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名門海野伯爵家 お誕生日編



その日、朝からイルカはそわそわしていた。
明らかにそわそわしている。
常になく落ち着かないイルカの態度をカカシは不審に思いはしたけれども、特に何も聞かなかった。
どうせ聞いたって何も答えてはくれないだろう。
こういう時のイルカは頑固なまでに口が堅い。
何を隠しているのかは知らないけれど、どうせそのうちイヤでも分かる。
イルカの隠し事は大概において、カカシを驚かせるために隠しておきたいことなのだから。
今度は何を企んでいるのやら。
さらさらと滑る髪の毛を頭のてっぺん近くで結い上げながら、カカシは聞こえないくらい小さな声で溜め息を吐いたのだった。


***


いつ、渡そう。
いつ、どこで、どんなタイミングで。
学校からの帰り道、イルカは大事そうに鞄を抱えて大きな溜め息を吐いた。
毎年毎年の事ながら、イルカはいつもその事で酷く悩む。
同僚につきあって貰って購入したカカシのバースデープレゼント。
先代の遺言で教職に就いてから、イルカは自分で稼いだ僅かな給料でカカシのバースデープレゼントを毎年買っている。
これだけはばれないように何週間も前から計画を練って、カカシにこっそり内密に用意するのだ。
その時は楽しい。
いつだって、カカシが驚く顔だとか、喜ぶ顔だとか、そういう事を想像しながらだからとても楽しい。
けれど。
だからばれないようにするのはとても難しかった。
大体カカシに内密に、という事自体果てしなく難しい。
どうやったら、いつもいつもイルカのことだけを考えて生きてるような男にばれないようにプレゼントを渡せるというのだろうか。
今日だってカカシは気が付いていた。
絶対。
自分の態度がおかしいことに絶対気が付いていた。
けれどただ一つ、救いがあるとするならばカカシは自分のことにひどく無頓着だというその一点だけだろうと、イルカは思う。
イルカのことに関しては恐るべき記憶力を誇るカカシだが、こと自分の誕生日だ何だという行事にはまるで興味がない。
今日も今日とてイルカの態度がおかしいことに気が付いてはいたものの、自分の誕生日だということには気が回っていないようだった。
イルカの態度がおかしい理由が多分思い付いていない。
その事を愛しい、と思う。
イルカは本当にこういうときカカシのことが愛しくてならない。
自分のためだけに、そう、本当に自分のためだけに存在するカカシ。
当たり前のように。
空気のように当たり前に、そこに存在するカカシ。
彼を手に入れるために全財産を投げ打っても構わないとすら思うのに。
けれどそんなことをするまでもなく当たり前みたいにそこにいるカカシ。
通用口に続く長い長い自宅の壁をゆるゆると歩きながらイルカは目を凝らす。
遠くに見えてきた通用口。
その脇に佇む人影。
うつむき加減に壁に凭れていつものように本を読んでいる。
いつ、渡そうか。
鞄の底に収まった小さなプレゼント。
ぎゅうと鞄を抱きしめて、イルカは影に向かって駆け出したのだった。



***



軽い足音にふと目を上げれば珍しく駆け寄るイルカの姿が見えた。
焦ったり慌てたりすることがあまりないイルカだけに、わざわざ駆けてくるなんて一体何事だろう、と思う。
慌てて愛読書を閉じてポケットにねじ込むとカカシは駆け寄るイルカを出迎えた。
「どうしたんです?」
荒い息をつきながらカカシを見上げるイルカにそっと手を伸ばす。
その背中に手を回して通用口へと促すように押せば、イルカもそれに従って通用口をくぐった。
家の外では落ち着いて話も出来ない。
そう思ったのはイルカも同じだったのだろう。
ぱたりと通用口を閉じてカカシはもう一度背に手を回した。
ゆるりと向かい合うように体の向きを変え、そうして走ったせいで紅くなった顔をのぞき込む。
「イルカが走るなんて珍しいですね。何かありましたか?」
熱い頬に冷えた手を当てれば、イルカは気持ちよさそうに目蓋を閉じた。
「あの、ね。」
目蓋を閉じたままイルカは小さく呟く。
「はい。」
触れる頬はまだ熱くて、そうしてすべらかで気持ちよかった。
大事な大事なイルカ。
ほんの子供の頃から、ずっと甘やかして甘やかしてカカシなしでは生きられないようにしてしまった。
そのことを恨んだりしないで今も側に置いてくれているイルカ。
閉じられていた目蓋がゆるりと持ち上がり、そうして塗れたような黒い瞳がひたりとカカシを捕らえた。
「あのね、これ。」
視線をそらしごそごそと鞄を探ると、イルカはおもむろにそこから小さな包みを取り出した。
差し出されたそれは手の平に乗るほどに小さい。
「何ですか?」
イルカの手の平からそれをそっと持ち上げて、カカシは柔らかく問いを落とした。
小さくて、けれど少しだけ重みを感じるそれ。
何だろうか。
カカシの問いかけにイルカは紅い頬をさらに紅く染めてぶっきらぼうな口調で呟いた。
「……………ト。」
「え?」
なに?
小さな小さなイルカの声はカカシにはほんのちょっとだけ届かない。
「誕生日プレゼント!」
自棄になって叫べばひどく驚いた顔をしたカカシにぶつかった。
毎年こうだ。
とイルカは思う。
毎年毎年誕生日プレゼントを渡すたびに、カカシはこうしてものすごく驚いた顔をする。
本当に意外な事が起こったというような。
それが嬉しくもあり、ちょっと悔しくもある。
カカシにとっては自分が何かをプレゼントする事は本当に意外な事なのだと思い知らされるようで。
確かにいつもいつも世話になってばかりだけど。
「あぁ、もうそんな時期でしたか。」
驚いた顔をしていたカカシは、けれど言葉の意味を理解するとそれはもう嬉しそうに微笑んだ。
くしゃりと子供のように顔を崩し、本当に嬉しそうに笑う。
この顔が見たくて、いつだってイルカはした事のない努力をしてしまうのだ。
ただこうしてカカシの喜ぶ顔が見たいがために。
「どうしよう、すごい嬉しい。開けてもいいですか?」
子供のような顔をしたままカカシは包みを手の中で転がした。
「どうぞ。」
照れているからどうしてもこんな口調になってしまう。
誕生日だからお祝いしたいのに、まだお祝いの言葉さえ言ってない。
それなのに、こんな風に嬉しそうに笑わないで。
がさがさと音を立ててカカシが目の前で包み紙をほどいていく。
包み紙の中、ビロードのケースに収められたそれは、カフスボタンだった。
カカシに贈るプレゼントなんて全然気の利いた物を思いつかないイルカだったけれど、今年のプレゼントにはちょっと自信がある。
カカシはいつもカフスのいるシャツを着ているから、だから。
これはきっと喜んでもらえるんじゃないかと、思う。
そっと様子をうかがえば、カカシは今まで以上に嬉しそうな顔をしていた。
あれ以上嬉しそうな顔をする事が出来たんだと、イルカは半ば不思議な物を見るような気持ちでカカシを見つめた。
「カフス、ですね。」
こくりとイルカが頷けばそのままカカシの顔が近づいてきた。
細い銀の髪が風に揺れて、ゆるりと目蓋が閉じられる。
キス、されるのだと思ってイルカは目を閉じた。
唇に柔らかな感触。
よく知った、その感触はしばらくすると不意に離れていってしまった。
不審に思って目を開ければほんの少し頬を染めたカカシに出会う。
珍しい。
ほんのちょっとだけ驚いてカカシを見れば、わずかに赤らんだ顔のままふうわりと笑った。
「ありがとうございます。」
大切にしますね。
そうしてもう一度触れるだけのキスを落とされる。
「……お誕生日おめでとう、カカシ。」
まだほど近い所にあるカカシの顔。
今言わなかったら今年の誕生日にはもう言えない気がして、イルカはぼそりと呟いた。
こんなに近くにいるんだから、多分聞こえたはず。
「ありがとう、イルカ。」
小さな声で祝福を告げたイルカをそっと抱き寄せて、カカシは柔らかく笑った。
手の平には小さなカフスを持ったまま。
本当に礼を言いたいのはこっちの方だ、とイルカは思う。
今ここにこうしてカカシがいなかったら自分はどうなっていた事だろうと。
生まれてきてくれてありがとう。
生まれて、そうして自分の側にいてくれて。
自分の側にいる人生を選んでくれて、ありがとうと。
カカシの前にはもっと他の今よりもずっと素晴らしい人生がたくさんあったのに、それを全部捨ててまで自分を選んでくれてありがとう、と。
本当はそう言いたいのに。
言いたいことは全然言葉にならないまま、そうして抱きしめるカカシの背中にそっと手を回して、イルカはゆっくりと目を閉じたのだった。


fin


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