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とうに昼飯の時間も過ぎたころ寝過ぎてぼやけた頭で目覚めたら、とんでもないモノが隣に寝ていた。
最初はまだ寝ているのかと、疑ったくらい。
それはもう、自分の常識では計り知れないほどの。
あまりのことに混乱は一気に頂点に達し、そして。
取りあえずなくなってしまうであろう今日から3日間の久しぶりの連休を思って、イルカは痛む頭をそっと押さえたのだった。



子供の領分





そして。
ベッドの上にあぐらをかいて痛む頭を抱えたイルカは、大変珍しく、カカシが来るのを心待ちにしていた。
あの人は今日昼過ぎには仕事が終わると言っていたからもうすぐ来るはず。
自分が3連休と知って無理矢理明日からの2連休をもぎ取ったあの人が、今日みたいな仕事が早く終わる休日前に来ないはずがない。
いそいそと、いつものように当然みたいな顔をして来るに決まってる。
いつもは来たらもう来たのかとうんざりするのだが、今日は訳が違う。
何故早く来ないのかと、理不尽な怒りまで沸いてくる始末だ。
だってこんな事、一人で抱えていられる事じゃあない訳で。
イルカは何故今自分がこんな状況に陥っているのか誰かに聞きたくて聞きたくてたまらなかった。
もうこの際誰でもイイから、などとカカシが聞いたらたいそうがっかりしそうなことを考えながら、極力見ないように心がけていた自分の隣ですやすやと寝息を立てている塊に視線をやる。

そこに寝ているのは、なんだか全然見覚えのない、子供だった。

見たところ2歳か3歳くらいだろうか。
心持ち長めのつやつやした黒髪とバラ色に染まった頬。
あどけない寝顔はたいそう可愛らしいがどうしてこんな小さな子供が隣で眠っているのかイルカには皆目見当が付かない。
むにゃむにゃと言いながら寝返りを打つその小さな物体にびくりと身をすくませてイルカは昨日からの記憶をぼんやりとなぞっていた。


昨日の晩は、確か。
仕事が遅くなってそれからカカシと飲み屋で遅い夕食をとって。
酒はあんまり飲まなかったから記憶ははっきりしているし、ここで子供を拾ってきたなんていうのは絶対あり得ない。
そして、それから自宅に帰って、何だか知らないがいつものように当然みたいな顔でカカシが付いてきて。
交代で風呂に入って。
………………………………それから。
まぁ、いろいろ。
思い出すだけで喚き倒したくなるようなことがあって。
で。

朝。

朝は、そう、一回起きた。
出かけるカカシに飯を食わせるために起きた。
そんで、朝食の用意をしている間にカカシがベッドを綺麗にしてくれて。
昨日のシーツは多分まだ洗濯機の中にいるはずで。
まぁ、そんなことは関係なくて。
で、なんだっけ?
それからぐずるカカシを無理矢理送り出して、そう、あの人は体は人並み以上ににょきにょき大きいくせにどうも子供みたいで始末に困る。
今朝は今朝で行ってらっしゃいのちゅーをしてくれなくちゃいかないだとか、あんまり駄々をこねるからしてやれば押し倒されそうになるし。
大人なんだか子供なんだか、本当に始末に悪い生き物だ。
と、これもまぁ、関係ないか。
で、それでまだどことなく体がだるくて寝直したんだっけ。
寝直す時は、これは絶対に自信があるのだけれど、誰もベッドにはいなかった。
きちんと、真新しいぱりっと糊のきいた清潔で気持ちの良いシーツが敷かれていて、とても気分が良かったのだから。
新しいシーツの敷かれた広々としたベッドで、1人、とても気分良く眠りに落ちたのを覚えている。
だからこの子は、考えられるとしたら、自分が眠ってしまった後どういう訳だか知らないがウチに不法侵入して、どういう訳だかオレのベッドに潜り込んで寝てしまったというこになる。
でも、何のために?
だいたい自分はまがりなりにも忍なんだから、こんな子供が侵入してきたら、いくら何でも気が付いても良さそうなモノである。
考えても結論なんか出るわけがないのにイルカは一人でぐるぐるしていた。
そうして、ぐるぐるしているイルカの横で、曰く不法侵入者であるその子供がぐずりながら目を覚ましていた。
目を覚まして、きょろきょろと辺りを見回して。
イルカを見たとたん。
それはもう、うんざりするほど大きな声で。
泣き出したのである。



「いっるかセンセー、こんにちーってあれ?」

鼻歌でも歌いかねない勢いで酷く機嫌のいい上忍がいつものようにがらりと寝室の窓を開けた時、イルカは本当に涙が出るんじゃないかと思うくらい嬉しかった。
あれから、泣き出した子供は宥めても梳かしても全然泣きやむ気配もなくて、今までずっと子供相手に仕事をしてきたその自信さえ揺らぎそうになっていた。
もう、本当にイルカの方が泣きたい気分だったのだ。
イルカが触ろうとすると余計に泣き出すからなでてやることも出来ず途方に暮れていた。
そこへ。
ようやく待ち人が現れたのだから、これはもうカカシの好感度は一気に上昇と言ったところか。
安堵の溜息をついてイルカがカカシに今までの状況を訴えようとしたそのとき、今まで目の前で泣き喚いていた塊がぴたりと泣きやんだ。
そうして。

「カカチ!」

舌っ足らずの声でそう叫ぶと一目散にベッドから飛び降りてカカシの足にぼふりとしがみつく。
きゃっきゃと笑い声をあげてカカチカカチと繰り返す子供を呆然と見ながらカカシを見ると、当のカカシも酷く驚いたような顔でイルカを見ていた。

「「あの………?」」

ここに来て事態の混乱は頂点を極めたようである。



取りあえずお茶など出しながら、イルカはカカシの腕に大人しく収まっている子供を見た。
さっきまであれほど泣き叫んでいた子供はソファーに腰掛けたカカシの膝の上でごくごく機嫌良さそうにその上着を握りしめている。
カカシはこの子供のことを全く知らない、というか、心当たりはまるでないというが、それも怪しいモノである。
これだけ人になつかない子供が、カカシにだけはそれはもう安心しきった顔で身を任せているのである。
知らないという方が不自然ではないか。
ひょっとして、とかそういうしなくてもイイ余計な心配が頭をもたげてイルカはじくじくと痛む心臓を叱咤した。
子供はカカシに懐いているわけではなく自分に懐かないだけなのかもしれない。
では何故カカシの名前を知っていたのか。
どうしてあんなにも嬉しそうにカカシの名前を呼んだのか。
またしてもぐるぐると回りだした思考と、じくりじくりと痛みを増す胸を持て余してイルカは面白くなさそうな顔でカカシを見た。
それはもう誰が見てもカカシを怪しんでいる、そんな表情で。

「い、イルカ先生。オレホントにこの子のこと知りませんよ?」

自分のお茶をすすりながらイルカは不審な表情でカカシを見る。
子供の手前声高に問いただすことも憚られてイルカの表情は険しさを増すばかりだった。

「イルカ先生?」

そう問いかけるカカシの声は心無しいつもより弱々しい。
自分がどれほど恐ろしい気配を放っているのかなんてちっとも気が付いてはいないイルカは、びくびくと様子をうかがうカカシにますます疑念を積もらせるだけである。
後ろめたいことでもあるのか。
とげとげとささくれ立つ心は本当はじくじくと痛がっていて、もう始末に負えない。

「その子は、カカシ先生のこと、よーく知ってるみたいですけどね」

完全に嫌味である。
ちらりとあげた視線はカカシにぶつかる前にその腕の中の子供とぶつかった。
子供は。
その生意気な子供はイルカに盛大なあっかんべーをした後で、それは愛らしい表情でカカシを見上げていった。

「ごはん」

「な!」

あまりのことに二の句が告げないイルカを尻目に、小さな子供はカカシにごはんごはんと繰り返す。
一体なんだって言うんだ!
何で俺がこんな仕打ちを受けなくちゃならないんだ。
子供に毛嫌いされたということに少なからずのショックを受けて、イルカは心の中で喚く。
今思いついたけれど、だいたいからしてこれはカカシの仕組んだことなのではないのか。
何の目的だか知らないけれどこれはカカシの手の込んだイタズラに違いない。
カカシが自分が寝てる間にそっと侵入してこの子を置いていったのだ。
間違いない。絶対そうだ。
それならば自分が気が付かなかったとしてもムリはない。
目的は分からないけれど、そうに決まってる。
どうして今まで思いつかなかったのだろう。
じゃなければ自分がこんな理不尽な思いをさせられている理由が分からない。
大体カカシも子供に懐かれて嬉しいのかでれでれして、締まりがないことこの上ない。
あんな優しい顔で困ったように子供をあやしたりなんかして。
人には散々甘えるくせに。
どこの女を孕ませたんだか知らないけれど、その尻拭いをこっちに振るなんてお門違いもいいとこだ。
大体何で俺がカカシが何処の女ともしれない輩に産ませた子供のことで、こんなに頭を痛めなくちゃならないんだ。
俺には、俺にはあんな顔、しないくせに。
あんな甘やかすような、優しい顔なんて。
そんなにその子が可愛いんなら、とっととその女のところへ行って親子3人仲良く暮らせばいいじゃないか。

女の、ところへ、行って。
俺なんか捨てて、誰とも知らない、女のところへ行けばいいんだ。

じわりと、胸が痛む。
ふ、と息が出来ないくらいの胸の痛みを覚えて胸の辺りをぎゅっと掴んだ。
俺なんか、捨てられてしまうに違いない。
子供がいるんだから。
子供がいるんだから、ちゃんと親子3人で、暮らさなくっちゃ駄目だ。
こんな生意気な子でも子供は子供。
ちゃんと両親がいるんなら、そこで暮らさなくっちゃ。
俺が入り込む隙間なんて、何処にもないんだから。

胸がじくりじくりと痛んで、は、と浅く息を付いた。
ひょっとしたら。
ひょっとしたらこの子は、カカシが自分と別れるためにわざと連れてきたのかもしれない。
そうだとしたら。

「………あのー、イルカ先生?」

シリアスに別れの決意をしているところへカカシの腹の立つくらい呑気な声が聞こえてくる。

「申し訳ないんですが、そろそろ夕飯にしませんか?この子がウルサイんで…」

ひ、人がアンタを諦めるのにこんなにも胸を痛めてるって言うのにこの期に及んで子供子供って。
しかも飯を作れだと。
無駄に想像力のたくましいイルカの胸の痛みは煮えくりかえるような怒りにすり替わってしまったようで。
イルカは、静かに、切れた。

「そうですね、今支度しますから」

妙に怖い。
その張り付いたような笑顔が、ものすごく、怖い。
あらぬ疑いをかけられているとは知らないカカシはがらりと気配の変わったイルカに今度こそ本当に身を竦ませたのだった。




「あー」

「ハイハイ、あ〜ん」

ふつふつと沸き上がる怒りをどうしていいのか分からずにイルカは目の前のみそ汁をがちゃがちゃと乱暴にかき回した。

目の前では、カカシが子供に甲斐甲斐しくご飯を食べさせていた。
何が、あ〜ん、だ。
頭に来ることこの上ない。
このあとドラマよろしく見も知らぬ女が何喰わぬ顔でやってくるのだ。

ウチの子供、こちらにお邪魔してませんか?

多分それは息を呑むくらいいい女だろう。
しとやかな、いかにも女らしい、自分とは似てもにつかない、女。

え?

驚く自分を尻目にひょいと顔を覗かせるカカシ。
その表情は、どんなだろうか。

あら、アナタ、こんな所で何してらっしゃるの?

笑うその女。
艶やかな、零れるような、笑み。
自分には、持ち得なかった、モノ。

あれ?よくここが分かったな。

カカシはそうしてまるで自分なんか最初から居なかったみたいに、そう言うのだ。
こういう展開が待っているに違いない。
それからカカシは少しはにかんだように笑う。
昨日まで、自分にそう笑いかけていたように。
見とれるような、柔らかい笑顔で。
その女に向かって、きっと笑いかけるのだ。
ひょっとしたら、自分なんかが見たこともないような優しい顔で。

ま、イルカ先生、こういう事なんで。

そして、こういって席を立ち上がるのだ。
こういう事なんで。
そんな簡単な、酷い言葉を残して。
自分を捨てて、親子3人で出ていってしまう。
ジ、エンド。
これで終わり。さよならだ。
オレは捨てられて、また元のひとりぼっち。
元に、戻るだけ。
カカシに出逢う前の、何ヶ月か前に。
1人だったあの頃に。
なんて事はない。
ずっと、ずっと長い間1人だったのだから。
カカシに出逢ってからの方が、ずっと短い。
だから大丈夫。
誰にももう、煩わされることもない。

『イルカ先生』

誰ももう、あんな風に名前を呼ばない。
あんな風に、愛おしげに、自分の名前なんか、呼ばない。

『イルカ先生、可愛いなぁ。』

あんな風に、笑いかけない。
誰も、誰一人として。このさき、ずっと。
ただ、それだけだ。

『好きですよ。』

あんな風に、囁かない。
あんな風に。
カカシだけが。

心が妙に静かで、しんとしていた。
今までのざわめいた心中が嘘のように。
カカシが、自分の前から、居なくなる。
ただ、それだけ。

「イルカ先生?!」

驚いたようなカカシの声がした。
これは夢か、それとも現実か。

「ちょ、ちょっとアンタなに泣いてるんですか?!」

頬に、暖かな、感触。
テーブルの向こうから伸びてきた手が頬を拭って、まだ自分の目の前にカカシが居ることに酷く嬉しくなった。
あぁ、よかった。
まだ最後の時は、訪れては居ないのだ。
こんな時までカカシの手の平は暖かくて、優しくて。
だからこそ、余計に、つらい。

「やー!」

頬を拭うカカシの手の感触にうっとりと目を閉じた時、またしても酷い現実が帰ってきた。
注意が自分から逸れたことに対する不満か子供はぐずり始める。
その、神経をひっかくような、甲高い、声。
カカシは離れていってしまうだろう。
こうして頬を拭う温かい手は触れた時と同じように、不意にいなくなって。
あの子のモノになるのだ。
否、そうではない。カカシは元々、あの子のモノなのだ。
あの子はカカシの子供なのだから。

「ちょっとね、静かにしてなさい。大体この人あんまり苛めたら駄目でしょ?」

しかし、予想に反してその手は離れては行かなかった。
離れるどころか、聞こえてきたのは自分をかばうようなカカシの声。

「あーあ、こんなに泣いちゃって。アンタまたどうせろくでもない想像ばっかりしてたんでしょ?」

殊の外優しい、労るようなカカシの声がしてほんの少し驚いた。
もうそろそろ、見知らぬ女が登場しても良い頃なのに。
最初の言葉はなんだっけ?
ウチの子供、こちらにお邪魔してませんか。
だったっけ?
もうすぐ、チャイムが鳴って見知らぬ女が。

「いーるかせんせ」

ぺちりと軽く頬を叩かれる。
意識を現実に引き戻されて、イルカは驚いて目の前の人物をまじまじと眺めた。
この人はもう、人のモノ。
誰か知らない、女のモノなのに。
どうしてまだこんなにも自分の側に居るんだろう。

「アンタなに考えてるんですか?」

「だ、だって、その子、カカシ先生の、子供でしょう?だったら、俺…」

子供は、その生意気な子供はとても悔しそうな顔で自分を見ていた。
カカシのズボンをぎゅうと握りしめて。
その事に、なぜだかほんの少し、ほんの少しだけ嬉しくなる。
今、このときだけは、カカシはこの子よりも自分を見ているから。
嗚咽を堪えてようやく絞り出した言葉にカカシはやっぱりといった風に顔を歪めた。

「ちょっとイルカ先生。初めに言ったと思うんですけど、俺とこの子、ホントになんの関係もないですよ?」

「じゃ、じゃあなんでこの子、カカシ先生の名前…」

尚も言い募るイルカを遮ってカカシは溜息をつきながら言った。

「オレってそんなに信用ないですかねぇ」

困ったような何とも言えない情けない顔でカカシはやんわりとイルカの頬を撫でた。
その感触がどうにも優しくてまた涙が出る。
そうではない、と思う。
カカシの信用がないのではなくて、自分に自信がないだけなのだ、と。
そう、思う。

「オレねぇ、もうこの子の正体分かっちゃってるんですよ。ホントは大分前から」

もう一度溜息混じりにカカシが呟いた。

「え?」

「大体この子。オレの関係者じゃなくて、どっちかって言うとイルカ先生の関係者ですよ」

それはチョット違うか。
そんなことを言いながらカカシはイルカを抱きしめるために側に移動してくる。
その足に、子供をくっつけたまま。

「お、俺、だって、この子のこと、全然、知らない、です」

柔らかく抱きしめられてまだ涙が溢れてきた。

「オレだって知りませんでしたよ、ここに来た時はね」

そおっと、背中を撫でられる。
優しく、柔らかく。イルカを驚かせないように。
これ以上、泣いてしまわないように。
やっぱりどうやったって、この腕が誰かのモノになってしまうなんて、耐えられない。
それに、カカシの言うことが本当だとしたらこの子は一体誰なんだろう。
カカシはとうに、その答えを知っているという。

「ねぇイルカ先生。こんなおとぎ話を知ってますか?」

ひょいとイルカの顔を覗き込んでカカシは唐突に言った。

「え?」

「ずっと、うんと昔ね、ある国の王子様に恋をした娘が居たそうです」

カカシの話の意図が掴めず、イルカは大人しくその話に耳を傾ける。
この話と、今までの話の接点を必死で探しながら。

「娘は王子様恋しさに、つてにつてを頼って、どうにかそのお城の女中として召し上げられたんです。だけれども、王子様に会うどころか姿を見ることさえ稀で、娘の恋心は一層募っていった」

「はぁ」

泣くのも忘れてイルカはカカシの話を熱心に聞いている。
可愛いなぁ、そう心の中でうっそりと笑うとカカシは話を続けた。

「娘だってね、バカじゃあない。王子様に想いが届く事なんて無いことくらい分かってるんです。だけどネ、心の中まではそんなに聞き分けよくはいかないんです。焦がれに焦がれて娘はそっと庭の木に願いをかける」

そこでカカシはいったん話を区切った。
一呼吸置くようにまたイルカの顔をそっと覗いてほんの少し、笑う。

「願い?」

思わず問い返したイルカにカカシは笑みを湛えたまま話を続けた。

「そう、願い事をするんです。どうか、どうか一言でも良いから王子様に声をかけていただきたい、とね。娘は願いをかけたその木を一房切り取ってベットの枕元にそっと置いて毎晩祈ったそうです」

「声をかけてください、と?」

「そうです、一目、自分の姿をその瞳に映して欲しい、とね。ある晩バルコニーから外を眺めていた王子様は庭に不思議な女を見つけます。美しいと言うほどではないにしても妙に気を引かれる女でした。その女はただはらはらと泣いていたそうです」

聞けども聞けどもこのおとぎ話が今までの色々とかみ合う様子はなくてイルカは困惑する。
カカシは一体何が言いたいのだろうか。

「それが、その娘?」

困ったように眉根を寄せてそれでもカカシの話を必死に聞くイルカにカカシの笑みはますます深くなる。

「まぁ、言えばそうです。ただね、その娘、王子様が何を尋ねてもただ泣き続けるばかりで埒があかない。業を煮やして王子様が庭に降りると女はすうと消えてしまったそうです」

「え?」

「そんなことが幾晩か続いて、王子様はその女の事が気になって仕方なくなるんです。あれは誰だろう、とね。で、まぁ結局の所王子様は娘を見つけて、2人は幸せになってめでたしめでたしなんですけど、ここで問題になるのがね、その願いをかけた木なんです」

まるで小さい子に話を聞かせているようにカカシの口調はどことなく柔らかい。
その居心地の悪さにイルカはほんの少し眉をひそめて問い返した。

「木、ですか?」

「そう、その木は何の気だったと思います?」

「……さぁ?何なんですか?」

「イルカ先生、知りたいですか?」

にんまりとカカシは意地悪く笑った。
何かイヤな感じがしていたがイルカは腹を括るとこくりと頷く。

「ここまで聞いたからには、やっぱり知りたいです」

渋々とうなずくイルカにカカシはとても嬉しそうに答えた。

「じゃあ、教えてあげます。答えはね、柘榴の木だったんです」

「柘榴?」

「えぇ。で、ここで問題です。イルカ先生、何でオレがこんな話したのか、分かりますか?」

「イエ?そういえば、何でですか?」

カカシのおとぎ話も謎掛けもまるでイルカには理解しがたい。
ありふれたどこにでもあるようなおとぎ話をしてイルカの事を惑わせるこの情人は。
一体何が言いたいのだろう。

「イルカ先生、以外と鈍いなぁ。分かりませんか?」

そう言いながらそれでもカカシは笑っている。
そうしてまるで端からイルカの答えなど期待してはいない口調で笑うのだ。
ひどい男。

「悪かったですね、鈍くて。分かりませんよ」

拗ねたようにイルカは吐き捨てる。
どうせ、分かりっこない謎掛けなのだ。
満足げに笑うカカシが忌々しい。

「この子の正体です」

普段よりもずっと近い場所でカカシが囁いた。

「は?」

瞬間意味が理解できなくてイルカは間抜けに問い返す。

「イヤね、だからこの子の正体」

カカシの口調は相も変わらず穏やかでイルカの答えなんかまるで期待していない。

「この子がなんだって言うんです」

苛立つようにイルカはカカシに聞き返す。
分からないと分かっていてそう言う事を聞く、カカシに。

「もう、降参ですか?」

常套手段だ、と思う。
こうしていつもいつもいつの間にかカカシの張った罠の中にするりと入り込んでいる。
これも罠だ。
カカシのいつもの、罠だ。
自分をどこにも行けなくしてしまうための、罠だ。
そう、思う。

「分からないったら分かりません。さっきから何なんです?」

ごちゃごちゃといろんな感情がイルカの中で渦巻いていた。
カカシは何が、言いたいのだろう。

「しょうがないなぁ、イルカ先生、イイですか?この子、アンタですよ」

柔らかな笑みとともに溜息のように息を吐き出してカカシはイルカを覗き込む。
その、暖かい瞳の深淵を。

「はぁ?」

カカシの透き通った瞳に自分の間抜けな顔が写ってるのを見てイルカは小さく舌打ちをした。
顔も間抜けなら問い返した声も間抜けだ。
どうしようもない、自分。
だけれども、カカシの言っている事はとても理解しがたかった。

「この子ね、どういう理由でこんな事になってるのかちょっとイマイチ分からないんですが正真正銘イルカ先生ですよ」

にこり、とカカシが笑う。
優しい瞳のまま。
罠にかかった間抜けな獲物を見て、笑う。

「何言ってるんですか、カカシ先生?この子がオレなら今ここにいるオレは何なんです。それともオレが分裂したとでも?」

受け入れられる許容範囲を軽く超えてしまったカカシの話に、イルカはごくごく真面目に答えた。

「平たく言えば多分そうなるんでしょうねぇ」

受け流すような、カカシの答え。

「でしょうねぇ、ってアンタそんな呑気な!何バカな事言ってるんですか?!」

いつもと変わらないカカシの口調にイルカはイライラと吐き捨てた。
そんなイルカをちょっと困ったように見て、それでもカカシは笑う事を止めない。

「バカな事じゃあないですよ。だってこの子、イルカ先生とチャクラの質がまったく同じなんですよ?」

そうして、最後通牒を与えるのだ。

「?!」

驚愕にイルカの目が見開く。
そんな馬鹿な事があるものか。

「気が付いてなかったんでしょうけど、そういう事です。で、ここで生きてくるのがさっきのおとぎ話なんですが、さてここで問題です。昨日飲んだお酒は何だったでしょうか?」

本当にそんな事には気がついていなかった。
チャクラの質が同じだなんて分身してる訳じゃないのに、あり得ない。
重ねて問われたカカシの言葉にイルカは朧気な記憶を探り当てる。

「……ざ、くろ?」

そう、昨日は。
料理に一番合うお酒はこれだと言って店主が自らその酒を注いでくれた。

「そうです。柘榴には人の心の底に眠っている願望を叶える力があるという。さっきの話じゃないですがいざとなれば人にだって化けるんですよ」

イルカの思考は一気に収束に向かってはいたがそれによってもたらされる結果がどうも自分の意にそぐわないような気がしてイルカは意識的に思考を止めた。

「はぁ」

自ずと漏れた気の抜けた言葉。
視線の先には、それはそれは嬉しそうな、カカシの顔。

「ここから先は想像でしかないですが、この子はイルカ先生の願望の塊みたいなモノだと思うんです。昨日の酒が作用したのかそれ以外に原因があるのかは知りませんけど多分そういう事なんだと思いますよ?」

くつくつと笑うカカシの顔を半ば呆然と眺める。
そんな事ってあるのだろうか?

「やー」

あまりの話の内容にすっかりその存在を忘れてしまっていたけれど、今日のこの原因となった子供はすっかりへそを曲げてカカシの脚にしがみついていた。
ぐいぐいとカカシの脚を揺さぶるその姿はどう見ても自分には見えない。

「で、でもカカシ先生、この子、鼻に傷なんてないし…」

カカシの推理通りだとしたら、これはもう、本当に恐ろしい事で。
それはもう、ひょっとして、想像を絶するくらい、恐ろしく、恥ずかしい。
イルカは一縷の望みをかけて反論を試みる。

「イルカ先生、その傷、いつ出来たんですか?」

帰ってくる簡易な質問。
至極もっともで希望を打ち砕く最大の。

「…え?えっと、4歳の時だったかな?」

「この子の歳は?」

「2歳、くらいですか?」

半ば溜息混じりに言われて恥ずかしくて下を向く。
カカシの顔がまともに見れなくて、どうしようかと思う。
これはまずい。
どうしたって、まずい。
イルカは耳の後ろが熱くなってきているのを感じていたがどうする事もできなくて困ったように眉根を寄せた。

「だけど、カカシ先生……」

まだ言い訳を探してるオレの体をそっと離すとカカシは脚にしがみついている子供を引きはがす。
すいと屈んでその子に目線を会わせてカカシはそれはもう優しい声で子供に語りかけた。

「あのね、そんな姿にならなくても、ちゃあんとワガママでも何でも聞いてあげるから。甘えたい時は甘やかしてあげるし、縋っても泣いてもイイから」

くしゃりと子供の頭を撫でる。
その、子供は、泣き出しそうな顔でじっとカカシを見ていた。

「ね、だから、もう戻んなさい」

子供は、カカシを見ている。
涙を堪えて。何だか、その光景は、とても胸が痛い。
まるで自分が涙を堪えてるように思えて。
それとも。
その姿に、どうしてか覚えがあるような気がしていたから?
だけれども、その痛みは、今までのじわりとにじむような痛みではなく。
もっと透き通った。
もう会えない古い友人を思いだしているような、そんな、痛み。

「ね、イルカ」

ぽふりと頭に軽く手の平を乗せてカカシは言い聞かすように名前を言った。
イルカ、と、そう。

子供は、自分の分身らしい子供はそうしてようやくこくりと頷いてカカシに最後にぎゅうとしがみ付くと、ぱっと自分めがけて走り出してきた。
避ける間もなかった。
あ、と思った時には子供は自分にぶつかっていた。
ぶつかったと、思った。
走り込んできたその子供は、自分にぶつかったと思ったその瞬間何の衝撃もなくふわりと溶けるように腕の中でかき消えた。
じんわりと胸が訳もなく暖かくて、また、涙がこぼれそうになる。
この、胸の痛み。
甘い、柔らかい、すんとした、ほんの少しの寂しさをにじませて。
カカシを取られまいと必死になっていたその瞳を思い出して、そうして。
そうしてようやく、自分の本当の願いに気が付いた。

あぁ、オレは、あんな風にずっと、カカシに甘えたかったのだ。
もうとうの昔にカカシは自分を甘やかしてくれていたのに。
それに素直に応じる事さえ拒んで。
下らない、小さなプライドばかりが邪魔をして、カカシにさえ素直になれないでいた。

「ほら、また」

カカシが澄んだ柔らかい声でイルカを引き寄せる。
胸に抱き込まれてあやすように頭を撫でられて。
また泣いている自分に気が付く。
涙腺が壊れてしまったのか涙は一向に止まる様子もなくて、困ってしまう。
困ってしまっているのに。
その腕は離れがたく優しく暖かく、どうしていいのか分からないままその腕の中で泣いていた。

「ふふ」

頭をカカシの肩にくっつけたままぐずぐずと泣いていたら不意に耳元で笑い声が聞こえる。
それはもう嬉しそうな、カカシの笑い声。
その声を聞いた途端、イルカの中にどかどかと羞恥心が戻ってきた。
自分は一体何をしているのか。
じたばたと暴れ出したイルカをなんなく腕の中に閉じこめたままカカシはまだ笑っていた。

「イルカ先生、可愛いなぁ」

耳元をくすぐるカカシの笑い声にイルカの体温はどんどん上昇しているみたいだった。
恥ずかしい。
恥ずかしくて、死にそうだった。

「アンタずっとあんな風にあからさまに甘えたかったんだ」

嬉しくって死にそう。
カカシはイルカの肩に顔を埋めてそれはもう嬉しそうに笑っている。

「アンタが子供にヤキモチ妬いてるのは分かったんですけどあっちもこっちもイルカ先生で無下に扱う事も出来ないし、ちょっと困ってたんですよね」

でもねぇ、アンタがあんな風にヤキモチ妬いてくれてすごく嬉しかったんですよ。
笑いながら、本当に、嬉しそうに。
カカシはイルカをぎゅうぎゅうと抱きしめた。
恥ずかしくて。
あんな子供にヤキモチを焼いてしまった自分や。
剥き出しにされた自分の思いも寄らない願望や。
そう、言うなればあの子供が自分だったなんて、それほど恥ずかしい事はないに違いなくて。
イルカは火照る顔を押さえる事も出来ないでカカシにしがみ付いた。
涙は止まっていたけれどこんな状況で顔でも見られた日には多分恥ずかしくって死んでしまう。
あんな全身全霊でカカシが好きだと言っていた、子供が、自分だなんて。
もう、どうしよう。

「イルカ先生?」

自分が腕の力を緩めても一向に離れようとしないイルカを不審に思ってカカシはその顔を覗き込もうとした。
しかしイルカは相も変わらずカカシにしがみ付いたまま離れようとはしない。
それどころか引き剥がしにかかるカカシに抵抗するようにぎゅうぎゅうとしがみ付く手を強くしてくる。
これはひょっとしてというかひょっとしなくても。
ちらりと覗いた項や耳元が真っ赤に染まっているのを見てカカシはにんまりと笑う。
なんて可愛い、愛おしい人。

「そんなに離れたくないんですか?」

もうチョー愛されちゃってますね、オレ。
うっそりとそう言って笑ったカカシは、今までとは違う明確な意味を持ってイルカの背中にするりと腕を這わせていた。
もうイルカの羞恥心は限界点をとっくに越えていて、カカシに顔を見られたくなくてだけれどもこうしてしがみ付いていることも恥ずかしくて、だからといって今カカシから離れてみっともない顔をさらすことも出来ず背中を這うカカシの手の動きにびくりと体を震わせるのが精一杯だった。
どうしようどうしよう一体どうしたらいいんだろう。
ぐるぐるとイルカの頭の中は回らない思考のままどうしようと唱えるばかりで、だからカカシの不埒な行動に気が付くのに一瞬遅れた。

「もうね、存分に甘やかして上げますね。あと丸2日もある事だし」

ひょいと肩に担ぎ上げられてイルカはようやく自分の身の危険に気が付いて暴れたが時すでに遅く、抵抗をモノともしないカカシにうきうきと寝室へと運び込まれていたのだった。


fin


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