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THE HEART ASKS PLEASURE FIRST




「これとこれが今日の荷のリストです。それからこっちが傭兵の派遣要請リストになります。目を通しておいて下さい。それから…」
 そう言って有能な部下はいつもかけている丸いサングラスを、神経質そうに中指で押し上げた。それから、に続く言葉をほんの少し躊躇した部下を、カカシはおやと思い振り返る。
「それから?」
 促したカカシに部下は手元の紙束に落としていた目をつと上げて言った。
「それから、アスマ様がお見えになっています。直接会って話がしたいとのことですがいかがなさいますか?」
 アスマ。珍しい名を聞いたものだとカカシは眠たげな目をさらに細めた。
「イイよ、こっちに通して」
 部下から受け取ったリストをぱらぱらと捲りながら、窓枠に寄りかかって外を眺めていたカカシは吹き込んできた風に思わず目を閉じる。ゆるりと開いた視線の先には何もない乾いた大地が映った。
「エビス、傭兵の件は任せるから良いように取り纏めておいてくれ」
 受け取ったリストを簡単に捲ってそう告げる。小さく頷いたエビスはそれきり何も言わないまま踵を返した。
 見るともなしにカカシはその後ろ姿を見送っていた。細面の顔、ひょろりと長い体躯。自分と違ってしゃんと伸びた背筋が彼の性格をそのまま表しているな、とふと思う。
 寄りかかった窓からは相変わらず午後の太陽に熱せられた風が吹き込んでいた。手元の紙束は光に照らされて白く浮き上がり、カカシはそれに目を通すことを放棄して、ようやく窓枠から身体を引きはがしたのだった。



 ソファーの上に山と積まれたクッションに埋もれながら、カカシは来訪者が来るのをぼんやりと待っていた。さほど待たないうちに、部屋の入り口から熊のような大男がひょいと顔を覗かせる。
「久し振りだな、カカシ」
 のしのしと大股で部屋を横切り、そうしてどかりとカカシの目の前に腰を下ろす。
「珍しいね、アスマが直接こっちに来るなんて。何の厄介事?」
 だらりと寄りかかっていた背もたれから体を起こして、カカシは笑いながらそう言った。笑ってはいたけれど、口に出した言葉は本心にかなり近い。この男が使いを寄越すでなく自ら赴くということは、それ相応の厄介な面倒事を頼まれるということだ。
 口元にうっすらと笑みを浮かべたまま胡乱げな視線を寄越すカカシに、アスマは苦く笑った。
「そんなに警戒されると話しづらくなるだろうが」
 顎に蓄えた髭をさすって、アスマは懐から紙巻きの煙草を取り出した。
 火をつけるアスマの手元を見ながら、カカシはわざわざ起こした身をまたソファーに沈めた。
「あんたが直接やってきて頼むって事は絶対にもの凄く厄介なことだろう」
 過去に頼まれた数々の厄介事を思い出してカカシは顔をしかめた。煙草から立ち上る煙は開け放たれた窓から吹き込む風にさらわれていく。
「一人仲介を頼みたい人間がいる」
 煙を肺に満たしながらアスマが呟いた言葉に、カカシはぴくりと身動いだ。
「奴隷か?」
 ひどく遠回しなアスマの物言いに妙に引っかかるものを感じてカカシはそう問い返す。カカシの問い掛けにアスマは曖昧な笑みを浮かべた。
「まだ奴隷じゃない」
 まだ、とアスマは言う。まだ、ということはこの先奴隷になることが決まっているか、そうでなくても奴隷になる可能性が高いということだろう。
「また厄介なものを…」
 たったそれだけの物言いで事情を察したカカシに、アスマはにやりと笑った。アスマの顔に浮かんだ笑みでカカシは自分の言葉に間違いがないことを悟る。
 まだ奴隷じゃない、とアスマは言った。これから奴隷になるかも知れない人間。それはそれと分かって売られてきた人間ではない。
 売られたのではなく、攫われた人間。攫われて奴隷として売られる人間は少なくないが、わざわざアスマがここに話を持ってくるほどの人間は一部しかいない。
 攫われたのは十中八九、貴族階級の人間だ。だとすると。
「オレは人間は扱わないって前から言ってるでしょうが」
 溜息と共にそう吐き出したカカシを、けれどアスマはまるで取り合わなかった。
「仕事を選り好みしてんじゃねぇよ、仲介屋」
 アスマの言葉にカカシはまぁね、と小さく呟いた。けれど。
「だけどなぁ…」
 ごりごりと頭を掻いてカカシは溜息を吐き出した。
 確かに自分は仲介屋だ。頼まれれば奴隷だって何だって扱うけれど、それにしたって攫われた貴族というのはいただけない、とカカシは思った。
 本当にどうしてこの男は厄介事しか持ってこないのだろう、と。めんどくさそうに溜息を吐き出したカカシをちらりと見て、アスマはまた煙を吐いた。
「扱って欲しいのは貴族の息子だが妾腹だ。二週間ほど様子を見てからあとは好きに売り払ってくれて構わん」
 アスマの言葉にカカシは眉を顰めた。眉を顰めるカカシの反応を当然と思いながら、アスマは反論を許さないよう口を開いた。
「七割でどうだ?」
 奴隷の売り上げの七割。それがカカシの分け前だという。
「七割?随分大きく出たね。どんな代物なんだか」
 大体において仲介屋の方が手間が多い分分け前が多いことも多々あるが、それでもよくて六割がほとんどだ。それなのに七割とは。相当やばい貴族の息子を攫ってきたのだろうかと、カカシは頭を掻いた。
「預かった二週間で仕込みを完了させておいてくれよ」
 言ったアスマにカカシは大きく溜息を吐いた。男ならば労働奴隷でも構わないではないか、と思ったがアスマがああ言った以上性奴隷として仕込みをしなくてはならないということだ。
 面倒だな、とカカシは思った。カカシの思考を見透かしたようにアスマは笑う。
「色々と経緯のある子供だからな、せいぜい優しくして手懐けておいてくれよ。上手くいけば二週間後にはかなりの大金が手に入ることになる」
 くつくつと楽しそうに笑い声を噛んだアスマにカカシは呆れた顔をした。
「そういうことか」
「そういうことだ。せいぜい大切に扱ってくれ」
 開け放した窓からは強い風が吹き込んでいる。入り口に掛けられた布がバタバタとはためくのをぼんやり眺めてから、カカシはアスマにそれで、と言った。
「それでその子、幾つなの?」
 カカシの質問にアスマは首を傾げた。
「よくは知らん。二十歳前だと聞いてはいるが直接見たわけじゃないしな」
 頼りないアスマの台詞を聞きながらカカシは視線を巡らせた。太陽はまだ高い位置にあり窓の外はぽっかりと切り取られたように白い。日差しの強さを思ってカカシはうんざりしながら、頼まれた厄介な仕事を思った。
 アスマの話からしてもカカシ自ら仕込みをすることになるだろう。男でも女でも大差ないとは思うけれど、出来ることなら女を仕込む方がよかった、と。願わくはやってくる子供が恐ろしく太っているとか、見るに耐えない顔をしているとかいうことがないように、などと思う。十五よりも若くてもちょっと遣りづらい。
 眺めた窓の向こうに広がる空は相変わらず雨の兆しもなく、綺麗に晴れ上がっていた。



    * * *



 アスマの帰った翌日。届いた厄介な荷物を眺めてカカシは本当に呆れ返った。今からでも遅くない、アスマに荷物を見せてこの話をなかったことにしようかと思う。
 届いた荷物は薬でも嗅がされたのかぐっすりと眠り込んでいるようで、起きる気配すら見えなかったけれど、問題はそんなことではなかった。眠りこけている荷物は確かにアスマの言う通り男だった。けれど、これのどこが二十前の若者だというのだろうか。どう贔屓目に見たって二十代前半、普通に考えれば前半を通り越し三十に近付いている様にしか見えなかった。
「これを仕込むんですかね、オレが…」
 カカシは呆然と立ち竦んだままベッドに転がされた男を見下ろした。
 少年のあどけなさなど微塵も残っていない精悍な顔。骨太そうなしっかりとした身体。貴族という割には健康そうに日に焼けた肌。真っ直ぐに伸びた髪は混じりけのない黒で、顔には横に一筋刃物で切ったような傷跡が付いていた。
 思い描いていた最悪のケースではないにしろ、これをどうしろというのだろうとカカシは半ば途方に暮れていた。
 仕込むのは別に構わない。仕事だから、仕方がない。けれど。
 これ相手に勃つんだろうか。
 これならむしろ労働奴隷としての方が価値が上がるんじゃあないだろうか。どこをどう見ても健康そのもの。体付きを見る限りかなりの働き手なんじゃないだろうか。
 情けない気持ちで男を見下ろしたままカカシは大きな溜息を吐いた。
 濡れたように黒い髪の毛を吹き込む風が揺らしている。固く閉ざされた瞼の奥はいったいどんな色をしているのだろうか。はたりはたりと揺れる布を見ながらカカシはふとそんなことを思った。男からは未だ目覚める気配すら感じられない。
「イルカ、ねぇ……」
 渡された書類に書かれた名を呟いて、カカシは風にかき乱された髪の毛をやんわりと押さえる。瞼の奥に隠された瞳の色を確かめるのはもうしばらく後になりそうだと思って、カカシはもう一度深い溜息を漏らした。



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