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こんな、夢を見た。




星を撒く人






「カカシ先生。起きてください、カカシ先生」

ゆさゆさと自分の体を揺さぶる優しい手の感触と、甘やかに柔らかい声に沈んでいた意識を無理矢理引き上げて、カカシはゆったりと目を上げた。
あげた視線の先。
覚束ない意識が捉えたのは深い黒曜石の柔らかな光。

「カカシ先生」

イルカはどこか急いでいるような口調でカカシに呼びかけている。
いつの間にか昼寝をしてしまっていたらしい。
辺りは不思議に暗いような明るいようなほのかな光に包まれていてカカシは時間の感覚が酷く曖昧な事実に少し驚いた。
起こされるまで気が付かない、とか、瞬時の状況判断が甘くなっている、とか。
上忍として少し拙いような、そんな自分に笑いながらカカシはイルカに笑いかけた。

「どうしたんですか?」

イルカに対する自分の声は、意識もしないというのに非道く甘くてちょっと困る。
あの人と話をする度に、あの人に自分の弱点を晒しているようでほんの少し、困る。

「どうした、じゃないですよ。早く起きてください」

少し拗ねたような、多分そうとは自覚はしていないだろうけれど、可愛らしい口調でイルカはカカシをなおも揺さぶった。
可愛い可愛いイルカ。
アスマあたりに言わせると、冴えない中忍、だそうだがこんなにもイルカは可愛い。
忍び笑いを押し殺してカカシはイルカの注文通り緩慢にその身を起こした。

「ハイ、起きましたよ」

カカシの口調にほんの少しだけ不満げな表情を見せて、そうしてイルカはもう一度早く、と言った。
何をそんなに急いでいるのだろう。
カカシがその疑問を口にするよりも早くイルカはその手を取ってぐいと引っ張った。

「ほら、早く、カカシ先生」

ぐいぐいと手を引くイルカに驚きながら素直にその後ろについて行く。
カカシの手を握ったままそれは嬉しそうにイルカは走り出した。
その後ろ姿にカカシは零れる笑みを隠せないまま、そうまでして急ぐイルカにその理由を問うた。

「イルカ先生、何をそんなに急いでるんですか?」

走りながらイルカは後ろをほんの少しだけ振り返ってにこりと笑う。

「カカシ先生、知らないんですか?今日が一番綺麗なのに」

その笑みはイタズラの成功した子供みたいな、そんな笑い方だった。
知らないんですか、と言われても、何のことだろうとカカシは思う。
本当に何の心当たりもなくて素直にイルカに降参してみた。

「何のことでしょう、イルカ先生」

イルカはもう前を向いて走っているから、その表情は伺い知れないけれど、きっと多分さっきみたいに笑っている。
どうでもいい確信を胸に、カカシはその後頭部を見つめた。
繋いだ手は決して離れないように固く握りしめられたまま。

「もうすぐ着きますから。着いたら分かりますよ、カカシ先生」

イルカにぐいぐいと手を引かれて暗いのか明るいのかよく分からないような道をただ走る。
そういえば、自分はどこを走っているのだろうか。
辺りは不思議な光に満ちていて、それなのにどこか闇を感じるような気もして、風景らしき風景なんて全然見えなかった。
今までイルカに気を取られて気が付かなかったけれど、足を踏みしめるたびにしゃわしゃわと軽やかな音がする。
炭酸がはじけるような、涼やかで楽しげな、音。
疑問は次々に沸くのにどうしてかそれをイルカに問う気にはなれず。
声に出したら消えてしまいそうな高揚感を抱えてカカシはイルカの手をほんの少し強く握った。

「あぁ」

イルカが不意に声を上げて歩調を落とす。
打って変わって探るようにゆったりと歩きながらもう一度小さく呟いて歩みを止めた。

「着きましたよ、カカシ先生」

振り向いて笑ったイルカの笑顔に跳ね上がる心音を叱咤しながらカカシはイルカの隣に立った。
繋いだ手は、離さないまま。

「何があるんですか?」

イルカの目線がカカシからそれて眼前の光に注がれる。
つられるようにカカシがそこを覗き込めば光の中から光が滾々と湧き出ていた。
きらきらと光があふれ、辺り一面を照らす。
イルカの頬に、髪に、唇に光が灯る。
微笑むイルカに光が灯って、それは、どう形容していいのか分からないくらい幸福な風景だった。
声も出せないカカシになおもイルカは笑いかける。

「カカシ先生ここはね、天の川の湧き出るところなんですよ」

ほら、こんなにも星が瞬いてるでしょう?
柔らかく、柔らかく笑うイルカ。
そうして。
イルカの頬に、髪に、唇にきらきらと瞬く星の光。
淡い淡い光の中。
イルカに灯った光に吸い寄せられるようにそっと口づけを落とした。
かしりと小さく何かが砕けるような音がして、口付けたイルカの唇に非道く甘い味が広がる。
どうしてこんなにも甘いのだろうか。
カカシはイルカの上唇をそうっと舐めてまた口付ける。
うっすら開いたイルカの口内に舌を潜り込ませると、もっと甘いような気がして。
何が甘いのか確かめるように、その舌で熱くぬめる口内を犯していった。
唇を離すと、イルカは上気した頬のまま視線を落として、小さく息を吐いた。
うっすらと赤く染まった肌が淡い星の光に照らされて酷く扇情的で。
カカシはその首筋にそっと唇を寄せた。

「イルカ先生、何だかすごく、甘いですネェ」

その身に星を撒いたイルカの肌も、やはり唇と同じくらい甘くて、目眩がする。

「…甘いのは、オレじゃなくて、多分、星が」

どこか上擦ったようなイルカの声が耳を掠めていった。
甘い、あまぁいイルカ。
星を散りばめて、きらきらと。
首を思う存分舐めあげて肩を柔らかくはんでみる。
ぴくりとイルカの体が揺れて髪に絡んだ星がかしりかしりと音をたてて足下の川に吸い込まれていった。
星で満ちた、遙か頭上を流れているはずの、川に。

「カカシ、せんせ…」

甘えたような、鼻にかかった声でイルカがカカシをもっと甘く、呼んだ。
甘い、イルカ。
咽の奥で笑いをかみ殺してカカシはもう一度その唇に顔を寄せた。




「……………カカシ先生」

誰かが、遠くで呼んでいる。
腕の中のイルカは、とろりとした目でカカシを眺めていた。
こんな美味しい状況なんて滅多にないのに。
この美味しい状況を壊そうとするイルカの声にカカシは小さく舌打ちした。
………イルカの、声?

「カカシ先生!カカシ先生!!」

何でイルカの声が、とか、思うまもなく大音響が響き渡る。
遠くで、なんてとんでもない。
耳元でバカみたいに大きな声がしてカカシの意識は一気に浮上した。

「え、あ?い、イルカ先生?」

いまいち上手く状況が把握できなくてカカシは何故だか体の下に抱き込んでいるイルカをまじまじと眺めた。

「あれ?」

辺りは薄暗くもなく、あの優しい光に満ちているわけでもなく。
どう見ても、普通に昼間の明るい太陽の光に満ちていた。

「あれ、じゃありません。気が付いたんならどきなさい!」

何がどうなって美味しい状況になっているのか分からなくてカカシはどかないままイルカに尋ねた。

「イルカ先生、どうしてそんなところにいるんデスか?」

天の川の湧き出るところでとろとろと溶けていたはずなのに。
イルカの胸にぴったりと耳を当てると心なしか少し鼓動が早かった。

「どうしてじゃありません!アンタが寝ぼけてやったんでしょうが!!」

どけったらどきなさい!
喚くイルカを尻目にカカシは自分が本当に昼寝をしていたことを思いだした。
……じゃあ、あれは夢か。
あのきらきらしてふわふわして、可愛らしいイルカは夢だったか。
本物のイルカは自分の下でじたばた藻掻きながら怒り狂っている。
これはこれで可愛いのだけれど、素直なイルカもたいそう可愛かった。
藻掻くイルカには悪いがこんな美味しい状況をわざわざ無駄にするほど自分はイルカに関しては裕福ではない。
どうしようかナァ。
この際イルカの主張は無視させていただくとして。
イルカの胸に頬を当てたままぼんやり考えていたらかしりと何か小さな音がした。

「あれ?今の音」

ついさっき、夢の中で聞いた音とそっくりな、その音の正体を探してみれば。
暴れるイルカのズボンのポケットから、星がこぼれ落ちていた。
甘い、甘い。
陽の光を受けてきらりと光るそれに酷く驚く。
夢、ではなかった?
まさか。
驚いて顔を上げているカカシに、怒り狂っていたイルカはようやく気が付いたように、あぁ、と声をかけた。

「金平糖ですよ。さっき買い物に行った時偶然会った生徒に貰いまして」

床に転がったそれはよく見れば言われた通り何の変哲もない金平糖で。
カカシはむやみに驚いた自分を誤魔化すようにイルカを抱き込んだ。
あんなの夢に決まってるのに。

「ちょ、カカシ先生!ホントに怒りますよ!どきなさい!!」

まだじたばたと怒っているイルカにカカシはにこりと笑いかける。
多分この人は、この笑顔に弱いから。
案の定、抵抗は少なからず小さくなった。

「まぁイイじゃないですか、イルカ先生」

イルカを思う存分抱き寄せて、イルカの額に自分の額を押し当てる。

「ちょ、ちょっとなにしてんですか!?」

イルカの顔がだんだん赤くなる様を見ながらカカシは笑う。
それはもう、イルカの抵抗を奪う、一番効果的な笑顔で。

「一緒に昼寝しましょうよ」

くすくすと笑いながら言うカカシにどこか納得のいかない顔をして、それでもイルカは体の力を抜いた。
諦めたように。溜息を付きながら。

「イルカ先生、額をつけて寝ると、同じ夢が見られるそうですよ」

夢でも一緒にいましょうね。
そう付け加えて。
本当は、イルカと、さっきの夢の続きを見たいのだけれど。
きっとああいうのは、イルカの方が好きだろうから。
深い諦めの溜息を付くイルカを見て、カカシは酷く満足げに笑うと幸せな夢の続きを見るべくゆったりと瞳を閉じたのだった。


fin


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