな気分になってしまう。
だからいつも手が迷う。
抱きしめられたその背中に自分の手を置いてしまったら、もっと離れがたい気分になるのは分かっているから。
だから。
ほんの少し、躊躇してしまう。
結局はそんな躊躇も戸惑いも、気がついたらカカシの背中にしがみついているこの手の平にさっさと裏切られてしまっていて、どうでもよくなってしまうのだ。
今日も今日とていつもと同じように、まんまとカカシに縋り付いて肩口に顔を埋めちゃったりなんかしてて、イルカは自分の馬鹿さ加減にうんざりした。
馬鹿じゃなかろうか。
迷ったって迷わなくたってこの人の手を振りほどくことなんて出来ないくせに。
「お疲れさまでした。」
何でもないように言って埃っぽいカカシのベストに張り付いている手を叱咤しながら引きはがす。
甘い感傷に浸りきっていてはいつまでたってもこのまま動けないじゃあないか。
そう思いながらカカシの背中を軽く叩いた。
労いの意味を込めて。
「イルカ先生。」
離れようとするイルカを引き留めるようにカカシがうっとりと耳元で囁いた。
その声にイルカの体の力は不意に抜け落ちてしまうのだ。
困った。
「何ですか?」
気が付かれないように。
カカシに溺れきっている自分に気が付かれないように。
なるべく平静を保った声で聞き返す。
返ってきた問いかけは、そうしてまたイルカをひどく混乱させたりするのだけれど。
「イルカ先生、もうね、イヤんなっちゃうくらいあんたが好きなんですけど。」
どうしましょうか。
その声は甘い。
どうしましょうか、なんてこっちが聞きたいくらいだ。
カカシに溺れきっている。
そんな自分を持て余して困っているのはこっちなんだから。
どうしたらいいんでしょうね、カカシ先生。
心の中で小さく問いかけてみる。
言葉には、乗せない。
乗せられない。
「……カカシ先生、腹減ったでしょう。飯出来てますよ。」
言葉には、出来ないのだ。
カカシが困ってるのと同じくらい、自分も困っているから。
「チェ、答えはお預けですか。」
名残惜しそうにカカシはイルカを抱きしめて、そうしてようやく手をゆるめる。
口布を素早く引き下げるとカカシはかすめ取るようにイルカに口吻を落とした。
どこか呆然と立ちすくむイルカにカカシは珍しく照れたように笑った。
「ただいまのキスです。」
割とよくある光景なのにイルカは自分の頬が不必要に熱くなるのを感じていた。
どうも最近自分たちはおかしい。
カカシがイルカに同棲を持ちかけたときから、どうもおかしい。
付き合いだしてからもう何ヶ月もたっているしセックスだって当たり前みたいにしてるのに可笑しいくらいにお互いを意識している。
手を繋いだりキスしたり抱きしめ合ったりしてるだけでも、おかしいくらいに心臓が跳ね上がるのだ。
「………あんた馬鹿じゃないんですか?」
イルカは顔を真っ赤にしたままカカシに悪態を付く。
馬鹿なのは自分の方だ。
そう思ってもこの場合カカシに悪態を付くぐらいしか思いつかない。
そうでなければまた自分の言う事なんかちっとも聞いてくれないこの手が勝手にカカシの背中に縋り付こうとするに決まってるから。
「イルカ先生の事に関してはホントに馬鹿だと思います。イカレちゃってますから。」
カカシは端正な素顔を惜しげもなく晒したまま嬉しそうに笑った。
イルカは思う。
もう、一緒に暮らしちゃっても、イイかもしれない。
そう思う。
一緒に暮らす事にいろんな不安があるから今まで先延ばしにしているけれど。
この人と一緒にいない事の方が不自然で不安なのだから。
もう観念した方がいいのかもしれない。
イルカはカカシをちらりと見て、小さく溜息をついた。
あぁ、もう自分は馬鹿でダメでどうしようもなくこの人が好きなのだと、そう思いながら。
「ところでイルカ先生、晩ご飯は何ですか?」
呆れたような態度を装って台所へ向かうイルカにカカシが声をかける。
もう普通。
いつもと同じ声のトーン。
カカシはポーカーフェイスが得意だから甘くなったりそうでなかったりが急でそれがイルカの癪に障ったりもするのだけれど。
自分は混乱したまま平静を装うのにどんなに努力しているのか懇々と説教したくなるくらいだ。
「栗御飯ですよ。」
今日の晩飯を食べながら、カカシに告げてみようか。
この間の話ですけど。
そんな風に。
「あぁ、もうそんな季節ですネェ。」
カカシはうきうきといつものようにイルカのあとをゆったりと付いてくる。
食欲の秋ですね〜。
遠ざかる夏の気配。
近づいてくる冬の気配。
人肌恋しい季節もやってくる事だし、カカシに告げてみようか。
この間の、話なんですけど、一緒に暮らすって言う、あの話。
そんな風に。
カカシはきっと驚くだろう。
難色を示すような態度をとっていたから。
そうして多分、笑うに違いない。
面映ゆいような顔をして。
踏み入れた台所からはふんわりと秋の匂いがしていてイルカはどこかこそばゆいような顔で笑った。
食卓には栗御飯。
しきりにうまいうまいと連呼するカカシにイルカは笑った。
「まだまだ沢山ありますから。」
どんどんおかわりして下さいね。
そう言って、笑う。
早速空の茶碗を差し出すカカシにイルカは子供みたいだ、と思った。
子供みたいで、そのくせ非道く狡い大人。
困った人。
ぺたぺたと茶碗に御飯をよそるイルカを見てカカシは驚いたように言った。
「イルカ先生、そんなに作ったんですか?」
イルカは普段の五合炊きの炊飯ジャーではなく一升炊きのガス釜で栗御飯を炊いていた。
あんなにどうするんだろう。
「えぇ、栗沢山もらっちゃったんで。明日お握りにしてあげますからナルト達に持っていってやって下さい。」
あいつまたろくなもん食べてないだろうから。
そう言いながらカカシに茶碗を手渡す。
「あぁ、成る程ね。」
カカシは思う存分盛られた栗御飯ににこりと笑って相づちを返す。
あの量なら7班全員が食べられるだけあるだろう。
カカシはイルカの誠実な優しさが好きだった。
誰にでも平等に裏切らない優しさ。
それは時に、自分を嫉妬に駆り立てたりもするけれど。
誰か一人にだけ優しくするのはとても簡単でイルカのように誰にでも優しく誠実な人はあんまり居ない。
多分彼は、自分を裏切らない。
そういう優しさ、そういう誠実さ。
自分のように誰かにだけ優しい人間なんて掃いて捨てるほど居るからそういうのはあまり信用ならない。
俺と、暮らしてくれたらいいのに。
結婚は出来ないからせめて一緒に暮らしてくれたらいいのに。
朝も昼も夜も同じ所で過ごせたら、いいのに。
俺はあなたにだけ優しい、とても不誠実な人間だけどそれでも。
あなたとずっと一緒にいたいんです。
栗御飯を食べながら。
そんな事を思う。
こんな風に秋が来た事を、冬になる事を、春が訪れる事を、また夏が巡る事を不意に思い出させて欲しい。
じっと見つめていた視線に気が付いたのかイルカがふと箸を止めてカカシを見た。
どことなく、迷うような視線。
何だろうか。
耳元が心持ち赤いような気もするけれどどうしたんだろう。
そうしてイルカは迷った末、というような顔をしておもむろに口を開いた。
「あの、カカシ先生。」
「ハイ何でしょう?」
「この間の話なんですけど……。」
fin
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