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Novels


adagio in C minor




  ***









 必至に考えて選んだプレゼントは、イルカの気に入るものではなかったらしく、それを知った瞬間には流石に少しばかり悲しくなった。
 自分はイルカの何を見ていたのだろうかと自信も失った。
 イルカは子供達と居るときには自分に見せない笑顔を向けていた。それがとても楽しそうで、満ち足りたもののように見えたから、イルカの一番大切にしたいものは子供達なんだなと思ったのだ。
 だから、子供達との時間を提供したつもりだったのに。
「オレはカカシ先生の前でまで教師で居たくないんです」
 と言われて驚いた。子供達の前ではつまり営業スマイルだったと言うことなのか。
 確かに子供達の前だと、嫌なことがあった後でも無理して笑う必要もあるだろう。それは職業上仕方ないことだとわかる。
 そんなことをしなくて良いと思っていたと言われ、その時は凄く嬉しかった。つまりイルカはカカシの前だったら自然体で居られるということだからだ。
 イルカに用意したプレゼントだったはずなのに、それで引き出したイルカの切実な言葉は全て、カカシを喜ばせるものになってしまった。
 ――――初めてセックスをしたし。
 隣でぐったりとしているイルカは、さっき眠ったばかりだ。カカシの腕の中で初日の出を見て、それからすぐに失神するように眠ってしまった。
 夜を通してずっと抱いて過ごしていたのだから、当然と言えば当然の結果だったが、日の出まで意識が持ったのは強靱な精神力の賜だろう。散々カカシが弄んだのだから、体はいち早く事切れたがっていたはずだ。
 優しくしよう、丁寧にしようと思っていたはずなのに、意外なところでいちいち協力的で無意識にエロいイルカの行動にカカシは煽られ、振り回されっぱなしで殆ど自分の所行を振り返る余裕なんてなかった。
 同性だからいくらか苦しいかとか思っていた挿入自体も、思っていたよりすんなりと貫通してしまったし、何より今だかつてないくらい気持ちよかった。
 それこそ、カカシのこれまでの相手は両手両足の指でも足りないくらいで、その中には百戦錬磨のくのいちや遊女が居るというのに、その記憶を払拭してしまうくらい凄かった。中で出したくらいで失神しそうになる経験はなかなかない。
「…おれ、もしもイルカ先生と別れた後、女を抱けるかしら…?」
 そんな心配が沸いてでるほど良かった。きっと体の相性が良かったのだろうと思う。
 そっと黒髪を梳いて上げてもイルカはぴくりとも反応しない。
 今度アスマとゲンマに会ったとき、セックスで失神しそうになったことがあるかどうか聞いてみようと思った。
 何にせよこの年越しはカカシばかり良い思いをしてしまって、イルカには散々だっただろうと思うと申し訳ない。
 子供達のことで気を遣わせたなら、何か他にプレゼントを考えようと思った。
 恋人にプレゼントを贈るのに理由なんて要らないはず。何か思い付いたときにこれだと思うものを上げよう。
 それにしたって。
「最初がお風呂だなんて…運命めいたもの感じちゃうなあ…」
 ごそごそと裸のイルカに体を擦りつけるように毛布の中に潜り込めば、イルカが身じろぎをした。それからうっすらと目を開けて、ぼんやりとカカシを見る。起こしてしまったか。
「もう少しゆっくり眠ってて。ちゃんとご飯の時には起こして上げますよ」
 そんなカカシの言葉を理解したのかどうか分からないけれども、イルカは口角に笑みを浮かべ、それから再び目を閉じた。すぐに深い呼吸が聞こえる。
 素直に、幸せだなあと思った。
 イルカと自分の熱を吸収してすっかり温もったベッドにカカシも体を休ませる。案の定すぐに眠気は訪れた。イルカの隣は安心するらしい。ナルトの言う通りだ。




 それから一時間も経たずにカカシは目を覚ました。はっきり言ってまだ眠い。しかし、誰かの気配を感じて、忍の習性が勝手にカカシの脳を揺さぶり起こす。
「カ~カ~シ~せ~ん~せ~」
 声が聞こえて、すぐにナルトが起きたのだと理解した。
 イルカはさっき眠ったばかりだし当然目を覚ます気配もない。ナルトは昨日日付が変わる前にあっさり寝入ってしまっているから、朝起きるのは当然だった。
 ――――あ~、面倒くせえ…
 イルカとの関係はナルトという雨降って地固まったが、やっぱり処理に困ってしまう。このときばかりはちょっと憎らしかった。
 でもあそこで追い返すなんてこと出来なかったしなあ…とカカシは頭をがりがりと掻きながら起きあがった。
「…はいはい、起きるよ~。顔洗っとけ~」
 すぐに「は~い」と朝っぱらから元気のいい返事が聞こえる。この部屋の扉を開けようとしなかったのは合格だと思いながら欠伸を噛み殺し、服を着る。寝不足のせいか、手足が冷たかった。カカシはイルカの着替えを枕元に用意して、冗談で一つコンドームも置いておき、寝室から出た。
「あ、カカシ先生。おはよ…じゃなかった、明けましておめでとう!」
「ああ、明けましておめでとうございます」
 前髪からしたたり落ちている滴を肩に掛かったタオルで拭いてやると、ナルトはくすぐったそうに笑った。
「イルカ先生は? イルカ先生にも挨拶しないと…!」
「ああ、ダメダメ。昨日飲み過ぎちゃって、まだ起きられないみたいだから。ちゃんと朝ご飯はオレが用意して上げるから、ホレ、布団を畳め」
 適当な言い訳でもナルトはあっさりそんなものかと納得し、カカシに言われたとおり自分の使った布団を片づけに行った。
 素直な子供は可愛いなあとさっきとはまるで反対なことを思いながら、カカシは鍋に火をつける。昨日の蕎麦の出汁を流用して今日の朝は雑煮だ。白菜を切り、昨日の内から用意して置いた小口切りのネギのタッパーを出すと、ナルトが丼を抱えてやってきた。
「カカシ先生。これ卓袱台にのってた」
「ああ、ありがと」
 イルカの食べていた丼だ。半分近く麺が残っていたが、もう冷え切っているし、そばも伸びていて今食べても美味しくないだろう。受け取るときにナルトが不機嫌そうに眉を寄せて口を尖らせている。
「昨日の晩蕎麦食ったの~?」
「ああ、年越し蕎麦だからね。除夜の鐘聞きながら食べたよ」
「いいなあ、ずるーい。オレも食べたかった~」
「まーた今度ね」
「…また今度かあ。それって今年の年末の話かなあ…」
 気が早い…というかそれまで我慢できる話なのか、カカシにはナルトの感覚がいまいち理解できずに苦笑した。
 それから餅を何個食べるか聞いて、テーブルを布巾で拭かせた。出来上がった雑煮をナルトは酷く喜んで、舌をやけどしながらがつがつ食べている。
「ねえ、おまえさ。イルカ先生の好きなものって何か知ってる?」
 ふと思い出してカカシはナルトに尋ねてみた。ナルトはカカシよりもイルカとの付き合いが長い。もしかして妙案が得られるかもしれないと思い立ったのだ。
「イルカ先生の好きなもの~? そうだなあ…?」
 なんでそんなことを聞くのかも疑問に思わなかったらしく、ナルトはカカシが途中で追加して煮た餅を食らいながら視線を中空に彷徨わせる。
「うーん…、ラーメン…。火影のじっちゃん…。アカデミー…、国営放送の何とかって言う女子アナ…」
 女子アナのことはあとで詳しく本人に聞こうとカカシは思った。
「とうちゃんかあちゃんのことも大事にして居るみたいだし…他は何かなあ…」
 何気ないカカシの質問にも拘わらず、ナルトは真剣に考えてくれているようで、食事の手を止めてしまった。
「そういえば、この前ミカンも好きだって言ってた」
 ミカン。
 カカシの脳裏にぱっと思い浮かんだのは桔梗峠での出来事だった。
 そう言えばあの時、宿の仲居に紅が持ってきたミカンを全て渡してしまったら、スゴイ顔でミカンを見ていた。引っ込みがつかなくなっていたカカシはそのまま手渡してしまったが、それがイルカの好物だったとしたなら悪いことをした。
 昨日もサクラに強請られて色々果物を買って用意していたけれど、イルカが手にしたのはオレンジだけだった。
 イルカはミカンが好き。
 その情報が何故かカカシの胸にすとんと落ち着いた。
 そして、性懲りもなく、あるプレゼントを思い付いたのだった。



 それからナルトを追い立てる理由もなく、カカシはうとうととしながら、ナルトはぼんやりとテレビを見て過ごし、イルカが目を覚ましたのは丁度お昼の時間だった。
 ナルトは起きてきたイルカに容赦なく飛びつき、腰に力の入らないイルカをふらつかせていた。
「イルカ先生、赤いのついてる」
 ナルトにそう指摘されて、漸くイルカは自分の体に着けられた鬱血の後に気が付いたようで、虫に刺されたかなと下手な言い訳をしたために、カカシのベッドはこの時期でもダニが出るというレッテルをナルトに貼られてしまった。
「さあさ、そんなことはまあほっといて、お昼食べよう。お屠蘇と吉のおせち」
 そう促されて、ナルトははしゃぎ、イルカは少しぶすくれた顔で、食卓と化してしまった居間のテーブルに各々座る。
「実は吉の女将にサービスして貰ったんですよ」
 冷蔵庫から取りだしたのは鰤の冊だった。
「何これ、ういろう?」
「…お前…ういろうは知ってるのに刺身の冊は知らないのか…」
「さく?」
 イルカが教師よろしく刺身の冊の説明をしている間に、カカシは薄切りにして皿に並べていく。やはり何だかんだ言ったところでイルカから教師を取り除くことは出来ないのだろうと思う。それが、イルカを構成する一部なのだから。
 自分の周りでだけ皮膚と一体化したような鎧が脱げるのならそれも役得だなとカカシは思った。
 吉のおせち料理も、値段が張っただけあって、中身は豪華なものだった。黒豆、白糸こんにゃく、ごまめ、数の子。語呂合わせの縁起物も揃っている綺麗な三段重ねだ。ご馳走の質の違いにナルトは初め動揺を隠せないようだったが、いざ食事を始めたら何でももりもり食べ始めた。
 ちょっとだけカカシも数の子を食べるときには微妙な気分だった。子孫繁栄は、イルカとでは無理だと火を見るよりも明らかだからだ。
 子作り自体は今後も続けていく気満々だけど。
「ねえ、カカシ先生。ちょっとゆっくりしたら初詣に行きませんか?人は多いと思いますけど、オレ破魔矢とか買いたいです」
 『乱れ雪月花』を屠蘇がわりに頬を赤く染めているイルカはそう提案してきた。ナルトがオレも行くー!と決定する前から張り切っている。
「…ええ~新年から人の多いところに行くんですか…?」
 カカシは寝正月が基本だと思っていたから、その提案に気が乗らない。冷蔵庫には三が日分の食糧も買い込んであるから一歩も出なくても生きていけるのに、わざわざ出なくても良いじゃないかと思う。
「何言ってるんですか。オレが人混みで倒れても良いんですか」
 ――――は。
「はあ、イルカ先生、何言ってるの?」
 ナルトが横から口を挟むがイルカは一顧だにしない。
「…それは…」
 確かに心配だ。何より、日付変更から積極的に励んだのはカカシの方だと思う。イルカも協力はしてくれたが、あんなに濃いものになるとは予想して居なかったはずだ。
 つまりイルカのこの提案は提案だとかお願いではなくて、カカシに対する意趣返しなのだろう。
「それにきちんとお願いしておかないと。一年の計は元旦に有りですからね」
 そんな元旦から早々、カカシはイルカを手酷く抱いた引け目があった。
「…行きましょう…」
 カカシは同意せざるを得ず、イルカは自分の扱いが巧いなあとほとほと溜息を吐いた。



 昼食を済ませ一時間ほどぼんやりとテレビを見てから腹がこなれてきたところで出掛けることになった。イルカの着替えはカカシが全部洗濯してしまったから、急遽押入から引き出した着物を着せて、出発した。
「カカシ先生、着付け出来るんですねえ」
「…女性の帯締めも得意ですよ」
 そういうとイルカは案の定ふくれっ面になる。イルカの嫉妬を引き出すのはこれからカカシの趣味となってしまいそうだ。
 一旦イルカの家に寄り、去年の破魔矢を回収してから神社に向かう。思ったより人通りは多くなくて、真っ直ぐは進めなかったけれど、それでも三人がはぐれることはなかったし、前が立ち止まり足止めを食らうこともなかった。
 順調に去年の破魔矢を奉納し、新しいものを購入して、ついでにおみくじを引いた。ナルトは相変わらず運だけで生きて行くつもりなのか大吉を引いていた。イルカは末吉、カカシは吉だった。待ち人は遅いが来るそうで、お産は安産だそうだ。
 他愛ない内容に笑い合いながらめいめい木の枝に結びつける。それから出店を少しだけ見て回り、カカシは二人にイチゴ飴をご馳走する。
 それからナルトはそのまま家に帰ることになった。
「あんまり先生達と居ると帰られなくなりそうだから!」
 そう笑った顔に痛ましいものを覚えたが、本人が笑っているのにカカシが悲壮感を出すわけにも行かず、笑顔でまたな、と見送る。
「オレも帰りたくないです」
 走り去るナルトの背中を見送りながらぼそっと呟いたイルカの言葉が妙に耳に残った。
 それから二人で人の流れのままに神社の敷地から出て、のんびりとカカシの家へと向かった。
 途中で、二人はある家の横を通った。こぢんまりとして、古そうな家屋には松飾りが飾られ、家の割に広い庭の芝も丁寧に刈ってある。手入れの行き届いた古い民家。
 思わずカカシはそこで立ち止まってしまった。
「カカシ先生?」
 不意に立ち止まってしまったカカシにイルカが振り返る。カカシが眺めているものを隣に来て眺めるが首をかしげたようだ。
 カカシの眺めるものは、その家の南にどっしりと植わっているみかんの木だった。そろそろ収穫の季節になり、鮮やかな赤みの黄色をぶら下げた立派な木。
 カカシの思い描いたものがここにある。
 イルカにはミカンの木を上げよう。まだ鉢に植わってるサイズで良い。それでも暫く水を上げないでも枯れる心配のないくらい成長したものがいい。
 今はそれをイルカの家のベランダで育てて貰い、そして、いつか二人でこんな家を買って庭にそのミカンの木を植えるのだ。
 水はけが良くて陽の良く当たる南側にミカンの木。
 そしたら、イルカも帰りたくないなんて言わずに済むに違いない。
「カカシ先生?」
 もう一度イルカがカカシを呼ぶ。
 この話をしたらイルカは喜んでくれるだろうか。それとも子供達の時と同じように困惑するだろうか。
 話してみようかな。
 夢と呼ぶには余りにも些細だけど、考えてしまったらもうダメだった。どうにか宥め賺してミカンという木の将来の約束を取り付けるしかない。
 ぼんやりとミカンの木を見上げるカカシに何を思ったのか、イルカはそっと寄り添い、カカシの手を取った。
 太陽の色の実がなる。



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