Short


habit





「イルカ先生、これ何のためにこんな所に置いてあるんですか?」
何気なく、カカシがそう聞いた。
そのセリフをそんな口調で聞かれるのは、これで二度目。
そう、二度目だった。
だから、やっぱりあの時の答えにカカシが全然満足してなかったのだと思う。
満足云々と言うよりはむしろ端から信じてなかったのだ。
信じて無いというか、自分の嘘なんてきっと見え見えで、あんまりにも分かりやすくて信じるも何もなかったに違いない。
もう誤魔化せないかな。
そう思ってイルカはちょっと困ったように笑った。



木の葉の隠れ里のアカデミー教師うみのイルカの小さなアパートの台所には、これまた小さな椅子が一つ置いてある。
大人が座るにはひどく小さいそれは、目立たないように隅の方に寄せられているけれど、けしてそこから動く事はなかった。
そう、いつも同じ場所にちょこんと置いてある。
目敏いカカシがそれに気が付いてそのことをイルカに聞いたのは、二人が恋人になってから二週間が過ぎた頃だった。
その時イルカは適当に誤魔化した。
あぁ、それね、踏み台代わりに置いてあるんです、そんな風に。
けれども。
踏み台代わりに置いてあるはずのその椅子は、それからしばらくたっても一ミリも動いた様子もなく、カカシはそれを何となく不審に思っていたのかもしれない。
思っていて聞かなかっただけなのかもしれない。
それはよく分からないけれど、また問われてしまった。
そこに椅子が置いてある理由を。
もう、誤魔化せないよな。
イルカはちょっと困ったままカカシを見た。
カカシは問いかけたときと同じ表情のまま、それはイルカのとても好きな、ほんの少し笑みを浮かべた優しい顔だったのだけれど、椅子の背もたれに手を掛けていた。
降参、しておこうかと思う。
この辺りで降参してしまってもいいかもしれない。
この秘密は誰にも言うつもりが無かったのだけれど、カカシだから、しょうがない。
それはだって、カカシだから、しょうがないではないか。
小さく溜め息を吐いてイルカは本当の事をカカシにそっと打ち明ける。
「その椅子は。」
一端言葉を飲み込んで息を吸い込む。
そんな勿体つけるようなものでもないのだけれど、そう思いながら。
「その椅子はね、カカシ先生。オレがとても悲しくて困ってどうしようもなくて途方に暮れたときに使うんです。」
吸い込んだ息を、吐く。そして、吸う。
「あんまりにも困った事が起きて悲しくなるとそれに座って炭酸ジュースを飲むんです。」
「台所で?」
「そう、台所で、です。両親が死んでしまってからの、まぁ、癖みたいなものなんですけど。」
そうすると落ち着くので。
そこまで言ってからイルカは恥ずかしさに俯いてしまう。
こんな子供じみた癖本当は言いたくなかったんだけどな。
「何でまた炭酸ジュースなんですか?」
「昔ね、まだオレが酒も飲めないような小さな子供だった頃、炭酸の泡が弾けるあの感覚がね。なんていうか、炭酸と一緒に悲しい気持ちも弾けてしまうみたいに思えて。」
それで。
それで、だから暗い台所に座って炭酸ジュースを飲んでいた。
しゅわしゅわとはじける泡が喉を滑る感覚が、どうしてか悲しみを癒してくれるような気がしていたから。
だから子供じみていようが何だろうが、未だにイルカは途方に暮れるほど悲しい事があると、台所の椅子に腰掛けて炭酸ジュースを飲んでしまう。
どことなく気恥ずかしくてカカシを見ると、カカシはやっぱりほんの少し楽しそうな顔をしている。
イヤな感じ。
何もかも知られているような、見透かされているようなその表情にほんの少し悔しくなる。
しかもこのタイミングで聞かれるなんて、カカシは気が付いているに違いない。
「ところでイルカ先生、この椅子一番最近使ったのはいつですか?」
来たな、と思ってカカシを見れば案の定どことなく嬉しそうにしていた。
ちぇ。
結局こうなっちゃうんだよな。そう思う。
結局カカシには勝てないのだ、とそう。
「一昨日です。」
「一昨日、何でまた?」
分かってるくせに。
カカシは相変わらずにやにや笑っていて腹立たしい事この上ない。
何もかも分かっていて、こういう事を平気で聞くのだから本当に始末に負えない。
「一昨日の昼間ね、恋人と喧嘩をしてしまいましてね。くだらない理由だったんですけど家に帰ってから凄く後悔してそしたら悲しくなっちゃったんです。明々後日は休みで久々に会えるって楽しみにしてたのに、とか。もうなんかいろいろ考えちゃってそれでなんかあんまり悲しくなって途方に暮れたんで。」
吐き出す息とともに一気にそう告げた。
あぁ、恥ずかしいったらありゃしない。
「へぇ、その恋人とはもう仲直りしたんです?」
にやにやと笑いながら近づいてくるカカシ。
この人のこういうところはホント好きになれない。
なんて、そんなの思うだけでホントのホントはきっと好きに違いないのだけれど。
もういやんなるなぁ。
「どうでしょうね。仲直りのキスもエッチもしてないですからね。」
ホントイヤになる。
仲直りが休日に間に合ってもの凄く嬉しい自分がホント呆れるくらいイヤになる。
そんな自分もちょっとかわいいとは思うけれど何だかなぁ、と思うのだ。
背中を向けてカカシから離れようとすると案の定後ろからくるりと長い腕に抱き込まれてしまった。
そんな事にひどく安心する自分。
「イルカ先生仲直りしましょ?」
くすくすと笑いながらカカシはイルカの鼓膜を震わせて囁きを落とす。
甘い甘いカカシの声だけでとろとろになりそうな自分を本物の馬鹿だと思いながらイルカはその背中を暖かい胸にぽふりと預けたのだった。


fin


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