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名門海野伯爵家



海野伯爵家執事、カカシの朝は早い。

当主のイルカは人嫌いで我が儘でカカシの言うこと以外は滅多に聞かないような人なので、多少の苦労もあるというものだ。
ひどい偏食家だから普通に調理したものなんか食べない。
それはもうカカシがイロイロと試行錯誤してアレンジした食べ物しか食べない。
というよりはカカシの作ったものしか食べないのだ。
だから。
もちろん朝ご飯だってカカシが作る。
お抱えの専属コックは他の使用人達の食事を作るだけ。
非常に勿体ない話だとカカシは思いながら、今日も今日とてイルカの朝食を作るべくキッチンに立っているのだった。

そういう理由で、海野伯爵家執事、カカシの朝は早いのである。



そうして出来上がった食事を持ってイルカの部屋に行くところからカカシの本来の仕事がようやく始まる。
絶対に起きていないし、起きることもないけれど、一応ノックをしてから入る。
キングサイズのふかふかのベッドに埋もれてイルカはすやすやと眠っているのである。
この平和をなるべくならばカカシも壊したくはないのだけれどそうも言ってはいられない。
サイドテーブルに朝食を置くとカカシはまずイルカを起こしにかかるのだ。

「イルカ、朝ですよ。起きなさい」

最初は優しく。
後でだんだんと厳しく。
そんな風にしてカカシはようやくイルカを起こすと今度は用意して置いた水差しを持ってくる。
洗面器に水を注いで顔を洗ってやってから丁寧に柔らかいタオルで水を拭き取る。
行われるのはすべてベッドの上。
濡れたら速攻で取り替えればいいだけの話。
イルカを甘やかすことに関しては誰よりもこの家の執事に向いているだろうと思いながらカカシは薄く笑った。

「何笑ってるんだ」

イルカの機嫌は麗しくない。
が、機嫌の麗しい朝などついぞ存在したことがないのであまり気にしない。

「イイエ、それより朝食を召し上がってください」

にこにこと機嫌良くカカシは答えながらサイドテーブルに載せてあったトレーをベッドの上に移動させる。
もちろんこの場合もイルカは指一本動かすことはない。
ヒナ鳥よろしく口を開けて動かすことがイルカの仕事である。
何から食べたいとかそれが欲しいとか、そんなことも言わないのだ。
全てはカカシが熟知している。
最初はオレンジジュースかコーヒーを一口。
その日の機嫌にもよるがそこの見極めはほぼ完璧である。
それからシリアルを少し囓る。
このシリアルがくせ者で割と好きなくせに量は欲しがらない。
日によってまちまちなので適量が難しい。
トーストはあんまり好きじゃなくてどちらかというと温かいサンドウィッチかオープンサンドを好む。
中身も相当に気を使わないと不意に食べなくなる。
嫌いなものが入ってると問答無用で口にしないし好きなものといったらそれこそ数えるくらいしかなくてこれまた頭の痛い話だ。
もそもそと口を動かすイルカにチーズオムレツを冷ましながら差し出すとこくりと飲み込んでまたそれを口にする。
海野家の優秀にして有能な執事の才能はこうして当主を甘やかすことにばかり長けていくようであった。



食べ終わったらメイドを呼んで着替えを持ってこさせ食器を下げさせる。
イルカは朝から人に会うのを嫌がるので当然入り口で全てカカシが行うのである。
屋敷にいるときイルカはカカシ以外の人にはあまり会わない。
どうにも面倒らしい。
ともかく、そうして。
着替える前に歯を磨いて、そうしてそれから着替えである。
先代の遺言で教師なんぞを無理矢理やらされているイルカは割と朝早く出かけなくてはならない。
ここでもたもたして遅刻なんかしたらイルカの機嫌は一週間は戻らないので注意が必要である。
先代の遺言の実行期間は五年。
後一年弱でそのバカな遺言は達成されるのだからカカシは早くその日が来るのを待ち望んでいたりした。
まずパジャマを脱がしてそれからきちんとアイロンがあてられた皺一つないシャツを着せる。
ボタンを留める。
シャツはもちろんオーダーメイド。
ただしスーツはうっかり脱いだときにオーダーメイドだとばれることがあるので泣く泣く吊しのを買ってきてある。
海野家の当主ともあろうものが吊しのスーツを着なければならないなんてとカカシはさんざん心の中で泣いたのだが当のイルカはあまり気にしていないようである。
それもまた少し寂しい。
今日のようにちゃんとスーツの時もあればもっとラフな格好の時もある。
時間割や行事の関係でそれは細心の注意を払ってカカシがコーディネートしているわけだがイルカにはあまり関心がないらしい。
ズボンを履かせてベルトを締めてそうしてネクタイを結んでやる。


ここだけの話。
イルカはネクタイを結べないので学校では絶対にネクタイは外さないようにしている。
ちょっと崩れてもどうやって戻すか分からないので崩したときはそのまま帰るのだが。
そのまま帰るとカカシがだらしないと怒るのでほとんど崩さないよう心がけている。
外すなんてもってのほかだったりするのだ。
ホントは背広を脱ぐのだって極力避けている。
脱いだ後、着るのが面倒くさいから。
学校には着せてくれる人はいない。
だからほとんど脱がないようにしている。
生まれてこの方カカシに思う存分甘やかされ続けてきたイルカはイロイロと問題のある人なのだった。


ともあれ、無事食事も着替えも終わって後は髪を結べばカカシの仕事は一段落である。
この時間が何ともいえずカカシは好きだった。
イルカの髪を撫でるように梳かし結ぶ。
イルカもこのときに文句を言うことは極めて少ない。
それもまたいい。
ともかく、髪を整え背広を着せてそうしたらイルカを抱き上げて玄関まで運ぶ。
鞄はメイドに用意させて置いたのでちゃんと玄関まで運ばれている、はずである。
何はともあれイルカに靴を履かせて鞄を持たせたら裏の通用口まで送っていく。
玄関を出たらイルカは自分で歩くのだ。
誰かに見られる可能性を危惧しているのかそうでない理由かは知らないけれど。
通用口を出る前にかがみ込んでキスをする。
その唇に柔らかく。
いわゆる行ってらっしゃいのキスだけれど、してもしなくても不機嫌そうな顔になるのでだったらしたほうが得だと、カカシは勝手に思っている。
しないときの不機嫌さはしたときの何倍も怖いので。
勝手に。
カカシが勝手にキスをしていることになっている。
そういうことにしておいた方が事態はうまく行くわけで。
通用口から出たイルカを後ろ姿が見えなくなるまで見送って、たまに振り返って姿が見えないとこれまた機嫌が悪くなるから、それからカカシは屋敷に戻る。
イルカが帰ってくるまでに本当にすべき執事の仕事を終わらせなくてはならない。
帰ってきたらまたイルカに掛かりきりになるから。
背伸びをしてカカシは一つ小さな欠伸をかみ殺した。
年中無休の激務だけれど有り余るほどの見返りのためにカカシは今日も頑張っているのだった。


fin


オフラインで延々続いてます、この話…。
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